artscapeレビュー
映像に関するレビュー/プレビュー
THE PLAY since 1967 まだ見ぬ流れの彼方へ
会期:2016/10/22~2017/01/15
国立国際美術館[大阪府]
1967年に結成され、関西を拠点に活動している美術家集団「プレイ(THE PLAY)」。彼らの特徴は、パーマネントな作品をつくることではなく、一時的なプロジェクトの計画、準備、実行、報告を作品とすることだ。例えば《現代美術の流れ》という作品は、発泡スチロールで矢印型のいかだをつくり、京都から大阪まで川を下った。また《雷》では、山頂に丸太で約20メートルの塔を立て、避雷針を設置して、雷が落ちるのを10年間待ち続けた。中心メンバーは池水慶一をはじめとする5人だが、これまでの活動にかかわった人数は100人を超えるという。彼らの作品は形として残らないため、展覧会では、印刷物、記録写真、映像などの資料をプロジェクトごとに紹介する形式がとられた。ただし、《雷》《現代美術の流れ》《IE:THE PLAY HAVE A HOUSE》など一部の作品は復元されていた。資料展示なので地味な展覧会かと思いきや、彼らの独創性や破天荒な活動ぶりがリアルに伝わってきて、めっぽう面白かった。プレイの活動のベースにあるのは「DO IT YOURSELF」の精神と「自由」への憧れではないだろうか。時代背景が異なる今、彼らの真似をしてもしようがないが、その精神のあり方には憧れを禁じ得ない。
2016/10/21(金)(小吹隆文)
《After 10 Years》対談
渋谷イメージフォーラム[東京都]
ホンマタカシによる新作の映像作品《After 10 years》をめぐって対談を行なう。2004年にスマトラ沖地震の津波被害を受けたジェフリー・バワ設計のホテルのちょうど10年後を撮影したものである。印象的なのは、いく度も繰り返されるスタッフによる掃除のシーンだ。掃除とは、すなわち建物の表面を触ることであり、音を通じて、鑑賞者にテクスチャーの感覚も伝わる。この行為はどこか宗教的な儀式にも見えるのだが、津波の日の直前がクリスマスのタイミングと重なっており、ホテルの外国人向けのアトラクションとして西洋のキリスト教の演出が混入する。なお、スタッフが被災時のエピソードを語る表情は意外なくらいに明るく、自分たちは仏教徒だからというセリフが出てくることも興味深い。
2016/10/21(金)(五十嵐太郎)
フィオナ・タン「アセント」
会期:2016/07/18~2016/10/18
IZU PHOTO MUSEUM[静岡県]
フィオナ・タンは、民族誌学のモノクロフィルムを用いた初期作品、日本の女学生の集合写真を用いた《取り替え子》(2006)など、ファウンド・フッテージやファウンド・フォトを積極的に援用してきた。とりわけ本展「アセント」に関連する試みとして、《Vox Populi(人々の声)》(2004-12)がある。《Vox Populi》は、一般家庭のアルバムに収められたスナップ写真を集め、撮影のシチュエーションの類似性や、ポーズや構図の類型化などによってグルーピングして展示した作品。元の文脈から引き剥がされ、新たな文脈に再配置された膨大な写真群からは、人々の集合的記憶や欲望が浮かび上がる。そこにはまた、見知らぬ他人のプライベートを覗き見しているという快感に、言いようのない不安が忍び寄る。それは、かけがえのない記憶の交換不可能な個別性・唯一性と、集団的に共有された類型化の均質性・等価性がせめぎ合うからだ。私たちは、写真を通してかけがえのない瞬間を記録しているのか? それともイメージの受容が先にあり、先行して存在する写真を通して「ふさわしい」ポーズや構図を学習し、記号化された類型を再生産する儀式的行為によって、それをより強固にしているだけなのか? 家族スナップや集合写真は、個別性をむしろ集合的な均質性へと馴らしていく装置なのか? さらに、入学式や卒業式、さまざまな機会に撮られる集合写真を通してポーズや並び方が身体化されることで、何らかの社会的集団への帰属が強化されていく。
