artscapeレビュー

デザインに関するレビュー/プレビュー

建築家ピエール・シャローとガラスの家

会期:2014/07/26~2014/10/13

パナソニック 汐留ミュージアム[東京都]

ピエール・シャローが、初期の多色によるアール・デコ様式での成功から一転し、白のモダニズムに変わり、設計変更を重ね、歴史に残る着想が舞い降りた経緯がていねいに紹介される。もっとも、モダニズムの傑作、ガラスの家を発表した後は意外にぱっとしない。ただ、彼の建築的というよりも、家具的、あるいは可動のインテリア的な手法は一貫している。

2014/08/02(土)(五十嵐太郎)

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ジョージ・ネルソン展─建築家、ライター、デザイナー、教育者

会期:2014/07/15~2014/09/18

目黒区美術館[東京都]

ヴィトラからのコレクションだけあって充実した内容である。イームズに通じるミッドセンチュリーのテイスト満載だが、冷戦下におけるソ連のアメリカ博の展示デザイン、ハーマンミラーでのディレクター、プレハブ建築の思想など、デザインから建築を横断する幅広い活動を紹介している。とくにネルソンの事務所の受付嬢が当時のエピソードを回想する逸話のアニメ化が魅力的だった。

2014/08/02(土)(五十嵐太郎)

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プラハ国立美術工芸博物館所蔵:耀きの静と動──ボヘミアン・グラス

会期:2014/08/02~2014/09/28

サントリー美術館[東京都]

ヴェネツィアと並ぶヨーロッパのガラス産地であるボヘミア(現在のチェコ共和国西部・中部地方)のガラス工芸の歴史を、プラハ国立美術工芸博物館の所蔵品170点でたどる展覧会。ヴェネツィアでガラス生産が始まったのは10世紀頃。ボヘミアではそれよりもずっと遅れて13世紀頃からガラス生産が見られるようになる。本格的な生産が始まるのは14世紀から15世紀のことだという。展示はその歴史を時系列に七つの章で構成している。
 第1章は中世。この時代にはビーカーやゴブレットなど、深さのある器(ホローウェア)がつくられていた。第2章はルネサンスとマニエリスム。16世紀半ばからは器形が多様化。装飾ではエナメル絵付けとエングレーヴィングが行なわれるようになる。第3章はバロックとロココ。17世紀半ばに透明度の高いカリ石灰ガラスが開発され、カットとエングレーヴィングによる上質な無色透明の器の生産が拡大し、ボヘミアン・グラスの絶頂期を迎える。生産の拡大はまた多様な装飾方法の発達をも促した。第4章は19世紀前半から半ば過ぎまで。古典主義の流行から市民階層の台頭でビーダーマイヤー様式が出現。色ガラスが流行を見せる。第5章は歴史主義の時代。19世紀後半にはガラス教育機関が設立され技術発展に影響を与えると同時に、デザイン的には歴史的な様式から着想を得て質を高める動きが見られる。第6章は世紀転換期から第二次世界大戦まで。アール・ヌーボー、アール・デコ様式を経て、戦間期には機能主義的なシンプルなデザインのガラス器がつくられる。1918年、チェコスロバキア独立後は教育が強化され、それが戦後のチェコ・ガラス隆盛の基礎をつくることになる。第7章は第二次世界大戦後以降。チェコのガラス工芸はその教育制度の充実もあり、商業の分野でもアートの分野でも高い水準を保ち続けている。
 全体を通して見えるのは、政治体制や社会構造の変化の影響と、他地域からの職人や技術の流入、模倣と差別化による発展の歴史的経緯である。ボヘミア地方の経済的発展はガラス器だけではなく窓ガラスの需要も高める。ハプスブルグ家の支配はイタリア・ルネサンスの文化をもたらした。時代は下って18世紀末の保護貿易の時代には、外国から手本となる製品が入手できなくなったためにガラス産業の対外的競争力が低下したという指摘はとても興味深い。19世紀には富裕層が集まる保養地にガラス彫刻師たちが集まり、顧客の注文に応じてエングレーヴィングを施したという話も職人たちの優れたマーケティング活動の事例だろう。展示では現代のガラス作品にインパクトがある反面、アール・ヌーボー、アール・デコ期の作品が少ないのは個人的にはやや物足りない。たしかにアール・ヌーボーのガラスの中心はフランスであったかも知れないが、チェコの器にも優れた造形が多く見られる。またチェコスロバキア独立後に参加した1925年のパリ万博(アール・デコ博)では多数のガラス製品が賞を受けており、チェコ・ガラスにとって重要な時期であるはずだ。
 サントリー美術館ではたびたびガラスの展覧会が開催されており、展示ケース、照明の美しさには定評がある。本展示の構成も美しく、また個々の作品もとても見やすい。[新川徳彦]


