artscapeレビュー
書籍・Webサイトに関するレビュー/プレビュー
大橋仁『はじめて あった』
発行所:青幻舎
発行日:2023/04/10
デビュー作の『目のまえのつづき』(青幻舎、1999)から24年、「奇書」というべき大作『そこにすわろうとおもう』(赤々舎、2012)から10年余り、大橋仁の新作写真集『はじめて あった』が出た。
冒頭の波と空のカットから、いかにも彼らしい息継ぎの長いシークエンスの写真が続く。女性との性愛の場面、「パンティの森」と昆虫のクローズアップ、やがて母親と義理の父(『目のまえのつづき』の主要登場人物)が現われ、その生と死が、過去作も含めて綴られていく。さらに、渋滞中の車の中のドライバーたちを執拗に写したカットが続き、打ち寄せる波の写真で締めくくられる。
こうしてみると、大橋がいつでも「私は自分の中のはじめてに会いにいく」という姿勢を貫いて、被写体と接してきたことがよくわかる。「目のまえ」に走馬灯のようにあらわれては消えていく「私という幻私という現実」は、カメラを向けることによって、はじめて手応えのある確固たる存在としてかたちを成し、それらを連ねていくことで、確信を持ってそれらが「はじめて あった」と言い切ることができるようになる。そのような、彼自身の写真家としての基本姿勢を、大橋は本作を編むなかであらためて確認していったのではないだろうか。この「母の死とパンティと昆虫」の写真集には、なにかを吹っ切ったような、突き抜けた明るさが感じられる写真が並んでいた。
関連レビュー
大橋仁『そこにすわろうとおもう』|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2013年01月15日号)
2023/07/19(水)(飯沢耕太郎)
カタログ&ブックス | 2023年7月15日号[近刊編]
展覧会カタログ、アートやデザインにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
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展示の美学
イタリアGoppion(ゴッピオン)社が手掛けた10ヵ国36都市60の博物館・美術館から、珠玉の展示写真260点余を収録。
百瀬文 口を寄せる
本書は百瀬文の初となる作品集。2013年のデビュー作《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》から、十和田市現代美術館での個展で発表した最新作まで、活動10年における代表作を収録するほか、各分野の専門家によるエッセイ、1万字を超える最新インタビュー等、様々な視点からその作品を考察します。
関連レビュー
国際芸術祭「あいち2022」 百瀬文《Jokanaan》、『クローラー』」|高嶋慈:artscapeレビュー(2022年11月01日号)
猫と巡る140年、そして現在 朝倉文夫 生誕一四〇周年記念
日本彫塑界を代表する存在で愛猫家としても知られた朝倉文夫による、猫たちを造形した作品群と生涯の代表作の数々を一堂にめぐる。
上路市剛作品集『受肉|INCARNATION』
徹底した再現力で独自のリアリズムの世界を切り開く彫刻家・上路市剛。 その初期作品から最新作までを一堂に収録した初の作品集。 コデックス装に透明のカバーを巻いた豪華な仕様で、 アートブックとしても楽しめる孤高の1冊。
建築とエネルギーの人類史
偉大な建築物とそれを生み出すのに使用されたエネルギーの歴史を辿る。持続可能な建築の未来への提言も。図版200点。隈研吾氏推薦
東京のワクワクする大学博物館めぐり
知らないと損! ほぼ無料! 江戸川乱歩邸のある大学(立教大学)から、 蒸気機関車がキャンパスを走る大学(日本工業大学)まで。 誰でも気軽に行けるのに、意外と知られていない大学のもつ博物館、美術館、水族館、資料館のガイドブック(東京と、神奈川・千葉の一部含む)。 学生じゃなくても散歩感覚で気軽に行ける博物館110件紹介。
私小説・夢百話
「私は安部公房の真似をして、夢の絵を走り書きするようになったのです。」画家が40年余りにわたって目覚めてすぐに夢の光景を求め、絵と文章で記録し続けた唯一無二の「夢画集」。子どものころの思い出から交流あった作家たち、そして現在……。月刊『図書』の表紙を飾った作品に、未発表の40編を追加。オールカラー。
文化メディアシオン 作品と公衆を仲介するもの
