artscapeレビュー

デザインに関するレビュー/プレビュー

印紙・証紙 小さなグラフィック・デザインの世界

会期:2016/12/20~2017/03/05

お札と切手の博物館[東京都]

グラフィック・デザイナー下邑政弥氏が長年にわたって収集し2015年にお札と切手の博物館に寄贈した日本の印紙・証紙に、同館が所蔵する資料を加えた企画展。印紙・証紙とは、税金や公的な手数料の支払い等を証明するために領収書や申請書、文書等に貼付するもので、その使用形態から切手に似た形状のものが多い。世界で初めて「収入印紙」の制度が導入されたのは1624年のオランダで、このときは文書に型押しをすることで税金の支払いを証明するものだったという。イギリスの北米植民地が独立する契機をつくった1765年の印紙法(Stamp Act)は、植民地で用いられる新聞雑誌の用紙、契約書用紙、トランプ等の用紙に、課税済みの型押しまたは印刷を施した用紙を用いることを義務づけるものだった。印刷物を貼付する形式の印紙が登場するのは18世紀末のイギリス。「手数料が支払い済みであることを証明する紙片」という意味では郵便切手も印紙・証紙の一種だ。ちなみに世界最初の郵便切手(postage stamp)が発行されたのは1840年なので、印紙(revenue stamp)の方が登場が早い。日本初の納税証紙(「蚕種印紙」=蚕の卵を産み付けた紙に課税した)は明治5年。日本初の郵便切手発行の翌年だ。最初の「収入印紙」の発行は明治6年。なお、政府が発行するものを「印紙(収入印紙や特許印紙等)」といい、都道府県等地方公共団体や民間機関が発行するものを主に「証紙」と呼ぶそうだ。
本展は印刷技術、貼付対象、使用分野の違いによって生じるデザインの多様性から日本の印紙・証紙を見る構成。印刷に関しては、政府が発行する印紙は最初期を除いて印刷局の製造によるもので、特に高額面のものは用紙や印刷にお札や切手と同様の技術が用いられている。偽造防止という点で、印紙は切手よりも(あるいは紙幣よりも)高額面のものが多く(現在発行されている収入印紙の最高額面は10万円)、用紙に透かしが入っているほか、色を付けた繊維を漉き込んだり(毛紙)、特殊な印刷技術が用いられている。貼付対象による違いは、それが文書に貼られるのか、モノに貼られるのかという違いだ。前者は主に切手に準じた形態。後者は、商品の包装を封印するものや、商品そのものに貼付するステッカータイプのものなど、物品の形態、素材によってさまざまな形式がある。使用分野による違いは、物品の形態によるヴァラエティなので、貼付対象の違いと重なる部分がある。典型的なものはラムネ瓶の口に貼られる封緘で、その一部に「物品税之証」が印刷されている。
課税されるということはそれらの商品が正規に製造(輸入)、流通されたものであることを意味する。本展で興味深かったのは、その結果として、印紙・証紙がしばしば商品の品質を保証するかのようなイメージに転化している例が見られることだ。すなわち、印紙・証紙が商標の役割も果たしているのだ。そしてさらには、印紙・証紙が人々に与える「正規品」のイメージを引用するデザインも現われる。各地の伝統工芸品に付される産地の証票(商標)はその例だ。地紋のデザインにしばしば彩紋が用いられているのも、単に偽造防止という意味だけではないだろう(下邑コレクションには、そうした印紙・証紙に類似する印刷物も含まれている)。もうひとつ面白いのはかつては課税の証明だったものが、形式だけ残ったもの。例えばタバコパッケージの口に付いているラベルは、たばこ事業民営化後も封緘紙、商標ラベルとしての機能を残している。かつて映画館等で用いられていた入場税用紙のデザインは、現在でも一部の映画館の入場券のデザインに残っている。薬品瓶やラムネ瓶、トランプの封緘は、それらが未開封であることを示す機能として残っている。本展では触れられていないが、かつて日本酒の瓶に貼られていた「酒税証紙」の位置に、本来のラベルとは別の小さめのブランドラベルや酒類、アルコール度数を示すシールが貼られるのもそうした名残のひとつではないだろうか。
印紙・証紙は切手と比較して収集が難しく、コレクターの数は極めて少ないという。政府発行の印紙から都道府県・民間団体の証紙まで、これだけの数のコレクションを見る機会は貴重だ。[新川徳彦]


展示風景

2017/02/14(火)(SYNK)

ARS ELECTRONICA in the KNOWLEDGE CAPITAL vol.07
InduSTORY 私たちの時代のモノづくり展

会期:2017/02/09~2017/05/07

ナレッジキャピタル The Lab. みんなで世界一周研究所[大阪府]

従来のアート、デザイン、科学、ビジネスの枠を取り払った、新たな時代のクリエーションを見せてくれるナレッジキャピタルの企画展。本展は、オーストリア・リンツのクリエイティブ・文化機関アルスエレクトロニカとのコラボ企画第7弾で、東京大学・山中俊治研究室プロトタイピング&デザイン・ラボラトリーと、さまざまな分野の人材から成るプロジェクトチーム、ニューロウェアの2組が登場した。プロトタイピング&デザイン・ラボラトリーの作品は、生物的な動きを見せる機械や同一素材からさまざまな触感を得るための試みであり、ニューロウェアの作品は、センサーやデータを駆使して人とモノのコミュニケーションを図るツールである。これらを現在のアートの文脈で評価するのは難しいが、今後はこうしたテクノロジー系の芸術表現が増えていくのは間違いないだろう。そのときアートは新境地を開拓するのか、それとも新たな領域に飲み込まれていくのだろうか。

