artscapeレビュー
映像に関するレビュー/プレビュー
大道寺超実験倶楽部『Quando d'estate mi dimentico dell'inverno/夏には冬のことをすっかり忘れてしまう』
会期:2022/04/09~2022/04/10
SCOOL[東京都]
大道寺梨乃による日記映画の第二弾『Quando d'estate mi dimentico dell'inverno/夏には冬のことをすっかり忘れてしまう』(作・撮影・出演・編集:大道寺梨乃)が三鷹のSCOOLで上映された。快快の創立メンバーとして国内外でのほぼすべての作品に俳優として出演してきた大道寺は2014年からソロでのパフォーマンス活動を開始。2015年に北イタリアのチェゼーナに移住して以降は日本とイタリアを拠点に活動しており、本作が映し出すのも大道寺と夫のエウジェニオ(エウジー)、4歳の娘の朝と猫のポンズが過ごすコロナ禍のチェゼーナでの日々だ。
大道寺のソロパフォーマンスはもともと、私小説ならぬ私演劇的な色合いが強い。『ソーシャルストリップ』(2014初演)にせよ『これはすごいすごい秋』(2016)にせよ、大道寺自身の体験をベースにした語りの親密さと、そうして提示されるいくつものイメージが結びつくことでふいに生まれる魔法のような瞬間が魅力の作品だった。大道寺自身も「記憶を整理し並べていくことで」できていく『ソーシャルストリップ』を目で見ることのできないネックレスに喩えている。だから、日記映画という手法は、メディアこそ違えど、大道寺のソロパフォーマンスの延長線上にあるものとしてしっくりくるものだ。映画は大道寺の私的な時間を映し出し、並べられたイメージは互いに結びつくことで新たなイメージを生み出していく。
だが、2020年の3月にイタリアではじまったquarantena=隔離期間=ロックダウンからの1年を映した前作『La mia quarantena/わたしの隔離期間』を観た私がまず感じたのは息苦しさだった。大道寺は『わたしの隔離期間』の上映に際し、日記映画のスタートに「パフォーマンス作品を主に作っている自分がこの状況下でできる創作活動とはなんだろう?」「毎日少しずつ、娘と過ごしたり生活費のための仕事をしたりする合間に、生活の中で『こうありたい自分』も『こうなってしまう自分』も分け隔てなく受け入れることができるような、そんな創作活動とは?」という問いがあったことを記している。私が感じた息苦しさはもちろんコロナ禍に由来するものでもあるのだが、それと同じくらい、大道寺自身の感じていた閉塞感を反映したものでもあっただろう。母語である日本語を使う機会のほとんどない、日本の友人や観客からも遠く離れたイタリアで、夫や娘と過ごし、ラーメン屋で働く。『わたしの隔離期間』はまず第一に(たくさんのチャーミングな瞬間がありつつも)、そんな「パートタイムアーティスト」としての大道寺が、それでも何とか創作に取り組むことで自身の輪郭を保とうとする奮闘の記録としてあったように思う。
一方、続く1年に撮影された映像を中心とした素材で構成された新作『夏には冬のことをすっかり忘れてしまう』は引き続き奮闘の記録としてありつつも、前作にはなかった世界の広がり、あるいはその予感を映し出していた。新型コロナウイルスをめぐる状況の変化や大道寺の映像スキルの向上など、いくつか理由はあるのだろう。いずれにせよたしかなのは、大道寺が撮り続けた日々そのものがその先の日々(それはつまり未来ということだ)を呼び込んだということだ。
映画の冒頭。コート姿で砂浜に立つ大道寺が腕を振るとカットが切り替わり、そこに映し出されているのは(おそらく)夏の海で遊ぶエウジーと朝の姿だ。マスク姿でドライブスルーのPCR検査を受ける大道寺とエウジーは楽しげなノーマスクのサングラス姿へ。ダウンジャケットで雪玉を持って駆けてきた朝はノースリーブの後ろ姿へ。タイトルをなぞるように繰り返される冬から夏へのジャンプ。忘れてしまった(ように思われる)過去の時間は、しかしたしかに現在につながっている。映画の最後には「約10年にわたって録音した」音に映像をつけた『火星にもっていく(ための地球の音のプレイリスト)』という作品も置かれている。現在はそうして未来へと送り出される。
