artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
横浪修「Assembly & Assembly Snow」
会期:2016/09/02~2016/10/08
EMON PHOTO GALLERY[東京都]
2010年頃から開始された横浪修の「Assembly」は、5~9人くらいの少女たちの集団を、やや距離を置いて撮影したシリーズである。彼女たちは、全員同じ服装をしており、輪をつくったり、整列したり、行進したりしている。遠いので顔はほぼ見えず、共通の儀式めいたポーズをとっていることもあって、どこか謎めいた印象を与える、個ではなく、集団としてのありように観客の注意を向けようとする、かなり珍しい種類のポートレート作品といえるだろう。
今回のEMON PHOTO GALLERYでの個展では、それに加えて新作の「Assembly Snow」のシリーズが展示されていた。前作が「個々の集まりを俯瞰することで、集合としての強さ」を引き出すことを目指していたのに対して、新作では「個々が重なり、溶け合う事でひとつになる」ことに集中している。少女たちをモデルにしている点では同じだが、雪や氷の上でポーズをとる少女たちが、スローシャッターでブレて写っていることで、より抽象的な色の塊のように見えてくる。伸び縮みする有機的なフォルムと化した少女たちの姿は、「Assembly」シリーズが新たな段階に入ったことを示していた。
とはいえ、このシリーズは、いまのところはセンスのいい「カワイイ」イメージの集合体に留まっている。「Assembly」の表現には、それ以外の、より不気味でビザールな要素を取り入れることもできそうな気がするが、どうだろうか。例えば制服姿の女子高生7人が、川の中で輪になって手をつないでいる作品(「No. M_1」2015)などに、その片鱗が見えるのではないかと思う。
2016/09/21(水)(飯沢耕太郎)
プレビュー:THE PLAY since 1967 まだ見ぬ流れの彼方へ
会期:2016/10/22~2017/01/15
国立国際美術館[大阪府]
1967年に結成され、関西を中心に約50年間も活動してきたアーティスト集団「プレイ」。何かをつくるのではなく、行為そのものを表現としてきた彼らの活動を振り返る。発泡スチロールの筏で川を下る、京都から大阪まで羊を連れて旅をする、山頂に約20メートルの三角塔を立てて雷が落ちるのを待ち続けるなど、彼らの活動はつねに美術の制度からはみ出てきた。本展では、そんなプレイの全貌を、印刷物、記録写真、記録映像、音声記録、原寸大資料、未公開資料などで明らかにする。なかでも原寸大資料が持つリアリティー、本展のための調査で見つかった未公開資料の数々は要注目だ。過去の活動を知る人はもちろん、プレイの存在を情報でしか知らない若い世代に是非見てもらいたい。
2016/09/20(火)(小吹隆文)
プレビュー:「ロケーション・ハンティング」ヤマガミユキヒロ展
会期:2016/10/01~2016/11/27
あまらぶアートラボ A-Lab[兵庫県]
実景に基づくモノクロの風景画を描き、その画面上に同一地点で定点撮影した映像を映写する「キャンバスプロジェクション」の作品で知られるヤマガミユキヒロ。彼は昨年にあまらぶアートラボ A-Lab(兵庫県尼崎市)のオープニング展「まちの中の時間」に参加したが、同展の参加者は翌年に尼崎市をテーマにした新作を披露することになっており、本展がその機会に当たる。これまでは主に京都や東京の風景を素材にしてきたヤマガミだが、工業都市のイメージが強い尼崎市からどのような作品を紡ぎ出すのか。約1年間にわたるフィールドワークの成果に期待している。
2016/09/20(火)(小吹隆文)
早瀬道生 個展「表面/路上/その間」
会期:2016/09/13~2016/09/18
KUNST ARZT[京都府]
「メディアと写真」について対照的なアプローチで問う2作品が発表された、早瀬道生の個展。《Newspaper/20160711》は、タイトルの日付に発行された、複数の新聞の一面と社会面を複写し、画像をレイヤー状に重ねたもの。メディア報道によって共有化された情報が過剰に重ねられていくことで、画面はノイズの嵐と化し、むしろ不可視に近づく。早瀬はこのシリーズを昨年から続けており、《Newspaper/20150716》《Newspaper/20150918》《Newspaper/20150920》を制作している。不明瞭な紙面と対照的に、唯一クリアな情報として残ったこれらの「日付」はそれぞれ、安保法案の採決が衆院を通過した日、民主党が提出した安倍首相の問責決議案が参院にて反対多数で否決された日、そして安保法案が前日未明に成立したことが報じられた日である。真っ黒に塗りつぶされて「読めない」紙面は、情報の不透明さや検閲の存在を示唆するかのようだ。そして、これら3つの日付の延長上にある、新作の《Newspaper/20160711》。この日付は、前日の参院選の結果、改憲4党が憲法改正発議に必要な2/3(162議席)に達したことが報じられた日である。
