artscapeレビュー

パフォーマンスに関するレビュー/プレビュー

相対性理論 presents「回折III」

会期:2015/03/22

東京ドームシティホール[東京都]

相対性理論のライブがどんな感じが見たくて行ってみた。音楽としては、ツーマンライブで企画され、先に演奏をしたジェフ・ミルズの方が圧倒的だった。相対性理論だが、本当に一言MCで、アンチ・クライマックスである。照明もやくしまるえつこにスポットという常識的なものでなく、むしろ邪魔するような特殊な演出だった。

2015/03/22(日)(五十嵐太郎)

大橋可也&ダンサーズ『クラウデッド』『ヘヴィメタル』

会期:2015/03/20~2015/03/26

清澄白河周辺、江東区文化センター[東京都]

「土地の記憶を吸う吸血鬼」をテーマに、大橋可也&ダンサーズは、2013年から江東区のリサーチを続けている。そのプロジェクト「ザ・ワールド」のシーズン2として上演されたのがこの二作。『クラウデッド』は、SNACを出発点に、2~4時間かけて江東区の点在するエリアを周遊しながら鑑賞する「散歩型」の公演。こうしたスタイルは、演劇の分野ではおなじみになっていて、ぼくならば2010年の飴屋法水の『わたしのすがた』やPort B『完全避難マニュアル 東京版』などを思い出す★1。あるいは、越後妻有や瀬戸内などの地域型国際トリエンナーレも「散歩型」の鑑賞スタイルの代表例だろう。ダンス分野では、かつて「横浜ダンス界隈」という企画もあった。今作に限らず、こうした鑑賞の面白いところは、点在する鑑賞エリアに導かれて進むうちに(渡されたマップには「舞踏譜」の文字が。移動経路も振り付けの一部ということか)、作品鑑賞よりも町並みに目を奪われ、思わぬ発見や、予期せぬ出来事に遭遇するという点にある。今回であれば、コーヒーショップのサードウェーブが江東区でこんなにも華々しい展開になっているのかと驚かされたり、昔ながらのスナックでのパフォーマンスでは、はじめて入る空間に新鮮な気持ちになったりした。よそ見の効用というか、芸術云々より、街(あるいは自然)の持つ力を発見するところに魅力がある、しかし、そのぶん、よっぽどのことをしないと芸術は街や自然に敗北してしまう。町に住む吸血鬼=ダンサーという設定は、舞踏にひとつのルーツをもつ大橋のダンス性とマッチしていて、喫茶店やスナックなどでのダンサーの振る舞いは、街が宿す不可視の部分を一瞬感じさせてくれる。けれども、今作の特徴だと思われる、親愛の情を湛えた男女の関係性は、呈示されると事柄がわかりやすくなるぶん、めくれた不可視の部分への驚きを薄くしてしまう。吸血鬼というフィクションと江東区という土地を結びつける仕掛けが見えにくかったのだ。「劇場型」の上演『ヘヴィメタル』は、その傾向がより一層濃厚で、舞台上のダンサーたちはどこかに迷い込み、生息しているのかもしれないが、そこがどこだか判然とせず、観客は置いてけぼりをくってしまう。音響に圧倒され、映像にも引きつけられる要素があった一方で、ダンスには総花的な印象をもってしまった。大橋は「ザ・ワールド」を継続させるという。とくにダンス分野による「散歩型」の上演には、期待も高まるに違いない。だからこそ、欲が出るのだが、大橋にはダンスでしかできない「散歩型」の上演とはどんなのか、ぜひ考えてみてもらいたい。それはおそらく、肉体と土地との驚くべき具体的な接点を探すことだろうし、思案すべきはその接点にひと匙のファンタジーを用意することだろう。

★1──飴屋法水『わたしのすがた』(artscapeレビュー、2010年12月01日号)
URL=http://artscape.jp/report/review/1225400_1735.html


「ザ・ワールド シーズン2」トレーラー

2015/03/21(土)、2015/03/26(木)(木村覚)

TOKYOHEAD~トウキョウヘッド~

会期:2015/03/18~2015/03/23

東京グローブ座[東京都]