もちろん、大道寺の孤独は今作でもそこここに顔を出している。だが、そもそも大道寺のソロパフォーマンスに私が親密さを感じたのも、彼女が自身の孤独をさらけ出していたからだった。孤独を受け入れ、孤独のままでいることでようやく可能になるつながりもあるのだ。
エンドクレジットの背後には、工場の敷地らしき広い場所で歌い踊る大道寺の姿が映し出されている。カメラから遠く、顔が判別できないほどに離れた彼女はぽつんと独りきりで、しかし活き活きとして見えた。切断された時空間を別のかたちに並べ変え、新たな宇宙を生み出すこと。『夏には冬のことをすっかり忘れてしまう』のなかに、人が映画と呼ぶその魔法はたしかにあった。
本作は6月にチェゼーナ、9月に香港での上映が予定されている。
『Quando d'estate mi dimentico dell'inverno/夏には冬のことをすっかり忘れてしまう』:https://estateinverno2022.tumblr.com/
『La mia quarantena/わたしの隔離期間』:https://lamiaquarantena202.wixsite.com/diaryfilm/
2022/04/09(土)(山﨑健太)
Tokyo Contemporary Art Award 2020-2022 受賞記念展:藤井光
会期:2022/03/19~2022/06/19
東京都現代美術館[東京都]
東京都とトーキョーアーツアンドスペース(TOKAS)が、中堅アーティストを対象に複数年にわたる支援を行なう「Tokyo Contemporary Art Award(TCAA)」。第2回の受賞者、藤井光と山城知佳子の受賞記念展が開催された。個展形式の展示だが、アジア太平洋戦争期に日本軍の委嘱で戦地に派遣された約100名の画家によって描かれ、敗戦後にアメリカ占領軍に接収された戦争画(作戦記録画)の扱いをめぐり、占領軍が残した資料を検証した藤井の新作と、出身地・沖縄の基地問題や沖縄戦の記憶の継承について作品化してきた山城とは、「戦後処理」の問題や日米の権力構造という点で呼応する。本評では、「展覧会の入れ子構造」をとおして、「戦争画153点が一堂に会した展覧会」の「再現(過去)/失敗(現在)/まだ見ぬ実現可能性(未来)」の重なり合いを提示して秀逸だった藤井の新作に焦点を当ててレビューする。
展示会場に入ると、「The Japanese War Art Exhibition(日本の戦争美術展)」と壁に書かれた展覧会タイトルが目に入る。会期は昭和21年8月21日~9月2日、会場は東京都美術館。日英併記だが、日本語→英語の順ではなく、英語の方が先に書かれていることに注意しよう。「入場 占領軍関係者に限る」と明記されるように、これは、アメリカ合衆国太平洋陸軍が主催し、軍関係者に向けて戦争画を公開した展覧会の「再現」なのである。
ここで衝撃的なのは、輸送コンテナのパネルや梱包材が貼られた木製パネルが巨大なサイズで壁に掛けられ、その下に「サイパン島同胞臣節を全うす 藤田嗣治 1945年」「北九州上空野辺軍曹機の体当たりB29二機を撃墜す 中村研一 1945年」といった「キャプション」が記されていることだ。ではなぜ藤井は、輸送や梱包用の素材を用いて戦争画を原寸大で「再現」しつつ、「見えない絵画」として提示したのか。
奥の通路に進むと、モノクロの不鮮明な映像を、ずらりと並ぶモニターが映し出す。細部はぼやけて曖昧だが、銃を構えた兵士、戦闘機、会談する軍人たちのイメージだとわかるものもある。時折挿入される、マイクロフィルムを読み取る顕微鏡や、英語でタイプ打ちされた作品情報のカットから、これらが、「占領軍が撮影した戦争画の写真」をマイクロフィルム化した資料を閲覧するという、二重、三重の手続きを経たものであることがわかる。焦点の合わない「不鮮明さ」とイメージからの「何重もの隔たり」は、戦争の記憶に接近することの困難さや距離感をリテラルに指し示す。
