artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
津田直「IHEYA・IZENA」
会期:2016/08/19~2016/09/17
POST[東京都]
津田直が辺境の地の人々の暮らしや儀礼を「フィールドワーク」として撮影するシリーズも、「SAMELAND」(2014)、「NAGA」(2015)に続いて「IHEYA・IZENA」で3作目になる。そのたびに、東京・恵比寿のPOSTで写真展が開催され、同名の写真集(デザイン・田中義久)が刊行されてきた。
今回、津田が撮影したのは沖縄本島北西部に位置する伊平屋島と伊是名島。2012年から福岡に住むようになったのをきっかけにして、沖縄を訪ねる機会が増え、本シリーズが少しずつかたちをとっていったという。北欧の住人たちを撮影した「SAMELAND」や、ミャンマー奥地のナガ族を取材した「NAGA」は、それほど長くない旅の時間から産み落とされてきたシリーズだが、「IHEYA・IZENA」は何度も島を訪れ、じっくりと熟成させていったものだ。その分、写真の構成に厚みが増し、信仰と深く結びついた住人たちの暮らしの細部が、鮮やかに浮かび上がってきた。「三部作」の掉尾を飾るのにふさわしい充実した写真群といえる。
津田の「フィールドワークシリーズ」は、これで一応完結ということだが、世界中に足跡を記す彼の写真家としての旅は、これから先もずっと続いていくのだろう。だが、そろそろ彼の世界観、写真観をもっと強く打ち出していかなければならない時期に来ているのではないかと思う。これまでの彼の写真シリーズは、それぞれの旅の目的地ごとにまとめられることが多かった。断片的に情報を提示していくのではなく、それらを統合する思考と実践の軸が必要になってきている。かつて『SMOKE LINE』(赤々舎、2008)で試みたような、いくつかの場所をつないでいく、より大きな視点の取り方が求められているのではないだろうか。
2016/09/14(水)(飯沢耕太郎)
篠山紀信展 快楽の館
会期:2016/09/03~2017/01/09
原美術館[東京都]
事前の予想と実際の展示が、これほどぴったり一致する展覧会もむしろ珍しい。篠山紀信が東京・品川の原美術館を舞台にヌード写真展を開催すると聞いたとき、こんなふうになるのではないかと想像した通りの展示が実現していた。
1938年建造という個人住宅を改装した原美術館の、敷地内のあちこちで撮影されたヌード写真が、ほぼ等身大に引き伸ばされて、撮影場所やその近くに貼り付けてある。マネキン人形のようにポーズをとったり、飛んだり跳ねたりしている彼女たち(男性モデルもいる)は、大部分がプロフェッショナルなヌードモデルだろう。ポーズや表情は自然で、裸を見られることに慣れきっている様子がうかがえる。彼女たちをコントロールし、画面におさめていく篠山の手つきも、まったく破綻がない。これまで長年にわたって積み上げられてきた、ヌードを撮る、見せるテクニックが惜しみなく注ぎ込まれ、観客を充分満足させる画像が提供されている。実際に通常の展示よりも、観客数は大幅に伸びているようだ。
ただ、ここまで「想定内」の展示を見せられると、「これでいいのか」と無い物ねだりをしてみたくなってくる。かつて、ヌードを撮る、見せることは、ショッキングで挑発的な行為だった。むろん、篠山のヌード表現が輝きを放っていた1970~80年代の状況を、いま再現するのは不可能なことだ。それでも今回の展示は、写真家も、モデルも、観客も、安全地帯を一歩も出ずに、安心し切ってまどろんでいるようにしか見えない。有名モデルが乳首や陰毛を露出できないのはわかるにしても、やり方次第では、もう少し意表をついた、スリリングな展示も可能だったのではないだろうか。
2016/09/14(水)(飯沢耕太郎)
トーマス・ルフ展
会期:2016/08/30~2016/11/13
東京国立近代美術館[東京都]
「見る、観察する、考える」というのは、「20世紀の人間たち」のプロジェクトで知られるアウグスト・ザンダーが、写真家としてのモットーを問われて答えた言葉だ。日本では初めてのトーマス・ルフの大規模展を見ているうちに、この言葉が頭に浮かんだ。同じドイツの写真家ということもあるのだろうが、視覚世界を写真という媒体を使って探求し、さらに思考を深めて新たな認識に達するあり方が、この2人は似通っていると思う。
