2022年12月01日号
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artscapeレビュー

Tokyo Contemporary Art Award 2020-2022 受賞記念展:藤井光

2022年05月15日号

会期:2022/03/19~2022/06/19

東京都現代美術館[東京都]

東京都とトーキョーアーツアンドスペース(TOKAS)が、中堅アーティストを対象に複数年にわたる支援を行なう「Tokyo Contemporary Art Award(TCAA)」。第2回の受賞者、藤井光と山城知佳子の受賞記念展が開催された。個展形式の展示だが、アジア太平洋戦争期に日本軍の委嘱で戦地に派遣された約100名の画家によって描かれ、敗戦後にアメリカ占領軍に接収された戦争画(作戦記録画)の扱いをめぐり、占領軍が残した資料を検証した藤井の新作と、出身地・沖縄の基地問題や沖縄戦の記憶の継承について作品化してきた山城とは、「戦後処理」の問題や日米の権力構造という点で呼応する。本評では、「展覧会の入れ子構造」をとおして、「戦争画153点が一堂に会した展覧会」の「再現(過去)/失敗(現在)/まだ見ぬ実現可能性(未来)」の重なり合いを提示して秀逸だった藤井の新作に焦点を当ててレビューする。


展示会場に入ると、「The Japanese War Art Exhibition(日本の戦争美術展)」と壁に書かれた展覧会タイトルが目に入る。会期は昭和21年8月21日~9月2日、会場は東京都美術館。日英併記だが、日本語→英語の順ではなく、英語の方が先に書かれていることに注意しよう。「入場 占領軍関係者に限る」と明記されるように、これは、アメリカ合衆国太平洋陸軍が主催し、軍関係者に向けて戦争画を公開した展覧会の「再現」なのである。

ここで衝撃的なのは、輸送コンテナのパネルや梱包材が貼られた木製パネルが巨大なサイズで壁に掛けられ、その下に「サイパン島同胞臣節を全うす 藤田嗣治 1945年」「北九州上空野辺軍曹機の体当たりB29二機を撃墜す 中村研一 1945年」といった「キャプション」が記されていることだ。ではなぜ藤井は、輸送や梱包用の素材を用いて戦争画を原寸大で「再現」しつつ、「見えない絵画」として提示したのか。



藤井光《日本の戦争画》2022「Tokyo Contemporary Art Award 2020-2022 受賞記念展」展示風景、東京都現代美術館、2022 [Photo:髙橋健治 画像提供:トーキョーアーツアンドスペース]


奥の通路に進むと、モノクロの不鮮明な映像を、ずらりと並ぶモニターが映し出す。細部はぼやけて曖昧だが、銃を構えた兵士、戦闘機、会談する軍人たちのイメージだとわかるものもある。時折挿入される、マイクロフィルムを読み取る顕微鏡や、英語でタイプ打ちされた作品情報のカットから、これらが、「占領軍が撮影した戦争画の写真」をマイクロフィルム化した資料を閲覧するという、二重、三重の手続きを経たものであることがわかる。焦点の合わない「不鮮明さ」とイメージからの「何重もの隔たり」は、戦争の記憶に接近することの困難さや距離感をリテラルに指し示す。



藤井光《日本の戦争美術》2022「Tokyo Contemporary Art Award 2020-2022 受賞記念展」展示風景、東京都現代美術館、2022 [Photo:髙橋健治 画像提供:トーキョーアーツアンドスペース]


加えて、戦争画の処遇をめぐり、当時の軍関係者たちの会話や証言を再現した音声が流れる。陸軍省の指令でアメリカ本国に送り、アメリカ人従軍画家の絵画とともにメトロポリタン美術館で展示する予定で収集を進めており、傷んだ作品は画家たちが修復中であること。だが、マッカーサーへの伝達ミスで混乱が生じ、誰がどう判断を下すのか保留中であること。美術的・歴史的価値を認め、文化財として保護すべきなのか? プロパガンダとして廃棄すべきなのか? 戦利品とみなし、ほかの連合国と分配すべきなのか? 軍関係者の証言はこう結ぶ:「ともあれ、戦争を賛美する作品は日本人の目から遠ざけておくべきである。すべての作品が集まったとき、然るべき人物が作品を吟味し、取るべき行動を決定するはずだ」と。だが、軍関係者に限定公開された展覧会でも結論は出ないまま、153点の戦争画は東京都美術館の展示室に残され、5年間放置された。その後1951年にアメリカへ輸送され、「無期限貸与」という名目で日本に返還されたのは1970年。現在は東京国立近代美術館が管理している。

ここで、アメリカ国立公文書館所蔵の占領軍の資料を元に「不可視の絵画群」として戦争画を提示した本作の構造は、藤井が「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」展で発表した《爆撃の記録》を想起させる。《爆撃の記録》は、東京大空襲の記憶の継承を目的とする「東京都平和祈念館」の計画が凍結され、証言映像や遺品などの資料が死蔵状態であることに焦点を当てた「メタミュージアム」である。「キセイノセイキ」展への資料の貸出が断られ、あるべき資料が不在の「空っぽのガラスケースや台座」を提示することで、現在の抑圧と同時に、記憶の継承の困難さと来るべき実現に向けた想起(の困難さ)が重ね合わされる。この《爆撃の記録》を補助線に引くことで、戦争の記憶に対する国家の管理が発動する場である、展覧会やミュージアムという表象の制度に対するメタ批判が浮かび上がってくる。



藤井光《日本の戦争画》2022「Tokyo Contemporary Art Award 2020-2022 受賞記念展」展示風景、東京都現代美術館、2022 [Photo:髙橋健治 画像提供:トーキョーアーツアンドスペース]


本作における藤井の企図は、以下のように複数のレベルで読み取ることができる。(1)まず第一義的にそれは、「敗戦直後の東京都美術館に搬入された戦争画」の再現であり、梱包材はアメリカへの輸送計画を示唆する。原寸大での再現は、英雄的モニュメントとしての「巨大さ」を体感させる(その巨大さはまた、単色で塗られたり矩形に分割されたベニヤ板が、カラー・フィールド・ペインティングやミニマリズム絵画を擬態することで、戦後アメリカ美術のマッチョな覇権主義をも示唆する)。(2)同時に、梱包すなわち「イメージを隠す」ことは、敗戦国・被占領国の国民である私たちが入場を禁じられ、それらを見ることを許されていない事態を指し示す。(3)だが、「不可視の状態に置かれた戦争画」は、現在でも続いているのではないか。東京国立近代美術館では、常設展で数点ずつ戦争画を展示してはいるものの、153点すべてのまとまった公開は未だ実現していない。藤井の身振りは、一括公開されない現状への批判でもある。(4)さらに、「梱包状態」とは、「戦争の記憶」を封じこめようとする抑圧や自主規制そのものの可視化でもある。「東京国立近代美術館の収蔵庫」を模したと思われる後半の展示構成は、戦争画を閉じ込める「檻」のように見える。(5)そして、上述の証言の結びを思い起こすならば、私たち観客こそ、「集まったすべての作品を吟味し、判断を下すべき」主体として呼びかけられているのではないか。ここに差し出されているのは、過去の抑圧を、負の歴史に主体的に向き合う契機へと転じていこうとする強い意志である。


参考文献:針生一郎ほか編著『戦争と美術 1937-1945』(国書刊行会、2007)

2022/04/06(水)(高嶋慈)

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