加えて、戦争画の処遇をめぐり、当時の軍関係者たちの会話や証言を再現した音声が流れる。陸軍省の指令でアメリカ本国に送り、アメリカ人従軍画家の絵画とともにメトロポリタン美術館で展示する予定で収集を進めており、傷んだ作品は画家たちが修復中であること。だが、マッカーサーへの伝達ミスで混乱が生じ、誰がどう判断を下すのか保留中であること。美術的・歴史的価値を認め、文化財として保護すべきなのか? プロパガンダとして廃棄すべきなのか? 戦利品とみなし、ほかの連合国と分配すべきなのか? 軍関係者の証言はこう結ぶ:「ともあれ、戦争を賛美する作品は日本人の目から遠ざけておくべきである。すべての作品が集まったとき、然るべき人物が作品を吟味し、取るべき行動を決定するはずだ」と。だが、軍関係者に限定公開された展覧会でも結論は出ないまま、153点の戦争画は東京都美術館の展示室に残され、5年間放置された。その後1951年にアメリカへ輸送され、「無期限貸与」という名目で日本に返還されたのは1970年。現在は東京国立近代美術館が管理している。
ここで、アメリカ国立公文書館所蔵の占領軍の資料を元に「不可視の絵画群」として戦争画を提示した本作の構造は、藤井が「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」展で発表した《爆撃の記録》を想起させる。《爆撃の記録》は、東京大空襲の記憶の継承を目的とする「東京都平和祈念館」の計画が凍結され、証言映像や遺品などの資料が死蔵状態であることに焦点を当てた「メタミュージアム」である。「キセイノセイキ」展への資料の貸出が断られ、あるべき資料が不在の「空っぽのガラスケースや台座」を提示することで、現在の抑圧と同時に、記憶の継承の困難さと来るべき実現に向けた想起(の困難さ)が重ね合わされる。この《爆撃の記録》を補助線に引くことで、戦争の記憶に対する国家の管理が発動する場である、展覧会やミュージアムという表象の制度に対するメタ批判が浮かび上がってくる。
本作における藤井の企図は、以下のように複数のレベルで読み取ることができる。(1)まず第一義的にそれは、「敗戦直後の東京都美術館に搬入された戦争画」の再現であり、梱包材はアメリカへの輸送計画を示唆する。原寸大での再現は、英雄的モニュメントとしての「巨大さ」を体感させる(その巨大さはまた、単色で塗られたり矩形に分割されたベニヤ板が、カラー・フィールド・ペインティングやミニマリズム絵画を擬態することで、戦後アメリカ美術のマッチョな覇権主義をも示唆する)。(2)同時に、梱包すなわち「イメージを隠す」ことは、敗戦国・被占領国の国民である私たちが入場を禁じられ、それらを見ることを許されていない事態を指し示す。(3)だが、「不可視の状態に置かれた戦争画」は、現在でも続いているのではないか。東京国立近代美術館では、常設展で数点ずつ戦争画を展示してはいるものの、153点すべてのまとまった公開は未だ実現していない。藤井の身振りは、一括公開されない現状への批判でもある。(4)さらに、「梱包状態」とは、「戦争の記憶」を封じこめようとする抑圧や自主規制そのものの可視化でもある。「東京国立近代美術館の収蔵庫」を模したと思われる後半の展示構成は、戦争画を閉じ込める「檻」のように見える。(5)そして、上述の証言の結びを思い起こすならば、私たち観客こそ、「集まったすべての作品を吟味し、判断を下すべき」主体として呼びかけられているのではないか。ここに差し出されているのは、過去の抑圧を、負の歴史に主体的に向き合う契機へと転じていこうとする強い意志である。
2022/04/06(水)(高嶋慈)
生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展
