artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

柿本ケンサク「TRANSLATOR」

会期:2016/01/16~2016/01/31

代官山ヒルサイドテラス ヒルサイドフォーラム[東京都]

柿本ケンサクは1982年、香川県生まれ。学生時代から映像作家として活動し始め、コマーシャルフィルムを中心に多くの仕事をこなしてきた。今回の代官山ヒルサイドテラス ヒルサイドフォーラムでの個展は、写真家としての本格的なデビュー展になる。
ソルトレイクシティのハイウェイ、アイスランドの氷海、スコットランド・アバディーンのCM撮影現場、カザフスタンのロケット打ち上げ、イギリス・ウェストンスーパーメアのアーティストがプロデュースしたという遊園地、モンゴルの草原地帯の人々──世界中を移動しながら仕事を続けている映像作家らしく、次々に新たな眺めがあらわれては消えていく。被写体のつかまえ方は揺るぎなく的確だし、それぞれのエピソードごとの写真群の並べ方、まとめ方も実にうまい。とはいえ、その映像センスのよさは諸刃の剣で、どこか空々しい「コマーシャルっぽさ」を感じてしまう写真も多かった。
気になったのは、むしろ撮影の合間にふと横を向いてシャッターを切ったような日常的な場面の写真で、それら空き瓶、食べかけのバナナ、枯れ葉や吸い殻に覆われたマンホールの蓋、プラスチック製の蠅たたきなどの捉え方に、彼らしいものの見方が芽生えつつあるように思う。今のところ、個々のエピソードを繋いでいく強固なメッセージはまだ見えてこないが、巨視的なイメージと微視的なイメージを対比させたり、重ね合わせたりしていくことで、「写真家」としてのスタイルが定まっていくのではないだろうか。そんな可能性を強く感じさせる展示だった。

2016/01/22(金)(飯沢耕太郎)

Behind The Scene スタジオ・ジャーナル・ノック/西山勲写真展

会期:2016/01/20~2016/01/31

iTohen[大阪府]

福岡県でグラフィックデザイナーを生業としていた西山勲。ある日彼は仕事を清算し、2年間の旅に出た。そして世界各地で出会ったアーティストを取材し、原稿・撮影・編集・デザインを一人でこなして、『Studio Journal Knock』なる雑誌を作り上げてしまう。本展は、同誌に掲載した写真約50点をピックアップした個展である。見知らぬ土地で初めて出会う人間に取材を行なうのは緊張感を伴う行為だが、作品から滲み出るのは、くつろぎ、親密感、好奇心といったポジティブな感情ばかり。このリラックスした空気感こそが本展のコアであろう。肝心の雑誌も展示・販売されていたが、とても個人制作とは思えない上質さだった。地方で、個人で、ここまでできる時代なのか。関西でフリーライターをしている筆者にとっても、励みになる展覧会だった。

2016/01/21(木)(小吹隆文)

プレビュー:作家ドラフト2016 近藤愛助 BARBARA DARLINg

会期:2016/02/02~2016/02/28

京都芸術センター[京都府]

若手アーティストの支援・発掘を目的とした京都芸術センターの公募展。毎回1人(組)の審査員を立てるが、今回その任を務めるのは美術家の小沢剛だ。彼が104件の応募から選んだのは近藤愛助とBARBARA DARLINg(バーバラ・ダーリン)の2人。近藤の作品は、彼の祖父が第2次大戦中に収容されていたアメリカの日系移民収容施設で撮影した写真と、彼自身が祖父になり替わるパフォーマンス映像。ダーリンの作品は、東北の海岸を車で旅するロードムービーで、台詞は「愛している」の一言のみという。両者に共通するのは、記憶が土地や個人を突き抜けて社会への問題提議になるということ。会期中の2/7(日)には2人の作家と小沢によるトークも予定されており、それぞれの作品や選出理由をより詳しく知ることができるだろう。

2016/01/20(水)(小吹隆文)

トーマス・ノイマン MORI・Thomas Neumann・ISHI

会期:2016/01/16~2016/02/13

ギャラリーノマル[大阪府]

2013年にギャラリーノマルで2人展を行ったノイマンが、昨年10月に出版した写真集『The Japanese Series』の収録作品で日本初個展を開催した。作品は《MORI》《ISHI》と題した2つのシリーズ。《MORI》は山林を高い位置から見下ろす角度で撮影したストレート写真で、ネガ画像を定着させている。そのせいか水墨画のような仕上がりで、最初のうちはCGかと思った。それに対して《ISHI》は鑑賞用の水石をアップで撮影したものだ。どちらも長辺1メートルを超えるラージサイズでプリントされており、それこそ山水画の屏風や掛軸を見ているような気持にさせられる。縮景から大自然を想像するのは東洋美術の伝統だが、それが通用するこれらの作品は多くの日本人にとってアプローチしやすいものであろう。トーマス・ルフに師事し、コンセプチュアルな思考が骨の髄まで染み込んでいるであろうドイツ人作家から、このような作品が生み出されたのは興味深いことだ。

2016/01/19(火)(小吹隆文)

川田喜久治「Last Things」

会期:2016/01/08~2016/03/05

PGI[東京都]

川田喜久治は2000年代以降、以前にも増して精力的に作品を制作し、発表し続けている。2002~2010年の写真は「World’s End(世界の果て)」、2011~2012年の写真は「2011──Phenomena(現象)」というタイトルでまとめられ、それぞれフォト・ギャラリー・インターナショナル(現PGI)で展示された。そしてその「最後の項」として提示されたのが、今回の「Last Things(最後のものたち)」のシリーズである。
目の前の事象を「滅び」の相の下に捉えていく視点は、最初の写真集である『地図』(美術出版社、1965)以来一貫している。だが、そのメランコリックで瞑想的なイメージの強度は、近作になればなるほどより増してきているようにも感じる。川田は1933年生まれなので、80歳を越えてから、なお新作を次々に発表しているわけで、その創作意欲の高まりは特筆すべきものといえるだろう。
2000年以降の3シリーズを比較すると、微妙な変化も生まれてきている。今回の「Last Things」は、デジタル画像の加工や合成のテクニックがやや過剰なほどに使われていた前作と違って、ストレート写真への回帰が目につく。それだけではなく、天体現象と地上の現実を対比させる導入部は旧作の「The Last Cosmology」(1996)を思わせるし、「気まぐれ Los Caprichos」(1972~75)や『ルードヴィヒII世の城』(朝日ソノラマ、1979)につながる写真もある。つまり「Last Things」には、どことなく彼の写真家としての軌跡を辿り直しているような趣があるのだ。
今回の発表で三部作の一応の区切りはついたようだが、川田自身はこれで終わりという考えは毛頭ないようだ。さらに次のステップへとたゆみなく歩みを進めていく、そんな覚悟が充分にうかがえる意欲的な展示だった。

2016/01/15(金)(飯沢耕太郎)