artscapeレビュー
書籍・Webサイトに関するレビュー/プレビュー
『──の〈余白〉に』
発行・編集 : 山腰亮介+中村陽道
発行日:2022年10月1日
ある二葉の詩集の〈余白〉に対峙するかたちで、テキスト、写真、デザインをめぐらせた「批評紙」がちょっと前に創刊された。その名前は『──の〈余白〉に』である。今回の批評対象となったのは詩人・山腰亮介による詩集『ひかりのそう』と『ときのきと』だ。
いずれの詩も正方形のトレーシングペーパーのような薄手の紙一片の両面に灰色で文字が印刷されているもので、どこからでも読み始められるように視覚的にも言葉としても構成されている。そういった造作と詩が混然一体となった作品だ。では、そのような詩集を批評するうえでどうすべきかといったとき、デザインの中村陽道は「相手の土俵に乗る」かたちで紙面を構成している。大きな紙片を正方形に折り畳んだ『──の〈余白〉に』は、どこからでも読み進められる。綴じたり、束ねないことで生まれる、言葉の順番に偶然出会うということを山腰の詩集から受け取った批評紙が、それを少しずらして反復する。
『──の〈余白〉に』も山腰の詩集と同様、正方形造本である。しかし、それはA1の紙が折られてできた正方形だ。こちらもトレーシングペーパーのように薄手なのだが、その結果「折り目」の強制力が弱く、読もうと紙を広げるたびに、目に入る文章の順番がちょっとシャッフルされてしまうという「ずらし」が発生しているのだ。ウィリアム・バロウズが小説や雑誌を対角線で折って偶然の言葉の出会いをつくり出した「フォールド・イン」を思い起こさせられる。だが、フォールド・インに比べてみると、本誌の折り目は慎ましい。むしろ、それぞれの個別の文章自体が解体されることはないように、『──の〈余白〉に』には正方形という折り目がついているのかもしれない。
『──の〈余白〉に』1号(編集 : 山腰亮介+中村陽道、発行日:2022年10月1日)[写真:中島七海]
そうは言っても、自由に折り畳めてしまえるので、畳み方によっては、まったく違う二つの文章をつながったひとつの文章かのように(わずかばかりの違和感をもちながらも)勘違いして、ある程度まで読み進めてしまうということも起きている。わたしは塚田優による「経験の手触りについて」と森田俊吾による「山腰亮介の〈雪〉」をひとつの文章だと思い込んで半ば読んでしまった。塚田が山腰の詩を「フリードが瞬間性と呼んだかのような、部分が時間軸とは関係なく、言葉が全体として運ばれてくるような感覚を覚えることがある」と述べていたのだが、その文章の終わりに気づかず、森田の山腰論を読み進めてしまったのだ。森田が山腰の詩や論考について、スノーフレークレベルの〈雪〉における極微でのものごとの違いという位相と、堆積物としての〈雪〉の位相から分析していたところを、わたしは塚田の文章から引き継いで、その「瞬間性」の淡さについて精細に論じているのだと思ったのである。
塚田の文章の終わりから、5分くらい読んだところで「森田俊吾」という文字が途中で目に入り我に返って、森田の文章の冒頭を探し、そこから読み直した。幻覚と補完が過ぎると思いつつ、そういった読み方も許されるのが本誌なのかもしれないと勝手に納得した。本稿に掲載した中島七海の写真もまた、この批評紙の物質的な性質をよく捉えている。薄紙と折り目がもたらす微細な偶然をぜひ体験してほしい。
詩集『ひかりのそう』(テキスト・デザイン・発行:山腰亮介、発行日:2019年7月7日)[写真:中島七海]
詩集『ときのきと』(テキスト・デザイン・発行:山腰亮介、発行日:2022年7月7日)[写真:中島七海]
『──の〈余白〉に』(stores.jp):https://on-the-marginalia.stores.jp/
2023/03/09(金)(きりとりめでる)
赤瀬川原平『1985-1990 赤瀬川原平のまなざしから』
発行所:りぼん舎
発行日:2023/02/01