2017/02/09(木)(小吹隆文)

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DAVID BOWIE is | デヴィッド・ボウイ大回顧展

会期:2017/01/08~2017/04/09

寺田倉庫G1ビル[東京都]

デヴィッド・ボウイの28枚目にして最後のアルバム、『★(ブラックスター)』が発表されたのは2016年1月8日、彼が亡くなる2日前のことであった。1970年代にはグラムロックの旗手として名をはせ、1980年代には数々のアルバムをヒットさせてロック界のスーパースターの名をほしいままにしたデヴィッド・ボウイ。久々に発表されたこのアルバムが彼の健在ぶりを広く知らしめるものだっただけに、突然の訃報のショックは大きかった。
デヴィッド・ボウイの大規模な回顧展である本展は、2013年に英国のヴィクトリア・アンド・アルバート博物館で開催され、以降世界9都市を巡回して多くの動員を記録してきた。アジアでは唯一となる日本での開催は、デヴィッド・ボウイの70回目の誕生日にはじまったが、奇しくも遺作展の様相を帯びることになってしまった。ステージ衣装、写真、映像、そしてもちろん音楽から、デビュー前の写真、直筆のノートや絵画まで、300点以上のアイテムでボウイの50年間の活動を振り返る。ハイライトは四方のスクリーンに映し出される映像と音響や照明であたかもライブ・パフォーマンスのような空間がつくり出された「ショウ・モーメント」のセクション。そして見所は、日本展でのオリジナル展示「DAVID BOWIE MEETS JAPAN」のセクションである。北野武、坂本龍一と共演した映画『戦場のメリークリスマス』を中心としたこのセクションでは、日本のポップ・カルチャーにおけるボウイの確かな存在感と影響力の大きさに今さらのように感じ入った。[平光睦子]
公式サイトhttp://davidbowieis.jp

2017/02/07(火)(SYNK)

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マリー・アントワネット展 美術品が語るフランス王妃の真実

会期:2016/10/25~2017/02/26

森アーツセンターギャラリー[東京都]

ヴェルサイユ宮殿所蔵のおよそ200点の美術品と資料等から、マリー・アントワネットの生涯をたどる展覧会。アントワネットをはじめ宮廷の人々の肖像画、彼女の人生と重なる国家的出来事を刻んださまざまな版画、彼女自身が身に付けた衣装、宮殿内を華やかに飾った調度品や食器の数々など、多種多様な展示品で「繊細で優美」といわれるロココ美術を堪能することができる。また、ランパ織という室内装飾用の布や、かの「首飾り事件」で知られる王妃の首飾りなど、当時の原画に基づいて現代の技術で複製された展示品からは、ロココ美術が到達したデザインや技術のレベルの高さをつぶさに見て取ることができる。会場内には、プチ・アパルトマンの浴室、図書館、居室など王妃のプライベート空間が実物や映像をつかって原寸大で再現されており、宮殿内に足を踏み入れたかのような感覚を楽しむこともできる。
フランス王妃、マリー・アントワネット。その悲劇的でドラマティックな生涯には日本でも関心が高い。貧困に苦しむ民衆をよそに贅沢と享楽に明け暮れた愚かな女性といったイメージがある。しかし本展をみて、自己プロデュースの才に秀で、幼いころから感性を磨き上げた宮廷美術の権化であり、ロココ美術を頂点へと押し上げた類い稀な能力の持ち主という見方もできるのではないだろうか、と認識があらたまった。[平光睦子]

2017/02/07(火)(SYNK)

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麻のきもの・絹のきもの

会期:2017/01/06~2017/02/20

文化学園服飾博物館[東京都]

日本人が木綿の織物を身にまとうようになるのは16世紀頃のこと。それ以前、古代より衣類に用いられていたのは麻と絹だった。本展では、この二つの素材を取り上げ、それぞれが糸、布、着物になるまでの過程を辿り、また衣服文化における麻の着物と絹の着物の位置づけを見る。絹も麻も、飛鳥時代・奈良時代には政府によって生産が奨励・管理されるようになり、奈良・平安時代には身分制度の確立に伴って、上質の絹織物は貴族階級の衣料に、下級の絹布や麻の織物は庶民の衣料とする構図ができあがったという。第1室では、そうした衣類の素材の歴史の解説と、麻や絹の糸をつくるための道具、現代の生産工程の映像が上映されている。資料を見る限り、麻については現在でも手作業を中心とした大変手間のかかる方法で糸がつくられている。他方で明治日本の主要な輸出品となった絹糸の生産工程にはさまざまな改良が行なわれ、機械化されていった過程が分かる。このほか、第1室では奈良時代の裂や、麻や絹の加工、染色技術の違いを示す見本が展示されている。第2室ではさまざまな染織技術による麻と絹のきものが紹介されている。そうしたヴァラエティが生まれた要因としては、例えば季節に合わせた素材や仕立ての違い、染織技術の発展による表現の変化がある。しかしながら、さらに興味深いのは身分制との関係だ。展示解説によれば、武士はもともと都の警備や公家等の警護のために雇われた平民であり、絹を着るような身分ではなかった。ところが源頼朝が征夷大将軍を任ぜられて鎌倉幕府が成立すると武家も朝廷の身分制度に組み入れられ、位階に応じて絹製の装束を身につけるようになった。また、公家の着物には染めによる文様付けは行なわれなかったが、将軍家から嫁を迎えるようになってから武家風の装飾が取り入れられるようになったのだという。社会の変化と衣料に埋め込まれたコードとの関係がとても興味深い。[新川徳彦]


展示風景

2017/01/31(火)(SYNK)

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