artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

ポンピドゥー・センター傑作展 ─ピカソ、マティス、デュシャンからクリストまで─

会期:2016/06/11~2016/09/22

東京都美術館[東京都]

ルーヴル展が2、3年に一度、オルセー展が4、5年に一度くらいの割合で開かれてるとすれば、ポンピドゥー展は10年に一度くらいだろうか。それでもルーヴルとオルセーに比べれば有名作品の絶対数が少ないので、展覧会のテーマや展示構成に工夫を凝らさなければ人は入らない。そこで今回考えられたのが「1年1作家1作品」という方式。フォーヴィスムやキュビスムの前衛芸術が立ち上がる1906年から、ポンピドゥー・センターの開館する1977年まで約70年を、各年ひとりの作品でたどるというもの。トップの1906年を飾るのはラウル・デュフィの《旗で飾られた通り》。いささか地味かなと思ったが、よく見るとフランス国旗のトリコロールが林立している風景ではないか。そうやって見渡してみると、赤、白、青を使った作品が多い気がする。あとで気づくのだが、展示は3フロアに分かれ、地下1階の壁が赤、1階が青、2階が白を基調にしており、会場もトリコロールになっているのだ。少し進んで、1913年にはデュシャンの初のレディメイド作品《自転車の車輪》があるが、じつはこれ1964年の再制作。次の1914年はデュシャンの兄のレイモン・デュシャン=ヴィヨンの彫刻が来て、続く15、16年は第1次大戦のため、アルベール・グレーズの《戦争の歌》とピエール・アルベール=ビロの《戦争》が飾られるといったように、何年にだれの作品を持ってくるか、けっこう考えられている。ちなみに第2次大戦中の1944年は、ジャン・ゼーベルガーとアルベール・ゼーベルガーの写真《ドイツ軍が撤退するオペラ座広場》で、45年は壁が空白のまま、エディット・ピアフの歌が聞こえてくるという趣向。45年にだって作品はたくさんつくられてるはずなのに、あえて外すという選択だ。この年になんでこの画家が? と首を傾げる選択もある。フォーヴィスムの創始者マティスはトップに来てもいいはずだが、晩年の1948年の作品《大きな赤い室内》が来ている。いい作品だけどね。逆に、ピカソとともにキュビスムで知られるようになるジョルジュ・ブラックは、キュビスム以前の1907年、まだフォーヴィスムの時代の絵が出ている。これもまたいい作品だが。そして最後の1977年は、レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースによるポンピドゥー・センターの模型だが、その前年は「Georges Pompidou」の文字をアレンジしたレイモン・アンスの平面作品、さらに前年の1975年は、ポンピドゥー・センター建設のために取り壊される建物に介入したゴードン・マッタ=クラークの映像が出品され、なんだか自画自賛で終わってるぞ。

2016/06/10(金)(村田真)

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アート・アーカイヴ資料展XIV「鎌鼬美術館設立記念 KAMAITACHIとTASHIRO」

会期:2016/06/01~2016/07/15

慶應義塾大学アート・スペース[東京都]

細江英公は1965年9月、舞踏家、土方巽をモデルとして秋田県羽後町田代で「鎌鼬」を撮影した。このシリーズは、1968年3月の銀座ニコンサロンでの個展「とてつもなく悲劇的な喜劇」に出品され、69年には田中一光のデザインで現代思潮社から写真集『鎌鼬』として刊行されて、細江の代表作のひとつとなった。それから50年あまりが過ぎたが、撮影の舞台となった田代の住人たちのなかには、わずか2日間あまりの土方との邂逅の記憶が深く刻みつけられているという。東北の農村に、土方はまさに折口信夫のいう「マレビト」として出現したのではないだろうか。
本展は、田代の旧長谷山邸が「里のミュージアム 鎌鼬美術館」として生まれ変わるのを期して、東京・三田の慶應義塾大学アート・スペースで開催された。細江撮影の「鎌鼬」のオリジナルプリントとコンタクトプリントに加えて、桜庭文男が現代の田代を撮影した「稲架(はさ)のある里/四季」、藤原峰のドローン空撮による映像作品、ポスターなどの関連資料が出品され、会場の一角には、細江の写真に印象深く写り込んでいる「稲架」も再現されていた。展示スペースがやや小さいのが残念だが、ひとつの写真シリーズが呼び起こした反響を、時代を超えて検証しようとする興味深い企画である。今後「鎌鼬美術館」の活動が展開していくなかで、さらに多様なコラボレーションが期待できるのではないだろうか。
なお、展覧会を主催した慶應義塾大学アート・センターは、土方巽のほかに、瀧口修造や西脇順三郎の関連資料も多数所蔵している。その一部を見せていただいたのだが、展示企画に結びつきそうな写真資料もかなりたくさんあった。ぜひ展覧会や出版物のかたちで、積極的に公開していってほしいものだ。