本展で発表された新作《Ascent(アセント)》は、一般公募による富士山を被写体とした約4000枚の写真とIZU PHOTO MUSEUMのコレクションを元に制作されており、写真をモンタージュした映像作品と、151枚の写真のインスタレーションとの2部構成をとる。映像作品《Ascent》は、「富士山」をめぐるイメージの形成史や文化史の考察であると同時に、イメージの受容や写真/映像の差異など、イメージそれ自体についてのメタ的な考察でもある。さらに、膨大な写真群に重ねられるヴォイスオーバーは、作中でも引用される『ヒロシマ・モナムール(二十四時間の情事)』を踏襲した男女の架空の対話であり、山についての映画史も言及されるなど、極めて多層的な構成となっている。
《Ascent》では、「雲海と富士山」「花と富士山」「車窓からの富士山」「富士山と子ども」「富士山を撮影する人」「富士山と水面」など類型ごとのカラーのスナップ写真の群れと、さまざまな時代の冨士山についての語りやイメージが交互に展開する。開国後に外国人向けのエキゾチックな土産物として生産された横浜写真、竹取物語で語られる「不死の山」、江戸期に広まった「富士講」や信仰の場としての富士山、戦前期のプロパガンダへの利用、戦後期GHQによる富士山の映った映画の検閲……。時間は線的に流れず、ぐにゃぐにゃと曲がりくねって錯綜する。さらに、男の語る言葉は「遅れて届いた」手紙の文面であること、男は2011年に死亡していることが明かされ、現在と過去の時間軸もまた錯綜する。富士山への揺るぎない信仰は、写真に写されたもの=真実と見なす姿勢へとパラフレーズされるが、イメージや語りの時制が溶かし合わされることで、富士山という象徴性と物質の両面において堅固な存在は、泥のように柔らかく溶解していく。タンは、作中で「氷」に例えられる写真によって固定化・凍結するのではなく、写真をモンタージュすることで、光と影に揺らめく「炎」、さらには揮発性で熱をもつ「蒸気」に例えられる映像の溶解的な質へと変貌させていく。
私たちが見ているのは、集合的に作り上げられた「富士山」という幻影に過ぎないのかもしれない。既成のイメージを裏切りたいならば、自らの肉体を駆使して登るしかない。だが、実際に登山した経験を語る男は、山頂で「何もない」ことに気づき、絶望する。女神の御座所として女性性を付与される富士山に対し、山の征服に駆られる男性登山者たちの物語(とその失敗)が語られる。それでも「見続ける」しかないのであれば、眼差すべきはイメージそのものを超えて、その背後にある可視化への欲望の力学である。
2016/10/17(高嶋慈)
BODY/PLAY/POLITICS
会期:2016/10/01~2016/12/14
横浜美術館[神奈川県]
「BODY/PLAY/POLITICS」という簡潔にして示唆的なタイトルに惹かれて展覧会へ。出品作家は6名。ロンドン生まれでナイジェリアに育ち、植民地支配をめぐるヨーロッパとアフリカの複雑な関係やアイデンティティの多層性を「アフリカ更紗」を用いて表現するインカ・ショニバレ MBE、マレーシア出身の女性作家イー・イラン、映画監督としても知られるタイのアピチャッポン・ウィーラセタクン、現代ベトナムの都市をダイナミックに映し出すウダム・チャン・グエン。日本からは、ダイアン・アーバスや鬼海弘雄の系譜に連なる、特異な風貌の人物のポートレートを撮る石川竜一と、映像、インスタレーション、パフォーマンスなどにより、ナラティブの生成と解体を同時に試みるような作風の田村友一郎が参加している。それぞれの文化的背景や制作の文脈は一見バラバラで、展覧会としてはやや拡散して見えるが、インカ・ショニバレ MBE、イー・イラン、田村友一郎の3者の作品にフォーカスを当てることで、一つの焦点が浮かび上がってくる。それは、ジェンダー、とりわけ「衣服」「身体」といった装置を通して演じる(「PLAY」)ことで、ある社会的集団や、宗主国/植民地、占領国/被占領国といった集団(「BODY」)間で形成されるアイデンティティと、そこに内包されたジェンダー関係という政治性(「POLITICS」)である。
