artscapeレビュー
芸術写真の時代─塩谷定好展
2016年11月15日号
会期:2016/08/20~2016/10/23
三鷹市美術ギャラリー[東京都]
塩谷定好(1899~1988)は鳥取県東伯郡赤碕町(現琴浦町)出身の写真家。大正~昭和初期の「芸術写真」の黄金時代における中心的な担い手の一人であり、同じく鳥取県出身の植田正治が「神様」として敬愛していたという。1970~80年代にイタリア、ドイツ、アメリカなどで展覧会が開催され、あらためてその独特の作品世界に注目が集まった。昨年も「─知られざる日本芸術写真のパイオニア─塩谷定好作品展」(FUJIFILM SQUARE 写真歴史博物館)が開催されるなど、このところ再評価の機運が著しい。
本展では鳥取県立博物館所蔵の作品を中心に、100点の作品が展示されたのだが、これまでの展覧会とはやや異なったアプローチを見ることができた。ひとつは出品作に、これまで塩谷の写真のベースと考えられていた、故郷の赤碕の風土や暮らしに根ざした人物写真や風景写真だけではなく、ほぼ未発表の実験的な作品が多く含まれていたことである。《静物》(1928)はモノクロームのプリントに手彩色したカラー作品であり、《海》(1937)や《お堂》(1942)のような、ほとんど何が写っているのか判然としない、曖昧模糊としたピンぼけの写真もある。斬新な画面構成の《骸骨と鶴嘴》(1935)は、あたかもメキシコあたりの写真家の作品のようだ。もうひとつは、第二次世界大戦後の作品にもきちんと目配りがされていることである。《暮色群雀》(1957)や《砂丘》(1966)のようなスケールの大きな風景写真を見ると、塩谷の創作意欲がまったく衰えていなかったことがわかる。彼の「芸術写真」の時期を特徴づけていた、極端なソフトフォーカス描写や、墨や絵具での「描き起こし(雑巾がけ)」のような絵画的な技法は影を潜め、ストレートなプリントが試みられている。だが、被写体に向き合う姿勢には一貫したものがあったということだろう。
塩谷の仕事の写真史的な位置づけはまだ確定したわけではない。そのクオリティの高い作品世界には、さらなる未知の可能性が潜んでいそうだ。
2016/10/06(木)(飯沢耕太郎)