artscapeレビュー
デザインに関するレビュー/プレビュー
第57回ニューヨークタイプディレクターズクラブ展
会期:2011/05/16~2011/06/02
見本帖本店[東京都]
世界30カ国から応募されたタイポグラフィを主体とするグラフィック作品のなかから208点を展示する展覧会。この展覧会をどう見て良いのか困るのは、おそらく私が部外者だからであろう。個々の作品がなにを意図しているのか、誰をターゲットとしているのか、どのような媒体に掲出されるのか、どの程度の露出を前提としているのか。作品が内包する課題、生み出されるまでに直面したであろうさまざまな制約が展覧会場ではわからない。海外のターゲットのための海外の制作者による作品を、ターゲットの外にいる私が評価するのは困難である。なので、表現の表面的な新しさ、個人的な好み以上のコメントはできない。
もっとも、あなたがデザイナーであるならば話は別である。この展覧会はタイポグラフィ表現の最新の見本帳である。ここに世界のトレンドが集まっている。実物を手にとり、スケール感、質感を体感できるこの機会にぜひとも見に行くべきである。どんな作品集を見るよりもはるかに得るものがあるはずだ。[新川徳彦]
2011/05/18(水)(SYNK)
阪大生・手塚治虫──医師か? マンガ家か?
会期:2011/04/28~2011/06/30
大阪大学総合学術博物館 待兼山修学館[大阪府]
大学付属の博物館が、しかも「阪大生・手塚治虫──医師か? マンガ家か?」という限定されたテーマについて企画したものだが、十分に見応えのある展覧会だった。漫画家、手塚治虫が医者でもあったことはよく知られている。1945年に大阪大学医学専門部に入学、その翌年に漫画家としてデビュー。当時中之島(大阪府)にあった医学専門部での講義や実習が終わると、角帽の代わりにトレードマークとなったベレー帽をかぶって漫画家に変身、出版社へと赴く日々が始まったという。また、1950年には東京の出版社での連載もはじまり、東京と大阪を片道11時間もかけて往復する超多忙な生活を送っていたそうだ。大学を卒業する頃には、すでに漫画家として確固たる名声を築いていたが、驚くべきことに同時期に「医師国家資格」も取得している。その情熱と努力に感服するばかり。展覧会では作品はもちろん、当時の写真やその他の資料を頼りに手塚治虫の学生漫画家時代を振り返っている。きちんと整理され精密画などが描かれている授業ノートや手帳、希代の昆虫好きだった彼の昆虫標本など、漫画家、医学生、そして人間としての手塚治虫を垣間見ることができる。
[金相美]
2011/05/18(水)(SYNK)
増田三男 清爽の彫金──そして、富本憲吉
会期:2011/05/17~2011/06/26(工芸館)、2011/05/17~2011/06/18(早稲田大学)
東京国立近代美術館工芸館[東京都]
2009年に100歳で亡くなった彫金の人間国宝・増田三男(1909-2009)の作品を中心に、彼が師と仰いだ陶芸家・富本憲吉(1886-1963)との関わりを考える展覧会。増田の没後、手元に残されていた作品と増田が所蔵していた富本の作品が早稲田大学と東京国立近代美術館に寄贈された。今回の展覧会は、そのお披露目でもある。工芸館会場では他館所蔵の作品も加えておもに増田三男の仕事の全貌を追い、早稲田会場では作品を通じて増田と富本との関わりを見せている。
増田三男の作品の魅力の第一は、描き出された模様にある。桟橋にとまるシギの姿や、竹林や雑木林、柳の木立など、比較的具象的な意匠がある一方で、蝶、兎、鹿など古典に学びながら紋様へと昇華したモチーフもある。幾何学的な模様とも見える麦畑の図を見ると、増田の着想がとてもユニークであることがわかる。