美術作品や文化遺産、演劇、音楽など、文化的なものと鑑賞者・参加者をつなぐ文化メディアシオン。その歴史から現状までを考察。
ケアの哲学
私たちは物理的身体だけではなく、データの集合としての自己を形成する象徴的身体を持っている。現代におけるケアを考えるとき、両方の身体を視野に入れる必要があるのではないか。人間が自らの生存に配慮するセルフケアを行うとき、国家による生政治としてのケアに抵抗する別の可能性が開かれる。美術批評の世界的第一人者グロイスが、これまでの仕事の延長上で新しいケア概念を提起し、プラトン、ソクラテスからヘーゲル、ニーチェ、バタイユ、ハイデガー、アレントなど数々の哲学を独自の視点からケアの哲学として読み替える。
菅木志雄 制作ノート 1967–2008
1960年代末から70年代に勃興し、日本に大きな芸術運動をもたらした「もの派」の中心的作家として、広く世界的に評価を集める菅木志雄。 主に石や木材、金属、ロープ、水などの日常的な素材を、並べる、組み合わせる、立てかけるといったシンプルな行為により生じる、ものともの、場所、人などの関係とその変化を表現しています。 菅の制作のかたわらには、常にアイデアの着想から作品の構想まで、書くことで自身の思考を整理し、展開してきた作家の根幹を成すノートがありました。 本書は1967年から2008年までの間に書かれた20冊のノートから、作家自ら選定したページを掲載。また一部抜粋されたテキストを活字化。 この世の理に、深く向き合い問い続ける作家の、制作の起点が刻まれた全704ページ。
ゼロからはじめる[近代建築]入門
ゼロからはじめるシリーズの17冊目。19世紀の黎明期から、モダニズム建築、さらにその後のポストモダンにいたるまでを概観し、建築デザインと、建築家の思想が日本と世界に与えた影響が理解できる。空間構成、建築家とその思想をユニークなイラストでビジュアルに紹介。どのように近代建築が生まれ展開していったかを総合的に理解できる。
女性画家たちと戦争
これまで語られなかった第二次大戦下の女性画家たちの活動。長谷川春子や女流画家奉公隊……。彼女たちは何を描いたのだろうか。
2023/07/14(金)(artscape編集部)
金川晋吾『長い間』
発行所:ナナルイ
発行日:2023/04/27
金川晋吾の2016年の写真集『father』(青幻舎)には、奇妙な揺らぎを含み込みこんで、ずっと長く目に残り続ける写真がおさめられていた。金川が撮影した「失踪を繰り返す父」の写真と、父が毎朝、自分にカメラを向けて撮影したセルフ・ポートレイト群を見ていると、人間という存在にまつわりつく不可解さ、とりとめのなさが、じわじわと滲み出してくるように感じたのだ。
その金川の新しい写真集『長い間』にも、同じような感慨を覚える。今回、彼が撮影したのは、家を出たまま20数年のあいだ行方不明になっていたという伯母(父の姉)の「静江さん」である。病院に収容された彼女を、2010年から繰り返し訪れて撮影したポートレイト(外出時の写真も含む)と、書き留めていた日記の文章が、ハードカバーの写真集におさめられている。撮影の仕方に特定のルールはなく、少しずつ老い衰えて、2020年には死に至る約10年間の「静江さん」の姿が、淡々と写しとられていた。本書と同時期に出版された写真・エッセイ集『いなくなっていない父』(晶文社)に、金川は「写真という場においては、父という人間のその都度の個別具体性が前景化してくる」と書いているが、まさに今回もそんなふうに撮影された写真群といえるだろう。
逆にいえば、その「個別具体性」はほかに置き換え難い、絶対的としか言いようのないものであり、写真になんらかの意味づけを求めようとする読者の期待は、何度となく裏切られてしまうことになる。金川は性急に答えを求めることなく、まさに撮りながら考え、その思考を被写体となった「父」や「静江さん」に投影しながら、あえて迂回するようにして撮影を続けていった。このようなポートレイトの連作は、ありそうであまりないのではないかと思う。
関連レビュー
金川晋吾『いなくなっていない父』|星野太:artscapeレビュー(2023年08月01日号)
金川晋吾『いなくなっていない父』|山﨑健太:artscapeレビュー(2023年07月01日号)
金川晋吾「長い間」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2018年03月15日号)
