artscapeレビュー

デザインに関するレビュー/プレビュー

TROPE

会期:2011/03/26~2011/05/15

graf mouth[大阪府]

大阪を拠点にデザインやアート、食に関する活動や商品制作を行なうgrafの新プロダクトブランドライン「TROPE」の展覧会。「TROPE」は、「言葉の比喩的用法/言葉のあや」を意味する英語。木製の組み合わせ家具のパーツにみえる同ラインは、通常のプロダクトのように使用法を限定していない。人々が言葉を比喩的に、曖昧に用いるのと同様、各々の感覚で自由に使えるような道具であることが企図されている。
T-2(商品番号。以下同様)の椅子のように、伝統的な椅子のフォルムに忠実なデザインもあるが、鍬のようなT-5、鋤のようなT-6は2本の直線を組み合わせただけという抽象的なデザインであり、「TROPE」のポリシーをもっとも体現するプロダクト──grafの企図に従えば「道具」──だろう。一番オーソドックスな使い方としては、壁に立てかけて衣服等を吊ることだろうが、会場で流されていた映像では、これらを手に持ってダンスをしたり、T-5を使って座っている人を動かす様子が紹介されていた。
この道具を使ってモダンダンスを踊る光景は確かに魅力的だ。しかし、同じ道具を壁に立てかけ、服や傘や帽子を吊るとすれば、それははたして美しく思えるだろうか。こう考えると、「TROPE」のラインもまた、古今のアヴァンギャルドなデザイナーたちが陥ったジレンマに辛くも陥ってしまっている感がある。そのジレンマとは、練り上げられたフォルムが実際に使用されることでかたちを変えられ、想定外の色彩やテクスチャーを与えられ、ついにはデザイナーの最初の構想が儚くも消え去ってしまうことだ。T-5やT-6がもっとも輝いてみえるのは、おそらくそれらがなにも吊り下げられず、それ自体として空間に存在するときである。ゆえに、ダンスの小道具であるときにはそれは美しい。
もっともこのように考えるのは、筆者の想像力がきわめて貧困であるせいで、商品を手にした人たちからは、grafの意図通り、思いがけない使用法が、なおかつデザインそれ自体がいっそう輝くような使用法が生み出されるかもしれない。そうなれば、新たなフォルムによる新たな機能の触発という、デザイナーたちが(いかに傲慢と言われようとも)追い続けてきた夢に一歩近づくことになる。[橋本啓子]

2011/04/17(日)(SYNK)

明治の視覚革命!──工部美術学校と学習院

会期:2011/04/08~2011/06/11

学習院大学史料館[東京都]

2000年に学習院大学史料館に寄託された松室重剛関係史料により、工部美術学校と学習院との関わりを中心に明治期における図画教育の一端を紹介する展覧会である。松室重剛(まつむろ・しげただ、1851-1929)は、明治22年から大正10年までの33年間にわたり学習院中等科の西洋画教師を務めた人物。その図画教育には当時まだ珍しかった石膏像が用いられ、また彼は学習院独自の図画教科書編纂も行なっている。
その松室が美術を学んだのが、工部美術学校であった。工部美術学校は、明治9年に設立されたわが国初の官営美術学校で、明治4年に設立された工学寮(後の工部大学校)の一機関であった。工部美術学校での図画教育はモノの形を立体的にとらえ、陰影や明暗、遠近を正確に描く技法が基本で、日本の伝統的な図画技法との相異は「視覚革命」とも言えるほどのものであったという。工部美術学校は開設からわずか6年で閉鎖されたが、近代日本美術の基盤を形成した人物を輩出したばかりではなく、図画教科書の編纂を通じて日本中にこの視覚革命を広めていった。学習院で図画教育に携わった松室もそのひとりなのだ。
学習院自体も工部美術学校と浅からぬ縁があるそうだ。工部美術学校の母体である工部大学校の初代校長・大鳥圭介(1833-1911)は、その後学習院の第3代院長を務めている。また明治19年に校舎を火事で焼失した学習院は、明治23年に四谷に移転するまで工部大学校の旧校舎を使用していた。展示会に先立つ調査によれば、松室が授業で使用していた多数の石膏像は、このような関係により工部大学校から学習院に持ち込まれたのではないかと推論されている。
展示のなかでもとくに興味深かったのは「用器画」に関する史料である。用器画とは、定規やコンパスを用いて幾何学的な図形を描くことで、正確な遠近法を用いるために必要な技法であり、工部美術学校における教育でも徹底されていたという。それが中等教育において実践された背景には、学習院の生徒の多くが陸軍士官学校あるいは海軍兵学校に進学していたことが挙げられている。当時の陸軍において、地形の見取り図や地図を作成する能力は重要であった。松室が編纂した教科書に陸軍兵士に関する題材が多く用いられていることも、同様の背景によるものだとされる。松室が残した教え子の作品のなかには、服部時計店や東京国立博物館本館を設計した建築家・渡辺仁の素描もある。このような人材の輩出に、学習院における図画教育の方法は大きく関わっていたであろう。明治期に進行した「視覚革命」が、教育の場でどのように実践されていたのか、後の世代にどのように影響を与えたのかを貴重な史料でたどる好企画である。[新川徳彦]

2011/04/16(土)(SYNK)

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民藝運動の作家達──芹沢銈介を中心として

会期:2011/03/13~2011/07/18

大阪日本民芸館[大阪府]