2016/06/08(水)(飯沢耕太郎)

笹岡啓子「SHORELINE」

会期:2016/05/24~2016/06/19

photographers’ gallery[東京都]

笹岡啓子が2015年から東京・新宿のphotographers’ galleryで開催している「SHORELINE」展も今回で3回目になる。展覧会にあわせて刊行される同名の小冊子も、もう24号になった。主に川筋を辿りながら、「時制を超えた「地続きの海」を現在の地形から辿り、連ねていく」というシリーズだが、今回は静岡県の大井川沿いの山間部(「奥大井」)と沿岸部(「遠州灘」)を撮影している。
会場に並ぶ13点を見ると、風景の細部に向かう笹岡の眼差しが、少しずつ練り上げられ、厚みを帯びてきているように感じる。かつてルイス・ボルツ、ロバート・アダムズ、ジョー・ディールらが1970年代に試みた、地勢学的な風景の描写(「ニュー・トポグラフィックス」)の現代版といえなくもないが、笹岡のアプローチはそれとも違っている。「ニュー・トポグラフィックス」の厳密で冷ややかなモノクロームの描写と比較すれば、笹岡のカラー写真はもっと柔らかなふくらみがあり、風水的な気の流れが写り込んでいるようでもあるからだ。独特の感触を備えた、日本の風土に即した風景写真が、かたちをとりはじめているのではないだろうか。
なお、隣接する展示スペース、KULA PHOTO GALLERYでは、「飯舘」のシリーズ8点を展示していた。いうまでもなく、福島第一原発の事故による放射能汚染で、いまだに居住制限地域、帰還困難地域が大きな面積を占める土地だ。2014年4月、8月、2016年3月に撮影された笹岡の写真にも、除染された汚染土を袋詰めして、あちこちに放置してある光景が写り込んでいる。数千万年、数億年という単位で「地続きの海」が見えてくる「奥大井」、「遠州灘」と、5年前の震災の記憶がまざまざと甦えってくる「飯舘」を対比的に展示したところに、笹岡の批評的な企みがあるのだろう。

2016/06/07(火)(飯沢耕太郎)

美を掬(すく)う人 福原信三・路草─資生堂の美の源流─

会期:2016/04/05~2016/06/24

資生堂銀座ビル1、2階[東京都]

資生堂初代社長であり写真家としても活動した福原信三と、弟の路草の未発表写真展。作品は兄弟別ではなく、木、風景、人物などテーマ別に分かれているが、信三は黒、路草は白と額縁の色で区別している。兄弟だから似たような写真ばかりだろうと思いながら見ていたが、しっかり違いがわかった。信三はきわめて真っ当な美しい芸術写真を目指したのに対し、路草はディテールにこだわったり抽象的な画面構成を試みたりどこか斜に構えているのだ。信三が調和のとれた全体を目指す古典主義だとすれば、路草はそこからの逸脱を試みるバロックにたとえられるかもしれない。まあだいたい兄弟ってそんなもんでしょ。

2016/06/06(月)(村田真)

奥村雄樹による高橋尚愛

会期:2016/06/04~2016/09/04

メゾンエルメス8階フォーラム[東京都]

奥村はベルギーのある画廊の活動をまとめた本を通じて、60年代にそこで個展を開いた高橋尚愛というコンセプチュアル系のアーティストを知る。彼に興味をもった奥村は、当時の画廊主を探し出して、倉庫で作品に対面し、作家本人に会うことにも成功。高橋はミラノでルーチョ・フォンタナ、その後ニューヨークで長くラウシェンバーグのアシスタントを務めたという。なぜ高橋に興味をもったかといえば、奥村と同じく「私の作品」「作者」という概念に批判的な問題意識を持っているからだ。ここからふたりのコラボレーション、というより奥村による高橋への自己同一化の試みが始まる。今回のふたりの「個展」では、高橋としてインタビューに答える奥村の映像、ラウシェンバーグらとともに撮った写真から高橋だけを浮き上がらせた画像、高橋がラウシェンバーグ、ジャスパー・ジョーンズ、ジョセフ・コスースら22人のアーティストに記憶だけで描いてもらったアメリカ地図などを出している。この地図の作品は、サイ・トゥオンブリは極限まで単純化し、荒川修作は女の横顔に見立てて描いていておもしろいのだが、彼らの作品であると同時に高橋の作品であり、また今回は奥村の作品にもなっているのだ。この方法を拡大すれば「ひとり国際展」も不可能ではない。ちなみに高橋の若き日のポートレートを見ると、どことなく奥村に似ている。

2016/06/06(月)(村田真)

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