赤瀬川原平の仕事は多岐にわたるが、その「写真家」としての側面は、まだ充分に解明されているとはいえない。彼は引き出し16段にぎっしりと詰まったポジフィルムを遺していたという。本書はそのうちの1段目、1985~1990年までを整理し、そこからピックアップした写真127点に、著書から引用した言葉を添えた写真集である。ということは、まだ15段分の写真が残っているということで、それらがすべて明るみに出たならば、「写真家・赤瀬川原平」の恐るべき全体像が姿を現わすことになるだろう。
1985~1990年といえば、彼が『写真時代』に「超芸術トマソン」を連載(1983年1月号~1985年4月号)して、多くの読者に衝撃を与えていった時期にあたる。1986年の路上観察学会の結成につながるこの時期には、役に立たない階段、壁に塗り込められた窓、植物が風に揺らいで壁に残した軌跡など、さまざまな「トマソン物件」が、赤瀬川らによって発見され、その面白さが認められていった。本書にも、その成果が多数おさめられている。だが、それだけでなく、展覧会や調査などで訪れたイギリス(オックスフォード)、中国、韓国などの写真を含む日常スナップに、むしろ赤瀬川の「写真家」としての眼差しの質がよく表われているのではないだろうか。天性の観察力、尽きることのない好奇心、物事の成り立ち本質的に捉え直す力を存分に発揮したそれらの写真群は、赤瀬川の「写真力」の産物といえるだろう。ぜひ続編を期待したい。
2023/03/05(日)(飯沢耕太郎)
カタログ&ブックス | 2023年3月1日号[テーマ:坂口恭平の日常を通して、日課と継続の営みを考える5冊]
モバイルハウスを通した実践や執筆活動、「いのっちの電話」など多様な顔をもちつつも、複数の「日課」を基盤に活動を重ねる坂口恭平。近年始めたパステル画を中心とした「坂口恭平日記」展(熊本市現代美術館で2023年2月11日〜4月16日開催)に縁深いものを中心に、ルーティン≒生きることについて思索が深まる5冊を紹介します。
※本記事の選書は「hontoブックツリー」でもご覧いただけます。
※紹介した書籍は在庫切れの場合がございますのでご了承ください。
協力:熊本市現代美術館
今月のテーマ:
坂口恭平の日常を通して、日課と継続の営みを考える5冊
1冊目:Pastel
著者:坂口恭平
発行:左右社
発売日:2020年10月26日
サイズ:23×30cm、154ページ
Point
2020年5月に描き始めて以降すっかり日課として定着し、「坂口恭平日記」では展示の中心となっているパステル画をまとめた作品集。熊本での暮らしのなかで坂口が見ている風景を追体験できるとともに、自分のいる環境と対峙する時間をもつことの大切さにも気づきます。2冊目の作品集『Water』と併せてぜひ。
2冊目:みぎわに立って
著者:田尻久子
発行:里山社
発売日:2019年3月20日
サイズ:18cm、175ページ
Point
ギャラリー・喫茶を併設する熊本市街の新刊書店「橙書店」店主によるエッセイ集。熊本地震を経ての移転後も淡々と営業を続ける書店と、そこに日々訪れる坂口を含めた人々の暮らしのリズム、居合わせることの豊かさ、対話とともにある感情の機微と息づかい。豊田直子の版画の淡い色合いを生かした装丁(祖父江慎)も魅力的。
3冊目:土になる
著者:坂口恭平
発行:文藝春秋
発売日:2021年9月14日
サイズ:20cm、170(+図版18)ページ
Point
「つまり言語獲得中であるような気がする」。コロナ禍以降、坂口のルーティンに加わった「畑」に出会った頃の日記。土や水、植物との対話を通して原初的な「作る」ことに向き合い内面に潜っていく坂口の文章は、他著とはまた異なる冴えた質感に満ちています。畑への行き帰りの風景は、パステル画の題材にも。
4冊目:病と障害と、傍らにあった本。
著者:齋藤陽道、森まゆみ、丸山正樹、川口有美子、頭木弘樹、岩崎航、三角みづ紀、田代一倫、和島香太郎、坂口恭平、鈴木大介、與那覇潤
発行:里山社
発売日:2020年10月25日
サイズ:20cm、246ページ
