artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

それぞれの時「大阪」~森山大道・入江泰吉・百々俊二展~

会期:2016/09/03~2016/10/30

入江泰吉記念奈良市写真美術館[奈良県]

奈良市写真美術館には「入江泰吉記念」という冠がついているので、各展覧会には入江泰吉作品の展示が必須になる。今回の「それぞれの時「大阪」」展でも、森山大道と百々俊二の「大阪」の写真と入江の写真をどう組み合わせるかに、相当苦労したのではないかと思う。
入江は戦後、生まれ故郷の奈良で暮らし、「大和路」を中心に写真を撮影・発表してきたが、戦前は大阪で「光藝社」という看板を掲げて活動していた。ところが、1945年3月の大空襲で自宅と店が全焼し、撮りためたネガや写真機材のほとんどが灰燼に帰してしまった。そのとき、唯一焼け残ったのが、今回展示された「文楽」のネガとコンタクト・プリントである。名人が一斉に輩出した、昭和10年代の人形遣い、囃子方らのポートレートと、のちに空襲で焼失する文楽人形をクローズアップで撮影した写真は、とても面白い。コンタクト・プリントには「おおいやき」、「やや明るく」などの書き込みがあり、写真家の息遣いが生々しく伝わってくる。戦後の風景や仏像の写真とはかなり趣が違う、若々しい雰囲気の写真群である。
百々俊二と森山大道の「大阪」もそれぞれ面白かった。百々は九州産業大学の卒業制作だった「新世界劇場」(1969~71)を皮切りに、「大阪・天王寺」(1975~78)、「新世界むかしも今も」(1979~86)、「大阪」(2005~10)と、40年以上にわたって撮影し続けた150点以上の写真を展示していた。一方、大阪・池田市出身の森山大道は、1990年代に撮影された路上スナップを中心に、64点をニュープリントで出品した。彼らの写真を見ていると、街と人とのあり方が、東京と大阪では違っていることに気がつく。路上の人々が、街から遊離しているように見える東京と比較して、大阪では街と分かちがたく一体化した人々の姿を見ることができる。百々も森山も、群衆に紛れ込み、時に彼らを見返しつつシャッターを切るなかで、次第にエキサイトしていく様子が写真から伝わってくる。大阪という空間そのものが、写真家たちにとって魅力的なカオスとなっているのだ。この街から、路上スナップの名作が次々に生まれてくるのも当然というべきだろう。

2016/09/30(金)(飯沢耕太郎)

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秦雅則『鏡と心中』

発行所:一ツ目

発行日:2016/08/09

2008年にキヤノン写真新世紀でグランプリを受賞し、2009~11年に東京・四谷で「企画ギャラリー・明るい部屋」を運営していた頃の秦雅則は、次々に溢れ出していく構想を形にしていく、すこぶる生産的な活動を展開していた。このところ、やや動きが鈍っているのではないかと思っていたら、いきなりハードカバーの写真集が刊行された。これまで、ZINEに類する小冊子はつくっていたが、本格的な写真集としては本書が最初のものになる。
ただ、『鏡と心中』というタイトルの本は、すでに2012年のartdishでの個展「人間にはつかえない言葉」に際して刊行されている。そのときには、写真は口絵ページに12枚ほどおさめられていただけで、「夢日記」のような体裁の文章ページが大部分だった。今回は、いわば写真集判の『鏡と心中』であり、写真図版は72枚という大冊に仕上がっていた。
写っているのは身近な片隅の風景であり、花や植物、小動物、杭や土管などを、しっかりと凝視して、スクエアの画面におさめている。かつての性的なイメージを再構築した破天荒なコラージュ作品とはかなり趣が違う。むしろ静まりかえったスタティックな印象を与える写真群だが、画像の一部に黒々と腐食したような空白が顔を覗かせている写真が目につく。おそらく、フィルムを放置することで生じた傷や染みだろう。それらが現実の風景を、風化していく記憶や、忘れかけた夢に似た感触に変質させている。丁寧につくられたいい写真集だが、秦にはもっと「暴れて」ほしいという気持ちも抑えきれない。次作は真逆の、ノイズや企みが満載の写真集を出してほしいものだ。

2016/09/27(火)(飯沢耕太郎)

彦坂尚嘉「FLOOR EVENT 1970」

会期:2016/09/09~2016/10/29

MISA SHIN GALLERY[東京都]

