artscapeレビュー

パフォーマンスに関するレビュー/プレビュー

グスコーブドリの伝記

会期:2015/01/17~2015/02/01

静岡芸術劇場[静岡県]

SPACにて、宮城聡演出/山崎ナオコーラ脚本「グスコーブドリの伝記」を観劇する。宮沢賢治の童話世界を、パタパタと回転しながら、場面ごとに様々にシフトを変えるフレームの内部で展開する。特殊なのは、主人公をのぞく全員を人形(+黒子ならぬ、白子)で表現し、基本的にすべての登場人物が真正面を向く特殊な方法で表現していること。が、このルールを唯一破る演出になるだけに、ラストの火山のシーンが印象深い。

2015/01/17(土)(五十嵐太郎)

マームとジプシー『カタチノチガウ』

会期:2015/01/15~2015/01/18

VACANT[東京都]

三人の役者(青柳いづみ、吉田聡子、川崎ゆり子)は三姉妹。長女は母親を猛烈に憎んでいる。というのも、三人は父親が全員違う。その違いがタイトルの「カタチノチガウ」(併記された英語はMalformed)の意味を一部担う。三人は高台のお屋敷に暮らす。屋敷はとてもリッチで、ファンタジックな雰囲気。しかし、長女はある日家を出て行く。その理由は、ことの断片をパッチワークのようにして進む藤田貴大らしい語りから憶測するに、三女の父が長女と近親相姦していた事実にある。次女は長女を思い出したくて三女の父と性交する。三女はそれを許せず、父を殺し、父殺しの罪を償いに行く。取り残された次女が1人暮らす、次第に世界は戦争状態になる。その最中、長女は子どもの手を引いて帰ってくる。その子どもは「カタチノチガウ」子どもだという。次女に子どもを託すと長女は飛び降り自殺を計る。ざっと要約するとこのような物語。出口のない家族の悲劇。藤田はファンタジックな空間に絶望的な人間関係を据え置いたわけだけれど、そしてその出口のなさが藤田らしい情感を引き出しもしたのだけれど、しかし、出口のなさが情感の喚起のために活用されている気がして、やりきれなさというかあるいは演劇表現の限界を感じた。彼女たちには友人や幼稚園・小学校の先生はいなかったのだろうか。隣人たちは彼女たちをどう見ていたのだろう。ここには社会がない。「ない」かのように描かれている。しかし、どうなのだろう。事実ないのならばそのなさ加減に視線が向かってもいいはずだ。外(社会)へとまなざしが向かわないことで、内側(家族)の気圧が高まる。けれども、そこで情感に浸っている場合なのだろうか。心に残る情感を観客に与えることが演劇表現なのだとしたら、情感に浸るのと引き換えに、観客は社会への視線を失うことにならないか。藤田の台詞は、個人の心の苦しみを吐露する言葉が多い。人前では「言えないでいた言葉」が吐き出されると、観客は「言えないでいた自分」に気づいて感動するのかもしれない。青春の演劇だ。けれども、あえていえば、ぼくたちは人前ではそんなふうにしゃべらない。そのことにこの作品は目を瞑っている。「カタチノチガウ」こともそうだ。これが親の違うことあるいは身体的障害をさすのだとして、そのことにナルシスティックに絶望していたい気分に当事者は陥ることもあろう。けれども、生活はもっと過酷だ。社会へとまた他者へと開かれずに生きてはいけない。ラストの長女の飛び降りシーンが、外へと開かれない気持ちの終わり(青春の終わり)であるのならば、少し救われるのだが。物語にフォーカスすれば以上なのだが、音楽と演劇が絡まりあう、ラップとロックの中間のような台詞のしゃべり方というか唄い方は絶妙で、とくにそれが目立つ前半の緻密な演出には演劇の新しい次元を見た気がした。ここは脱帽。センチメンタルなポップ音楽のような演劇。そう考えると、上記したことはさらっと流せてしまいそうでもある。

2015/01/17(土)(木村覚)

プレビュー:神村恵『わける手順 わすれる技術 ver. 2.0』

会期:2015/01/18

SNAC[東京都]

神村恵は間違いなく尊重されるべき日本の振付家の1人だ。それは、彼女の考えていることには、ともかく耳を傾けるべきだということを意味する。彼女の10年を超えるキャリアは、必ずしも新しい観客にはフォローが容易ではないかもしれない。そうかと思って私は昨年「ダンスを作るためのプラットフォーム」BONUSにて、動画コンテンツ「神村恵入門」を制作した。ぜひこれを一度見て、彼女のこれまでの軌跡をフォローしておいて欲しい。あらかじめ公開されているこの公演に向けてのテキストに「私たちが観客と共有したいもの」は「隠蔽の反対。幻惑の反対。ウェルメイドの反対。完了形の反対。全体の反対」と記されている。あるいはそのテキストでは「プロセス」という言葉も目立つ。これはきっと観客にとって「挑戦的」な上演になるだろう。そして、簡単に観客が感動することを許さない作品だろう。そこに神村が賭けるのならば、それに応じてみるべきだろう。それはきっとダンスではない。だからこそ、未来にダンスと呼ばれるなにかでありえるのだし、本作はきっとそのなにかの発端とのちに語られる試みとなるだろう。

2015/01/14(水)(木村覚)

奇跡の年 ANNUS MIRABILIS

会期:2015/01/10~2015/01/12

KATT 神奈川芸術劇場[神奈川県]

オノマリコ/扇田拓也の『奇跡の年』を観劇する。全体として独特の世界観があり、未来からの狂言回しを皮切りに、作家と編集者の会話を軸としながら、メタ的な構えで複数の物語が同じ舞台で同時進行する実験的な形式も面白い。だけど、あまりにバラバラに展開する個別のエピソードについていけず、パズルの精緻さが少し足りない気がした。

2015/01/12(月)(五十嵐太郎)

加川広重 巨大絵画が繋ぐ東北と神戸2015

会期:2015/01/10~2015/01/18

デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)[兵庫県]

画家の加川広重が東日本大震災の被災地を描いた巨大絵画を神戸で展示することにより、阪神・淡路大震災を経験した人々が当時を思い出し、同時に今困難な状況にある人たちと思いを共有しようとするプロジェクト。加川のほか、建築家・宮本佳明の《福島第一原発神社》の展示、写真家・山岸剛の個展をはじめとする写真展、コンサート、ダンス、パフォーマンス、トーク、ワークショップ、朗読、映画上映など多彩なイベントが行なわれた。筆者自身、まさかこれほど大規模なイベントだとは知らずに会場に赴き、その充実ぶりに驚かされた。会場のデザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)は、デザインを基軸にした市民の交流と実践と情報発信の場として2012年に開設された施設だが、こうしたプロジェクトの現場として機能しているならつくった甲斐があるというものだ。

2015/01/11(日)(小吹隆文)