artscapeレビュー

デザインに関するレビュー/プレビュー

西洋更紗 トワル・ド・ジュイ

会期:2016/06/14~2016/07/31

Bunkamuraザ・ミュージアム[東京都]

「トワル・ド・ジュイ」とは、ジュイの布の意。フランス・ヴェルサイユ近郊の村、ジュイ=アン=ジョザスで作られた銅版プリントの綿布(更紗)のことで、人物を配した田園風景のモチーフで知られている。ドイツ出身のプリント技師、クリストフ=フィリップ・オーベルカンプ(1738 - 1815)がこの地に工場を設立したのは1760年。1843年に工場が閉鎖された後も現在にいたるまでオーベルカンプの工場で生み出された意匠のコピーや模倣品はつくられ続けている。この展覧会では、トワル・ド・ジュイ美術館が所蔵するオリジナルの西洋更紗の紹介を中心に、その歴史を辿る。
更紗とは、手描きもしくは捺染によって図柄を染めた綿布。17世紀後半にヨーロッパ各国の東インド会社がインド更紗を輸入するようになると、薄手、軽量で、鮮やかな色彩で染められ、洗濯も容易な更紗はヨーロッパでブームを起こした。しかし、更紗の輸入はヨーロッパの伝統的な毛織物産業にとって脅威であり、また貨幣の海外流出を意味したため、フランスでは1686年にインド更紗の製造・輸入・着用のいずれもが禁止された。ただ、じっさいには密輸が横行して実効性がなかったばかりか、禁止令は国内のプリント産業に大きな打撃を与えた。1759年に禁止令が解除されたとき、フランス国内にはすでにプリントの技術を持った者がいなくなってしまっていたために、スイスの工房から招かれた人物がオーベルカンプだった。彼は一時パリの工場で働いた後、ヴェルサイユ近郊のジュイ=アン=ジョザスにプリント工場を設立した。
一般的にトワル・ド・ジュイというと銅版プリントによる更紗を指すようだが、オーベルカンプが最初に行なったのは木版による多色プリント。彼は技術者としてばかりではなくマーケティングにも優れた人物で、工場では輸入されたインド更紗を模倣した豪奢な更紗を製造する一方で、色数が少ないプリントも製造し、意匠の点でも価格の点でも幅広い客層の好みを満足させる多様な布地を取り揃えていた。暗い背景に生い茂る草花をモチーフにした《グッド・ハーブス》と呼ばれる一連のプリントはとても良く売れ(この「グッド」には良く売れるデザインという意味も含まれていたそうだ)、多くの模倣品がつくられた。更紗の用途としては、大柄のものは壁掛けなどの室内装飾に、小柄のものは服に用いられた。マリー・アントワネットのワードローブには、トワル・ド・ジュイで仕立てられたドレスが含まれていたそうで、本展には、彼女のドレスの断片をブックカバーに用いたとされる本が出品されている。
オーベルカンプの工場は、1770年にはイギリスから銅版プリントの技術を、1790年代末には銅版ローラーによるプリント技術を導入した。銅版のサイズは約1メートル四方で木版よりもずっと大きく、プリントの大量生産に向いていた。また、木版よりもはるかに細かいデザインが可能になった。ただし木版と違ってプリントは単色。それゆえ、デザインによっては手作業で彩色されたり、木版が併用されたりもした。木版単独のプリントもつくられ続けた。銅版プリントの成功に大きな役割を果たし、「トワル・ド・ジュイ」の様式をつくりあげたのは画家ジャン=バティスト・ユエ(1745 - 1811)。オーベルカンプ自身は技術者・経営者であり、デザイナーではなかったが、経営の成功にとってデザインが重要であることをよく分かっていた。常にデザインに気を配り、1760年から1843年までに、3万点以上のモチーフが製造されたという。
展示はヨーロッパにおける田園モチーフの源泉である中世のタペストリーから始まり、インド更紗への熱狂の様相を経て、オーベルカンプの仕事に移る。またその後の世代への影響として、ウィリアム・モリスのプリント綿布や、ビアンキーニ=フェリエ社のためにラウル・デュフィがデザインしたテキスタイルが出品されている。技術的にもデザイン的にもインド更紗の模倣から始まったジュイの布が、ヨーロッパの銅版画の技術を応用し、中世からの伝統的なモチーフや古典主義の意匠を取り入れて変容してゆく歴史的過程を見ることができてとても興味深い。ジュイの布以外は、女子美術大学の旧カネボウコレクション、五島美術館や染司よしおか、文化学園服飾博物館、島根県立石見美術館のコレクションなどによって展示が構成されており、日本のミュージアムにおける西洋テキスタイルコレクションの厚みを感じる。[新川徳彦]

2016/06/14(火)(SYNK)

