artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
山谷佑介「RAMA LAMA DING DONG」
会期:2015/11/21~2015/12/19
YUKA TSURUNO GALLERY[東京都]
今回、東京・東雲のYUKA TSURUNO GALLERYで開催された山谷佑介の2度目の個展のオープニングトークで、本人が話してくれたことだが、彼は20代前半までパンク・バンドを組んで活動していたのだという。担当の楽器はドラムスだった。むろん音楽と写真とは直接関係がないが、彼の作品には、明らかにリズム感のよさがあらわれている。例えば今回の「RAMA LAMA DING DONG」のシリーズでも、モノクロームプリントの光と影の配分、似かよったイメージの反復、意表をついたずらし方などに、外界の刺激と内的なリズムとが、全身感覚的にシンクロしていることが感じられるのだ。
タイトルの「RAMA LAMA DING DONG」は、1958年にヒットしたエドセルズのドゥワップ・ナンバーだが、その軽快なリズムに乗せて展開するのは、山谷自身の新婚旅行である。2014年の夏に、山谷と江美のカップルは、北海道から九州・長崎まで約1カ月かけて日本を縦断した。新婚旅行というと、どうしても荒木経惟の名作『センチメンタルな旅』(1971)が思い浮かぶが、あの「道行き」を思わせる悲痛な雰囲気とはほど遠い、弾むような歓びが全編にあふれている。それもそのはずで、山谷が写真を編む時に参照していたのは、奈良原一高のアメリカヒッピー旅行のドキュメント『celebration of life(生きる歓び)』(毎日新聞社、1972)だったという。荒木や奈良原だけでなく、このシリーズにはロバート・フランクやラリー・クラークや深瀬昌久の写真を彷彿とさせる所もある。1985年生まれの山谷の世代は、過去の写真たちを自在にサンプリングできる環境で育っており、自然体で写真史の名作のエッセンスを呼吸しているということだろう。
2015/11/21(土)(飯沢耕太郎)
大島成己「Figures」
会期:2015/11/07~2015/12/02
Yumiko Chiba Associates viewing room shinjuku[東京都]
これまで「風景」や「静物」を中心に作品を発表してきた大島成己が、意欲的に新たな領域にチャレンジしている。今回のYumiko Chiba Associates viewing room shinjukuでの個展のテーマは「人体」である。前作の「haptic green」のシリーズでは、被写体となる「風景」のさまざまな部分を撮影した画像を、スティッチングの手法でひとつの画面に統合/再構築することを試みていた。今回の「Figures」でも、その手法は踏襲されているのだが、見かけの統合性がより強まり、一見するとワンショットで撮影されたポートレート作品に見える。だが細部に目を凝らすと、「人体」の各部分のピントが合っている部分と、外れている部分のバランスが微妙にずれていて、通常の「見え」とは異なっているのがわかる。「haptic green」では、それが目くらまし的な視覚的効果を生んでいたのだが、このシリーズでは、クローズアップが多用されていることもあって、むしろ心理的な衝撃力が強まっているように感じた。
大島は展覧会に寄せたコメントで、「人体の触覚的表面を表現」するというこの作品の意図は、「抽象的な、あるいはアノニマスな存在として完結させるのではなく、そこに固有性が浮かび上がるようにしていきたい」と述べている。「固有性」というのは、単純に人種や性別や社会的な属性だけではなく、「その人自体の存在性」を浮かび上がらせるということだ。たしかに今回の「Figures」では、大島と被写体となる人物との個的な関係のあり方が、その「固有性」として生々しく露呈しているように感じた。この「人体」の探究の試みは、ぜひ続けていってほしい。さらに実りの多い成果が期待できそうだ。
2015/11/21(土)(飯沢耕太郎)
西江雅之『写真集 花のある遠景』
発行所:左右社
発行日:2015年11月20日
西江雅之(1937~2015)は東京生まれの文化人類学者・言語学者。3年間風呂に入らない、同じ服を着続ける、歯ブラシ一本で砂漠を踏破した、といった「伝説」が残るが、生涯にわたってアフリカ、アジア、中米などに足跡を残した大旅行家でもあった。その彼が撮影した数万カットに及ぶ写真群から、管啓次郎と加原菜穂子が構成した遺作写真集が本書である。