会期:2022/03/19~2022/06/19
東京都現代美術館[東京都]
子どものころ、ご多分にもれず怪獣映画が好きだった。初めて見たのは『モスラ』(1961)。まだ現実と虚構の区別がつかない年ごろだったので、モスラにへし折られたはずの東京タワーが建っているのを見て、「いつ建て直したんだろう」と不思議に思ったのを覚えている。それほどうまくミニチュアがつくられていたということだ。その後『キングコング対ゴジラ』(1962)、『マタンゴ』(1963)(これは怪獣映画とは少し違うが、死ぬほど怖かった)、『モスラ対ゴジラ』(1964)、『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964)など次々に見た。だからテレビで『ウルトラQ』(1966)が始まると狂喜したもんだ(が、4人家族のチャンネル争いは熾烈で、2週に1回しか見せてもらえなかった)。
しかしその後、「ウルトラマン」(1966-)のシリーズになってから次第に興味が失せ、『ウルトラセブン』(1967)のころにはまったく見なくなってしまった。少し大人になったからでもあるが、どうもそれだけではない。実はそのとき、ひとつ気づいたことがある。ぼくは怪獣そのものが好きだったのではなく、またドラマに熱中していたわけでもなく、怪獣が建物を破壊するシーンが見たかったのだと。極端な話、怪獣なんかどうでもいいし、物語なんかあってもなくてもいい。ただ怪獣が街を壊してくれればよかったのだ。だからテレビよりミニチュアがリアルにつくり込まれている映画のほうに惹かれたし、建物のない山野でウルトラマンと怪獣が戦うシーンを見せられた日には心底がっかりしたもんだ。これはおそらく、自分が巨大化して世界をメチャクチャにしてみたいという破壊衝動の擬似体験だったんじゃないかと、あとになって思うようになった(ひょっとしたら小柄なプーチンも同じ願望を抱いているのかもしれない)。
長々と前置きを書いてしまったが、そうした怪獣映画で破壊されるミニチュアセットをつくっていたのが、特撮美術監督の井上泰幸だった。当時、怪獣ファンの子どもたちがそうであったように、ぼくも円谷英二の名前は知っていたけど、井上の名前など知るよしもなかった。だが、少なくともぼくにとって井上は円谷監督よりはるかに重要な存在であったことが、半世紀以上も経たいまになってようやく判明した次第。
展示は、井上が学生時代に描いた絵画や玲子夫人の彫刻などを集めた「特撮美術への道 ─芸術家であり、技術屋 1922-1953 」をプロローグに、『ゴジラ』(1954)に始まる怪獣映画や戦争映画のスケッチ、絵コンテ、記録写真、映像、マケットなど約500点を並べた「円谷英二との仕事 ─特撮の地位を上げるための献身 1953-1965」「特撮美術監督・井上泰幸 ─ミニチュアではなく、本物を作る 1966-1971」「アルファ企画から未来へ ─世の中にないものを作れ 1971-2000」、そして最後に、「空の大怪獣ラドン」で破壊される西鉄福岡駅周辺のミニチュアセットを吹き抜けのアトリウムに再現した「井上作品を体感する ─岩田屋ミニチュアセットと戦艦三笠 3D データ 2021-2022」の5部構成。若き日の宝田明も映像に出てきて感慨深い。
この展覧会、子どものころに見ていたらどれほど感激したかわからないが、ひねくれじいさんのいまとなっては、『連合艦隊司令長官 山本五十六』(1968)や『日本海大海戦』(1969)のスケッチはまるで戦争画を参照したんじゃないかとか、『首都消滅』(1987)の渦巻くような雲のデッサンはレオナルドの洪水の素描を思わせるとか、『竹取物語』(1987)の船と龍のスケッチは《華厳宗祖師絵伝》にそっくりだとか、ひとりツッコミを入れてペダンチックに楽しむしかなかった。
2022/03/18(金)(村田真)
スティーブン・スピルバーグ『ウエスト・サイド・ストーリー』
