artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

芸術写真の時代─塩谷定好展

会期:2016/08/20~2016/10/23

三鷹市美術ギャラリー[東京都]

塩谷定好(1899~1988)は鳥取県東伯郡赤碕町(現琴浦町)出身の写真家。大正~昭和初期の「芸術写真」の黄金時代における中心的な担い手の一人であり、同じく鳥取県出身の植田正治が「神様」として敬愛していたという。1970~80年代にイタリア、ドイツ、アメリカなどで展覧会が開催され、あらためてその独特の作品世界に注目が集まった。昨年も「─知られざる日本芸術写真のパイオニア─塩谷定好作品展」(FUJIFILM SQUARE 写真歴史博物館)が開催されるなど、このところ再評価の機運が著しい。
本展では鳥取県立博物館所蔵の作品を中心に、100点の作品が展示されたのだが、これまでの展覧会とはやや異なったアプローチを見ることができた。ひとつは出品作に、これまで塩谷の写真のベースと考えられていた、故郷の赤碕の風土や暮らしに根ざした人物写真や風景写真だけではなく、ほぼ未発表の実験的な作品が多く含まれていたことである。《静物》(1928)はモノクロームのプリントに手彩色したカラー作品であり、《海》(1937)や《お堂》(1942)のような、ほとんど何が写っているのか判然としない、曖昧模糊としたピンぼけの写真もある。斬新な画面構成の《骸骨と鶴嘴》(1935)は、あたかもメキシコあたりの写真家の作品のようだ。もうひとつは、第二次世界大戦後の作品にもきちんと目配りがされていることである。《暮色群雀》(1957)や《砂丘》(1966)のようなスケールの大きな風景写真を見ると、塩谷の創作意欲がまったく衰えていなかったことがわかる。彼の「芸術写真」の時期を特徴づけていた、極端なソフトフォーカス描写や、墨や絵具での「描き起こし(雑巾がけ)」のような絵画的な技法は影を潜め、ストレートなプリントが試みられている。だが、被写体に向き合う姿勢には一貫したものがあったということだろう。
塩谷の仕事の写真史的な位置づけはまだ確定したわけではない。そのクオリティの高い作品世界には、さらなる未知の可能性が潜んでいそうだ。

2016/10/06(木)(飯沢耕太郎)

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GOCHO SHIGEO 牛腸茂雄という写真家がいた。1946-1983

会期:2016/10/01~2016/12/28

FUJIFILM SQUARE 写真歴史博物館[東京都]

牛腸茂雄は不思議な写真家で、没後30年以上経ても、彼への関心が薄れるどころか、さらなる展示や出版の企画が続いている。今回の、FUJIFILM SQUARE 写真歴史博物館での展示は、いわば彼の作品世界のダイジェスト版と言うべきものだが、それでも牛腸の写真には見る者の目をとらえて離さない、強力な磁力のようなものが備わっているように感じた。
展示の全体は3部に分かれ、第1部の〈こども〉には初期のスナップ写真が5点、第2部の〈SELF AND OTHERS〉には代表作というべき同名の写真集から27点、そして第3部の〈幼年の「時間(とき)」〉には、彼の最後のシリーズとなった子供たちの写真5点が出品されていた。全37点という数は、あまり多いとはいえない。だが、緊張感を感じさせる写真群を見続けていると、これくらいがちょうどいいという気もしてくる。
牛腸は被写体をあたかも標的のように、画面の真ん中に寄せて撮ることが多い。それゆえ彼の写真を見るときには、写っているモデルたちと真正面から顔を見合わせて対峙することになる。それはあまり普段は経験することのない、特殊な状況と言える。そして、モデルがたとえ幼い子供たちであっても、そこには一個の人間としての揺るぎない存在感がある。牛腸自身もまた、それらの顔と向き合いつつ、「自己とは?」、「他者とは?」、そして「人間とは?」と、自問自答を繰り返していたはずだ。そんな問いかけに答えなければならない地点へ、否応なしにわれわれを追い込んでいく力が、彼の写真には確かに備わっているのではないだろうか。

2016/10/05(水)(飯沢耕太郎)

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永瀬沙世「CUT-OUT」

会期:2016/09/23~2016/10/08

GALLERY 360°[東京都]

