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デザインに関するレビュー/プレビュー

ファッションとアート 麗しき東西交流

会期:2017/04/15~2017/06/25

横浜美術館[神奈川県]

いつもと違う博物館的な展示になっており、近代における日本から西洋への輸出品(室内着)、日本での洋装受容(皇后の礼服)、西洋のジャポニスム(装飾モチーフ、ポワレのコルセット解放と着物の影響など)をたどる。美術館らしく、参考資料として同時代の絵画も活用している。

2017/04/14(金)(五十嵐太郎)

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ファッションとアート 麗しき東西交流

会期:2017/04/15~2017/06/25

横浜美術館[神奈川県]

京都服飾文化研究財団(KCI)が所蔵するドレス、服飾品約100点を中心に、内外の絵画、工芸品によって、明治から大正、昭和初期までの日本と西洋の文化交流およびそれらが人々の生活や美意識に及ぼした影響をみる企画。ファッションに焦点を当てる展覧会は、横浜美術館では初めてのことだという。
展示は3章で構成されている。第1章は「東西文化の交差点YOKOHAMA」として、1859(安政6)年の開港以来、明治時代に主に横浜で製造・輸出された日本の家具、工芸品、装身具が出品されている。とくに興味深いのは、椎野正兵衛商店製の輸出用室内着だ。殖産興業政策のもと横浜港から輸出された代表的な商品は生糸だが、明治政府はさらに付加価値が高い絹製品の輸出を試みた。西洋市場の動向をつかむために1873(明治6)年のウィーン万博に絹物商として派遣されたのが椎野正兵衛で、その万博参加後に輸出が開始された絹製品のひとつが室内着だった。外出着は顧客のサイズに合わせて縫製する必要があるので、輸出品としてあらかじめ製造することは難しい。しかし、室内着は比較的緩やかな仕立てでよいため、日本国内での製造が可能だったという。(周防珠実「明治期の輸出室内着」本展図録162-166頁)。仮に外出着の製造が可能であっても、ファッションの変化は速く、欧米の情報を得て日本で仕立てた服が現地に到着する頃にはすでに流行遅れになっていたに違いない)。またヨーロッパの市場が日本製の服を求めていたかどうかも疑問だ。19世紀半ば、ヨーロッパでは蚕の伝染病が流行したために生糸が不足し、絹織物産業に打撃を与えていた。日本から蚕種、生糸が大量に輸出されたのはそのような需要側の事情が大きく影響している。であれば、加工済み日本製絹製品の輸入を、現地絹織物業者たちはどのような目で見ていただろうか。


第1章会場風景

第2章は「日本 洋装の受容と広がり」。日本の皇室や上流階級の人々の洋装化の過程を、実物資料や、絵画・写真で見る。楊洲周延などの錦絵、鹿鳴館における社交風景を見ると女性の洋装化は早くから進んでいるように見えるが、それは上流階級のことで、庶民の女性が洋服を着るようになるのは遅く、本格的な洋装の広がりは第二次世界大戦後のことだという。しかし、和装にも西洋からの影響があったことは、指輪や髪飾りなどの装身具や、銘仙に用いられたモダンな意匠に見ることができる。
第3章は「西洋 ジャポニスムの流行」。ここでは19世紀後半の西洋における日本ブームと、その美術工芸やファッションへの波及が紹介されている。珍しいものとしては江戸時代の小袖をドレスに仕立て直したもの。しかし出品作品を見る限り、日本の染織品というよりも、それらを独自に解釈したものがほとんどだ(だからジャポニスムなのだが)。それも、意匠の直接的模倣から、たとえば着物の構造をドレスに応用するなど、東洋との交流が次第に西洋の工芸やファッションに新しいスタイルを創り出していった様子を見て取ることができる。


第3章会場風景

本展の企画はすでに2013年よりスタートしており、近年の明治工芸ブームや、昨年東京周辺で多数開催されたファッション関連の企画を後追いしたわけでは決してないとのこと。それでもこの時期に互いに領域が重なる企画が連続していることは興味深い。そうしたなかでも本展は美術館が所在する横浜という地域を起点としてファッションを美術工芸とともに見せることで、より幅広い生活領域における東西交流の姿を提示している点で、他の企画とは一線を画した構成になっている。[新川徳彦]

関連レビュー

日本人と洋服の150年|SYNK(新川徳彦):artscapeレビュー

2017/04/14(金)(SYNK)

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絵本はここから始まった ウォルター・クレインの本の仕事

会期:2017/04/05~2017/05/28

千葉市美術館[千葉県]

