artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
奥山由之「BACON ICE CREAM」
会期:2016/01/22~2016/02/07
パルコミュージアム[東京都]
奥山由之は1991年東京生まれ。2011年の第34回写真新世紀で優秀賞を受賞し、広告、ファッションの分野で最も若い世代の写真家の一人として注目を集めつつある。今回のパルコミュージアムでの個展「BACON ICE CREAM」は、本格的なデビュー写真展であり、展覧会にあわせて同名の写真集(PARCO出版)も刊行された。
「この世界の色、かたち、光ぜんぶ。」を、軽やかに採集し、まき散らしていく写真群にはまったく迷いがなく、ポジティブなエネルギーが溢れ出ている。途中に冷蔵庫の扉を設置して、そこから次のパートに進んでいく会場インスタレーションや、写真のプリントを何枚か重ねあわせてクリップ止めした展示のアイディアなども、なかなか気が利いている。彼が業界で重宝がられる理由もよくわかる気がした。
ただ、写真そのものにはどこか既視感がつきまとう。あえて銀塩カラー写真の柔らかみのある手触り感を強調していることもあって、デジタル世代の割にはノスタルジックな雰囲気が漂っている。ストップモーションで被写体を止める手法や、ハレーションの表現が、どこかHIROMIXを思わせるところがあると思ったら、なんとHIROMIX本人が写真新世紀で優秀賞に選んでいた。1990年代にHIROMIXや蜷川実花が打ち出していった、現実世界との親和性、幸福感を基調とする写真表現が、意外なかたちでより若い世代に受け継がれているということだろうか。才能の輝きは疑い得ないので、次はさらなる大胆なチャレンジを期待したいものだ。
2016/01/26(火)(飯沢耕太郎)
阿部淳『1981』(上・下)
発行所:VACUUME PRESS
発行日:2015/12/31
阿部淳、野口靖子、山田省吾が共同運営する大阪の出版社、VACUUME PRESSから刊行されてきた阿部淳の写真集も、これで8冊目と9冊目になる。今回は阿部が大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ専門学校・大阪)を卒業した年である1981年に撮影した写真群を、2冊組の写真集にまとめて刊行した。
阿部は専門学校在学中から現在に至る路上のスナップ写真を撮影し続けているのだが、そのあり方がこの時期からほとんど変わっていないことを、あらためて確認できた。被写体になっているのは大阪の街の雑然としたたたずまいと、そこを行き交う人物たち、そこここに溢れ出し、増殖するモノの群れなのだが、阿部が鋭敏に反応しているのは、むしろそれらのあいだに漂う不穏な気配なのではないかと思う。建物やヒト(ゴーストのようだ)やモノは、固定した意味づけから遊離して、何か訳のわからない異物と化し、光と闇のあわいを漂いはじめる。川田喜久治の路上の写真にも同じような感触があるが、阿部のほうがより重力を脱した浮遊性が強いのではないかと思う。
阿部はこのところ、『2001』(2013)、『プサン』(2014)と、過去に撮影した写真群を再プリントして写真集として刊行し続けている。撮影時から時間を経て、写真を見る目が変化し、あらためて新たな気づきがあるという意味で面白い試みだと思う。ただ、そろそろ新作が出てきてもいい時期ではないだろうか。旧作と新作を対比させて提示するというのも面白いかもしれない。
2016/01/26(火)(飯沢耕太郎)
森山大道写真展
会期:2016/01/23~2016/02/20
東京芸術劇場5階ギャラリー1[東京都]
AMでの「DAIDO IN COLOR」展の余韻がまだ冷めないうちに、東京・池袋の東京芸術劇場5階ギャラリー1で「森山大道写真展」が始まった。2月6日~6月5日にはパリのカルティエ現代美術財団で、近作による「DAIDO TOKYO 」展が開催予定で、このところの森山の展示活動には加速がついてきたようだ。
本展は「光と影」、「網目の世界」、「通過者の視線」の3部構成で、それぞれ特徴がある三つのシリーズを組み合わせて森山の作品世界を再構築している。1982年の写真集『光と影』(冬樹社)の掲載作30点を並べた「光と影」は、オーソドックスな回顧展の趣だが、「網目の世界」のパートでは初期の「ニューヨーク」や「アクシデント」などのシリーズからピックアップした作品18点を、シルクスクリーンで大きく引き伸してプリントし、壁紙状に反覆された目のイメージの上に重ねて展示している。「通過者の視線」のパートは2009~2015年に池袋や新宿の路上で撮影された新作をインクジェット・プリントで出力して、グリッド状に構成しており、森山のカラー写真の表現の、現時点での到達点を見ることができた。
