artscapeレビュー

デザインに関するレビュー/プレビュー

フランス印象派の陶磁器 1866-1886──ジャポニスムの成熟

会期:2014/04/05~2014/06/22

パナソニック汐留ミュージアム[東京都]

アビランド社は、1842年に設立され、170年余の歴史を持つフランス・リモージュの高級磁器メーカーである。創業者のダビッド・アビランドは輸入陶磁器の販売を手がけていたアメリカの商人であったが、当時フランスの貿易商が送ってくる商品がアメリカ人の嗜好に合わないため、1842年に渡仏し自ら商品の選定と輸出を手がけることになった。やがてアメリカからの絵付の要望に応えるために装飾工房を設立。その成功を見て磁器の生産にも乗り出した。経営を引き継いだ息子のシャルル・アビランドは、日本美術の蒐集家であり、サミュエル・ビングや林忠正の店の顧客であったという。1872年、パリの国立セーヴル磁器製作所を訪れたシャルルは、セーヴルの絵付部門責任者で、第1回印象派展の出品作家であり、北斎漫画を発見した人物としても知られるフェリックス・ブラックモンと知り合い、彼をアビランド社の装飾部門の責任者に抜擢した。ブラックモンは、すでに1866年にはパリの陶磁器業者フランソワ=ウジェーヌ・ルソーのために北斎などの浮世絵をモチーフに用いた大胆な意匠のテーブルウェア《ルソー》シリーズをデザインしている。ブラックモンは、モチーフを自由なレイアウトで器に散らすというデザイン手法をアビランド社の磁器にも取り入れ、伝統的な図案の構成に代わる斬新なデザインを生み出した。同時期にアビランド社と関わったもうひとりの芸術家が、陶芸家のエルネスト・シャプレである。彼は色を着けた泥漿(スリップ)によって陶器に油画のような絵付けを可能にする方法(バルボティーヌ)を発明した。新しい製品を欲していたシャルルは、1874年にシャプレの技術を買取って彼をアビランド社に雇い入れ、バルボティーヌ技法で印象派の絵画のような絵付けの陶器を制作した。その装飾の評価は高かったが、残念なことに一般にはあまり受け入れられず、1870年代の終わりには制作されなくなってしまったという。すなわち印象派風の陶磁器は、絵付けもその技法も極めて短期のうちに姿を消してしまった存在なのである。しかし、エルネスト・シャプレはその後もアビランド社で新しい装飾の炻器や釉薬の開発に携わった。アビランド社におけるジャポニスムおよび印象派風の陶磁器生産は、シャルル・アビランドの趣味嗜好を強く反映したものだと思われるが、シャルルはあくまでもビジネスマンであって、製品が売れなくなったときにその様式に拘泥するようなことはなく、その後は高級テーブルウェアで成功を収めてゆく。シャルルの性格はきわめて独善的であったと評されるが、アメリカとヨーロッパの両市場の新しい流行を素早く取り入れ、優れた職人たちを雇い入れ、同時代の趣味嗜好に即した製品を生み出していった優れたプロデューサーであったと言って良いかもしれない。アビランド社のディナーウェアは、日本の宮家の正餐用食器、日本政府の正餐用食器としても用いられたという。
 本展では、ブラックモンが手がけた《ルソー》シリーズの器、そしてアビランド社が制作したジャポニスムから印象派の様式まで、19世紀後半の約20年にわたるテーブルウェアや装飾皿、花瓶が紹介されている。パナソニック汐留ミュージアムでは恒例と言ってよい実際の製品を用いたテーブルコーディネートは木村ふみ氏によるもの。加えて、ルノワールやコローら印象派の画家たちの作品が壁面を飾り、同時代の空気を感じる工夫がなされている。[新川徳彦]


展示風景1


展示風景2

2014/05/29(木)(SYNK)

高田喜佐「ザ・シューズ展」

会期:2014/04/06~2014/06/08

女子美アートミュージアム[神奈川県]