グローブ座で、『TOKYOHEAD~トウキョウヘッド~』を観劇する。モーションキャプチャー技術を応用し、俳優の動きがその場でCG化される、リアルタイムCG再生システムを見たかったからだ。確かに、このテクノロジーは、ゲームのバーチャファイターを素材にした演劇に向くが、肝心の技を使う部分はわずかで、むしろそれ以外が面白い。例えば、『TOKYOHEAD』の俳優たちがバーチャファイターで対戦する場面は、あらかじめ録画した戦いの映像を大きなスクリーンに映すものだと思いきや、ガチで舞台のうえでやっていた。またドキュメントをもとにしているだけに、ノンフィクションの度合いが想像以上に多いことも、現実と仮想の境界を揺るがす。

2015/03/20(金)(五十嵐太郎)

木ノ下歌舞伎『黒塚』

会期:2015/03/11~2015/03/22

駒場アゴラ劇場[東京都]

木ノ下裕一=監修・補綴、杉原邦生=演出・美術。初代市川猿翁が昭和14年に書いた戯曲を、現代的な手法で演出したというのが今回の『黒塚』。老婆を演じる武谷公雄がともかく力みなぎる名演技を見せた。東北の人里離れた土地に舞い降りた僧侶の一団が、老婆に一夜の宿泊を乞う。老婆はあの部屋だけは見るなと言い残して、薪を取りに出て行くと、僧侶たちは我慢できずに、部屋を覗いてしまう。部屋は死体の山、老婆は狂った鬼のごとき女だった。武谷演じる老女は、僧侶たち(現代の若者ファッションを身に纏っている)が現代語を話すのとは異なり、古語を唄うように話す。僧侶たちと老婆との対話は、だから異国の言語を交わしあうようになるのだが、その古語と現代語のぶつかり合いがなかなか面白い。現代劇と時代劇が共存しているタイムトリップ感に酔う。話が進むにつれて思うのは、『黒塚』という戯曲の持つ力で、古典的な手法で書かれており、古代ギリシア悲劇に似て、絶望的な状況に老婆を追い込むことで、人間の普遍的な苦悩を引き出している。老婆はかつて城に住む姫の乳母だった。ささいなことで姫の体が不自由になると濡れ衣を着せられ、占い師に問えば、生きた胎児の肝を煎じて飲めばなおると言われる。ある日、老婆にチャンスが到来する。身重の女が宿を乞いに来た。女を殺めた後、その女が自分の娘であることに気づく。こうした鬼女と化した女の精神的苦悩が、舞となって表われる。この苦悩を舞台に表わした武谷の演技は、驚くべき力強さを湛えていた。これが、歌舞伎の役者によるものだったら、もう少し収まりのよい演技になっていたかもしれない。歌舞伎など古典芸能に肉薄しつつ、それに収まらない武谷の演技は、表現は悪いが着ぐるみを纏うようなコスプレ的要素がなくはない。けれども、それだからこそ、「成りきる」エネルギーに圧倒されることとなったし、古典との距離が遠い、今日の観客にとって、リアリティある演技に映るものだった。

2015/03/19(木)(木村覚)

創生劇場 Ophelia Glass 暗黒ハムレット

会期:2015/03/07

先斗町歌舞練場[京都府]

シェイクスピアの『ハムレット』を原作に、山本萌(金沢舞踏館主宰)が演出し、小林昌廣(IAMAS教授)が脚色を担当した舞台公演。日本舞踊、能、浪曲、新内、華道、コンテンポラリーダンスが共演し、現代と古典がクロスオーバーする摩訶不思議な舞台が実現した。会場の先斗町歌舞練場も演目にマッチしていたと思う。作品の内容は、原作を相当読み込んでいないと追いつけないほどアレンジされていたが、西洋の物語を通して日本の伝統芸能に触れる経験は非常に新鮮だった。特に浪曲の春野恵子と新内の新内枝幸太夫は素晴らしく、今後も機会があればぜひ拝聴したい。

2015/03/07(土)(小吹隆文)