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Volez, Voguez, Voyagez Louis Vuitton 空へ、海へ、彼方へ ─ 旅するルイ・ヴィトン展

会期:2016/04/23~2016/06/19

「旅するルイ・ヴィトン展」特設会場[東京都]

ルイ・ヴィトン展特設会場[東京都]


「旅」をテーマにルイ・ヴィトンの歴史をたどる世界巡回展の日本展。三菱一号館美術館の「PARIS オートクチュール展」でも監修を務めたガリエラ宮パリ市立モード美術館館長オリヴィエ・サイヤールが監修し、演出家のロバート・カーセンが会場を構成。会場は東京・紀尾井町に仮設された建物。外観はいかにも仮設の建物なのだが、中に入るとコーナー毎にそれぞれ趣向が凝らされた驚くほどラグジュアリーな空間が連続する。たとえば創業の原点を扱ったコーナーでは、部屋の中央に木製トランク制作のための古い木工工具、周囲には工房の写真、商標のスケッチなどの資料がならび、部屋全体は上質な木のパネルの内装。船の旅のコーナーは船の甲板、自動車の旅のコーナーは木立の中の道、空の旅では雲の上、列車の旅は一等客車のイメージというぐあいだ。全体はルイ・ヴィトンとその製品の歴史がクロノロジカルに構成され、合間合間にコラム的にトランクのヴァリエーション、オートクチュール製品、セレブリティたちの特注品、アーティストとのコラボレーション作品、ガストン-ルイ・ヴィトンのバッグ・コレクションなどが挿入される。展覧会として優れていると感じたのは、自社製品を並べるだけではなく、同時代のファッションやアートを合わせて展示することで、単なるハイブランドの一企業史展ではなく、ラグジュアリーファッション史、上流階級の生活文化史の展覧会としても見ることができる点だ。たとえば自動車の旅のコーナーには20世紀初頭にラルティーグが撮影した自動車ドライバーたちの写真が展示されおり、その手前に革製のゴーグルや自動車用トランク、工具入れなどが並ぶ(ラルティーグの写真をこのように見せることができるのかと感心した)。歴史的なドレスはガリエラ宮パリ市立モード美術館のコレクション。まるで部屋の装飾品のようにさりげなくクールベ《オルナン近くの風景》が壁に掛かっている。ルイ・ヴィトンの製品がどのような人々にどのようなシチュエーションで用いられていたか、当時の人々にとって何が新しかったのかが伝わる展示構成なのだ。逆に言えば、歴史の重みを背景に新しさを演出することこそがハイブランドをハイブランドたらしめていることを痛感させられた展覧会だった。贅を極めたこの展示が入場無料、撮影自由というところも驚き。日本のブランド企業にとっても、この展示とその背後にあるLVMHグループの戦略には学ぶところが多くある。[新川徳彦]

2016/06/14(火)(SYNK)

女子美染織コレクション展Part6×渡辺家コレクション TEXTIL DESIGN ─ 時代をうつす布 ─

会期:2016/06/11~2016/07/24

女子美アートミュージアム[神奈川県]

享和元年(1801年)に創業した浅草「駒形どぜう」本家の長男に嫁いだ渡辺八重子氏(昭和7年生)は、伝統的なお細工物(布製の小物)の創作と伝承に努めるかたわら、多年にわたって着物や古布を蒐集してきた。史料の散逸を防ぎ、教育に活用して欲しいとの願いから、多数の染織コレクションを所蔵している女子美術大学にそのコレクションが一括して寄贈されることになった。本展は2014年に寄贈された約2000点に上るコレクションの中から特に渡辺氏の記憶に残る打掛、振袖、子供の着物に焦点を当てて約60点を選んで紹介する企画。江戸末期から昭和にかけての着物に加え、女子美が所蔵する旧カネボウコレクションの江戸時代前期から後期の小袖が展示されている。
出展作品のなかでもとくに興味惹かれた着物は、大正期から昭和初期にかけてのもの。化学染料の普及で色彩が豊かになり、アール・ヌーヴォーなど西洋の美術・デザインの影響を受けて伝統的な着物の意匠とは異なる多様なモチーフの図案が現れた時代だ。子供の着物には、子犬や玉乗りをするピエロ、飛行船と行進する人形の兵隊を組み合わせたモチーフ(これは「戦争柄」の一種か)など、可愛らしい意匠が見られる。列車と走る犬をモチーフにした面白い柄の浴衣地もある。 孔雀模様はアール・ヌーヴォーの影響か。大人の着物にはバラやユリの花など、明治以降に栽培・鑑賞されるようになった植物がモチーフとして大胆にあしらわれているものも。海軍をイメージする桜錨文様の帯は売上の一部が国のために寄付されるものだったという。まさに布は時代を映し今に伝えるメディアでもあるのだ。
着物の一部は着装姿で展示されている。主にフォルムの歴史的変化に焦点が当てられる西洋ファッションでは着装による展示が一般的であるが、江戸時代以降、長らく小袖を標準型として展開してきた日本の着物は、衣桁に掛けて意匠を大きく見せる展示が一般的。着装にすると帯で締めるために生地が傷むなど、資料保存の点でもあまり望ましくないのだそうだが、今回は寄贈者である渡辺八重子氏の許可を得てこのような展示が実現したとのこと。帯や半襟はなるべく同時代のものを選び、着付のスタイルも時代を合わせているという。筆者は着物の実際についてほとんど知識がないのだが、なるほど、着装で展示することで、じっさいの意匠の見えかたが分かるばかりでなく、裾裏に施された文様の見せかたなど、着物を着る人々の細部へのこだわりをも見せることができることを、この展示で知った。[新川徳彦]


