artscapeレビュー
パフォーマンスに関するレビュー/プレビュー
DOOODLIN’
会期:2015/04/03~2015/04/12
Zeppブルーシアター六本木[東京都]
Zeppブルーシアター六本木で、WRECKING CREW ORCHESTRAの「DOOODLIN'」を見る。特にプロジェクションと光のダンスのシンクロが、どれくらいのものなのか、確認するのが目的だった。必殺技はショーの最初と最後のみに使われるが、効果は絶大で、人が瞬間移動するように見えたり、パラパラ漫画のように見えたり、さすがに見せ場である。
2015/04/04(土)(五十嵐太郎)
山下残『大行進、大行進』

会期:2015/04/03~2015/04/05
アトリエ劇研[京都府]
2010年初演の山下残の作品『大行進』を、山下自身と司辻有香(辻企画)との2バージョンとして連続上演する試み。舞台上を本物の線路が横切り、美術家カミイケタクヤによる粗大ゴミ捨て場か災害現場のような不穏な空間が広がる。
散乱したガラクタを一つ一つ拾い上げ、「熊」「リス」、「鳥がさえずる」といった単語や短文を発語するも、「なかなかダンスが生まれませんね~」とつぶやく弛緩した時間。空間内を探検し、手触りを確かめながら、モノや身体の動きを名指そうとする行為が反復され、速度を増し、ズレを生み出すうちに、言葉から乖離していく身体の動きが暴走的な様相を呈し始める。「右手、左手」「あれ、左手?右手?どっちだっけ」「小さく回して、大きく回して、ふくらんで」「小さく回して、大きく回して、ふくらんで、ドドドドライブ?」「ドドドラ、僕ドラえもん」。反復は一つの強度をもたらす一方で、意味を宙吊りにして解体し、言葉と身振りの乖離を増幅させていく。残骸のように漂う身振りと言葉のズレ、その破綻がダンスを瞬間的に駆動させる呼び水となる。
断片的な言葉を羅列しながら、フラフラとあてどなく歩き回る、ユルく脱力した時間と、発語した言葉と身体の動きのズレが増幅し、回路が暴走し、運動の密度を増していく時間が、交互に訪れる。弛緩と瞬間的な爆発。その中に、ゆらゆらと揺らめかせた手のひらの動きを「チョウチョ」と呼ぶ美しい一瞬も、梯子に上って高所に吊られた電球を「月」と呼ぶ自由な見立て遊びの時間も、「大洪水、大行進、大震災、大火災」というフレーズを繰り返し叫びながら両足を踏み鳴らし続ける狂気じみた時間もある。ここは自由な遊び場でありつつ、「大洪水、大行進~」のリフレインや「空から爆弾」といった強いイメージ喚起力を持つ言葉によって、大破壊が起こった後の廃墟へと変貌される。
このように本作は、作品内における反復・リフレインが特徴的だが、今回の上演においては、上演の構造それ自体がもう一つの反復性をはらんでいた。タイトルにある「、」の意味するところである。出演者の異なる2バージョンをなぜ連続上演したのか。名目上は「舞台技術スタッフの育成を目的としたワークショップ公演」を掲げているが、空間構成の違いと出演者の身体的差異(男性/女性、年齢、ダンサー/演出家・俳優、など)を伴って、2回繰り返して上演された『大行進、大行進』は、図らずも、舞台芸術作品の上演=反復なのか?という原理的な問いを提出していた。
2015/04/04(土)(高嶋慈)
プレビュー:マームとジプシー『ヒダリメノヒダ』