Point
心身のつらさと共存したり、乗り越える際の孤独な自分に寄り添ってくれた本や言葉に関するエピソードを、坂口を含む12名の著者が書き下ろしたエッセイ集。書き手が抱える多種多様な症状と、そのタイミングだからこそ、ある一節が心にぴたりとはまり、染み込んでいく不思議。文学の普遍的な意義にも改めて気づかされます。
5冊目:継続するコツ
著者:坂口恭平
発行:祥伝社
発売日:2022年12月1日
サイズ:19cm、235ページ
Point
「だって継続とは毎日の生活ってことですから」。坂口は幸福を「自分が興味のあることを今も継続できていること」と定義し、誰もが子供の頃は自然にできていた大小さまざまな「つくる」ことをなぜやめてしまうのか、そこにある思い込みを解きほぐしていきます。理由をつけて何かを諦めている人の背中を押してくれる最新刊。
坂口恭平日記
会期:2023年2月11日(土・祝)~4月16日(日)
会場:熊本市現代美術館(熊本県熊本市中央区上通町2-3 びぷれす熊日会館3階)
公式サイト:https://www.camk.jp/exhibition/sakaguchikyohei/
2023/03/01(水)(artscape編集部)
カタログ&ブックス | 2023年2月15日号[近刊編]
展覧会カタログ、アートやデザインにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
※hontoサイトで販売中の書籍は、紹介文末尾の[hontoウェブサイト]からhontoへリンクされます
◆
崇高のリミナリティ
著:星野太
発行:フィルムアート社
発行日:2022年12月24日
サイズ:四六判変形、300ページ
「超越的なもの」から「水平的なもの」へ。 崇高な(sublime)ものから閾的な(subliminal)ものへ、そして境界的な(liminal)ものへ。 現代思想、美術、文学、批評理論……「崇高」という美学の一大テーマを日常に開き、 現代美学のエッセンスをつかむための思索と対話。 池田剛介、岡本源太、塩津青夏、佐藤雄一、松浦寿輝との対話、崇高をめぐるブックガイドを所収。
芸術と共在の中動態──作品をめぐる自他関係とシステムの基層
著:森田亜紀
発行:萌書房
発行日:2022年12月25日
サイズ:四六判、236ページ
能動-受動、主体-客体という図式におさまらない芸術体験(作品の受容と制作)の内実を、「中動態」という言語の範疇を援用することで闡明した前著での議論を踏まえ、そこで残された課題、すなわち芸術という領域における他者との関わり、ひいては芸術制度の社会的成り立ちを考察。
高松次郎 リアリティ/アクチュアリティの美学
著:大澤慶久
発行:水声社
発行日:2023年1月13日
サイズ:A5判、256ページ
高松次郎の多様な作品に内在する、「リアリティ=真実」/「アクチュアリティ=事実」の美学とは何か。この問いを巡って、作家の思考と作品との間に秘められた、未だ見ぬ回路を切り開く。
災間に生かされて
著:赤坂憲雄
発行:亜紀書房
発行日:2023年1月18日
サイズ:四六判、240ページ
〈陸と海、定住と遊動、生と死、虚構と現実、セクシュアリティ…〉
──境界線が溶け合うとき硬直した世界に未来の風景が立ち上がる。
「人は避けがたく、ほんの気まぐれな偶然から、ある者は生き残り、ある者は死んでゆくのです。巨大な災害のあとに、たまたま生き残った人々はどんな思いを抱えて、どのように生きてゆくのか。思えば、それこそが人間たちの歴史を、もっとも深いところから突き動かしてきたものかもしれません」(本文より)
いくつもの不条理なできごとの底知れぬさみしさを抱えて、それでもなお生きるための思考。
原視紀行 地相と浄土と女たち
著:石山修武
写真:中里和人
発行:コトニ社
発行日:2023年1月21日
サイズ:A5判、144ページ
