artscapeレビュー

デザインに関するレビュー/プレビュー

カタログ&ブックス│2014年6月

展覧会カタログ、アートにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。

世界のデザインミュージアム

著者:暮沢剛巳
デザイン:刈谷悠三+西村祐一/neucitora
発行:大和書房
発行日:2014年05月25日
サイズ:129×189×11mm、224頁

美術評論家・暮沢剛巳が現地取材した世界9カ国25館のデザインミュージアム。コレクションにとどまらず、その由来や展示空間、建築、そして19世紀以降のデザイン展開の歴史についても徹底解説。この1冊でデザインミュージアムのすべてがわかる! [本書カバーより]


Rhetorica#02 特集:DreamingDesign

企画・編集:team:Rhetorica[松本友也+瀬下翔太+成上友織+太田知也]
発行日:2014年03月01日
価格:2,800円(税別)
サイズ:180×225×7mm、72頁

レトリカ新刊の特集は、技術と未来を考える方法としてのデザインです。人工物と人間の絡み合いを解きほぐし、再構成する。そのことを通じて、現実に対するイメージを変容させる。そんな技法としてのデザインについて考えています。目次=巻頭言:「人工物に夢を見せる」論考:太田知也「Fitter Happier? ──〈人間?人工物〉共生系の都市論」論考:松本友也「ヴァーチャル化とディスポジション──DreamingDesignについてのノート」勉強会:中村健太郎+松本友也+瀬下翔太「逡巡するアルゴリズム」往復書簡:成上友織+松本友也「いま再び、キャラクターについて」[本書特設ウェブサイトより]【http://rheto2.rhetorica.jp/】


現代建築家コンセプトシリーズ17 大西麻貴+百田有希/o+h

著者:大西麻貴+百田有希/o+h
デザイン:小関悠子(MATCH and Company Co., Ltd.)
本文デザイン:山嵜健志、榮家志保(大西麻貴+百田有希/o+h)
発行:LIXIL出版
発行日:2014年03月20日
サイズ:A5変判、160頁

2008年から活動をはじめ、コンペ案や展覧会、住宅作品を発表してきた「大西麻貴+百田有希/o+h」による、国内初の単著。生活空間に物語を与え、生活時間を豊かにし、生活のすべてを尊ぶという、建築の本来の姿をどのように現在の世界にうみだすことができるだろうか。そう問い続けながら大西と百田は、建築におけるあらゆる物事のあるべき関係やディテールを考えなおし、建築が新しく輝き、もっとも愛される瞬間を探している。本書では、大西麻貴+百田有希/o+h の8つの作品が、どのような物事の関係性からうみだされたかを綴る。阿部勤氏との往復書簡、西沢立衛氏との対話も掲載。バイリンガル[本書「かたちをこえる──AIRの枠組みそのものをtrans×formする試み」より]




アトリエ・ワン コナモリティーズーーふるまいの生産

著者:塚本由晴、貝島桃代、田中功起、中谷礼仁、篠原雅武 ほか
デザイン:坂本陽一(mots)
本文デザイン:山嵜健志、榮家志保(大西麻貴+百田有希/o+h)
発行:LIXIL出版
発行日:2014年05月01日
サイズ:210×166×21mm、288頁

アトリエ・ワンにとって、共同体と都市空間、小さなスケールの住宅と大きなスケールの街をつなぐものは何か。30年におよぶ活動の上に、いま彼らは「コモナリティ」(共有性)のデザインの重要性を位置づけます。「コモナリティ」のデザインとは、建築や場所のデザインをとおして、人々がスキルを伴って共有するさまざまなふるまいを積極的に引き出し、それに満たされる空間をつくりだすことです。 本書では、アトリエ・ワンの「コモナリティ」をめぐるさまざまな思考と作品を紹介します。 世界各地で出会ったコモナリティ・スペースの収集と分析、建築・思想書の再読、また芸術創造、歴史、社会哲学論の観点から「コモナリティ」を考える3つの対話も収録。アトリエ・ワンによる都市的ふるまいや文化的コンテクストを空間に反映させる実験的なインターフェイスである《みやしたこうえん》、《北本駅西口駅前広場改修計画》、《BMWグッゲンハイム・ラボ・ニューヨーク》、《同・ベルリン》、《同・ムンバイ》、《カカアコ・アゴラ》も解説とともに掲載。」[LIXIL出版社サイトより]


