artscapeレビュー

デザインに関するレビュー/プレビュー

アート・アクアリウム展

会期:2011/01/29~2011/02/14

大丸ミュージアムKOBE[兵庫県]

暗闇のなか、さまざまなガラス水槽に入った金魚が、鮮やかな色彩でライトアップされて浮かび上がる。アクアリスト・木村英智氏は、ガラス水槽だけでなく色と光の演出によって、アクアリウムを人間の住環境へ拡張するアート空間へと仕立て上げた。それは、見慣れた水族館の展示とはかけ離れた、過剰に人工的な空間である。水族館での展示は、生態展示や行動展示といったかたちで、生物を自然に近い状態で見せる。つまり、海・川の水中環境を再現した空間演出がなされる。しかし「アート・アクアリウム展」では、和をモチーフに、花魁をイメージした巨大な金魚鉢・模様の浮き出た行燈・額縁・花瓶など多様な形をしたカラフルな水槽の中で、金魚が群れ泳ぐ。それというのも、金魚が天然には存在しない、愛玩用に作りだされた生物であるという「人工性」が基本コンセプトになっているからだろう。同展では、金魚はもはや生き物というよりも、和物の生活道具に見立てられた水槽とともにある、インテリア・デザインの一部なのだ。会場にいると、昔懐かしい風情漂う金魚鉢が恋しくもなったが、最後の展示《ビョウブリウム(屏風水槽)》には眼が吸い寄せられた。屏風型の水槽に投影された水墨画のような映像が時間と共に変化し、赤と黒の金魚が点景となって浮遊する。ここには、複合現実の空間、時間と運動を導入したアート作品が出来上がっていた。[竹内有子]

2011/02/12(土)(SYNK)

手の中の世相──マッチラベルコレクション展

会期:2011/01/24~2011/02/24

京都工芸繊維大学 美術工芸資料館[京都府]

こぢんまりとした展示場にレトロなマッチ箱がいっぱい。レトロと思ったのは「マッチ」そのものに対する印象かもしれない。いまではあまり使わなくなったマッチだが、かつては日常生活に欠かせない必需品であったし、喫茶店や居酒屋、旅館などには、必ずと言っていいほどその店の名前を入れたマッチが置いてあった。マッチ箱は間違いなく小さな広告塔であり、デザインの実験場であった。客の記憶に残る、印象的な絵柄や字体を考案するだけでなく、手のひらよりも小さいマッチ箱の表面にそれらを施す工夫も必要だったからだ。実際、展示のなかでも同じ広告(デザイン)がポスターになった場合と、マッチ箱に施された場合を比較している。興味深い。時代の最先端をゆく斬新なデザインと技術、一方で、定番化した古典的なデザインも多いのがマッチ箱のラベル。無料で配るものだから、安価につくる必要があったからだ。同じ型をつかって、色だけを変えるといった具合だ。並べてみると結構面白い。普通なら使い捨てられるマッチ箱、そこには時代の世相や風俗、さらにはデザインにおけるさまざまな工夫が凝縮されており、デザイン史を振り返る上で貴重な資料となる。[金相美]

2011/02/12(土)(SYNK)

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栄木正敏のセラミック・デザイン──リズム&ウェーブ

会期:2011/01/08~2011/02/13

東京国立近代美術館本館 ギャラリー4[東京都]

栄木正敏は陶磁器専門のプロダクト・デザイナー。デザイン好きであった高校生のころ、偶々日本橋三越で森正洋がデザインした土瓶に出会ったことが、陶磁器デザインとの関わりの最初であるという。「高校生でも買えるこんな格好いいものが自分でもいつか作ってみたいと思うようになった」という彼は、武蔵野美術短期大学で学んだ後、瀬戸を拠点に仕事をしてきた。「当時、瀬戸では和食器のデザインは伝統デザインの模倣アレンジに価値があり、洋食器やノベルティは欧米貿易商の持ち込むデザインで事足りていて、デザインとしての「独立」はなかった。……五百も陶磁器工場が林立しているのに陶磁器デザイナーもデザインを望む工場も皆無の状態であった」(栄木正敏「私の陶磁器デザインと『三つのびっくり』」(『現代の眼』585号、3頁))。
デザインへの需要がない状況の下で、彼は杉浦豊和らとともにセラミック・ジャパンを設立し(1973年)、自らデザインし、製造し、販売する新しい道筋を作り上げる。すばらしいことに、この会社は小松誠、最近では秋田道夫など、さまざまなデザイナーとコラボレーションを行ない、優れたデザインの作品を多数送り出しているのだ。
栄木正敏は、カタチをデザインするのみならず、石膏原型を含む製品化への工程すべてにかかわっているという。そうしてでき上がる作品は、十分に機能的でありながらも装飾性を強調し、デザインによる差別化を目指す。
彼の作品を手に入れて日常が劇的に変わるわけではない。食卓の上にあって、なにかが少し変わる。それは冷蔵庫やエアコンが新しくなるとか、テレビが新しくなると言うこととは違う。もたらされる機能はそれまでと変わらない。なにか新しいことが始まるわけでもない。使っていて、気持ちが変わる。そして、いわゆる「陶芸家」の作品とは異なり、そのことを強く意識しないでも手に入れることができる。いつの間にか食器棚の中に入っているかもしれない。食卓に並んでいるかもしれない。割れてしまうことはあるだろう。しかし、家電のように古くなったから、故障したからと買い換えられることはない。親の世代から子の世代へと受けつがれ、使われ続けることもある。売られ続けるだけがロングライフデザインではない。使われ続けることも大切だ。そうしたものづくりとは、なんと幸せな仕事であろう。[新川徳彦]

