artscapeレビュー

映像に関するレビュー/プレビュー

何者

映画『何者』は、就活を題材としながら、140字の世界観に縛られたTwitter人間の主人公を軸に、SNS、ネット時代における仲間の微細な関係性を描く。『桐島、部活やめるってよ』の原作でもある朝井リョウならではの世界である。就活とは、可能性にあふれた何者でもない学生から、道を決める/決めさせられる社会人への日本的で集団的な通過儀礼だが、当事者なのか、大人なのか、世代によって映画の見え方はだいぶ違うだろう。

2016/12/01(木)(五十嵐太郎)

ミュージアム

タイトルに興味をもって見た映画『ミュージアム』は、確かに最後まで飽きずに見ることができる小栗旬の熱演だし、『セブン』的な展開だったが、一番のラストは観客を驚かせるための小細工に思え、物語の一貫性や、作品が獲得しうる可能性としては疑問だった。ただし、原作は少し違うらしい。またアーティストを気どった殺人者によるアート殺人が売りなのにもかかわらず、美術の設定がさほど洗練されていない。狂気を描いた今年の映画としては、同じく漫画を原作にしたものだが、『ヒメアノ~ル』の方が強烈だった。

2016/12/01(木)(五十嵐太郎)

THE PLAY since 1967 まだ見ぬ流れの彼方へ

会期:2016/10/22~2016/01/15

国立国際美術館[大阪府]

金曜の夜は20時までやっているので最後に見に行く。エスカレーターで地下の展示室に降りると、入口に丸太を一辺20メートルの三角錐に組み上げた《雷》の一部が再現されている。1977年から10年間、毎年京都の鷲峰山・大峰山の山頂に設置し、雷が落ちるのを待つという「作品」だ。再現とはいえ実物を見るのは初めてだが、写真で見るよりはるかにデカイ。壁や天井に遮られた室内だからよけい大きく感じるのだろう。後に、ニューメキシコの平原に400本もの金属棒を立てて落雷を待つという、ウォルター・デ・マリアの《ライトニング・フィールド》を知ることになるが、どちらも同じ77年に始めたというのは偶然の一致か。いずれにせよ、これだけ見るとアースワークの集団かと勘違いされそうだが、むしろ毎年これを組み立てるという「行為」を重視していたようだ。例えば発泡スチロールで巨大な矢印型の筏をつくって川下りする《現代美術の流れ》にしろ、12匹の羊を連れて京都から神戸まで歩く《SHEEP:羊飼い》にしろ、自然を相手にはしているけれど、そこでモノとしての作品を残すのではなく、無意味な行為(ハプニングと呼んでいた)に賭けようとしているのがわかる。展示は、プロジェクトごとにベニヤ板のパネルを立て、その上に写真や資料やポスターなどを並べ、記録映像を流す方式。きっちりと区画・整理するのではなく、ざっくりとした見せ方がプレイらしい。

2016/11/25(金)(村田真)

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KYOTO EXPERIMENT 2016 AUTUMN マーティン・クリード

会期:2016/10/22~2016/11/27

京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA[京都府]

マーティン・クリードといえば、国際展では思わず笑ってしまうような作品を見かけるが、日本ではほとんど見る機会のないアーティスト(広島現美で個展が開かれたことがあるが)。それが京都芸大のギャラリーでやるのは、今秋の京都国際舞台芸術祭にダンスパフォーマンスを発表した縁だ。今回の作品は小泉明郎と同じく映像2本。1本は、60年代的な時代がかったポップ音楽と、白髪まじりのモジャモジャ頭のおっさんが登場する映像のコンビネーションで、なんじゃこりゃ。もう1本は、通りをいろんな人が歩いて行くのを追うだけの映像だが、ちょっと脚を引きずってる人から、かなり脚を引きずってる人、最後は脚で歩けず手と尻だけで進む人という具合に、どんどん重症化していく。小泉の映像とは逆に、一見シリアスなのに笑ってしまいそうになる。ブラックジョークの得意なイギリスっぽい。

2016/11/25(金)(村田真)

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小泉明郎 CONFESSIONS

会期:2016/10/28~2016/11/27

京都芸術センター[京都府]

関西へ日帰りの旅。まず、関東でも見られるけど見逃している小泉明郎の個展へ。作品は2つあって、ひとつは、繁華街の若者やホームレスの姿が断続的に流れる映像に、「あなたの心のいちばん奥底にある言葉を聞かせてください」というインタビューの音声を被せた《最後の詩》。インタビュアーは「自分の好きなところは?」「日本をどう思いますか?」といった無難な問いから、次第に「レイプしたいか?」「殺したい人はいるか?」とエスカレートしていき、「もっとあるでしょ、もっと!」「ふざけんなといえよ! 腹立ってんだろ?」と挑発していく。もうひとつは、杉本博司の「海景」シリーズみたいな水平線が映る映像に、「子どもが上を見上げた瞬間に私は子どもを突き落としました。ところが頭から落ちれば即死するのに尻から落ちた」と朗読の声が被さるのだが、途中で「んあ!? ああ!?」と引っかかり、先へ進めなくなってしまう。映像も半分は焔に包まれた男の肖像に変化していく。どちらの作品も見ていてもどかしくなり、つらくもなるが、それは予定調和や同調圧力に対する抵抗の表現であるからだろう。

2016/11/25(金)(村田真)

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