展示風景

関連レビュー

あこがれのヴェネチアン・グラス──時を超え、海を越えて:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape

2014/08/01(金)(SYNK)

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Fantabulous: Day Starter Exhibition

会期:2014/07/10~2014/08/02

ondo gallery&product[大阪府]

Day Starterは、アーティスト、笠井由雅子とディレクター、植田浩嗣の二人が2000年に立ち上げたユニットである。「Taking a lesson from the past(温故知新)」をテーマに、オリジナルのイラストレーション・プロダクトの製作、販売にはじまり、アパレルブランドとのコラボレーションや、ミュージシャンのアートワーク、企業の広報や広告など、その活動は多岐にわたる。この度、彼らの作品集『Fantabulous』(ondo、2014)の出版記念展が行なわれた。20種類のオリジナル・パターンからなる作品集は、そのまま本として手元に置くもよし、一枚一枚切り離して飾るもよし、折りたたんで手紙として送るもよし、という一冊になっている。会場には、各ページのパターンと、それを一部に使った切り絵作品が展示されている。
それにしても、「温故知新」とはあまりに漠としたテーマではないか。とはいえ、「故」は50年代という特定の時代に設定されている。ポップカルチャーの全盛期、享楽的な消費文化が花開いたあの頃である。それを、「新」しく、彼らの感性で解釈し直すということであろう。今回の作品集に収められたパターンのモチーフは、葉っぱや花、鳥、瓶や窓、楽器などいずれも身近なものばかりで、それらが幾何形体をもとにした単純でわかりやすいかたちに落とし込まれている。ひとつのパターンにはわずかな色数しか使われていないが、その2-3色がたがいに響き合う。そして、一般的には低品質とされる軽オフセット印刷を用いることで印刷面の色ムラ、インクのかすれやつぶれなどの揺らぎが生じている。一つひとつの要素はたしかにフィフティーズのプロダクツさながらではあるが、それらの要素がより丁寧により繊細に調整されて落ち着いた調和をなしている。彼らの「温故知新」は、アレンジでもカヴァーでもない。どこかで聴いたことのあるような曲、しかしよく聴くと初めて聴く曲、だからこそ心地よく安心して楽しめる曲といったところであろう。[平光睦子]



ともに、展示風景

2014/08/01(土)(SYNK)

拡張するファッション

会期:2014/06/14~2014/09/23

猪熊弦一郎現代美術館[香川県]

ファッション・ジャーナリスト、林央子の同名の著書(スペースシャワーネットワーク、2011)をもとにした展覧会が、水戸芸術館現代美術ギャラリーに引き続き開催された。ファッションの展覧会には違いないが、会場で出会うのはマネキンに着せ付けられた歴史的な衣装でもブランドのハイ・ファッションでもない。アーティストたちが表現者や作り手として日頃なにを感じ考えているのか、それらを可視化した作品が展示されている。参加アーティストは、コズミックワンダーの前田征紀やBLESSの小金沢健人、長島有里枝やホンマタカシ、スーザン・チャンチオロや青木陵子をはじめ、ファッションデザイナー、グラフィックデザイナー、写真家、現代美術家らおよそ10名である。展覧会は、「DIYメディア──実験的な制作精神」、「古さ、遅さといった価値観の見直し──服と人との幸福な関係」「新しい想像力との出会い──ファッション=デザインの枠組みの無効化」など、七つのテーマで構成されている。これらのテーマにも、本展が既存のファッションの枠を破ろうとする挑戦的な試みであることが表明されている。
1990年代にみられたファッションと現代美術の二つの領域の接近は、ファッションに自己批判的な視点を与えると同時にファッションを難解で近寄りがたいものにした。2000年代に入って台頭著しいSPAファッションの陰にすっかり息を潜めていたかに見えたこの動きは、ここにきて少々意外な方向へと発展していたようである。その傾向を一括することはできないが、本展での印象をひとことで言えば「繊細で内向的」といったところだろうか。例えば、横尾香央留の《お直し──karstula》は、作家がフィンランドの小さな街に滞在し、現地の人々から募った衣服に持ち主から感じた印象や彼らの話をもとにお直しを施した作品である。また、FORM ON WORDSの《ファッションの図書館[丸亀]》は、収集した古着にそれぞれにまつわるエピソードを文字にして転写した作品である。いずれも、衣服を着るという経験を介して個人の内面を掘り下げることによって成立した作品である。そして、衣服に加えられた作家の手は、その経験がいかに些細なものであっても大切に壊れもののように扱っている。
鑑賞者は、服を着るという日常的な行為をあらためて考えさせられる。とはいえ、これといった答えは見つからなくとも、その営みは日々坦々と続いていくのである。[平光睦子]

2014/07/27(日)(SYNK)

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