イギリスの画家・デザイナーであるウォルター・クレイン(1845-1915)は、ウィリアム・モリスの思想に共鳴して、社会主義運動、アーツ・アンド・クラフツ運動に参加したことで知られている。クレインがモリスとともに活動するのは1880年頃からのことであり、それまでは主に「トイ・ブック」と呼ばれる子供向けのカラー絵本を数多く手がけている。この展覧会は、これらクレインの本の仕事に焦点をあてる企画。
1845年に画家の息子としてリヴァプールに生まれたクレインは、木口木版の工房でデッサンの基礎を学び、その後多色刷木口木版の技術を開発した彫版師エドマンド・エヴァンズに才能を見いだされ、1865年に全ページカラー刷りの絵本を生み出した。それ以前の絵本の挿画は単色の版に手彩色だったり、イラストは既存のものの流用だったりしていたところに登場したオリジナルな美しい色彩の絵本は、人々に高く評価され、多くのタイトルが出版され、それぞれが幾度も版を重ねた。トイ・ブックは8から12ページの小さな絵本で、当時6ペンスあるいはその倍の1シリング程度で売られていた安価な本。クレインが手がけた作品は、シンデレラや長靴をはいた猫、美女と野獣、マザーグースなどのよく知られた物語や、アルファベットを覚えるための唄など、多岐にわたる。テキストを含め誌面全体が美しく構成されていることが特徴的で、クレインが単なるイラストレーターではなく、優れたデザイナーであったことがよく分かる。
クレインの絵本の魅力が、当時の印刷技術とともにあったことは見逃せない。図版の印刷に用いられたのは、木口木版。クレインの原画を元に、エヴァンズが主線の版を彫って仮刷りし、これにクレインが色の指示をして色版を完成させる。6ペンスの本では主線の版の他に4色、1シリングの本では合計8色の版で刷られているという。鑑賞の際にはルーペか単眼鏡の持参をお勧めする。細部を拡大してみると、色版は単純なベタの色面ではなく、ハッチングなどの手法で濃淡をつけており、さらには他の色版との掛け合わせで微妙かつ複雑な色を表現していることに驚かされる。少し離れてみると、筆者には手彩色やリトグラフによるものと区別が付かない。木口木版が用いられたのは、これが活字と組み合わせて凸版印刷の手法で刷ることができたことと、機械を使った大量印刷に耐える強度があったためだ。トイ・ブックは通常でも数万部、多いものでは10万部も刷られたという。板目木版や銅版画では版が潰れてしまうためにこれほどの大量印刷は不可能だ。日本で同様の技術が用いられたという話を聞かないのは、日本で出版文化が興隆した頃にはすでに石版印刷や網点による色分解が主流になっていたからであろうか。クレインの作品にも後期には網点によるカラー印刷のものがあるが、あまり魅力が感じられないのは、クレインが木口木版の技法を熟知したうえでその特徴を最大限に生かすように作品を描いていたからなのだろう。
会場にはクレインのほぼすべての絵本と主要な挿絵本約140点の他に、エヴァンズが版を手がけた他の画家たちの作品(これも印刷が素晴らしい)、絵本画家ケイト・グリーナウェイ、ランドルフ・コールデコットの作品も並ぶ。ヴィクトリア時代後期の絵本の世界を堪能できるこの展覧会に出品されている作品が、すべて国内の美術館や博物館、図書館、個人の所蔵によるものという点も驚きだ。このほか、千葉市美術館のコレクションから、クレインの表現様式に影響を与えた日本の浮世絵版画が出品されている。クレインの作品を大胆に構成したチラシデザインおよび図録装丁は中野デザイン事務所。[新川徳彦]


会場風景

2017/04/11(火)(SYNK)

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クラーナハ展──500年後の誘惑

会期:2017/01/28~2017/04/16

国立国際美術館[大阪府]

ドイツ・ルネサンスを代表する画家として知られる、ルカス・クラーナハ(父:1472-1553)の日本初の展覧会。「宮廷画家」、「肖像画家」、「版画家」として、工房での量産体制を築きビジネスに長けていたクラーナハの各画業に加え、独特の「裸体表現」が後世に与えた影響、男性を誘惑する「女性」のイメージ、マルティン・ルターの宗教改革に深く関わりながら生み出された作品群、という6つの多様な切り口から91点の作品を展覧する。見どころはなんといっても、ウィーン美術史美術館所蔵の《ホロフェルネスの首を持つユディト》(1525/30頃)。同作にみる、ユディトの肌の輝くような質感、女性イメージの持つ力、豪華な衣服とジュエリーの素材感までも写し取る写実的描写は、修復に3年かかったという見事な復元技術の賜物。単に大回顧展として終わらせない本展の工夫は、近代日本におけるクラーナハの受容に始まり、西洋20世紀におけるピカソやデュシャン、さらには現代の川田喜久治と森村泰昌に渡るオマージュの系譜も示しているところ。それにしても、出展作《ヴィーナス》(1532)に代表されるような、クラーナハ作品のビジュアル・イメージは強烈で何とも忘れ難く、絵画作品を見る歓びを教えてくれる。[竹内有子]

2017/04/06(木)(SYNK)

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おとろえぬ情熱、走る筆。ピエール・アレシンスキー展

会期:2017/01/28~2017/04/09

国立国際美術館[大阪府]

90歳を迎え現役で活躍するベルギーの画家、ピエール・アレシンスキー(1927年ブリュッセル生まれ)の足跡をたどる回顧展。1940年代から現在までの作品、約80点が展示された。アレシンスキーは、1948 年に結成された前衛的な芸術家集団コブラ(CoBrA:コペンハーゲン、ブリュッセル、アムステルダムの頭の文字をとって命名)に参加後、本格的に活動を始める。その後、日本の前衛書家 森田子龍と交流して、床に置いた紙に墨で力強く自由なストロークで書くスタイルに影響を受けた。本展では、墨、唐紙、拓本といった東洋の素材と技法を用いつつ、自由奔放な筆による即興的な線描表現を見ることができる。さらには、コミックの影響を受けてコマ割りにした画面の物語性ある表現、版画技法を活用しつつ新しい技法をも併用して駆使する妙、アクリル絵の具を採用することで生まれる軽快さと鮮やかな色彩性(油彩とは異なる)など、魅力がいっぱい。底流にあるのは紛れもなく西洋のエッセンスなのだが、東洋のそれも昇華・融合した彼の作品群は、もはやなんらの枠や境界に捉われないなにものかを獲得している。齢を重ねて成長し続ける芸術家の旺盛な好奇心としなやかな感受性に魅了された。[竹内有子]

2017/04/06(木)(SYNK)

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