artscapeレビュー
デザインに関するレビュー/プレビュー
雑貨展
会期:2016/02/26~2016/06/05
21_21 DESIGN SIGHT[東京都]
「雑貨」とはなんだろう。展覧会序文は「その定義は曖昧にして捉えどころがありません」という文章で始まる。しかし、曖昧であってもなにかを定義しなければ展覧会にはならないだろう。「今あえてゆるやかに定義するならば、『雑貨』とは『私たちの日常の生活空間に寄り添い、ささやかな彩りを与えてくれるデザイン』といえるでしょう」と序文はつづく。ゆるやかすぎて、わかるようなわからないような定義だ。実際の展示物を見てみるとどうか。まさしく雑貨である。ガラスのコップだったり、金属のカトラリーだったり、籐の籠だったり、プラスチックの腰掛けだったり、一つひとつのものにはそれぞれの名称があり、ジャンルがある。しかし、それらの集合体は雑貨としか言いようがない。これらの中から食事に必要な道具だけを集めればそれは食器だし、薬罐や鍋、ザルを集めれば金物だ。ペンやノート、消しゴムを集めれば文房具というジャンルだ。しかしそれらがシャッフルされると「雑貨」としか呼びようのない不思議な集合体になる。
一つひとつのものを取り出すと、それは雑貨ではない。コップはコップ、スプーンはスプーンである。雑貨が雑貨であるのは用途を持った多様なジャンルの品が集まっているからだ。そうした集合が見られる場は主にそれらを売る店──すなわち雑貨店である。それでは雑貨店とはどのような店なのか。山方石之助編『秋田案内』(明治35年)は、雑貨店(小間物商)の扱うものとして「紙、煙草、文房具、袋物、金銀細工、洋傘、革包類、毛布、膝掛、石鹸、歯磨、香水、其他の男女装飾品、茶、時計、家什、帽子、靴、洋酒類、絵草紙、おもちや類」と多種多様な商品を挙げている 。しかし、ただなんでもあればいいというものではない。清水正巳『洋品雜貨店繁昌策』(大正11年)は雑貨店を「ハイカラなよろづやだ」とする 。雑貨店にはただ多様な品があるだけではなく、テーマがあるのだ。そこが「よろづや」との違いだ。明治大正期の雑貨店のテーマは「ハイカラ」であり、そこはモノを売るだけではなく、人々にライフスタイルを売る場でもあった。
展示に戻ろう。銀座の店から集めた石鹸や化粧水瓶など洋風なものもあるが、ここに集められた「雑貨」は必ずしも「ハイカラ」ではない。アルマイトの薬罐も、竹で編まれたザルもハイカラとはいえない。ハイカラは明治の終わりから昭和の初めにかけての「雑貨店」のテーマであり、この展覧会には異なるテーマで「雑貨」が集められている。ではそのテーマがなにかといえば、解説には謳われていないが、おそらく「アノニマス・デザイン」だ。本展のディレクター深澤直人は日本民藝館の5代目館長。アノニマスな工芸の美を見出した柳宗悦と、アノニマスな工業製品の美を讃えた柳宗理の系譜に深澤が連なると考えれば、ここに集められた「雑貨」を貫くテーマに「用の美」と「アノニマスなデザイン」があると考えてもおかしくない。ここに集められたモノには「用」がある。ここに集められたモノの大部分は「用」に従ってデザインされている。しかし誰がデザインしたものなのかはわからない。わかったとしてもそれは問題ではない。それぞれのモノには「用」があるけれども、もともとのつくり手の意図とは異なる文脈で評価され、使われることもある。民藝もアノニマス・デザインも、そして雑貨も、重要なのは見出すという行為だ。「雑貨店」はテーマを持って「見出し」「集め」たものを通じてライフスタイルを「売る」店。「雑貨展」は「見出し」「集め」たものを通じて、人々にライフスタイルを「見せる」展覧会。モノを媒介として提案されるライフスタイルへの共感や、モノをトリガーとして呼び起こされる私たちの記憶が、雑貨の魅力を形づくっている。[新川徳彦]
2016/04/28(金)(SYNK)
WITHOUT THOUGHT Vol.15 駅 STATION
会期:2016/04/27~2016/05/15