2006年に亡くなったシューズデザイナー・高田喜佐(1941~2006)の回顧展。彼女が亡くなったとき、その手元には1966年のデビューから41年間にデザインされた靴のうち約1,600点が遺されていた。この膨大なコレクション──高田喜佐の仕事のアーカイヴ──は神戸ファッション美術館に寄贈され、2013年にはそのうちの800点を展示する展覧会が開催された(2013/4/18~7/2)。本展はその巡回展である。
 最初の部屋はズック。彼女が好きだったというイエローで構成された展示室に、カラフルなズックの花が咲いている[写真1]。そして奥の展示室は、ほぼ年代順に彼女の多彩な仕事が並ぶ[写真2]。細長い展示台の間を抜けてゆくと、時代による彼女の靴の変遷が見えてくる。それではその変化は何によって生じたのか。もちろんそこにはそれぞれの時代におけるファッションの変化が影響しているだろう。しかし何よりも大きいのは、高田喜佐自身の変化であるようだ。それは靴に対する考え方の変化であったり、あるいはそれ以上に年を経るにつれて彼女自身が着たい服、履きたい靴が変わってきたことにある。パンプス、ぽっくり、草履サンダル、ズック、マニッシュなシューズ、ワークブーツ。高田喜佐は多様な種類の多彩なザインの靴を生み出したが、デザインの根本にあるのは自分が履きたい靴であり、自分が憧れる靴である。男性デザイナーがつくる、女性に履かせたい靴ではない。「私にとって靴のデザインは、自分のライフスタイルを反映している。自分らしく、シンプルに生きたいという思いが、靴という小さな器に表現されてゆく」★1。彼女にとっての憧れである紳士靴やスポーツシューズがスタイルに反映され、彼女が好んだファッションの変化、暮らしの変化が新しいデザインの源泉となったのだ。そしてもうひとつ。高田喜佐は靴のデザイナーであったけれども、靴作りの専門家ではなかったことが、彼女のデザインを特徴付けていると思う。すなわち、職人的な靴作りの決まりごとに対して自由であったからこそ、彼女自身が「靴のファンタジー」と呼ぶ、新しい素材、新しいスタイル、新しい装飾の女性靴を生み出すことができたのではないか。足袋に使うこはぜを使ったブーツ、踵のある草履サンダルなど、他の誰が思いつくだろうか。彼女とともに仕事をした職人たちの証言、あるいは苦労がそれを裏づける。職人との協業が彼女の遊び心と融合し、機能性をも備えた楽しい靴が生み出さされたのではないか。
 展覧会の紹介文に「日本の女性靴にデザインの概念を持ち込んだと評価される」とあるように、彼女の仕事は新しい道を切りひらいてきた。その軌跡を振り返る、非常に充実した展覧会である。[新川徳彦]

★1──高田喜佐『靴を探しに』(筑摩書房、1999)43頁。


展示風景1


展示風景2

関連レビュー


プレビュー:SHOES DESIGNER 高田喜佐──ザ・シューズ展:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape

2014/05/19(月)(SYNK)

開館15周年記念 サッカー展、イメージのゆくえ。

会期:2014/04/26~2014/06/22

うらわ美術館[埼玉県]

サッカー・ワールドカップが開催される年であり、浦和で開催されている展覧会だからといって「サッカーファンのための企画」と思って訪れたならば、きっと肩すかしを食らうに違いない。なにしろ、ポスター・チラシのデザインにあたっては、デザイナーにあえて赤(浦和レッドダイヤモンズのシンボルカラー)とオレンジ(大宮アルディージャのシンボルカラー)の使用は避けるようにと指示したというのだから★1。本展の主旨は、さまざまなメディアを通じて現われる表象としてのサッカーである。取り上げられている内容は多岐にわたる。第一は、「足」と「球」。アート作品としてのボールや靴があるのは想定の内であるが、足を描いた絵画や彫刻、あるいは白髪一雄の足で描いた絵画まで見ることができる。ここでは、身体のなかでもどちらかといえば知性とは反対の存在としてイメージされがちな足と、サッカーボールによって、サッカーというゲームが表象する身体を考える。第二は「サッカー以前」。近代的なルールによるサッカー以前に行なわれていた多様なフットボールと民衆との関わりが資料で紹介されている。第三は、明治以降の日本におけるサッカーの導入と受容。学校教育への導入が入門書や児童書などのメディアによって行なわれてきた様や、オリンピックにおける競技やその映像記録に現われた身体に注目する。第四は戦後の日本。ワールドカップのアートポスターや天皇杯のプログラム表紙のイメージ(女子サッカー選手権のプログラム表紙を通じてジェンダーの問題にも触れられている)、情報誌『ぴあ』の表紙に見られるサッカー選手の肖像、そして圧巻は膨大な数のサッカーマンガ。150余のタイトルと1,000冊に上るサッカーマンガの表紙が壁面を飾っているのだ! メディアへの露出の拡大は、Jリーグ発足によって拡大した人々のサッカーに対する認知と関心を極めて直接的に反映している。最後は日比野克彦・小沢剛・倉重迅・金氏徹平らによるサッカーをモチーフとした現代アート。サッカーに関連する文化や、ゲームの構造がアートに展開されている事例である。
 この展覧会では、サッカーやスポーツとその表象に関するあらゆるテーマが挙げられているといえよう。欠けているとすれば、商業化の歴史とその帰結ぐらいであろうか。そして多様なテーマを包括するものとして、これらの表象が書籍や雑誌などの印刷物や映画といった複製メディアが主な舞台となっている点が指摘されている。サッカーは世界のもっとも多くの国・地域で行なわれ、もっとも競技人口が多いスポーツと言われている。それはただ楽しむためのゲームであるばかりではなく、近代的な教育や規律を形成する手段であったり、国威発揚の舞台であったり、スポーツ用品メーカーがしのぎを削る場であったり、メディアが発達するきっかけであったり、時には紛争の火種となったりもする。スポーツ、そしてサッカーは、それ自体が同時代の社会の表象であり、その表象はメディアを通じて私たちのスポーツに対するイメージを形成し、形成されたイメージは今度はゲームのルールや場に影響を与えていくのである。[新川徳彦]