金川晋吾『father』|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2016年03月15日号)
2023/07/12(水)(飯沢耕太郎)
森山至貴×能町みね子『慣れろ、おちょくれ、踏み外せ 性と身体をめぐるクィアな対話』
発行所:朝日出版社
発行日:2023/07/01
森山至貴『LGBTを読みとく──クィア・スタディーズ入門』(以下『読みとく』)はセクシュアルマイノリティについての基本的な知識や考え方が新書らしくコンパクトにまとめられた良書だ。セクシュアルマイノリティについて知りたいのだがまずどの本を読めばいいだろうかと聞かれたら私はこの本を薦めている。「良心(だけ)ではなく知識」をというスタンスのもと全八章のうち六章までを準備編・基礎編に費やす『読みとく』はまさに「入門」の名にふさわしい一冊と言えるだろう。
そんな『読みとく』の著者である森山と能町みね子による対談形式の本書『慣れろ、おちょくれ、踏み外せ 性と身体をめぐるクィアな対話』は、クィア・スタディーズのいわば実践編とでもいうべき内容となっている。だが、基礎的な知識を提供することに主眼を置いた『読みとく』がある意味で優等生的な、お行儀のよい「良書」だったのに対し、本書はそのタイトルから推し測れる通り「好戦的であり、とどまるところをしらないクィアの懐疑と批判のスピリット」に貫かれた、ある意味では「危険」なものだ。
対話する二人はしばしば、「正しさ」や「普通」にいまいちフィットしきれない自分を率直に吐露する。それが既存の価値観に基づいた「正しさ」や「普通」であれば話はわかりやすいのだが、そうとも限らないのが本書のややこしく面白いところだ。二人はときにポリティカリーにコレクトな規範とも摩擦を起こし、そんな自分の抱える矛盾と向き合い、ざっくばらんに言葉と思考を交わしながら自分たちなりの落としどころを探っていく。特に能町の率直さは清々しいほどだ。各章の冒頭に置かれた手紙形式の文章のなかで能町は「自分が当事者だということを意識した途端に、急に『客観性』がグラついてしまうのを感じ」るのだと森山に告げ、あるいは「トランスが自分の志向に沿って行動すると、ジェンダーフリー的な思想とは正反対の方に突っ走っていく」矛盾をどう思うかと問う。森山もまた、クィア・スタディーズの研究者として歴史的な経緯や一般的な定義などをひとまずは押さえつつ、能町に応じるようにして個人的な体感を語ることを恐れない。あらかじめ決まった答えに向かうのではない二人の対話はチャーミングですらある。
本書の冒頭でも言及されているように、「奇妙な」などの意味をもつクィアという単語はもともと、ゲイ男性やトランスジェンダー女性に対する蔑称として使われていたものだ。それがLGBTすべてを包含する言葉として、あるいはそのどれにもあてはまらないセクシュアルマイノリティを示す/までをも含む言葉として使われるようになっていったのは、そこに「クィアですけど何か?」という開き直りが、「奇妙」であることを積極的に引き受け既存の価値観、つまりは「普通」をジャックし転覆させようという意志があったからだ。だから、セクシュアルマイノリティ(の一部)を示す言葉としてのクィアの意味を説明することはできても、精神性を示す言葉としてのクィアはその内実を固定することができない。
このような精神性はしかし、セクシュアルマイノリティの権利をめぐる(ポリティカリーにコレクトな)政治とは食い合わせが悪いことも多い。権利を「認めさせる」運動というのは既存の価値観や体制を大前提としているからだ。例えば婚姻の平等について。同性愛者にも異性愛者と同等の権利を認めるべきであるという(それ自体はごく当然の)主張がある一方で、そもそも異性愛的な価値体系のうえに築かれた結婚という制度自体が問題なのだという思想がある。婚姻制度を即刻破壊せよと主張する「過激派」はそれほど多くはないだろうが、もう少し「穏当」なスタンスをもった、法の下の平等が成り立っていない現状としては婚姻の平等は一刻も早く実現するべきという前提に立ちつつ、本来的には結婚という制度自体どうかと思うというセクシュアルマイノリティは意外に多い。
本書の第4章「制度を疑い、乗りこなせ──『結婚』をおちょくり、『家族像』を書き換える」で二人は、能町自身の結婚をめぐる「実践」にも触れつつ(『結婚の奴』[平凡社、2019]に詳しい)、「なんで友達同士で結婚しちゃいけないの?」などと結婚や家族の「普通」を疑っていく。「普通」を揺さぶる試みはマジョリティにとっては脅威のようでもあり、だからこそ時に苛烈な排除へのベクトルが働くのだが、制度をジャックし利用する可能性を探る思考はむしろ、枠組みに囚われた人をこそ自由にするものだろう。