東京ミッドタウン・デザインハブ[東京都]
「Without Thought」とは「思わず」の意。プロダクト・デザイナー深澤直人が主宰するデザイン・ワークショップの15回目は、駅とその周辺で人々が無意識のうちに行なうさまざまな行動、視野、願望が、モノやヴィジュアル、スマホアプリのかたちで具現化される(とはいえ、すべて架空のプロトタイプだ)。例えば東京メトロの路線を表わす色の輪がカラフルなアイシングでコートしたドーナツに見立てられている。食べ物関係では、駅スタンド蕎麦のカップ麺、一見金属製のレールに見える羊羹、電車の車両かプラットホームのように細長いざるそばの器などに、ニヤリとさせられる。爪先が黄色く塗られた子供用のズックはプラットホームの黄色い線とぴたっと揃う。揃った瞬間はきっと気持ちがよい。ということはこのズックを履いた子供は意図せず黄色い線の内側に立つことになる。線路の向こう側に掲げられたゴルフ場の広告写真からは、電車を待つ間に傘でスウィングする(迷惑な)おじさんの姿が(そこにはいないけれども)見えてくる。縦半分サイズの細長い新聞は10年前であれば本当にあって欲しいと思ったかもしれないが、満員電車のサラリーマンのほとんどがスマホとにらめっこしている現在では紙メディアが生き残るための提案とみるべきか、それともスマホが発明されなかった平行世界の新聞なのか。ほかに、歩きスマホの転落防止アプリ(画面に黄色い線が表示される)や、いまどこの駅にいるのかがわかるアプリ(フェイスブックのタイムラインや視聴している動画のあいだに駅名標が表示される)など、実用的な提案のなかに見せ方が優れているものがある。実はチラシにも使われている手拭いの意匠が意図するところがすぐには分からなかったのだが、それと気がついたときに「思わず」膝を叩いてしまった。[新川徳彦]
2016/04/28(金)(SYNK)
近代大阪職人図鑑 ものづくりのものがたり
会期:2016/04/29~2016/06/20
大阪歴史博物館[大阪府]
さまざまな色を発する金属の組み合わせと彫金技術で、花や虫を生き生きと表現した村上盛之、一般的に金属でつくられる自在置物(関節が自在に動く動物や昆虫などの置物)を木でつくった穐山竹林斎、刀工の月山貞一、漆芸の三好木屑(弥次兵衛)、木彫の山本杏園など、明治維新後の大阪で活躍した職人(アルチザン)たちを、約170件の作品で紹介した展覧会。彼らは優れた技量を持つ職人だったが、活動拠点が東京や京都ではなかったために資料が少なく、埋もれた存在になっていた。そんな“栄光なき天才たち”に再評価の機会を与えたのが本展である。大阪歴史博物館が開館して15年、前身の大阪市立博物館から数えると55年、学芸員たちが地道に積み上げてきた研究成果が花開いた瞬間であり、10年後、20年後も伝説の展覧会として語り継がれるのではなかろうか。素晴らしいものを見せてもらった。
2016/04/28(木)(小吹隆文)
竹中工務店400年の夢 ──時をきざむ建築の文化史──
会期:2016/04/23~2016/06/19
世田谷美術館[東京都]
世田谷美術館の「企業と美術」シリーズ。これまでに資生堂、 島屋、東宝スタジオが取り上げられ、4回目となる今回の主題は総合建設会社の竹中工務店だ。近代建設業としての竹中の創立は14代竹中藤右衛門が神戸に進出した1899年(明治32年)だが、神社仏閣の造営を業として初代竹中藤兵衛正高が名古屋で創業した1610年(慶長15年)が「400年の夢」の所以だ。