★1──関連展示として、さいたま市の少年サッカーと二つのJ1チームのコーナーが設けられている。



展示風景1


展示風景2

2014/05/14(水)(SYNK)

デザインバトンズ──未来のデザインをおもしろくする人たち

会期:2014/04/04~2014/05/11

東京ミッドタウン・デザインハブ[東京都]

アートディレクター、アーティスト、建築家、音楽家ら、10人のクリエーターたちが、それぞれ「未来を感じるデザインをしているクリエーター」「自分より後に生を受けたクリエーター」を指名し、「バトンを受け渡す」ことをテーマとした企画。展示自体は、バトンを渡すほうと受けとるほうの双方に同じ八つの質問をし、その答えを掲示し(バトンを渡すほうにはもうひとつ、誰に、なぜ、渡すのかという質問がある)、会場に置かれたモニターでは、それぞれのクリエーターたちの作品が写されている。いずれも優れた仕事をしている人たちであることはよくわかる。しかし、バトンを渡す/渡されるというイメージは抽象的で、展示からはよくわからなかった。バトンを渡す側のクリエーターがイメージする未来が、バトンを渡される側の人選に表象されていると考えればよいのだろうか。[新川徳彦]


展示風景

2014/05/09(金)(SYNK)

ヨーロピアン・モード

会期:2014/02/07~2014/05/24

文化学園服飾博物館[東京都]

ヨーロッパ服飾史入門。ただ様式の変遷を時系列で追うばかりではなく、同時代の社会、技術、産業の変化やそのファッションへの影響をパネルやファッションプレートの展示で解説している。毎年恒例の企画で、これまでは18世紀後半から1970年代までの200年間のファッションの歴史と特集展示の組み合わせであったが、今年は期間を20世紀末までの約250年間に拡大している。これからファッションを学ぼうという学生たちにとって、20世紀ファッションはすでに自分たちが肌で経験していない「歴史」の領域である。それにもかかわらず、昨年までの展示では現代ファッションとつながるはずの30年ほどの歴史がすっぽりと抜けていたことになる。なので、扱う期間の拡大は必然であったと思う。ただし、時代が新しくなるほどファッションの変化は速く、かつ多様化していることを考えれば、その歴史的な文脈での評価はまだ難しいに違いない。他に今年は男性服と子供服の展示が加わった。ヨーロッパにおける子供の歴史といえば、フィリップ・アリエスの『〈子供〉の誕生』が思い出される★1。アリエスはヨーロッパにおける「子供の発見」は17世紀以降の出来事であり、中世において子供は大人たちと変わらない服装をしていたと述べている。また、坂井妙子氏の研究によれば、実際には子供が大人と異なる服装をするようになったのは1770年代以降のことであり、さらには子供専用の服が本格的に現われるのは、ヴィクトリア朝後期になってからであるという★2。今回の企画に出品されていた子供服の事例はそうした変容を語るにはかならずしも十分ではなかったが、子供服の誕生とその変化は服飾史のなかでもとても興味深い出来事であり、より掘り下げたテーマの企画を見てみたいと思う。[新川徳彦]

★1──フィリップ・アリエス『〈子供〉の誕生──アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』(みすず書房、1980)
★2──坂井妙子『アリスの服が着たい──ヴィクトリア朝児童文学と子供服の誕生』(勁草書房、2007)



展示風景1


展示風景2

2014/05/08(木)(SYNK)