artscapeレビュー
ようこそ日本へ──1920-30年代のツーリズムとデザイン
2016年02月01日号
会期:2016/01/09~2016/02/28
東京国立近代美術館[東京都]
19世紀からはじまった鉄道・船舶の発達は、遠距離移動の時間を短縮し、その費用を低下させ、人々にとってレジャーとしての旅行を身近なものにしてきた。依然として費用が掛かったとはいえ、外国旅行は冒険ではなくなった。鉄道会社や船会社ばかりではなく、トーマス・クックのような旅行業者の登場で、旅行はパッケージ化されていく。他方で業者間の競争が激しくなってくると、鉄道会社も船会社も自社の路線を人々に知らしめてより多くのサービスを利用してもらうために、さまざまな手段を試みた。サービスの改良はそのひとつだが、視覚的アイデンティティ形成の努力も不断に行なわれた。名所旧跡を描き込んだ路線図やポスター、パンフレットなどの制作はその現われだろう。企業によるこうした努力は世界的な現象で、19世紀後半から登場するイギリス鉄道やロンドン地下鉄の観光ポスター、20世紀初頭のスイスの観光キャンペーンポスター、カッサンドルの有名な《ノルマンディー号》ポスター、吉田初三郎による日本各地の観光鳥瞰図等々はそうした流れのなかで登場してきたグラフィックデザインである。ではそうしたグラフィックにはどのようなイメージが用いられたのか。需要が国内に限定される鉄道の場合は比較的わかりやすいと思う。当時の日本人が抱いていた観光イメージを日本人のデザイナーがデザインするからだ。対してシベリア鉄道によってヨーロッパとつながった南満州鉄道や、外国航路を運行する船会社の場合、海外から日本に来る人々も広告のターゲットになる。東西両洋のまなざしに晒されるポスターにおいて、日本はどのようなイメージを発信していたのだろうか。
展示を見る限りでは、具体的な傾向を見ることはなかなか難しい。満鉄をとってみても、エキゾチックな満州美人を描いた伊藤順三によるポスターもあれば、春田太治平によるアール・デコ風のポスターもある。船会社のポスターも同様にモチーフや様式は多様で、もう少し詳細な分類と分析が必要と思われる。それに対して、展示後半の国際観光局のポスターのイメージは比較的はっきりしている。1930年4月に設置された同局の目的は、観光産業の振興、観光を通じた国際親善、外貨獲得にあった。伊東深水、川瀬巴水、上村松園、中村岳陵、堂本印象らを起用したポスターが、欧米人にとっての日本イメージを目指したものであることは明白である。そこには日本人がイメージするこれからの日本とは異なる世界がある。これは杉浦非水が日本向けのものとして描いたモダン都市としての日本のイメージと、川瀬巴水が輸出向けの新版画に描いた古き日本の風景との対比で考えるとわかりやすいかも知れない。自分たちがどのようにありたいのかということと、他者にどのように見られているかとのあいだには常にギャップがある。本展を企画した木田卓也・東京国立近代美術館工芸課主任学芸員は、日本の観光イメージを「帝国の内と外、自己と他者の両方に向けて発信された『自画像』」であると述べる。観光ポスターに描かれたモチーフやデザインの様式のありかたには、自身を見つめるまなざしの揺らぎ、自身を映し出す鏡としての国際関係の変化が反映していると考えられようか。[新川徳彦]
2016/01/26(火)(SYNK)