左:渡辺家コレクション展示風景 右:女子美染織コレクション展示風景

2016/06/13(月)(SYNK)

ポール・スミス展 HELLO, MY NAME IS PAUL SMITH

会期:2016/06/04~2016/07/18

京都国立近代美術館[京都府]

英国のファッションデザイナー、ポール・スミス(1946~)。彼が率いるブランド、ポール・スミスは1970年にロンドン、ノッティンガムの裏通りに構えた小さな店にはじまり今や世界約70ヶ国で展開している。本展は、その軌跡を振り返り、ポール・スミスの創造性や世界観に迫る展覧会。2013年にロンドンのデザインミュージアム開催された「HELLO, MY NAME IS PAUL SMITH」展が、ベルギー、スコットランドを経て日本に上陸したもので、国内では京都国立近代美術館の後、上野の森美術館、松坂屋美術館を巡回する予定である。かつて1998年から1999年にかけて国内3カ所を巡ったポール・スミスの展覧会、「トゥルーブリット」展もまた、1995年にデザインミュージアムで開催された「Paul Smith True Brit」展の巡回展であった。ポール・スミスの自宅や仕事場から会場に持ち込まれた、彼にインスピレーションを与える写真、絵画、イラスト、玩具、小物や雑貨類をはじめ、最初のショップやアトリエの実物大再現、カラフルなストライプにペイントされたローバー社の《ミニ》(日本で初公開となるニュー・ストライプ版)など、いくつかの展示内容は本展にも再登場している。
ファッション・ブランド、ポール・スミスは日本国内でも変わらぬ人気を維持している。ポール・スミスが日本に進出した1984年、日本のファッション界はいわゆるDCブームに沸いていた。以来、当時は脚光を浴びたブランドが次々と失墜していくなかで、ポール・スミスはクラシックでありながら古びることなく、どこかひねりの利いた、洒落感漂うブランドとして第一線を走ってきた。本展では、その秘訣がデザイナーの感性にあることをあらためて認識させられた。感性と言ってしまえばあまりにも当然のことのようだが、彼の場合は常に自身のインスピレーションを刺激するものを探し、収集し、反応し続け、しかも楽しみながら好奇心を失うことなくその行為を継続しているようにみえる。いつまでも若々しい感性とそれを表現するのに相応しいスタイル、 その両方を備えているのである。もともと自転車競技の選手志望だったポール・スミスは、服飾やデザインの教育を受けないままファッションの世界に飛び込み、最初のコレクションのデザインは後に妻となるポーリーンが手掛け、その後も服づくりについてはポーリーンが支えてきたという。夫婦両輪で走る、その体制が軽快で柔軟な姿勢の基盤となっているようにに思われる。
展覧会は全展示撮影可。インスタグラムやツイッター用の撮影コーナーまで設けられているというオープンマインドぶりもポール・スミスらしい。[平光睦子]

2016/06/12(日)(SYNK)

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“19世紀洋装店” Sincerely10周年展

会期:2016/06/07~2016/06/12

同時代ギャラリー[京都府]

最初に断っておくが、本展は美術展ではない。19世紀英国の女性服を再現し、21世紀の街着として再構築したファッションブランド「Sincerely」の10周年を記念した展示・販売会である。会場には19世紀を舞台とする映画やテレビ番組で目にしたことがあるような服がズラリと並んでおり、最初はコスプレイベントと勘違いしたほどだ。しかも「1810年代」「1820年代」と10年刻みで当時の流行を忠実に再現しており、服飾史家も脱帽のディープな研究ぶりが伝わってくる。さらに驚くべきは、これらの衣服には現代人が日常生活で使えるよう、細かなアレンジが施されているのだ。例えば、当時は他人の手助けなしに着られなかった服を1人でも着られるようにする、自宅で洗濯できるようにする、というように。いやもう、本当にすごい。ただただ唖然として、会場内をグルグル回る筆者であった。

2016/06/10(金)(小吹隆文)