熟練した職人による堅実な造形と無心の仕事から生み出される健康な美。そうした民衆の用いる日常品の美しさに着目した柳宗悦は、陶芸家・濱田庄司や河井寛次郎らとともに無名の職人たちがつくった民衆的工芸品を「民藝」と名付け、その真髄を説いた。1927年に発表された柳の論文「工藝の道」に感銘を受けた、染色家・芹沢銈介(1895-1984)もまた彼らの活動、すなわち「民藝運動」に参加、さらには沖縄の伝統的な染色である「紅型(びんがた)」に導かれ、「型絵染」と呼ばれる独自な染色表現を確立していった。「型絵染」という名称は、芹沢を重要無形文化財保持者と認定する際、文化財保護審議会が新たに考えたもの。芹沢の仕事の大きな特徴のひとつは、その多様性にある。観賞用の屏風や額絵から、着物、風呂敷、のれん、うちわ、葉書、カレンダー、ポスター、挿絵や本の装丁に至るまで、じつにさまざまだ。同展でも、多様なジャンルにわたる芹沢の型絵染作品が紹介されている。自然のモチーフを意匠化したその表現は大胆で、洗練されたモダンささえ感じさせる。[金相美]

2011/04/16(土)(SYNK)

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竹原義二/原図展 素の建築

会期:2011/03/09~2011/04/10

大阪くらしの今昔館[大阪府]

展覧会場に入ると、どこからともなく木の香りが漂う。久しく忘れていた匂いだ。続いて、無垢の木材からなる剥き出し=「素」の架構空間、素材と構造それ自体が目の前に立ち現われ、リアリティをもって迫ってくる。建築家自身が言うように、ここには「逃げ」がない。材質の魅力・木組みの技(本展では建築に用いられている木組み工法を実際の映像でみることができる)言うなれば竹原義二の美学が集約されている。建築家と職人の仕事すべてを集約する、ありのままの顕わな「構造」が生み出す迫力を、架構空間の中を歩き、柱を触って確かめた。竹原の事務所ではいまでも手で図面を引くという。たくさん展示された竹原の手描き原図には、建築家の熟慮と苦労の痕跡が刻み込まれている。スチール模型(100分の1スケール)の多さは、竹原のこれまでの設計活動の長きを感じさせる。もうひとつ展示のなかで興味深かったのは、造形作家・有馬晋平のスツール《スギコダマ》。これもまた、一つひとつ異なる素材が活かされ、手の技が根幹を成し、使い込むことで味わいを増す点で、竹原の「素の建築」の思想と重なりをみせている。簡素でいて有機的なフォルムは、スギの「木霊(木魂)」を宿した「小玉」を意味する。すべすべとした柔らかなテクスチュアは、作り手の確かな技術に裏打ちされている。いすに刻まれた年輪は見た目にもうつくしいばかりか、手で触れれば自然が創りだす刻みを感じ取ることができる。「全ては無に始まり有に還る」「建築は何も無い場所から立ち上がる」。これは竹原の設計思想だが、建築が建ちあがるまでのすべての営み──ことに人との協働──年月と共に生き続ける建築のあるべき道を彷彿とさせるその構えには、胸を打たれる心地がする。思考と素材と手技が織りなす美のありようを実感した展覧会だった。[竹内有子]

2011/04/06(水)(SYNK)

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EV(電気自動車)が約束する未来展

会期:2011/03/20~2011/04/05

世田谷文化生活情報センター「生活工房」[東京都]

電気自動車の歴史、日本EVクラブや生活工房がこれまで行なってきた電気自動車普及活動の報告、電気自動車にまつわる疑問への答え、そしてこれからの電気自動車に対する企業の取り組みを紹介する展示会である。
電気自動車の開発が推進される理由はおもにふたつある。ひとつは、石油資源の将来的な枯渇と価格高騰への備えである。もうひとつは、化石燃料の使用がもたらすといわれる地球温暖化への危惧である。電気がクリーンなエネルギーであることが、その大前提になる。しかしながら、この展覧会が始まる直前、3月11日に発生した東日本大震災により生じた東京電力福島第一発電所の「想定外」の事故によって、電気はクリーンなエネルギーであるという前提が崩れてしまった。もちろん、電気は原子力発電によってのみつくられるわけではない。しかし、現時点での電気自動車は、その普及に深夜の余剰電力を前提としている。また、脱化石燃料が電気自動車普及への大きなモチベーションになっているので、火力発電による電力供給はその目的に逆行する。展覧会に関連して開催された日本EVクラブの舘内端代表のトークにおいても、「EVは原発と共犯なのか?」というテーマで議論が盛り上がったという。
会場には、電気自動車オーナーに取材したレポートも掲出されていた。いずれも排気ガスが出ないことを電気自動車のメリットのひとつとしてとらえているようだ。会場の通路には明るい緑色のカーペットが敷かれ、同系色のビニルひもを用いた簡易な間仕切りが下げられている。展示パネルには、車から植物の芽が出るシンボルマークが添えられている。エコ一色である。しかし電気自動車によって本当に問題は解決されうるのだろうか。疑問は残る。自分の足下はきれいになったとしても、排気ガスの出る先が火力発電所の煙突に変わっただけということはないのだろうか。原子力発電は問題を空間的に地方へ、時間的には未来に転位させてきたとはいえないのだろうか。デザインには問題を明らかにし、それを解決に導くチカラがある。一方で問題を覆い隠し、あたかもそれが解消したかのように見せかける作用もある。電気自動車の利用によって化石燃料に起因する問題の本質が解消されうるものなのか、そこにデザインがはたしている役割も常に検証していかなければならないだろう。当初の意図とは異なるかもしれないが、この展覧会は自動車、あるいは私たちが享受しているさまざまな利便性とエネルギー消費との関わりを考え直す、とても良い企画であった。[新川徳彦]

2011/04/05(火)(SYNK)