会期:2015/04/03~2015/04/12
神奈川芸術劇場KAAT 大スタジオ[神奈川県]
先月、先々月の公演ラッシュから考えるとずいぶん「凪」な状態で、推薦したくなる公演はさほど多くないのですが、見逃せないのはこの1本。2月に『カタチノチガウ』で新作上演を行なった藤田貴大(マームとジプシー)が早くも新作を発表します。本作『ヒダリメノヒダ』は、藤田自身が幼少期に陥った視力の極端な低下がテーマになっている作品とのこと。物語性の高い藤田の戯曲で実体験が参照されているのは、珍しいのでは。実体験に基づいた考察が、どこまでそこに反映されることになるのかに期待したくなります。また「マームとジプシーとして、かなり挑戦的な作品になることでしょう」とも、フライヤーには書かれています。マームとジプシーのテイストは、もうかなりの程度、世に浸透していきています。その文学的な感触を味わいたくて足を運ぶファンも多いことでしょう。「挑戦的」とは、そのファンも裏切るようななにか突拍子もないことであるのか、否か。そのあたりに、興味があります。
2015/04/01(水)(木村覚)
Site Specific Dance Performance #4

会期:2015/03/29
2009年から過去3回にわたり、神戸ビエンナーレ関連企画として兵庫県立美術館の屋外大階段で開催されてきた本企画。場所の特性を生かすサイト・スペシフィックな試みとして、ダンス作品の上演を行なってきた。今回は、元・具体美術協会の向井修二による記号アートで埋め尽くされた屋外円形劇場と、館内ホールにて計5作品が上演された。
屋外円形劇場という場所性がうまく作品の魅力を引き出していたのが、サイトウマコトと関典子のデュオ作品『鞄女』。円形舞台の背後は壁がなく、外に開かれているため、観客は、舞台上のダンサーとともに、背後の遊歩道やその先に広がる海を視野に入れながら鑑賞することになる。歩道から、大きな鞄を抱えた男(サイトウマコト)が現われる。鞄は生き物のように動き出し、中から腕が現われて雄弁に語り出し、やがて女(関典子)の全身が鞄の中から出現する。どこか無関心そうで寂しげな男を誘惑し、突き放し、翻弄する妖艶な女でありつつ、かと思うと初めて世界に触れるような瑞々しい仕草で駆け回る少女にも変貌する。関の優れた表現力と身体的技術が発揮され、外の歩道と半ば地続きの屋外という状況も相まって、日常の光景がふとした瞬間に官能的な夢幻の世界にすり替わったような印象を与えた。
また、館内ホールでの上演で興味深かったのが、冨士山アネットの『Attack On Dance/Short Ver.』。バレエ、モダンダンス、ジャズダンス、コンテンポラリーダンス、ヒップホップなど異なるダンス経験を持つ若いダンサー10名に対して、ダンスに関するさまざまな質問を投げかけていく、レクチャー形式のダンス作品である。ダンスを始めた年齢、経験したダンスの種類、出演した作品数、師匠の数など、答えの数値順に一列に並ぶ(並ばせられる)ダンサーたち。また、「観客がいなくてもダンスは成立すると思うか」「ダンスに師匠は必要か」「社会的な問題を扱った作品は苦手か」といった質問が投げかけられる場面では、舞台を二分するYes/Noのどちらかを選択しながら、ダンサーたちが双方を行き来する。質問とそれへの反応は面白く見つつも、多様な価値観や身体経験を数値化・二極化しようとするような還元的な暴力性も同時に感じてしまった。ラストでは、ノリノリの音楽がかかるなか、全員一斉にそれぞれが自分のソロ作品を踊るのだが、「独自性や個性を尊重しています」という言い訳にも見えてしまう。むしろ見せられていたのは、用意された質問という枠組みのなかで動かされ、右往左往するダンサーたち=振付された身体ではなかったか。
2015/03/29(日)(高嶋慈)
漂泊
会期:2015/03/20~2015/03/30
吉祥寺シアター[東京都]
吉祥寺シアターで『漂泊』を観劇する。幸せな家庭が揺らぐアガサ・クリスティの原作だが、蓬莱竜太が、日本の家を舞台に笑いの要素を加えており、その脚本が面白い。さらに、市毛良枝、小林勝也らのベテラン俳優陣が盛り上げる。そして豪雨の日の最後に訪れるクライマックスの演出には驚かされた。窓学的には、舞台美術としてつくられた住宅の内部において、窓まわりの半円アーチが母のお城としての家を象徴しているのも興味深い。
2015/03/27(金)(五十嵐太郎)


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