彦坂尚嘉は1970年に、自室の八畳間と縁側に工業用ラテックスを流し込み、そのプロセスを記録するというパフォーマンスをおこなった。彦坂が所属していた美術家共闘会議(美共闘)は、この頃「1年間、美術館と画廊を使用せずに、おのおの1回ずつ有料の美術展を開催する」というプロジェクトを展開しており、この「FLOOR EVENT」もその一環として企画されたものである。彦坂が全裸でラテックスを撒く作業は、友人のアーティスト小柳幹夫が補助し、その様子を現代音楽家の刀根康尚が彦坂の用意したカメラで記録した。その後、彦坂自身が、ラテックスが乾いて、乳白色から透明になっていく過程を撮影している。ラテックスは10日後に床から剥がされた。
小柳と刀根以外は観客なしで、ひっそりと行なわれたこのパフォーマンスは、だが写真によって記録されることで、「アート作品」として自立していくことになる。翌71年には、第1回美共闘Revolution委員会のプロデュースで、記録写真による個展が開催されており、今回のMISA SHIN GALLERYでの展示には、ヴィンテージ・プリントと個展の案内ハガキが出品されていた。前衛アーティストたちの、体を張ったパフォーマンスの記録は、当時の空気感をいきいきと伝えてくれるだけでなく、一過性のイベントをアート作品として成立させるために、写真メディアが不可欠の役割を担っていることを明らかにする。この作品だけでなく、羽永光利や平田実による1960~70年代の前衛美術家のパフォーマンスの記録写真が注目を集めているのは、単にその資料的な価値というだけではないはずだ。パフォーマンスを画像として封じ込める写真が、むしろその行為の意味を補強・増幅し、魔術的なイメージに変換するのに一役買っているということだろう。

2016/09/23(金)(飯沢耕太郎)

とどまりある 写真の痕跡性をめぐる対話

会期:2016/09/23~2016/09/29

大阪芸術大学 体育館ギャラリー[大阪府]

写真における「痕跡」をテーマにしたグループ展。出品作家は、小川幸三、立花常雄、太田順一、三田村陽。4名の作品を通して、「痕跡」の直接性/間接性、身体性や物質性、「光」の痕跡、個人の内面や記憶の痕跡、都市がはらむ記憶の痕跡が浮かび上がる。
小川幸三は写真家だが、フロッタージュ作品も手がける。120×300cmの巨大な紙は、抽象的な黒い色面に見えるが、神社への参道や熊野古道にある修験者が通る道に紙を敷いて転写したもの。ボコボコとした凹凸は、すり減った石畳や歳月を経た木の幹の表面に刻まれた時間の痕跡を写しとっている。ここには作家の身体性や黒鉛の物質性が露わになるとともに、表面の痕跡を直接写し取るフロッタージュとの対比において、被写体と直接的に接触できない写真が不可避的にはらむ「距離」が浮かび上がる。
立花常雄の《ビニールハウス》は、冬の夜間に、畑の中に佇むビニールハウスをモノクロで撮影した作品。だがよく見ると、画面中央には一本の黒い線が走り、分割された左右それぞれの画面はピントが少し異なり、片側は曖昧にボケている。それは夜間のビニールハウスを撮影した写真でありながら、暗闇にぼぅっと光るチューブ状の体躯の未知の生命体を眺めているかのようだ。立花は、写真が光の痕跡に他ならないことを示すとともに、それが可視化された唯一の像ではなく、(ネガの焼付けの過程で操作を施すことで)ズレや断絶を伴った複数の像へと裂開していくことを示唆する。
太田順一の《父の日記》は、自身の父親が晩年の20年間、毎日欠かさずつけていた日記を複写したもの。妻に先立たれて一人暮らしを余儀なくされた頃につけ始めた日記は、毎日の食事や天気、散歩といった単調な日常生活が几帳面な字で綴られている。だが、亡くなる2年前、認知症を発症して老人施設に入所した頃から、字も内容も錯乱したものに豹変する。「毎日がつらい」「自分の書いた字が分からない」「今日一日、何をしていたのか分からない」といった文言が偏執的に繰り返され、乱れた筆跡の上を塗りつぶすような殴り描きの線がぐちゃぐちゃに引かれ、突然現われる「大日本帝国」の文字が記憶の混濁も示唆する。そして、ただ空白のみが残された、最後の数日間。まだ元気な頃の几帳面な字が並ぶページは、記述の細部を読みながら父の記憶に寄り添おうとするようにクローズアップで撮られるのに対して、混乱と混濁が極まった最後の数ページは、見開き全体を俯瞰的に収め、「冷静に」撮られている。だが、感情を排した撮り方によって、むしろ押し殺した感情の揺らぎが際立つ。《父の日記》には、父親の意識に起こった変化の痕跡と、写真家の眼差しの痕跡が、二重に刻印されている。