αMプロジェクト2013 楽園創造[パラダイス]—芸術と日常の新地平—

執筆:中井康之
編集:中井康之、保谷香織
発行:武蔵野美術大学
発行日:2014年03月
サイズ:182×256×10mm、144頁

武蔵野美術大学創立80周年にあたる2009年、かねてより待望されていた恒常的なギャラリースペースが、千代田区東神田に「gallery αM」として新たにオープン。2013年度には、中井康之氏をゲストキュレーターに迎え、連続展「楽園創造—芸術と日常の新地平—」を開催いたしました。本カタログには、現在活躍中の作家6名と1組による7回の展覧会のそれぞれについての論考と作家趣旨文、会場風景の写真とアーティストトークの記録がまとめられております。[本書より]



東京国立近代美術館 研究紀要 第18号

発行:東京国立近代美術館
発行日:2014年3月31日
サイズ:181×240×7mm、130頁

東京国立近代美術館が一年度に一回刊行している研究紀要。今号では、論文「アジアからの美術書誌情報の発信」、「吉澤商店主・河浦謙一の足跡(1)」、資料紹介「メディア連携を企図する館史としての『東京国立近代美術館60年史』」などを収録している。

2014/06/16(月)(artscape編集部)

柏木博『日記で読む文豪の部屋』

発行日:2014年03月12日

出版社: 白水社
発行日:2014年03月12日
価格:2,200円(税別)
サイズ:四六版、250頁
近年、とりわけ小説における室内/インテリアをテーマに執筆している著者が、日本近代の作家たちの日記をもとに、「住まいへの意識」を考察した書。取り上げられるのは、夏目漱石・寺田寅彦・内田百・永井荷風・宮沢賢治・石川啄木・北原白秋の七人。彼らが自分の部屋や他者の室内をどのように記述したのか。著者は、日記と文学作品の世界を自由に行き来しながら、「住人の痕跡」である部屋の記述を読み解く。作家による眼差しの特色は、ヴァルター・ベンヤミン等の論考が援用されることで、厚みを増して分析されてゆく。同書は、明治から大正にかけての生活文化、社会文化的な様相を浮き彫りにするばかりでなく、読者にももうひとつの楽しみを与えてくれる。作家たちの著述を通して、シャーロック・ホームズのように探偵あるいは観察者として、その人物像を想像するという楽しみを。[竹内有子]

2014/06/15(日)(SYNK)

「江戸の異国万華鏡─更紗・びいどろ・阿蘭陀」展

会期:2014/03/15~2014/06/08

MIHO MUSEUM[滋賀県]

江戸時代、オランダの東インド会社を通じてもたらされた舶来品「インド更紗・更紗・びいどろ・阿蘭陀(デルフト焼等の陶器)」が、いかに日本で受容されたかについて紹介する展覧会。170点余りの資料が展示され、見応え十分。インドの更紗で仕立てられた小袖、羽織、茶道具の袋物に加え、西欧の陶器・ガラスと、それらに影響を受けてつくられた日本の阿蘭陀写し(尾形乾山)・和ガラスをも見ることができる。なかでもひときわ目を惹いたのが、《杜若文様更紗縫合小袖》。日本の伝統的な意匠「杜若」と、20数種にも及ぶインド更紗が縫い合わされた大胆なデザインには、息をのむ。通覧して、江戸の粋の新たな面を発見した思いがする。ちなみに同館の建築を手掛けたのは、I・M・ペイ。本館正面の窓から山向こうに見えるのは、ミノル・ヤマサキによる礼拝堂。建築に興味のある方にも、ぜひ訪れてほしい。[竹内有子]

2014/06/07(土)(SYNK)

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TAKEO PAPER SHOW 2014「SUBTLE」

会期:2014/05/25~2014/06/01

TOLOT/heuristic SHINONOME(トロット/ヒューリスティック東雲)[東京都]