会場には、デュッセルドルフ芸術アカデミーで、ベッヒャー夫妻の下で学んでいた頃の初期作品「室内」(1979~1983)から、新作の「press++」(2015~)まで、全18シリーズ、約125点の作品が並ぶ。それらを見ると、アナログからデジタルへと画像形成のプロセスが移行し、インターネットが世界中を覆い尽くすようになった時代状況に、ルフが誠実かつ的確に対応しつつ、新たな写真表現の可能性を模索し続けてきたことがよくわかる。巨大カラープリント(「ポートレート」1986~1991/1998、「ハウス」1987~1991)、コレクションされた天体写真や新聞写真(「星」1989~1992、「ニュースペーパー・フォト」1990~1991、「カッシーニ」2008~、「ma.r.s.」2010~)、微光暗視装置や旧式の画像合成機(「夜」1992~1996、「アザー・ポートレート」1994~1995)、インターネットから取り込んだデジタル画像(「ヌード」1999~、「基層」2001~、「jpeg」2004~)、3Dプログラム(「zycles」2008~、「フォトグラム」2012~)など、ルフが作品制作に利用してきた画像形成の媒体は驚くほど多岐にわたっている。だが、彼の視覚世界の探求は決して空転したり、上滑りしたりすることなく、物事の本質にまっすぐに迫っていく。その揺るぎのなさは、ドイツ写真の伝統を正当的に受け継いでいるという自信のあらわれともいえそうだ。
むろん、ルフの写真家としての弛みない歩みは、同世代の「ベッヒャー派」の写真家たちの中でも傑出していて、そのまま日本の写真の状況に当てはめられるものではない。だが、「基層」の画像の元になっているのが「日本の成人向けコミックやアニメ」であり、「press++」にも「日本やアメリカの報道機関から入手した写真原稿」が使われていることを知ると、アーカイブ化した画像は誰にでも入手可能であり、新たな写真表現の扉は平等に開かれているということに思い至る。また、一連の宇宙をテーマにしたシリーズは、子供の頃に天文学者に憧れていた彼の個人的な関心を反映したものであるという。一見、手の届きそうのない高みにあるルフの作品群も、けっしてアプローチ不可能なものではないということだ。日本でも、多様な視覚メディアを縦横に駆使する写真表現の冒険が、もっとさまざまなかたちで出てきてもいいはずだ。
2016/09/13(火)(飯沢耕太郎)
星野高志郎 百過事展─記録と記憶─
会期:2016/09/13~2016/09/25
Lumen gallery、galleryMain[京都府]
本展会期中に73歳の誕生日を迎えたベテラン作家の星野高志郎。これまでの活動を振り返る回顧展を、隣接する2つのギャラリーで開催した。作品は彼が活動を開始した1970年代から最近作までのセレクトで構成され、学生時代の石膏像なども含まれていた。そして作品以上に充実していたのが資料類で、ポスター、DM、印刷物、写真、映像、記事が載った新聞や雑誌、メモ、ドローイングなど多岐にわたる。さらに私物が加わることにより、会場は1日では見尽くせないほどの物量と混沌とした雰囲気に。美術家の回顧展であるのと同時に、一個人の年代記でもある風変わりな仕上がりであった。筆者はこれまでに星野の個展を何度も見てきたが、彼がこれほどの記録魔だとは知らなかった。資料のなかには貴重なものが含まれており、作品では1974年に富士ゼロックスのコピー機を用いて制作した《ANIMATION?》などレア物も。美術館学芸員や研究者が見たら、きっと大いにそそられたであろう。
2016/09/13(火)(小吹隆文)
第6回公募 新鋭作家展二次審査(プレゼンテーション展示公開)
会期:2016/09/06~2016/09/19
川口市立アートギャラリー・アトリア[埼玉県]
来年の「新鋭作家展」に向けた公募の第2次審査で、1次審査通過者8組(2人の辞退者を除く)によるプレゼンテーション展示を一般公開している。ストリートアートみたいにテンポラリーなフレスコ画を目指す河田知志、日常品をセメントで固めて鋳型をつくって並べる大場さやか、自分を他人に演じさせながら本人と対話する藤井龍、世界地図を立体的につくって水没させる熊野陽平などどれも力作ぞろい。でもこの「新鋭作家展」、いい作品をつくればおしまいというのではなく、市民とともに展覧会をつくりあげていくことを目標とする注文の多い公募展なので、市民が介入する余地のあるプランを選んだ。入選したのは、川口の夜のネオンを背景に影絵をつくって撮影する佐藤史治+原口寛子、新聞紙を鉛筆で塗りつぶし星雲を浮かび上がらせる金沢寿美の2組。これから1年かけて市民も交えて作品=展覧会をつくっていくというから、アーティストもキュレーターも楽じゃない。
2016/09/12(月)(村田真)