一時期コラージュ作品の制作に凝っていたことがあるので、「CUT-OUT」(切り抜き、切り絵)の愉しさは僕もよく知っている。鋏で紙を切り抜くのは、筆で描くように自由にはいかないし、つい切り過ぎたり、細かい部分が抜け落ちてしまったりもする。だが、逆に自分では思ってもみなかった大胆なフォルムがあらわれ出てくることもある。なによりも、紙に鋏で切れ目を入れていくときの独特の触覚的な体験そのものに、不思議な魅力があるのではないかと思う。
永瀬沙世が、そんな「CUT-OUT」の面白さに目覚めたのは、アンリ・マティスの作品を知ったからだという。マティスは78歳になって、絵筆を捨て、「CUT-OUT」の制作に没頭し始めた。「何かから解放された彼のアトリエがあまりにも自由に満ちていてびっくりした」のだという。たしかに、今回東京・表参道のGALLERY 360°で展示された、永瀬の一連の「CUT-OUT」作品には、のびやかな解放感がある。
永瀬はまず紙を網目状に切り抜き、女性モデルがそれらと戯れている様子を撮影した。その画像をアルミ板にインクジェット・プリントし、さらにその上に色のついたフィルターを、少し間隔をとって重ねている。アルミ板とフィルターの質感のズレが、刺激的な視覚と触覚を同時に刺激する効果を生み出していた。会場には「CUT-OUT」された銀色の紙そのものも展示されていたのだが、それらはあたかも近未来の衣装のようにも見える。それらを実際に女性モデルに着せるパフォーマンスも面白そうだ。このおしゃれで軽やかな連作は、まだいろいろなかたちで展開していく余地がある。

2016/10/05(水)(飯沢耕太郎)

黄金町バザール2016 アジア的生活

会期:2016/10/01~2016/11/06

黄金町+日の出町など[神奈川県]

韓国、中国、タイなどからのアーティストも交えて40作家以上が参加。2つだけ書いておきたい。ひとつは、渡辺篤の《あなたの傷を教えて下さい。》。インターネットを通じて心の傷を募り、円形のコンクリート板にその傷についてのコメントを書いて割り、金継ぎで修復する(傷を癒す)。例えば「女の子に生まれてしまった」「評論家にレイプされた。君がTwitterで暴露しても無駄だよと言われた」「私は愛していない人と結婚した。お互いに愛し合っていないから、罪の意識もない」とか。これらの作品もいいけど、会場となった「チョンの間」の壁を斜めに横切る線や、床にまき散らしたコンクリート片といったインスタレーションがすばらしい。もうひとつは、岡田裕子の《Right to Dry》。黄金スタジオの通路に数百枚の洗濯物を干している。ただそれだけ。「幸福の黄色いハンカチ」ならぬ「幸福の洗濯物」。こういうの好きだ。

2016/10/02(日)(村田真)

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第3回代官山フォトフェア

会期:2016/09/30~2016/10/02

代官山ヒルサイドフォーラムほか[東京都]

写真作品を扱うギャラリー、書店・出版社から成る日本芸術写真協会(FAPA)が主催する「代官山フォトフェア」も3回目を迎えた。今年の目玉は、写真史家の金子隆一のコレクションから厳選して展示した「The Photobook」展(ヒルサイドプラザ)。「1960年代以降、世界の中でも独自の変遷を遂げてきた日本の写真集を、総合的に紹介する」展覧会である。たしかにこのところ、日本の写真集に対する関心は世界的に高まりを見せており、時宜を得た好企画といえる。
会場には、小石清『初夏神経』(1933)、川田喜久治『地図』(1965)、荒木経惟『センチメンタルな旅』(1971)などの極めつきの名作写真集のほか、元村和彦が主宰していた邑元社から刊行されたロバート・フランク『私の手の詩』(1972)などの写真集のコーナー(装丁・デザインは杉浦康平)、コロタイプ、グラビア、オフセットなど、印刷システムの違いによる視覚的効果を比較するコーナーなどがあり、充実した内容だった。この展示に限らず、「写真集の展覧会」は、もっといろいろな角度から企画できるのではないだろうか。
代官山フォトフェアでは、FAPA bookとして毎回写真集を刊行している。石内都『Belongings 遺されたもの』、荒木経惟『去年の写真』に続いて、今年は川田喜久治『遠い場所の記憶:1951-1966』が出版された。それに合わせた企画展には、なかなか見ることができない川田の1950~60年代の初期作品が展示されており、東松照明の同時代の作品との比較も含めて興味深い内容だった。川田の旺盛な実験精神が、この時期からすでに芽生えていたことがわかる。ほかに横田大輔、小林健太、志賀理江子らによるトークセッションなど、多彩な催しが行なわれた。天候不順で、観客数は期待されたほどは伸びなかったようだが、昨年と比較しても意欲的な展示・イベントが多かった。東京都写真美術館もリニューアル・オープンしたこともあり、代官山・恵比寿地区全体を巻き込んで、より規模の大きな写真フェスティバルとして展開していけるといいと思う。

2016/10/01(土)(飯沢耕太郎)