これまでのシリーズ同様に単なる企業史展ではない。総合建設会社を扱っているが建築展でもない。企業活動とその結果生み出されてきたものを、文化の文脈において見てみようという試みだ。展示は以下の8つのテーマで構成されている。「はじまりのかたち」は、竹中の大工棟梁時代の作品や大工道具などの資料を展示する。歴史を扱っているようにも見えるが、技術やものづくり精神の継承が主題。「出会いのかたち」は劇場やホテル、商業施設など、非日常空間の建築。「はたらくかたち」は、ホワイトカラーのための空間、すなわちオフィスビル。「夢を追うかたち」では、南極観測用施設や東京タワー、東京ドームなど、技術的挑戦となった建築物が紹介される。「暮らしのかたち」は、個人の生活と関わる住宅と病院。「感性を育むかたち」は、学校建築、美術館、博物館。「時を紡ぐかたち」では、古い建築物の修復や復元の仕事を中心に取り上げている。最後は「これからのかたち」。風に揺らぐオーガンジーのカーテンが掛けられた空間には、人の動きに反応するインタラクティブな映像と音と香りを発生させる装置が仕掛けられている。
展示物はそれぞれのジャンルを代表する建築の図面や写真、模型のほか、竣工式の招待状や商業施設の定期刊行物、あるいは南極観察用施設の鉄扉(実物!)、東京ドームの屋根シート、東京タワーに使われたリベットや入場券など、ふつうの美術展・建築展ではあまり見かけないようなディティールに及ぶ。メインとなる展示室の壁面には18メートルに及ぶ長大な年表があり、その下のケースには各時代の代表的な建築物の竣工記念絵葉書やパンフレットが並ぶ。「これらを並べていくことによって、印刷技術、色彩感覚、タイポグラフィなどが物語るデザイン感覚のグラデーションが浮き上がってくるのではないかと期待している」とのこと(橋本善八「『竹中工務店400年の夢』展覧会ノート」本展図録、247~8頁)。
さらに展示では竹中が手がけた建築と関わる絵画や写真が紹介されている。たとえば佐伯祐三《肥後橋風景》(1926-27)には《大阪朝日新聞社》(1926)の社屋が描かれ、小出楢重《街景》(1925)、石井柏亭《中之島》(1928)は、《堂島ビルヂング》(1923)上層階からの眺望。アドバルーンが上がる東京・数寄屋橋の風景を俯瞰する鈴木信太郎《東京の空》(1931)は《東京朝日新聞社》(1927)の4階応接室から描かれたものだそうだ。1935年(昭和10年)までに竹中が手がけたオフィスビルには、都市のシンボルとなるものが多かったという。そしてそのころに画家たちは新しい都市のダイナミズムの象徴としてこれらの建築を描き、あるいはビルから見える都市の姿を描いたということになろうか。
今回の展覧会では世田谷美術館のいつもの企画展示と入口と出口の位置が逆になっている。入口正面には海藻を練り込んだ土壁が設置され、ほのかに海の香りが漂う。出口には長い木の渡り廊下がしつらえてあり、ここでは木の香りに包まれる演出だ。[新川徳彦]
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2016/04/22(金)(SYNK)
「文字の博覧会 ─旅して集めた“みんぱく”中西コレクション─」展
会期:2016/03/04~2016/05/17
LIXILギャラリー大阪[大阪府]
あまりにも身近な存在ゆえに普段それほど意識することのない「文字」。本展は、国立民族学博物館の「中西亮コレクション」約80点を通して、世界の文字文化の多様性と魅力に迫るもの。「中東・欧州文字文化(ヘブライ・アラビア・ギリシャ・ラテン文字等)」、「インド・東南アジア文字文化(デーヴァナーガリー・タミル・バタク文字等)」、「東アジアの漢字文化(西夏・チベット文字等含む)」の三つの文化圏を核として展示がされている。文字が記される媒体もそれぞれで、紙・皮・植物・布・粘土等の多様な素材である。各地の文字を見るとき、その造形性と面白さを愛でるだけでなく、筆記者としての人々の身体的な運動性や、その根底にある風土・宗教・宇宙観等の諸文化へ思いを馳せることになる。何よりデジタル・フォントに慣れた現代の私たちにとって、本来の文字と文字の連なりに潜む、柔らかな響きあい、筆の動きと滲み、文字の連鎖、リズム性といったものが、よりリアルに迫ってくる。記された文字のエネルギーを目の当たりにして、近現代の活字による表現の可能性についても考えさせられる展覧会。[竹内有子]
2016/04/19(火)(SYNK)