インカ・ショニバレ MBEの映像作品《さようなら、過ぎ去った日々よ》では、黒人の女性歌手が、ヴェルディ作曲のオペラ『椿姫』のヒロインである娼婦ヴィオレッタに扮してアリアを歌いながら、主が不在の館を彷徨う。彼女がまとうドレスの鮮やかなアフリカ更紗は、1960年代のアフリカ独立の際にアイデンティティの象徴として用いられたが、実際にはインドネシア由来の模様で、ヨーロッパで大量生産され、アフリカに輸入されたという複雑な性格を持つ。また映像には、フランスに勝利した大英帝国が覇権を強めるきっかけになったトラファルガー海戦で命を落とし、英雄となったネルソン提督の死にまつわる絵画が引用される。複数の女性と愛人関係を持っていたと言われるネルソン。ここで、黒人女性が演じる悲痛に暮れたヒロインは、西洋宗主国(=男性支配者)に経済的に依存し、性的にも搾取される「アフリカ」の擬人化と見なせるだろう。
一方、イー・イランの映像作品では、長い黒髪を垂らして顔を隠した7人の女性たちが、初体験、パートナーとの関係、結婚観、子どもを産むことは義務か個人の選択なのかについて、赤裸々に会話する。ここで、彼女たちの顔を覆い隠す黒髪は、プライベートであけっぴろげな発言を許容するモザイクのような機能を果たし、かつ女性性を強調するとともに、作家の出身国マレーシアの国教がイスラム教であり、人口の半数以上を占めるマレー系を中心に信仰されていることを考えるならば、「ベール」を暗示するとも読める。「男性の視線から髪を隠す」ためのベールそれ自体を「髪」で代替するという皮肉な転倒を戦略的に用いることで、彼女たちは、(タブー視されている)自らの「性」についての主体的な語りを取り戻すことができるのだ。
また、田村友一郎の映像インスタレーション《裏切りの海》は、「ボディビルディング」を軸に、複数の時空間や史実/フィクションの境界が曖昧に混ざり合う空間を形作っている。占領下の横浜を闊歩した米兵の肉体に魅せられ、日本におけるボディビルディングの第一人者となった人物の回想、彼から肉体改造の訓練を受けた三島由紀夫の小説、2009年に横浜の海中で見つかったバラバラ殺人事件、1972年にイタリアの海中で発見された古代ギリシアの戦士像。これらについての架空の会話が流れる会場には、男たちの社交場としてのビリヤード台が置かれ、映像内では黒ビキニ姿のマッチョな男たちがビリヤードに興じている。展示台に置かれた、作りかけのようなトルソや手足の断片化された彫像は、理想的な肉体美への憧れとその無残な解体を同時に示す。ここで、ミルク=精液の摂取によって強い肉体を手に入れることは、身体の鍛錬を通した西洋的な規範への服従とその内面化であり、その男性性の獲得への強烈な渇望は、「強いアメリカ」に組み敷かれた敗戦国としてのコンプレックスの裏返しをさらけ出す。
このように3者の作品に焦点を絞ることで浮かび上がるのは、他者の視線を内在化してしまうことでアイデンティティが演じられるという表象の力学の政治性とともに、そこからの逸脱や解体の企てである。
2016/10/17(高嶋慈)
『nước biển/ sea water』特別展示上映 ダンスボックス アーカイブプロジェクト
会期:2016/10/12~2016/10/29
アートエリアB1[大阪府]
1996年に発足し、関西ダンスシーンの中核を担ってきたNPO法人DANCE BOXは、20周年記念として、過去20年間の上演作品の映像の整備を進めており、2017年2月に大阪のアートエリアB1にて、時代ごとにセレクトした映像を公開する予定だ。このアーカイブ・プロジェクトのオープンを記念して、『nước