作品に用いられた意匠はさまざまであるが、一貫しているのは独自性であり、その背景には「模様より模様を造るべからず」という富本憲吉の思想があった。増田は富本の言葉に従い、自然の写生に基づく模様の創作に取り組んでいたという。両者の関係はものづくりの思想、あるいは師弟関係にとどまらない。富本は香炉のための火屋の制作を増田に依頼しており、その数は200点を超える。火屋の意匠は、増田が富本の作品を独自に解釈してつくりあげたものであった。とくに富本の書からとった文字の意匠は富本も気に入っていたと増田はかつて語っている。富本は増田の仕事を高く評価しており、作品の箱書きや解説にも増田の名前が出るよう気を配っていた。図録の解説には富本が増田に送った書簡が引用されており、その文面からも師である富本が増田に対して深く信頼を寄せていた様子が伝わってくる。[新川徳彦]
2011/05/17(火)(SYNK)
柏木博『探偵小説の室内』
デザイン評論家・柏木博による、「人々の存在あるいは内面と結びつくものとして、〈室内〉を主題とした」意欲作。本書は、ヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』に記された、「推理小説が室内の観相学となっている」という指摘から着想されている。また柏木は、「19世紀が〈室内の時代〉であって、ブルジョワジーたちが室内に幻想を抱き続けるようになった」というベンヤミンの記述を挙げ、近代的な個人主義の成立と「室内へのこだわり」との結びつきを強調する。確かにインテリアは持ち主の人となり、内面や精神までをも表わす。だから、部屋(=事件現場・手掛かり)から犯人像を読み解く推理小説においては、室内表象のされかたがどうなっているかについての考察は興味深いし、著者の着眼点はとてもユニークだ。ただ『探偵小説の室内』というタイトルから期待されるほど、純粋な推理小説作家が多く扱われていないのが少し残念だ。ポール・オースターやベルンハルト・シュリンク等々の作品を考察した章は、それはそれでもちろん面白いのだが。例えば現代ミステリ・ファンにあってみれば、女性探偵を主人公とした作品や女性作家の眼がもう少し取り上げられていたら、より楽しみが増えただろう。[竹内有子]
2011/05/15(日)(SYNK)
華麗なる日本の輸出工芸──世界を驚かせた精美の技
会期:2011/04/29~2011/07/03
たばこと塩の博物館[東京都]
展示されている品々は、漆工であっても陶磁器であっても、ふだん美術館で優品として展示される工芸品とは印象を異にする。大胆な構成の貝細工、寄せ木のトランプケースやチェステーブル、会津漆器の十字架や聖書書見台など、意匠はもちろん、用途の面でも、見慣れた工芸品とは違う。これらは、おもに明治期から昭和初期にかけて海外向けに生産された装飾工芸品。日本の工芸品ではあるが、日本人のための品ではない。伝統的な技術が用いられているにもかかわらず、違和感を覚える理由はそこにある。
殖産興業の一環として明治政府が日本の工芸品輸出を奨励していたことは良く知られているが、工芸品には直接輸出されたものばかりではなく、箱根などの観光地で外国人旅行者向けのお土産品として製造販売されていたものも多い。製造業者は本来の産地から離れ、輸出港である横浜や、消費地である観光地の周辺に集積し、海外での需要に応え、外国人旅行者の嗜好に沿った製品をつくっていた。欧米の人々の好みに合うように意匠は大胆に構成され、飾り棚などの大物は運搬を容易にする構造上の工夫もなされていたという。
用いられた技術は必ずしも一流ではない。美的にも日本人の嗜好には合わないと思われるものも多い。しかしながら、ここに見られる品々は優品として遺されてきたものよりもずっと普遍的な日本の工芸品生産の結果であり、明治以降、否、それよりもはるか以前から、マーケットを志向せずしては存立し得ない工芸の本来の姿を伝える貴重な史料である。
出品されている約200点の作品は、すべて日本輸出工芸研究会会長の金子皓彦氏が長年にわたって内外で集めてきたコレクションのほんの一部である。氏のコレクションは寄せ木細工だけでも25,000点に及ぶという。蒐集にかける情熱に驚嘆させられる展覧会でもある。[新川徳彦]
2011/05/15(日)(SYNK)