artscapeレビュー
デザインに関するレビュー/プレビュー
祝いのカタチ
会期:2011/03/04~2011/03/29
見本帖本店[東京都]
日本パッケージデザイン協会の創立50周年を記念した展覧会。102人のデザイナーたちが、それぞれ1点ずつ、「祝い」をテーマとしたオリジナルの作品を制作。誕生、進学、結婚等々、デザイナーたちが作品に設定した「祝い」の場は多様。結果的にデザインされたカタチもさまざまだ。汎用的な包みもあれば、特定の祝いの場のための品もある。伝統的なハレの場ばかりではなく、365日すべてを祝いの日に変えてしまおうという提案も。吉田雄貴氏の「包んでようやく感じる輪郭」は、見えない箱を包むガラスのリボン。「お祝いの気持ちをかたちづくろうと、具体的なモノを極力無くしていったら包むという行為だけ残りました」というコメントに、祝うという行為の本質はなんなのかを考えさせられた。
いずれも驚きやユーモアが込められたステキな提案ばかりだったのだが、私にとって「祝い」のイメージに直結するのは、やはり紅白の色の組み合わせ、水引や熨斗のかたちになってしまう。じっさいそのイメージは、協会の50周年シンボル、特設ウェブサイト、展覧会の案内ハガキ、作品集の表紙にも現われている。
では、このような「祝い」のイメージが古くからの日本の伝統なのかといえば、そうとも言えないらしい。作品集『祝いのカタチ』(六曜社、2010)の巻頭に寄せられた民俗学者の神崎宣武氏の解説によれば、上層階級におけるしきたりはさておき、たとえば「赤白」をめでたい色調として広く日本人が共有するようになったのは、近世以降のこと。そして「今日に伝わる祝儀や不祝儀にまつわる『形式文化』の醸成は江戸時代にある、とみてよいのだ」という。さらに、そのイメージが一般に強化されるのは、明治時代、日章旗の制定とともにあると神崎氏はいう。となれば、私たちが共有している「祝事」のイメージはせいぜい100年余の歴史しかもたないともいえる。「祝い」が伝統的な場に限られなくなってきた現代、これからの100年のうちに私たちが共有する「祝いのカタチ」もその姿を変えていくのであろうか。[新川徳彦]
2011/03/25(金)(SYNK)
20世紀のポスター[タイポグラフィ]─デザインのちから・文字のちから─
会期:2011/01/29~2011/03/27
東京都庭園美術館[東京都]
ポスター展だが、文字のデザインにスポットをあてる切り口がおもしろい。近代におけるスイスやドイツの重要性がよくわかる。大衆的な商品のコマーシャルや展覧会のポスターが数多くあるなかで、マニアックなコロンビア大学の建築学科のレクチャーのポスターが入っていたのが、印象的だった。これは建築的なタイポグラフィを提唱するウィリィ・クンツのデザインである。
2011/03/25(金)(五十嵐太郎)
店頭デザイン大解剖展:つい買いたくなるお店の「しかけ」とは?
会期:2011/02/01~2011/05/08
印刷博物館P&Pギャラリー[東京都]
スーパーマーケットやコンビニエンスストアで私たちが手にとる商品の魅力は、そのモノ自体のデザインばかりではなく、店頭での展示方法にも大きく影響される。メーカーの販売担当者も、店舗の責任者も、いかに商品を目立たせ、差別化し、どのようにすれば迷う消費者の背中を一押しできるか、日々しのぎを削っている。「店頭デザイン大解剖展」は、そのような商品の魅せかたを紹介する展覧会である。
展示は店頭デザインの事例と、デザインプロセス紹介のふたつのパートで構成されている。前者には、「つい見る」「つい気になる」「つい選ぶ」「つい納得する」「つい好きになる」という「店頭行動5つのキーワード」によって解説が付されている。例えば、会場に入った正面には、カップヌードルを円錐状に積み上げたクリスマスツリー。その存在感に圧倒される。壁際の展示台に近づくと流れ出すメロディ。えっと思って足を止める。書籍やCDに付けられた解説文。手書きのPOPは専門家の批評と比べても説得力がある。ユニクロの「秩序」と、ヴィレッジヴァンガードの「計画された無秩序」の対比も興味深い。また、新しい機能を持つ商品、使ってみなければ効果がわからない製品ほど、展示の工夫によって説得力が増すことがよくわかる。独自性のある、あるいは物語性のあるパッケージは、その製品をお気に入りにしてもらうための重要な鍵だ。もうひとつのパートでは、プレミアムモルツの展示台を事例に、消費者行動の「分析」「提案」「検証」のプロセスを解説している。私たちの購買行動がどのように分析され、誘導されているのか、デザインや販売に携わる者ばかりでなく、消費者も知っておくと良いと思う。購入する商品の選択に自分の主体性などほとんど働いていないのだ。[新川徳彦]