一度のみならず、劇場で見ておくべき傑作だったので、映画『ウエスト・サイド・ストーリー』の二度目の鑑賞を行なった。そもそも全曲を覚えていたくらいの傑作ミュージカルの映画を、改めてスティーブン・スピルバーグが映画化したわけだが、期待以上の完成度に到達した作品である。当初はなぜ、今さらこの映画なのか、という疑問をもっていたが、トランプ前大統領によって加速した分断の時代だからこそ、いまこのリメイクが意味をもつ。またあらゆることが、VFXによって表現できてしまい、かえって驚きが消えてしまった映画界において、生身の人間の歌と、抜群の切れ味のある踊りによって驚異的な力を発揮している。
実際、本作ではいわゆる有名な俳優はキャスティングされていない。だが、その身体能力の凄さによって、観客を魅せることに成功している。ミュージカルという映画ジャンルは、登場人物が歌いだすと、しばしば物語の進行が止まってしまう。下手をすると、映画としては退屈しかねないのだが、バーンスタインによる原曲の良さ、歌の上手さ、そして都市空間におけるダイナミックな動きがノンストップで続くことによって、むしろ鑑賞者の目と耳を釘付けにさせる。ちなみに、バーンスタインの名曲群は、「トゥナイト(クインテット)」の5重唱や「ア・ボーイ・ライク・ザット/アイ・ハブ・ア・ラヴ」、「アメリカ」など、相反する台詞がぶつかる掛合いの部分が多く、実はけっこうオペラ的であることにも気付かされた。
さて、都市という視点では、鉄球による解体作業中の建設現場と、モダニズム的な再開発を促進したロバート・モーゼスに対する反対運動のプラカードが映っていたように、破壊されていくスラム街とされた地域が舞台だった。そしてオペラ、クラシック音楽、バレエなどのパフォーミング・アーツの拠点となるリンカーン・センターや高層マンションの完成予想図などが示される。すなわち、モーゼス的な都市計画に叛旗をひるがえし、路上の地域コミュニティを重視したジェイン・ジェイコブズの『アメリカ大都市の死と生』(1961)が執筆された時期と重なるだろう(映画の設定は、1957年)。
この映画は臨場感を出すべく、さまざまな場所で野外ロケをしているが、印象的だったのは、マリアとトニーがデートに出かけ、愛を誓うシーンである。これはマンハッタン北端にたつ、ヨーロッパの中世の建築を移築して合体させたクロイスターズ美術館で撮影された。それゆえ、二人の会話の流れだったとはいえ、空間をステンドグラスのある教会に見立てることができたのである。
2022/03/08(火)(五十嵐太郎)
ホームビデオ・プロジェクト「テールズアウト」
会期:2022/02/02~2022/03/21
大阪中之島美術館[大阪府]
建設構想から約40年を経て、2022年2月に開館した大阪中之島美術館。開館プレイベント「みなさんの『ホームビデオ』を募集します!」で家庭に眠るホームビデオを一般市民から募集し、集まった300本超のビデオテープや映像データを用いて、現代美術作家3名が新たな作品を制作した。参加作家は、荒木悠、林勇気、柳瀬安里。展覧会タイトルの「テールズアウト」とはテープの巻き方を指す言葉に由来する。収録済みテープの最終部がテープの巻き終わりになっている状態を「テールアウト」と呼び、その続きから現代作家たちが新たな物語を紡ぎ出すことが企図されている。また、美術館建設構想が始まった1983年は、一般家庭向けのカムコーダ(ビデオカメラ)が登場した年でもあり、以降、小型化と長時間録音が可能となったビデオカメラの普及が進んでいく時代が、開館までの美術館の歩みと重ね合わされている。
主に家庭内で撮影され、子どもの成長や行事を記録し、家庭内でプライベートに鑑賞されるホームビデオ。8ミリビデオからデジタルデータに及ぶ記録媒体の変遷と、社会や家族のあり方の変化。普遍性や交換可能性と、個人性の強い刻印とのせめぎ合い。他人の私的な映像を見る行為の倫理性。記憶や時間についての省察。「ホームビデオ」から派生する問題に対し、荒木、林、柳瀬は三者三様のアプローチを見せた。