鬼才建築家・石山修武が、日本の深い地相と歴史をたずねながら、知られざる文化や人々の暮らしに迫る! 文化的な遺産や自然の様々な痕跡と出会いながら新たな魅力を再発見するちょっと不思議な「原始旅行のガイドブック」。
ヨコとタテの建築論 モダン・ヒューマンとしての私たちと建築をめぐる10講
著:青井哲人
発行:慶應義塾大学出版会
発行日:2023年1月24日
サイズ:四六判、304ページ
当たり前をじっくり考え直すこと、学び直すこと。 私たち=現生人類の本性に立ち返り、建築の思考をいきいきと語る。 相似の海としての「建物」の広がりから、「建築」はいかに世界と未来の幻視を立ち上げるか──。 東京藝術大学大学院での講義から生まれた出色の入門書。
感性でよむ西洋美術
著:伊藤亜紗
発行:NHK出版
発行日:2023年1月26日
サイズ:A5判、144ページ
2500年もの歴史をもつ「西洋美術」。その膨大な歴史や作品を理解するのは至難の業だ。しかし、5つの様式から「大づかみ」で概観すれば、「この時代の作品はこんな感じ」という全体像が見えてくる。キーワードは「感性」。古代から20世紀まで、約40点の名作を鑑賞して、感じたことを言葉にしてみれば、作品理解がぐっと深まる。「ルネサンスはなぜ重要なの?」「マネの何が革新的なの?」「ピカソはなぜ不思議な絵を描くの?」。美術館に行くと、まず解説を読んでしまう鑑賞法から卒業できる、新感覚の美術入門!
レペルトワールⅢ 1968
著:ミシェル・ビュトール
監訳:石橋正孝
訳:三ツ堀広一郎、中野芳彦、堀容子 他
発行:幻戯書房
発行日:2023年1月27日
サイズ:A5判
騙し絵か非゠騙し絵か(ホルバイン、カラヴァッジョ)、小説の地理学(ルソー)とポルノグラフィ(ディドロ)、毒薬/霊薬としての言葉(ユゴー)、連作としての絵画と文学(北斎、バルザック、モネ)、キュビスムの技法(ピカソ、アポリネール)、「正方形とその住人」(モンドリアン)、記憶の多角形(ブルトン)、「宇宙から来た色」(M・ロスコ)、考古学、場所、オペラ等々、文芸×美術を自在に旋回する、アクロバティックな創作゠批評の饗宴。
ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ「柔らかな舞台」
テキスト:菅野優香、ビンナ・チョイ、パブロ・デ・オカンポ、アンドリュー・マークル、崔敬華
デザイン:若林亜希子
発行:torch press
発行日:2023年1月27日
サイズ:200x125mm、272ページ
2022年11月12日(土)〜2023年2月19日(日)まで、東京都現代美術館にて開催されている企画展「ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台」のカタログ。
場所、それでもなお
著:ジョルジュ・ディディ=ユベルマン
訳:江澤健一郎
発行:月曜社
発行日:2023年1月28日
サイズ:四六判、188ページ
ユダヤ人絶滅収容所の〈場所〉をめぐる表象不可能性に抗して、映画や写真のイメージ(映画『ショアー』『サウルの息子』、アウシュヴィッツ=ビルケナウ国立博物館所蔵の写真群)を分析し、歴史の暗部を透視する試み。『イメージ、それでもなお──アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真』(原著2003年刊)の前後に書かれたユダヤ人大虐殺をめぐるテクスト三篇、「場所、それでもなお」(1998年)、「樹皮」(2011年)、「暗闇から出ること」(2018年)を一冊にまとめた、日本版独自編集の論集。
メディア地質学 ごみ・鉱物・テクノロジーから人新世のメディア環境を考える
著:ユッシ・パリッカ
訳:太田純貴
発行:フィルムアート社
発行日:2023年2月3日
サイズ:四六判、352ページ
物質という視点や長大な時間から現代のメディア状況を捉え直す、気鋭の研究者によるハードでドライなメディア文化論。
共和国の美術 フランス美術史編纂と保守/学芸員の時代
著:藤原貞朗
発行:名古屋大学出版会
発行日:2023年2月10日