2011/03/19(土)(SYNK)
ラファエル前派からウィリアム・モリスへ
会期:2011/02/25~2011/03/27
美術館「えき」KYOTO[京都府]
ラファエル前派兄弟団とそれに続く第二世代のウィリアム・モリスやエドワード・バーン=ジョーンズらを中心に、彼らの絵画と装飾芸術のなかに通底する、諸芸術の統合への志向に照明を当てた展覧会。「ラファエル前派」を狭義にではなく、「ラファエル前派主義」ないしは「ラファエル前派に関与/と共通点をもつ芸術家たち」という広い意味に解釈し(一般に唯美主義とされる作家たちの作品までをも含めているところが興味深い)、アーツ・アンド・クラフツ運動に代表される、19世紀後期の英国芸術の潮流を概観している。同運動は、モリス・マーシャル・フォークナー商会の設立以前、モリスとバーン=ジョーンズらによる家具製作に端を発している。だが、ラファエル前派のメンバーたちは画家が本業でありながら、格下と見なされていた装飾芸術を自ら製作しつつ、純粋美術と装飾芸術を再び一体化しようとする点において、モリスらのアーツ・アンド・クラフツ運動が継承する反アカデミズムの根幹を成していた。本展に出品された絵画の「額縁」には、彼らの手で製作されたものがあるが、その思想の一例ともいえよう。絵と額縁は調和し、両者が協力し合って共に輝きを増している。また、油彩画のなかに描かれた装飾芸術が、観者にリアリティをもって迫ってくる理由もそこにある。今回の展覧会の見どころは、バーン=ジョーンズが人物を、ヘンリー・ダールが花・地面のデザインを行なったモリス商会の《タペストリー:東方三博士の礼拝》(251×373cm)。モリスがデザインした《ステンドグラス:シンバルとリュートの奏者》もまた素晴らしい。モリスたちの装飾芸術は、彼らの制作に対する信条と態度、その誠実でいて清らかな美によって、私たちを惹きつけてやまない。しばし時を忘れて見入った。[竹内有子]
2011/03/18(金)(SYNK)
生誕150年記念 アルフォンス・ミュシャ展
会期:2011/02/05~2011/03/21
堺市博物館[大阪府]
チェコ出身の画家、アルフォンス・ミュシャの生誕150周年を記念して開催された回顧展。ミュシャがフランスにおけるアール・ヌーヴォーの代表的作家として活躍をする「パリ時代」と、その後の滞在地となった「アメリカ時代」、祖国に帰ってライフ・ワーク《スラブ叙事詩》に取り組むことになる「チェコ時代」という三部構成で、初期から晩年にかけての作品約170点が展観された。この区分のなかで、短い活動期間でありながら、非常に際立った作品群を残したのが、デザイナー時代のミュシャだ。本展ではその嚆矢となったサラ・ベルナールのポスター作品をはじめとして、各種装飾パネルやモエ・エ・シャンドンのメニュー、ビスケット缶などベル・エポック期の華やかな風俗をしのばせるもの、デザイナー向けの図案集『装飾資料集』に至るまで、アール・ヌーヴォーの豊かな作例を見ることができる。魅惑的な女性像・渦を巻きながら流れ出す髪・意匠を凝らしたローブの流麗な襞・顔周りの光輪のモザイク状装飾やアラベスク模様・繊細な色調が創りだす「ミュシャ様式」は、アール・ヌーヴォーの隆盛を導いた。だが、ミュシャ作品の魅力はただそれだけに留まるものではない。その装飾文様が有する「象徴」の力がいかに強いものであるか。彼のグラフィック作品は、念入りに構想された構図のうちに、複雑な理念的象徴体系を包含しているのだ。このことは、ミュシャがゴーギャンと交友し、また神秘主義に没頭していたことを考えれば不思議ではない。アール・ヌーヴォーの巨匠としてのミュシャのポスター芸術は、装飾性・諸芸術の統合・象徴主義・綜合主義に特徴づけられる世紀末芸術の様相に照らしてみれば、新たな魅力を発見できるだろう。国内最大のミュシャ・コレクションで知られる堺市のこと、今後さらに個性的なテーマに特化した展覧会にも期待したい。[竹内有子]
2011/03/13(日)(SYNK)