荒木悠の《HOME / AWAY》は、空港の出発ロビーをイメージした空間に、天井から3台のモニターが吊られている。モニターには、モノクロ、カラー、鮮明なデジタル映像と異なる時代のホームビデオが流れるが、映された光景は、旅行、動物園、運動会と共通し、「ホームビデオのお約束の主題」を指し示す。同様の試みとして想起されるのが、フィオナ・タンのファウンドフォト・インスタレーション「Vox Populi(人々の声)」だ。展覧会開催地の住民から収集した写真を、構図やポーズ、主題などでグルーピングし、「アマチュア写真の無意識的なコード」のマッピングを提示する。荒木も集合体から類型化を抽出し、3つの異なる時代や記憶媒体を並列化することで、普遍性と差異を浮かび上がらせる。
一方、ホームビデオが撮影・鑑賞される「家庭」という空間や、他人の私的な映像を見る行為の倫理性を問うのが柳瀬安里だ。《ホーム_01》《ホーム_02》では、黒い箱の中にミニチュアの家具を配置した「リビングルーム」が設えられ、被写体の顔にライトを当てて消した映像が投影されている。映像は(遠足や旅行、運動会や発表会、海やプールなど「家庭の外」を除外した)「家庭内の親密な光景」に限定され、画質の荒さから時代感がうかがえる。この「黒い箱」は、かつてホームビデオが鑑賞されたブラウン管モニターを指すと同時に、家庭という閉域の「のぞき箱」でもある。また、被写体の子どもの顔を匿名化する操作は、「それは私自身だったかもしれない」という交換可能性や既視感と同時に、SNS上でシェアされたプライベートな画像・動画を思わせる。時代感のあるホームビデオがSNS上にアップされているかのような奇妙なアナクロニズムは、逆説的に、時代を超えた普遍的な欲望を浮かび上がらせる。
上記の2作品はサイレントだが、「フィクショナルな語り」の上書きによって、記録媒体や時間の複数性、記憶のあり方についての多様なメタファーを示唆するのが、林勇気の《瞬きの間》である。真っ黒な画面中央には、円形の映像が映り、不安定に揺らぐ映像をよく見ると、さまざまなプラスチックのコップに満たされた水を通して映し出されていることがわかる。日常的なプラスチック製コップと、DVDやフィルム、磁気テープなどの記録媒体の原材料が同じ化石燃料であることに着目した仕掛けである。
また、のぞき穴、カメラのレンズ、トンネルの先に見える光景を思わせる「円形の窓」によって、私たちは、かつてレンズ越しに被写体に親密な眼差しを向けた撮影者、窃視者、時空のトンネルを超えた目撃者という複数の多重的な立場に立たされる。そしてコップは、形を持たず、儚くこぼれ落ちてしまう記憶を物質的にとどめたいという欲望や記録媒体の謂いでもある。キャラクターの絵柄付き、取っ手の有無、コップ自体の形の多様性は、それらが使用される家庭の個別性と同時に、記録媒体の多様性のメタファーでもある。
さまざまなホームビデオを断片的に繋ぎ合わせた映像にオーバーラップされるのは、20年前、実家の庭に兄とともに埋めたタイムカプセルを掘り出すため、車で故郷へ帰る男性のモノローグだ。タイムカプセルには、兄が撮ったHi8(ハイエイト)のビデオテープがあると語られる。かつて子ども時代に撮影され、家庭内のどこかに眠るホームビデオはまさに「タイムカプセル」であり、男性の車と平行に走る列車の線路は「異なる複数の時間の流れ」を示唆する。洞窟内で野宿し、焚き火の明かりで洞窟の壁に投影した影絵=映像の原理。回転する車輪=フィルムやビデオテープのリール。焚き火の火が燃え移り、溶けて燃えてしまうプラスチックのコップ=記録媒体の物質的な可燃性や損傷性。「画像や映像にオーバーラップさせたフィクショナルな語りのなかに、記憶や時間についての自己言及的なメタファーを散りばめる」という近年の林の手法が凝縮されていた。
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林勇気「15グラムの記憶」|高嶋慈:artscapeレビュー(2021年10月15日号)
2022/02/27(日)(高嶋慈)