本書が扱うトピックは多岐にわたっている。性・性別・恋愛、マイノリティとマジョリティ、結婚と家族、そして高度な合意形成の術の参照項としてのSMからクローン人間(!)まで。本書はセクシュアルマイノリティに関する基本的な知識は履修済みだという人にこそオススメしたい。クィアな思考の実践は、世界それ自体をジャックし書き換えることを要請するだろう。
森山至貴×能町みね子『慣れろ、おちょくれ、踏み外せ 性と身体をめぐるクィアな対話』試し読みページ:https://webzine.asahipress.com/categories/1043
2023/07/06(木)(山﨑健太)
カタログ&ブックス | 2023年7月1日号[テーマ:「縫う」を通して、未知の時空間を行き来させてくれる5冊]
東欧の国々の民俗衣装や日用品、近現代の作家の刺繍作品やオートクチュール──「刺繍」を軸に、多様な時代・地域の手仕事に触れられる「糸で描く物語 刺繍と、絵と、ファッションと。」(新潟県立万代島美術館で2023年7月17日まで開催/25日より静岡県立美術館に巡回)に関連し、縫う行為から人の生活と思考を紐解く本を紹介します。
今月のテーマ:
「縫う」を通して、未知の時空間を行き来させてくれる5冊
1冊目:イーラーショシュ トランシルヴァニアの伝統刺繡
Point
「糸で描く物語」展でも展示されている、トランシルヴァニア(現ルーマニア)で長い歴史をもつ刺繍「イーラショシュ」。本展出品者であり伝統手芸研究家の谷崎聖子氏が、図案描きや刺繍するおばあさんなど、この伝統刺繍に向き合う人々に現地取材したインタビューからは、遠い地での生活における実感が見えてきます。
2冊目:京の美の継承
Point
所変わって、京都を舞台に連綿と続く伝統工芸に取り組む現代の職人たちの経験知に光を当てるインタビュー集。蒔絵、陶芸、着物や仏像など本書に登場するさまざまな分野の匠のなかで、優美・繊細な京繍(きょうぬい)の作家として祇園祭の胴掛類の復元にも取り組む樹田紅陽氏の作品には「糸で描く物語」展でも出会えます。
3冊目:コーヒーのあわからうまれたこねこ
Point
布の端切れやキッチンクロス、刺繍などが組み合わさり生まれた、チェコのイラストレーター(同じく本展にも出品)による絵本。生まれた家のにおいを求めてさすらう子猫や町の風景を描く、ひと針ひと針のゆるく素朴な線を目で追っていくうちに心が思わずほころび、本を閉じる頃には美しい色彩と物語に魅了されているはず。
4冊目:武井武雄手芸図案集 刺繡で蘇る童画の世界
Point
昭和を代表する童画家・武井武雄が刺繍の図案集も手掛けていたことを初めて知る人は多いかもしれません。1928年出版の『武井武雄手藝圖案集』掲載の図案から20点を、現代の刺繍作家・大塚あや子氏が作品化。初版時のページも掲載されており、子に日々向き合う親に向けた武井のエールも文章の端々から感じられます。
5冊目:ラインズ 線の文化史
Point
社会人類学者ティム・インゴルドによる、「線」の存在を手がかりに社会と文化の営みを読み解く一冊。歩く、織る、観察する、物語る、歌う、書く、描く──これらを「線に沿って進む運動」と捉え直し、織物や刺繍もその一部として例示。図案をトレースする刺繍の手つきの先に、未知の世界が拡がり見えてくるかもしれません。
糸で描く物語 刺繍と、絵と、ファッションと。
新潟会場
会期:2023年5月20日(土)~7月17日(月・祝)
会場:新潟県立万代島美術館(新潟県新潟市中央区万代島5-1 朱鷺メッセ内万代島ビル5階)
公式サイト:https://banbi.pref.niigata.lg.jp/exhibition/ito/
静岡会場
会期:2023年7月25日(火)〜2023年9月18日(月)
会場:静岡県立美術館(静岡県静岡市駿河区谷田53-2)
公式サイト:https://spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/exhibition/detail/95
[展覧会図録]
「糸で描く物語 刺繍と、絵と、ファッションと。」公式図録
◎新潟県立万代島美術館/静岡県立美術館の各ミュージアムショップにて各館会期中に販売。
2023/07/01(土)(artscape編集部)