この日付はまた、もう1つの出品作《Take Takae to here》にも関連する。この作品では、機動隊員の青年のポートレイトが12枚、観客を無言で包囲するように壁にぐるりと展示されている。「見つめられている」という感覚は、写真における擬似的な視線の交差であると分かっていても、かなり居心地悪い。よく見ると、彼らの背後には白いフェンスや車両、路上のブルーテントが写っている。タイトルの「Takae」は、米軍のヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)の移設工事をめぐって、反対運動が起きている沖縄県東村高江地区を指す。「20160711」は、参院選の翌日、建設資材の搬入が突如始まり、全国から機動隊が集められた日でもある。ヘリパッド移設の撮影取材ができなかった早瀬は、反対運動のデモ隊に混じり、自分を取り囲む機動隊にカメラを向けて撮影。ポートレイトとして展示することで、「本土へ引き取ることが難しい基地の代わりに、本土から沖縄に派遣された機動隊員をここに連れ戻そうと試みた」という。
《Take Takae to here》の異様な不気味さは、至近距離でカメラを向けられても動じず、直立不動の姿勢で立ち続ける機動隊員たちの「顔」にある。「個」を消す訓練を受けているであろう機動隊員たちは、制服という装置もあいまって、一見、均質で無個性で、集団の中に埋没しているように見える。しかし、至近距離でカメラを向けるという行為が、そこへ裂け目を穿つ。職務としての機動隊員というペルソナが引き剥がされ、「個」としての顔貌がさらけ出される。表情や目線の微妙なブレに表われた、一瞬の心理的な反応を、カメラは捕捉する。真っ直ぐ見つめ返す、訝しげににらむ、伏し目がちに目をそらす、虚空を見つめ続ける……。眼差しや表情の差異は、ほぼ等身大のプリントともあいまって、機動隊という集団的な枠組みから切り離し、「個人」として眺めることを可能にする。
彼らが見ているものは何か。彼らの眼差しの先にある、「不在」の対象は何か。カメラという装置の介在によってここに凝縮されているのは、国(及びその背後の米軍)と沖縄、本土から派遣された機動隊員と沖縄市民、という構図である。無関心、無視、困惑、苛立ち、不信感、動揺……。《Take Takae to here》は、(一方的で都合の良いイメージの収奪としての)「沖縄の」像ではなく、「沖縄への」私たち本土側の視線である。向けられたカメラは鏡面となり、写真を鏡像として送り返す。そして、写真の中の機動隊員たちが見つめている、あるいは目をそらそうとする「不在」の対象とは、「沖縄の基地問題」に他ならない。
ポートレイトにおける「個」と「集団」、「見る」/「見られる」関係性がはらむ権力構造に加え、「写真と眼差し」の問題を通して、沖縄をめぐる視線の場をポリティカルに浮かび上がらせた、優れた展示だった。
2016/09/16(金)(高嶋慈)
未知の表現を求めて ─吉原治良の挑戦
会期:2016/09/17~2016/11/27
芦屋市立美術博物館[兵庫県]
関西に住んでいると、美術館で吉原治良の作品に出合う機会が多い。そのせいか、彼の主要作品を知っている気になっていたが、本展を見てそれが浅はかな思い込みだと分かった。本展は、芦屋市立美術博物館と大阪新美術館建設準備室(以下、大阪新美)のダブル主催だが、出展数約90点のうち約2/3が大阪新美のコレクションで、大阪新美が吉原作品をまとめて公開するのは2005年の「生誕100年記念 吉原治良展」以来だという。しかも初公開の作品が約20点もあるというのだから、筆者以外にも驚いた人は多いと思う。展示は年代順に構成され、戦前から終戦直後の作品に見慣れないものが少なからず含まれていた。展覧会のクライマックスは具体美術協会結成から晩年に至る期間だが、ここでの導線が少々ややこしく、先に最晩年の展示が見えてしまうのが惜しい。しかし、展覧会としての充実度は高く、優れた回顧展としておすすめできる。
2016/09/16(金)(小吹隆文)