三田村陽は、10年以上、広島に通って撮影を続けてきた《hiroshima element》を出品。昨年7月のThe Third Gallery Ayaでの同名の個展については2015年9月15日号の評で取り上げたが、今回はグリッド状に展示された36枚のうち、約1/3が未見のカットで構成されており、新たな発見もあって見ごたえある展示だった。三田村がカラーで写すのは、「8月6日」に集約されることのない、とりとめない広島の街の日常だ。商店街、川沿いの光景、再開発の進む一帯。平和記念公園の慰霊碑や原爆ドームも写り込むが、写真家の視線はそれらのフォトジェニックなモニュメントへと寄るのではなく、埋没しかかった「背景」の一部として後退している。むしろ写真家の関心は、そこで人々が集合的に繰り広げる生態へと向かう。修学旅行生たち、バスガイドの研修とおぼしき若い女性たち、繁華街を歩く反原発デモの集団、「ひろしまフラワーフェスティバル」のパレードに群がる人々…。とりわけ頻出するのが、「撮影する人々」のスナップだ。そこには平和記念公園での記念撮影もあれば、お花見や、パレードで手を振るミッキーマウスを写メする人々もある。三田村は、「眼差しを向ける行為」を入れ子状に写すことで、「広島」で撮影行為を成立させることの困難さと容易さについて自己批判的に言及しているのではないか。
一方、人物が不在の「風景」もまた、「広島」で「ヒロシマ」の痕跡を撮ることの困難さと可能性をともに示している。それは、単独でメッセージを放つことを課された「強い」写真ではなく、「断片」の集合体をじっくりと凝視する時間の中から、かすかだが確実に立ち上がる可能性である。商店街の掲示板、寂れたラーメン屋、店舗の軒下の光景は、細部を凝視すると同じ原爆展のポスターが貼られていることが分かり、離れた点と点が一本の線としてつながる。あるいはポスターのリズミカルな「反復」は、「8月6日」の周期的な繰り返しを示唆するようだ。また、左右前後に隣り合う写真どうしの関係性から、「広島」の中の「ヒロシマ」の痕跡が浮かび上がる瞬間もある。式典のための椅子が整然と並べられた平和記念公園のがらんとした空間は、再開発で更地になった空き地の写真と並置されることで、現在ある平和記念公園の地面が、瓦礫やバラックを取り壊して整地され、新しく土を盛った「新たな人工的な表皮」であることを指し示す。また、平和を謳うフェスティバルのパレードで群衆に手を振るミッキーマウスは、日米の国旗がはためく放射線影響研究所の写真と並置されることで、魅力的で多幸感あふれる娯楽の供給と軍事的支配というアメリカの両面を示唆し、日本の戦後が抱えるねじれや矛盾を顕在化させる。
「ヒロシマ」しか存在しないのではなく、原爆資料館のガラスケースに収められて展示/隔離された「ヒロシマ」から切り離されて「広島」があるのでもない。「広島」は「ヒロシマ」を内に抱え込み、「ヒロシマ」は「広島」の中に潜在している。そうした「広島」に潜在する「ヒロシマ」の痕跡、つまり「日常」の中にある特異さを、三田村は断片の集合体として提示することで、写真を見る者の解釈やリテラシー、欲望に委ねている。三田村の写真と向き合う時間は、広島に対する三田村自身の凝視の時間を追体験することでもある。現在の「広島」の表面を通して、歴史の痕跡の「見えにくさ」そのものを粘り強く見つめようとするその姿勢は、「見えにくさ」を「見えない」へと馴らしていこうとすることに抗する身振りであり、「ヒロシマ」の占有や求心的な物語を紡ぐことへの抵抗である。さらに、表面・表皮を撮ること/見ることを通して、その深部へと降り立とうとする困難な試みは、写真それ自体の限界への挑戦でもある。


三田村陽《hiroshima element》会場風景

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2016/09/23(金)(高嶋慈)

須田一政写真展「Hitchcockian」

会期:2016/09/04~2016/09/25

Gallery Photo/synthesis[東京都]

須田一政の作品に、このところTVの画面を写したものが増えてきていると感じていたのだが、どうやらその傾向はかなり前から始まっていたようだ。今回、東京・四谷のGallery Photo/synthesisで開催された須田の個展に展示されていたのは、「2006年に制作されたまま発表されることなく眠っていた」シリーズである。タイトルが示すように、この連作はサスペンス映画の巨匠、アルフレッド・ヒッチコック監督に捧げられている。
須田はヒッチコック映画の大ファンで、彼の作品を飽きることなく、何度も繰り返し見ているようだ。須田に言わせれば、そこには偶然はなく、「コーヒーカップ一つにも暗示的な意味を持たせ、見る側は無意識に彼の仕掛けにはめられる」。写真を使って、その「仕掛け」の分析を試みるというのが、このシリーズのもくろみであり、具体的にはTVの画面に映し出されたヒッチコック映画の映像の断片を、そのままカメラ複写して提示している。その数は230点以上、ヒッチコック映画の名作の数々が、須田の独自の視点で切り取られ、大小の写真にプリントされて、ギャラリーの壁全面に、撒き散らされるように展示されていた。
一言でいえば、ヒッチコック映画の魅力とは、ストーリーの細部への異様なこだわりと、そこに登場してくる小物から匂い立つ、濃密なフェティシズムの香りだろう。須田も、彼なりのこだわりを持ってヒッチコックに対抗し、写真による再構築を試みている。だが、結局のところ「私たちは見ていたものがヒッチコックの脳の内部だったことを思い知る」ことになる。写真を見るわれわれは、須田の導きでその「ヒッチコックの脳の内部」を彷徨うという、不穏ではあるが、どこか甘美でもある旅を体験することができる。そこには、もっと長くそこにいたいと思わせる、じつに蠱惑的な空間が成立していた。

2016/09/22(木)(飯沢耕太郎)