竹尾のペーパーショウ2014を訪れた。テーマが「SUBTLE」だけに、石上純也と中村竜治の、テーブル上の小さな敷地において、紙という物質から可能な建築的なアイデアを追求した両作品が狂気じみてすさまじい。デザイナーやアーティストとは違う、建築家ならではのアプローチである。ほかに三澤遥の紙の花や、トラフのひとつながりの糸もセンスが良かった。ところで、会場の入口に設置されたガラスのインスタレーションが、ゲルハルト・リヒターぽいものだった。しかし、どこにもキャプションはなく、来場者もほとんどそれに気をとめず、お目当ての紙の展示へとまっすぐ向かう。が、警備員と話したら、やはりリヒターだった。この会場で一番高いものではないか。

2014/05/31(土)(五十嵐太郎)

SIMONDOLL 四谷シモン

会期:2014/05/31~2014/07/06

そごう美術館[神奈川県]

人形作家・四谷シモンの70歳を記念した回顧展。2000年に開催されて以来の、14年ぶりの本格的な個展だという。今回は四谷シモンがハンス・ベルメールの球体関節人形に出会って以降の50年間に制作された人形のうち、46体を6つのテーマに分けて紹介している。第1章は少年と少女。主に1980年代から2000年代にかけてつくられた、美しい顔の少年少女たちの像。第2章は人々を誘惑する女。状況劇場で女形として舞台に立っていたシモン自身の姿を彷彿とさせる娼婦たち。第3章は機械仕掛けの人形。第4章は天使とキリスト。澁澤龍彦の没後、故人に捧げる「副葬品」としてつくられた人形。第5章はナルシシズムをテーマに自己を写した作品。第6章は未完の人形たち。木の骨組みが剥き出しになったボディ、ざらざらとした肌の質感、ベルメールの人形のように胴や乳房にも納められた球体が特徴である。四谷シモンの人形とは何かと問うたとき、その表現のヴァリエーションや変遷の理由は今回の展覧会で十分に示されていると思う。そしてその姿が、たとえ少年であっても少女であっても、娼婦であっても聖者であっても、シモン自身の姿を写したものだという点もその通りだと思う。しかしそれはつくり手と人形との関係である。それに対して、私たちから見た四谷シモンの人形の魅力とはなんだろう。何が私たちを惹きつけるのだろう。なぜ、その姿、その顔、その眼に吸い込まれるような感覚に陥るのだろう。
 一般に人形は子供の遊び道具であったり、祈りの対象であったり、死者とともに葬られる魂の容れ物であったりする。では、シモンの人形は人々にとってどのような存在なのか。その人形に魂はあるのか。シモンは以前「人形はね、死体なんですよ。(…中略…)いい人形は死んでいるように見える。死んだ瞬間のまま、永遠に死に続けるんですよ」と語っている★1。シモンの人形は死体なのか。死体ならばその人形に生はあったのか。シモンが人形に自分の姿を写しているとして、それでは私たちにとってもその人形は四谷シモンなのか。私にはそうではないように思われる。シモンの人形は「死体」ではない。だからといって、生きているわけでもない。シモンの人形には魂がない。「魂がこもっていない」というと出来が悪いことの慣用句であるが、そういう意味ではない。魂はないが、魂の抜け殻でもない。それ自体に、知性や意志があるわけではない。名前を持たない。過去も未来もない。固有の物語を持っていない。ただ美しく、ただ純粋なるボディ。いつでも魂を受け入れる用意のできたうつわ。少年や少女の姿であっても、それは「子供」ではなく小さな「大人」。大人であっても、子供の姿によって未完の精神を象徴している。たとえ娼婦の姿であっても無垢なる存在。人間に倣って性別はあるけれども、どちらであるかは自由。魂がないから、背負っている物語がないから、それが誰であっても、見る者のすべてを受け入れる。私たちの魂を吸い込む。そういう恐ろしい存在なのではないか。[新川徳彦]

★1──『太陽』1999年8月号(特集=人形愛)29頁。



展示風景(第2章:誘惑するもの──女)


展示風景(第3章:自ら動くもの──機械仕掛)

2014/05/30(金)(SYNK)

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