2011/02/10(木)(SYNK)

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釜池光夫『自動車デザイン──歴史・理論・実務』

著者:釜池光夫
発行日:2010/10
発行:三樹書房
価格:2,940円(税込)
サイズ:258×184×20mm

製品のなかでデザインがはたしている役割が重要であるにもかかわらず、デザイン史においてほとんど取り上げられることがない分野がいくつかある。自動車のデザインもそのひとつだと思う。本書で著者も述べているとおり、自動車の歴史の本や写真集は多数出版されているものの、デザインを主体とする本はほとんどないのである。著者は三菱自動車で長らくデザイン開発に従事し、千葉大学を経て現在は芝浦工業大学で教鞭をとっている。本書は大学における自動車デザインのテキストとして書かれ、理論と実務に重きがおかれているが、タイトルにもあるとおりデザインの歴史的考察にも一章を割いているので、ここではその点に触れたい。
自動車デザインの変化をどのようにとらえ、その理由をどのように示すのか。著者は、多数ある自動車メーカーのなかからフォードを選び、そのなかでも年代毎にもっとも売れたモデルを考察し、スタイルの変化を年表にプロットする。その結果、自動車が誕生してから約100年の間に9つの基本スタイル(アイコン)があったとする。各時代における社会環境や生活スタイルの変化を背景に、人々の自動車に対する要求は変化する。その要求を実現する技術進歩があると、スタイルが大きく変化すると著者は指摘する。歴史叙述においてデザイナーの仕事を中心に据えると、特異な外観やデザイン思想を持つプロダクトに目が奪われがちであるが、もっとも売れたモデルに対象を絞ることで、著者は自動車のデザインが社会との関わりのなかで生まれ変化してきた姿を示す。
ところで、そのようなスタイルを規定する社会とは、じつはデザインがなされる時点での社会ではない。自動車のデザインは常に5年から10年先の社会をターゲットとして開発されている。「10年先のユーザーは何を欲し、その時の経済やインフラ市場はどのように変化し、そして周辺技術がどのように進歩しているかなど、ひと・もの(自動車技術)・環境の予測の上に自動車デザインが行われる」。そのためには、「自動車の歴史すなわち、現在と過去の会話を通して将来の予測が不可欠」なのだ。「デザインの方法論の基本は歴史学と言ってよいのです」と著者は書く。
著者はこれまでデザイン学会のジャーナル『デザイン学研究』に自動車デザインの歴史に関する論考をいくつも発表しており、本書第1章はそのエッセンスといえる。このような視点が実践的なテキストに盛り込まれていることはとてもすばらしいことだと思う。[新川徳彦]

2011/02/10(木)(SYNK)

GRAPHIC WEST 3:phono/graph──音・文字・グラフィック

会期:2011/01/18~2011/03/09

dddギャラリー[大阪府]

1877年、エジソンによって発明された蓄音機はphonographと名付けられた。音の(phono)記録(graph)であるphonographは、先行して世に出た、光の(photo)記録(graph)であるphotographyとともに、20世紀の情報世界を形成する重要な役割を担うことになった(藤本由紀夫・広報資料より)。
日常生活のなかで、人が視覚を通して物事を認識する割合は80%にのぼると言われている。もちろん、「物事を認識する」というのが具体的にどのようなことなのかを明確にする必要はあるが、人間のおもな情報源が眼であることは確かだ。だが、皮肉なことに人間のもつ五感のなかでもっとも騙されやすいものもまた、視覚、眼なのかもしれない。たとえば、トリックアートや映像と音声・音楽との関係、色彩心理学などを思い出してみれば容易にわかる。「騙されやすい」とは否定的な意味だが、その裏を返せば、視覚とはそれだけダイナミックな感覚であるという意味にもなる。文字や画像がそのまま音となり、音は文字や画像をもり立て、時には別のものに変える。本企画展は、テクノロジーの発展によって急激な変貌を遂げつつある音と文字との関係、そしてグラフィックデザインのいまを、5組のクリエイターたちを通して紹介している。監修を担当した、アーティストの藤本由紀夫をはじめ、八木良太、ニュール・シュミット(Nicole Schmid)、京都を中心に活動するアート/デザインユニットsoftpad(ソフトパッド)、デザイナーグループintext(インテクスト)が参加。[金相美]

2011/02/08(火)(SYNK)

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