artscapeレビュー
とどまりある 写真の痕跡性をめぐる対話
2016年10月15日号
会期:2016/09/23~2016/09/29
大阪芸術大学 体育館ギャラリー[大阪府]
写真における「痕跡」をテーマにしたグループ展。出品作家は、小川幸三、立花常雄、太田順一、三田村陽。4名の作品を通して、「痕跡」の直接性/間接性、身体性や物質性、「光」の痕跡、個人の内面や記憶の痕跡、都市がはらむ記憶の痕跡が浮かび上がる。
小川幸三は写真家だが、フロッタージュ作品も手がける。120×300cmの巨大な紙は、抽象的な黒い色面に見えるが、神社への参道や熊野古道にある修験者が通る道に紙を敷いて転写したもの。ボコボコとした凹凸は、すり減った石畳や歳月を経た木の幹の表面に刻まれた時間の痕跡を写しとっている。ここには作家の身体性や黒鉛の物質性が露わになるとともに、表面の痕跡を直接写し取るフロッタージュとの対比において、被写体と直接的に接触できない写真が不可避的にはらむ「距離」が浮かび上がる。
立花常雄の《ビニールハウス》は、冬の夜間に、畑の中に佇むビニールハウスをモノクロで撮影した作品。だがよく見ると、画面中央には一本の黒い線が走り、分割された左右それぞれの画面はピントが少し異なり、片側は曖昧にボケている。それは夜間のビニールハウスを撮影した写真でありながら、暗闇にぼぅっと光るチューブ状の体躯の未知の生命体を眺めているかのようだ。立花は、写真が光の痕跡に他ならないことを示すとともに、それが可視化された唯一の像ではなく、(ネガの焼付けの過程で操作を施すことで)ズレや断絶を伴った複数の像へと裂開していくことを示唆する。
太田順一の《父の日記》は、自身の父親が晩年の20年間、毎日欠かさずつけていた日記を複写したもの。妻に先立たれて一人暮らしを余儀なくされた頃につけ始めた日記は、毎日の食事や天気、散歩といった単調な日常生活が几帳面な字で綴られている。だが、亡くなる2年前、認知症を発症して老人施設に入所した頃から、字も内容も錯乱したものに豹変する。「毎日がつらい」「自分の書いた字が分からない」「今日一日、何をしていたのか分からない」といった文言が偏執的に繰り返され、乱れた筆跡の上を塗りつぶすような殴り描きの線がぐちゃぐちゃに引かれ、突然現われる「大日本帝国」の文字が記憶の混濁も示唆する。そして、ただ空白のみが残された、最後の数日間。まだ元気な頃の几帳面な字が並ぶページは、記述の細部を読みながら父の記憶に寄り添おうとするようにクローズアップで撮られるのに対して、混乱と混濁が極まった最後の数ページは、見開き全体を俯瞰的に収め、「冷静に」撮られている。だが、感情を排した撮り方によって、むしろ押し殺した感情の揺らぎが際立つ。《父の日記》には、父親の意識に起こった変化の痕跡と、写真家の眼差しの痕跡が、二重に刻印されている。
三田村陽は、10年以上、広島に通って撮影を続けてきた《hiroshima element》を出品。昨年7月のThe Third Gallery Ayaでの同名の個展については2015年9月15日号の評で取り上げたが、今回はグリッド状に展示された36枚のうち、約1/3が未見のカットで構成されており、新たな発見もあって見ごたえある展示だった。三田村がカラーで写すのは、「8月6日」に集約されることのない、とりとめない広島の街の日常だ。商店街、川沿いの光景、再開発の進む一帯。平和記念公園の慰霊碑や原爆ドームも写り込むが、写真家の視線はそれらのフォトジェニックなモニュメントへと寄るのではなく、埋没しかかった「背景」の一部として後退している。むしろ写真家の関心は、そこで人々が集合的に繰り広げる生態へと向かう。修学旅行生たち、バスガイドの研修とおぼしき若い女性たち、繁華街を歩く反原発デモの集団、「ひろしまフラワーフェスティバル」のパレードに群がる人々…。とりわけ頻出するのが、「撮影する人々」のスナップだ。そこには平和記念公園での記念撮影もあれば、お花見や、パレードで手を振るミッキーマウスを写メする人々もある。三田村は、「眼差しを向ける行為」を入れ子状に写すことで、「広島」で撮影行為を成立させることの困難さと容易さについて自己批判的に言及しているのではないか。
一方、人物が不在の「風景」もまた、「広島」で「ヒロシマ」の痕跡を撮ることの困難さと可能性をともに示している。それは、単独でメッセージを放つことを課された「強い」写真ではなく、「断片」の集合体をじっくりと凝視する時間の中から、かすかだが確実に立ち上がる可能性である。商店街の掲示板、寂れたラーメン屋、店舗の軒下の光景は、細部を凝視すると同じ原爆展のポスターが貼られていることが分かり、離れた点と点が一本の線としてつながる。あるいはポスターのリズミカルな「反復」は、「8月6日」の周期的な繰り返しを示唆するようだ。また、左右前後に隣り合う写真どうしの関係性から、「広島」の中の「ヒロシマ」の痕跡が浮かび上がる瞬間もある。式典のための椅子が整然と並べられた平和記念公園のがらんとした空間は、再開発で更地になった空き地の写真と並置されることで、現在ある平和記念公園の地面が、瓦礫やバラックを取り壊して整地され、新しく土を盛った「新たな人工的な表皮」であることを指し示す。また、平和を謳うフェスティバルのパレードで群衆に手を振るミッキーマウスは、日米の国旗がはためく放射線影響研究所の写真と並置されることで、魅力的で多幸感あふれる娯楽の供給と軍事的支配というアメリカの両面を示唆し、日本の戦後が抱えるねじれや矛盾を顕在化させる。
「ヒロシマ」しか存在しないのではなく、原爆資料館のガラスケースに収められて展示/隔離された「ヒロシマ」から切り離されて「広島」があるのでもない。「広島」は「ヒロシマ」を内に抱え込み、「ヒロシマ」は「広島」の中に潜在している。そうした「広島」に潜在する「ヒロシマ」の痕跡、つまり「日常」の中にある特異さを、三田村は断片の集合体として提示することで、写真を見る者の解釈やリテラシー、欲望に委ねている。三田村の写真と向き合う時間は、広島に対する三田村自身の凝視の時間を追体験することでもある。現在の「広島」の表面を通して、歴史の痕跡の「見えにくさ」そのものを粘り強く見つめようとするその姿勢は、「見えにくさ」を「見えない」へと馴らしていこうとすることに抗する身振りであり、「ヒロシマ」の占有や求心的な物語を紡ぐことへの抵抗である。さらに、表面・表皮を撮ること/見ることを通して、その深部へと降り立とうとする困難な試みは、写真それ自体の限界への挑戦でもある。
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2016/09/23(金)(高嶋慈)