サイズ:A5判、454ページ
王なき世俗国家で人々は芸術に何を求めたのか。戦争に向かう危機の時代に、中世宗教美術や王朝芸術から、かつての前衛までを包摂するナショナルな歴史像が、刷新された美術館を舞台に創られていく。その過程を、担い手たる学芸員=「保守する人」とともに描き、芸術の歴史性を問い直す。
文化の力、都市の未来 人のつながりと社会システム
編:(一財)森記念財団 都市と文化・クリエイティブ産業研究委員会
発行:鹿島出版会
発行日:2023年2月13日
サイズ:B5判、220ページ
文化芸術をはぐくみ都市の成長へ。そのための課題やアプローチを、世界の第一線で活躍する有識者へのインタビューより明らかにする。
◆
※「honto」は書店と本の通販ストア、電子書籍ストアがひとつになって生まれたまったく新しい本のサービスです
https://honto.jp/
展覧会カタログ、アートやデザインにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
※hontoサイトで販売中の書籍は、紹介文末尾の[hontoウェブサイト]からhontoへリンクされます
2023/02/14(火)(artscape編集部)
王欽『魯迅を読もう──〈他者〉を求めて』
発行所:春秋社
発行日:2022/10/19
本書のタイトルを見たとき、いくぶん意表を突かれる思いがした。「魯迅を読む」ではなく、「魯迅を読もう」である。このタイトルは、文字通りに取れば、読者に対して「ともに」魯迅を読むことをうながしているかに見える。事実そうなのだろう。だが、「魯迅を読もう」というこの誘惑の背後には、もうすこし複雑なコンテクストが畳み込まれているように思える。
魯迅(1881-1936)と言えば、日本への留学経験もある、中国近代文学におけるもっとも重要な作家である。したがって、中国語や日本語のみならず、英語でも魯迅についての書物や論文のたぐいは豊富にある(個人的にも、魯迅を専門とする英語圏の研究者にはこれまで数多く会ってきた)。さながら日本における夏目漱石のごとく、中国の近代文学を話題にするうえで、およそ魯迅を避けて通ることなどできない。これはいまや世界的な事実である。
ひるがえって、いまの日本語の読者のあいだに、魯迅を読もうという気運はどれほどあるだろうか。日本とも縁浅からぬこの作家への今日的な無関心が、著者をして本書を書かしめた最大の要因であるように思われる。
むろん、過去には竹内好の仕事をはじめとして、日本語で読める魯迅のすぐれた訳書・解説書は現在までに数多く存在する。だが、本書の著者である王欽(1986-)のアプローチは、これまでに存在した魯迅の解説書とはいくぶん毛色を異にするものだと言えよう。著者は中国・上海に生まれ、ニューヨークで学業を修め、現在では東京で教鞭をとる研究者である。つまり本書は、中国語を第一言語とし、英語圏の批評理論にも精通した著者が、あえてみずから日本語で書いた本なのである。
本書は、魯迅の『阿Q正伝』をはじめとする小説から雑文にいたるまでの全テクストを視野に収めた、堅実な解説書である。ただし、そこでは中国語や日本語による文献に交じって、ベンヤミン、ド・マン、デリダを援用しながら議論を進めるくだりが散見される。こうした批評理論を噛ませたアプローチには賛否あるだろうが、すくなくとも今日の英語圏における魯迅の読まれかたとして、本書のような「釈義」(11頁)による方法はむしろ王道に属するものであるように思われる。
個人的には、『村芝居』『凧』『阿金』といった比較的マイナーなテクストを論じた後半の議論を興味ぶかく読んだ。全体的に、編集の目が行き届いていないがゆえの誤字脱字も散見されるが、本書のようなすぐれた書物が日本語で著されたことの意義は、それを補って余りあろう。本書の読後、きっと読者は魯迅を「読もう」という気にさせられる──その点において、本書の目論見は十分に達成されているように思われる。
2023/02/09(木)(星野太)