以前の森山は、どちらかというと写真集の刊行を目標、あるいは区切りとして作品を発表していたのだが、このような展示を見ると、その意識が展覧会のほうにややシフトしてきているように思える。会場のレイアウトにあわせて、写真の数や並べ方を自在にコントロールすることで、観客を巻き込んでいくようなヴィヴィッドな展示空間を実現している。ただ、これだけ展覧会が続くと、作品を前にして新鮮な衝撃を感じるのはむずかしくなってくるだろう。写真集と写真展を両輪としつつ、新たな発表の形式を模索していく時期に来ているのかもしれない。
2016/01/25(月)(飯沢耕太郎)
森山大道「DAIDO IN COLOR」
会期:2015/12/15~2016/01/30
AM[東京都]
森山大道といえば、モノクロームのコントラストを強調したストリート・スナップというイメージが強いが、じつは初期からカラー写真もかなりたくさん撮影している。1960年代~70年代に「朝日ジャーナル」や「週刊プレイボーイ」(篠山紀信と交互にヌード作品を掲載していた)に発表された写真はほとんどがカラーだし、それらをまとめて蒼穹舎から『COLOR』(1993)、『COLOR2』(1999)という2冊の写真集も刊行している。2000年代以降、デジタルカメラを主に使うようになってからは、むしろカラー写真の比率のほうが大きくなりつつあるように見える。
今回、東京・明治神宮前のアートスペース、AMでまとめて展示された、150点あまりの作品を見ると、森山にとってのカラー写真はモノクロームとはやや異なった意識で撮影されているようだ。森山自身は「モノクロームには、印象性、象徴性、抽象性があるけれど、カラーには、ポップでクリアーでジャンク、いい意味でペラペラな感じがある」と語っているが、たしかにカラー写真のほうが、被写体の色や「ペラペラな」質感にヴィヴィッドに反応しているように感じる。特に目につくのは、飲食店街などに氾濫する紫がかったピンク色や、丸みを帯びたエロチックなフォルムに対するエキサイトぶりで、モノクロームと比較すると、森山のフェティッシュな嗜好が剥き出しで表出しているのが興味深い。1960年代から70年代を中心に80年代の作品まで、バラバラな順序で並んでいたが、年代ごとに彼のカラー写真の変遷を追う展示も見てみたいものだ。
2016/01/24(日)(飯沢耕太郎)
THE COPY TRAVELERS exhibition「ストーブリーグ2016」
会期:2016/01/15~2016/02/01
Division、VOU[京都府]
京都を拠点に活動する若手作家、上田良、迫鉄平、加納俊輔によるユニット「THE COPY TRAVELERS」。ユニット名に「COPY」と冠されているように、カメラやコピー機、スキャナーといった複製装置を用いて、既成のイメージを再利用したコラージュを「複製」する行為を作品化している。
彼らの活動は、「コピー」、「コラージュ」、「共同作業(コレクティブ)」という、三つの軸から考えることができる。風景写真やグラビアアイドルの写真、布やベニヤ板の一部など、種々雑多な素材が切り抜かれてコラージュされ、コピー機にかけられて、一枚の平面として提示される。暴力的で視認不可能なほど切り刻まれ、接合された画像の群れに、記号化されたマンガのようなドローイング(上田)が描き重ねられる。また、切り抜かれていない一枚の写真や立て看板が画面内にしばしば写され、撮影されたものの再撮影という反復性とともに、画中画のような入れ子構造を形づくる。この入れ子構造は、平面作品の画面中央に、写真の額装マットのような矩形のフレームが切り抜かれ、その「窓」の中に別のイメージがはめ込まれていることと対応している。この「窓」は、カメラのフレームやPCモニター上のウィンドウといった視覚の制度を示唆する。
切り刻み、接合し、穴や切れ目にねじ込み、重ね合わせ、押し付ける。可塑性のあるものとしてイメージを扱う手つきは、フォトショップなど画像加工ソフトによって画像の編集が容易になった時代的感性だ。ではなぜ、コピー機というアナログな装置が用いられているのか。それは、コラージュされた素材の重なり合いが、表面のみ機械的にスキャンされることで、瞬時にして一枚の平らな画面に変換されるからだろう(この平面への「圧縮」という性質は、例えば、シールやテープの貼られたベニヤ板の写真を、実物のベニヤ板の表面に貼り、物理的な表面とレイヤーの乖離によって認識を混乱させる加納作品と通底している)。加えてコピー機の場合、完全にはコントロール不可能なノイズの混入という即興性がある。影の写り込み、押し付けた布や紙の皺、ビニールの反射、手を動かしたときのブレや歪み……。いわば彼らは、DJが次々とレコードを取り替えながら、スクラッチによってノイズ混じりの新たな音を即興的に生成させていくように、不鮮明化、皺、反射光や影といった情報の変形を加えながら、コピー台の上で次々とイメージを編集していくのだ。
2016/01/24(日)(高嶋慈)