biển / sea water』の展示上映が行なわれた。
本作では、劇団「維新派」主宰の松本雄吉によるテクストの朗読、ジュン・グエン=ハツシバによる、シクロ(ベトナムの人力車)を海中で漕ぐ少年たちの映像作品、ダンサーの垣尾優によるソロパフォーマンスが舞台上で交錯する。筆者は、2014年の神戸での初演を実見した。上演は、3人が近くの長田港で海水を汲み、劇場まで運ぶ様子の映像中継から始まる。松本が朗読する声は、人間の身体の約60%が水分であること、血液と海水の成分の類似性、人間の体内にも「海」が存在すること、母親の骨を海に流したこと、バケツの中の海水が生物のように揺れて光っていること、そして海水は蒸発して雲に/雨に/川になり、再び海へ戻っていくことを語る。また、ハツシバは、仏教の輪廻の思想が自分をアーティストに導いたこと、来世の生まれ変わりは互いの人生を交換して生きることを亡くなった父と約束したことを語る。「海水=命の循環」というテーマは、観客にも身体的に共有される。劇場に運びこまれた海水を、円形に配置された20個ほどの金だらいに移し替えて舞台上を一周させた後、めいめいがお椀やボール、バケツ、ポリタンクに分け合い、最後にはその海水を海まで歩いて返しに行くのだ。真冬の寒空の下、水を抱えて新長田という場所を歩くこと、しかも家庭内にある容器やポリタンクであることは、阪神大震災の経験をトレースしている感覚を強く感じさせた。
一方、本展示上映のキーとなったのが、「舞台芸術とアーカイブ」の問題である。生身の身体で上演される舞台芸術は、その一回性ゆえに複製が可能なのか、二次元の記録媒体である写真や映像で三次元の空間や身体感覚がどこまで記録可能なのか、(観客の反応も含めて)そぎ落とされるものこそがむしろ本質的な要素ではないのか。こうした問いに加えて、とりわけ本作の場合、「運ばれてきた海水を容器に注ぎ、分かち合う」「港まで皆で返しに行く」という観客参加的な側面が強いため、海水の重さ、歩きながら交わした会話、真冬の寒さ、澄んだ夜空、海の潮の匂いといった身体的な経験の質を(再)共有することは難しい。
記録映像による舞台芸術作品の「完全な再現」は不可能だからこそ、何をその作品のエッセンスとして抽出して見せるのか、例えば効果的なカット割りやカメラワークを駆使した「映像バージョン」として再構築するのか、舞台図面や舞踊譜、構想ノート、衣装や美術といった資料的価値の高いものを展示するのか、当時の批評なども提示して外部からの複数の視線も織り交ぜるのか、といった多様な取捨選択や戦略が問われることになる。
その点で、本展示上映は、記録映像の抜粋も見せつつ、「展示バージョン」と言うべき、インスタレーション的な性格が強いものだった。会場入り口には、港から劇場まで海水を運ぶ道中の映像が流れ、半円形を描いて吊られた松本のテクストを読みながら歩を進めると、足元に置かれた金だらいがS字カーブを描いて誘導するように奥の暗がりへ続く。奥では、上演の記録映像に加えて、派生的につくられたハツシバの映像作品が流れている。また、ハンガーに掛けられた松本の衣装は、身体の「不在」を強調し、今年6月に逝去した松本の死を悼む装置としても機能する。とりわけ興味深かったのが、記録映像と対面するかたちで、3者による打ち合わせの音声記録が聞けたことだ。当初は「劇場内に水路をつくって水を流す」という案が、「人が人力で移すことで水を動かし、循環させていく」アイデアへと変わったことがわかる。過去の上演の記録映像を、その作品のコアが立ち上がる瞬間のやり取りを聞きながら見ること。上演の時に聞いた同じ声を、今は亡きものとして経験すること。舞台芸術のアーカイブの多様なあり方のひとつとして、「手触りのあるアーカイブ」という切り口を実感した機会になった。
2016/10/12(高嶋慈)