artscapeレビュー
田沼武能「東京わが残像 1948-1964」
2019年04月01日号
会期:2019/02/09~2019/04/14
世田谷美術館[東京都]
展覧会の会期中に90歳になるという田沼武能は、現役最長老の写真家のひとり。今回の世田谷美術館での回顧展には、彼が写真家として出発した1940年代から60年代にかけて東京を撮影した写真180点を出品している。ほかに、柳田國男から福田繁雄まで、世田谷在住の文化人24人を撮影したポートレートも特別展示されていた。
1949年から木村伊兵衛の助手を務めた田沼の基本的なスタイルは、師匠譲りの、被写体を取り巻く空気感を丸ごと写し込むスナップショットである。それらを見ながら、あらためて写真の細部を「読む」ことの面白さを感じた。例えば、展覧会のポスターやチラシにも使われた《路地裏の縁台将棋》(1958)には、将棋に夢中になっている男の子たちとそれを見守る女の子をはじめとして、じつに多くの人、モノが写り込んでいる。花火を楽しむ浴衣姿の子供たちもいるし、その奥には戸口に入ろうとする女性の姿も見える。洗濯物、流しと洗面器、桶、三輪車などのモノたちもそれぞれ自己主張している。さらに濡れた地面の湿り気の感触が、いかにも下町の路地裏らしい雰囲気を醸し出す。それらすべてが一体化して、1950年代の東京の「残像」がまざまざとよみがえってくるのだ。
このような「読む」ことのできるスナップショットは、当時のフォト・ジャーナリズムの要請によって成立したものであり、その後、より個人的、主観的な解釈が強まるにつれて、あまり撮影されなくなっていく。だが、60年の時の隔たりを通過すると、それらがじつに味わい深い「微妙な含みをもつ暮らしの匂い」(酒井忠康)を発しはじめていることがわかる。ひるがえって、2010年代の現在の東京もまた、田沼や木村伊兵衛のように撮っておくべきではないだろうか。写真は画像に写し込まれた匂いや手触りや空気感を介して、過去と現在と未来とをつなぐ役目を果たすことができるからだ。
2019/03/08(金)(飯沢耕太郎)