前書きとしておさめられたエッセイ「影を拾う」(初出は『写真時代 INTERNATIONAL』[コアマガジン、1996])で、西江は自分にとって写真とは「時間とは無縁に存在する形そのものを作る」ことだったと書いている。何をどのように撮るのかという意図をなるべく外して、被写体との出会いに賭け「『うまく行け!』と、半ば祈りながらシャッターを押す」。このような、優れたスナップシューターに必須の感覚を、西江はどうやら最初から身につけていたようだ。本書におさめられた写真の数は決して多くはないが、その一点、一点がみずみずしい輝きを発して目に飛び込んでくる。「形」を捕まえる才能だけではなく、そこに命を吹き込む魔術を心得ていたのではないだろうか。
西江の写真を見ながら思い出したのは、クロード・レヴィ=ストロースが1930年代に撮影したブラジル奥地の未開の部族の写真をまとめた『ブラジルへの郷愁』(みすず書房、1995)である。レヴィ=ストロースのナンビクワラ族と西江のマサイ族の写真のどちらにも、写真家と被写体との共感の輪が緩やかに広がっていくような気配が漂っている。「人類学者の視線」というカテゴリーが想定できそうでもある。
2015/11/21(土)(飯沢耕太郎)
三宅砂織/山本優美「Why did I laugh tonight?」
会期:2015/10/31~2015/12/06
Gallery OUT of PLACE TOKIO[東京都]
Gallery OUT of PLACE TOKIOで陶芸家の山本優美と二人展を開催している三宅砂織が用いているフォトグラムも古い技法だ。写真の発明者の一人である、イギリスのウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットが、すでに1830年代に「フォトジェニック・ドローイング」と称して実験を試みている。
ただし、三宅の手法は印画紙の上に物体を置いて光に曝し、そのシルエットを写し取る通常のフォトグラムとは異なっていて、透明な素材にドローイングしたものを「ネガ」として使用し、それにガラスやプラスチックのオブジェをまき散らすように配置してプリントするものだ。最終的な発表の形態は印画紙なのだが、画像の見かけは絵画作品そのものである。それでもスナップ写真を素材にしてドローイングしている場合が多いのと、モノクロームに仕上がるので、写真作品と見えなくもない。その絵画と写真の折衷というあり方が、独特の雰囲気を醸し出していた。
今回の展示では、前回の展示に比べると大きな作品が増えてきている。大判の印画紙を4枚繋ぎ合わせているものもある。以前は作品が小さかったので、親密な印象を与えるものが多かったのだが、画面が大きくなってダイナミックな躍動感が出てきた。同一の「ネガ」から何枚かプリントしたり、裏焼きにしたりした作品もあり、以前よりも絵画的な要素が強調されているようにも見える。三宅の作品における写真的要素と絵画的な要素は、せめぎ合いつつ、ヴァリエーションを増やしていくのだろう。その上で、今回何点か出品されていた「花」のシリーズのように、特定のテーマに絞り込むことも考えられそうだ。
2015/11/19(木)(飯沢耕太郎)
下平竜矢「星霜連関」
会期:2015/11/10~2015/11/23
新宿ニコンサロン[東京都]
下平竜矢は、10年前に移り住んだ青森県八戸市の古い神社で獅子舞を見た時に、「原始の時間が現出した」ように感じたという。それ以来、「かの始めの時」を求めて各地の祭礼や民俗行事を中心に撮影してきた。それは芳賀日出男、内藤正敏、須田一政など、これまで多くの写真家が取り上げてきたテーマだし、近年でも石川直樹や小林紀晴の仕事が思い浮かぶ。だが、それらの写真家たちとの差異性を意識し過ぎることなく、自分のやり方を押し通していったことで、独自の質感を備えた写真群が形をとりつつある。今回、新宿ニコンサロンで開催された個展、およびZEN FOTO GALLERYから刊行された同名の写真集を見て、下平の作品の方向性が着実に固まってきたことを確認できた。
出品作33点には、祭礼や行事の様子がしっかりと記録されているものもある。だがむしろ目につくのは、炎、水、空気のどよめき、群集のうごめきなどに還元された、何が写っているのかよくわからない写真だ。つまり下平は、オーソドックスな「民俗写真」の作法に寄りかかることなく、「原始の時間」をむしろ直接的につかみ取ろうとしているのではないだろうか。そのことは、写真展や写真集に、日付、場所、行事についてのデータ、キャプションが一切省かれていることからも裏づけることができる。このやり方が諸刃の剣であることをよく承知しつつ、彼があえて「未知なる感覚」にチャレンジしようとしていることを評価したい。
なお、同時期に東京・渋谷の東塔堂でも作品19点による同名の個展が開催された(2015年11月17日~11月28日)。こちらはより徹底して、風景から立ち上ってくる「気配」に集中している。
2015/11/18(水)(飯沢耕太郎)