artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

ティム・バーバー「Blues」

会期:2015/10/10~2015/11/14

YUKA TSURUNO GALLERY[東京都]

ティム・バーバーは1979年、カナダ・バンクーバー生まれ。アメリカ・マサチューセッツ州で育ち、現在はニューヨークを拠点として活動している。ライアン・マッギンレーなどとともに、アメリカのニュー・ジェネレーションの写真家として注目されている若手で、繊細でセンスのいいポートレートやスナップをファッション雑誌などにも発表している。
だが、今回東京・東雲のYUKA TSURUNO GALLERYで発表した「Blues」は、これまでの作品とは一線を画するものだ。全作品が19世紀以来使われている古典技法の一つで、青みのある画像がミステリアスな雰囲気を醸し出すサイアノタイプでプリントされているのだ。画像そのものはiPhoneで撮影された軽やかなスナップショットなので、古典技法のテクスチャーとはミスマッチなのだが、逆にそれが面白い効果を生み出している。特にいくつかの作品に写り込んでいる「影」の描写が魅力的だ。「影」を画面に取り込むことは、リー・フリードランダーや森山大道、さらに最近ドキュメンタリー映画『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』が公開されて話題を集めているヴィヴィアン・マイヤーなどもよく試みている。だが、バーバーの「青い影」は、彼らの存在証明として「影」の描写よりもより希薄で、フワフワと空中を漂うような浮遊感がある。彼が今後もサイアノタイプの作品を作り続けるかどうかはわからないが、現代写真と古典技法の組み合わせは、さらなる融合の可能性を秘めていると思う。

2015/11/13(金)(飯沢耕太郎)

西野達「写真作品、ほぼ全部見せます」

会期:2015/09/05~2015/10/31

TOLOT/ heuristic SHINONOME[東京都]

すでに会期は終わっていたのだが、そのまま会場に展示されていたので、西野達の写真作品をまとめてみることができた。
シンガポールのマーライオン像やニューヨークのコロンブス像を、ホテルの部屋の中に取り込んだ大規模なインスタレーション作品(《The Merlion Hotel》〔2011〕、《Discovering Columbus》〔2012-13〕)で知られる西野だが、それらのドキュメントとしてだけではなく、写真作品としても高度なレベルに達しているものが、たくさんあることがよくわかった。通行人の頭の上にベッドなどの家具を積み上げた《Life’s little worries in Berlin》(2007)や《Life’s little worries in Osaka》(2011)、豆腐で作った仏陀に醤油を噴水のように振りまく《豆腐の仏陀と醤油の後光──極楽浄土》(2009)など、発想の柔軟さと豊かさ、それを形にしていく手際の鮮やかさを堪能することができた。
1960年、名古屋出身の西野は、武蔵野美術大学大学院修了後、ドイツのミュンスター大学美術アカデミーで学び、現在はドイツを拠点として活動している。いわゆる「彫刻」の枠組みにはおさまりきれない、仮設のインスタレーションが彼の持ち味だが、それには画像として固定することが不可欠の要素となる。その写真撮影のプロセスが洗練されているだけでなく、遊び心にあふれているところがとてもいい。

2015/11/13(金)(飯沢耕太郎)

薄井一議「昭和92年」

会期:2015/10/31~2015/11/21

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

薄井一議は、2011年に同じZEN FOTO GALLERYで「昭和88年」と題する個展を開催している。かつての色街を中心に、異形の人物が跳梁する前作の雰囲気は今回もそのまま踏襲されており、タイトルも含めて、明らかに続編を意識した作りといえるだろう。だが、「日本最後の見世物小屋、津軽の人形婚、イタコ文化、佐賀の秘宝館、闘犬、元任侠の三味線弾き」(薄井の私信より)など、被写体の幅が広がっているとともに、それらが俗っぽい見かけであるにもかかわらず「侵すことのできない聖域=アジール」に属する事象であることが、しっかりと意識されるようになっている。前作とあわせて見ることで、薄井の作品世界の深まりがはっきりと見えてくるのではないだろうか。
薄井が写真を撮り続ける時に意識していたのは「東京オリンピック」だったという。2020年のオリンピックをめざして、街並は変貌し、至る所で「浄化作戦」が進行している。かつてのいかがわしさを含み込んだ、多面的、多層的な「グレーな文化、矛盾の文化」も窒息状態に追い込まれつつある。薄井はそんな中で、まだ「人間らしく愛らしい文化」が息づいている「アジール」を撮り続けることに、ある種の切迫した感情を抱いているのではないだろうか。そのことが、脱色したようなピンクや水色を強調した写真群から、じわじわと滲み出すように伝わってきた。この「昭和」のシリーズは「最後の昭和の断片が一掃されるであろう東京オリンピックの年で完結」する予定という。それまでに、どれだけの厚みが加わっていくのかが楽しみだ。
なおZEN FOTO GALLERYから写真集『Showa92 昭和92年』から同名のハードカバー写真集が刊行されている。前作に引き続いて町口覚のデザイン。写真のレイアウトがリズミカルで、目に快く飛び込んでくる。

2015/11/11(水)(飯沢耕太郎)

笹岡啓子「SHORELINE」

会期:2015/10/29~2015/11/27

photographers’gallery[東京都]

笹岡啓子は東日本大震災以降、2012~13年にかけて三陸沿岸と阿武隈山地の村々を撮影し、「Difference3.11」と題する展覧会を開催し、B5判の小冊子『Remembrance』(全41巻 KULA)を刊行し続けてきた。それらが完結したのを受けて、2015年以降に「SHORELINE」のシリーズを発表しはじめている。本展は2015年6月に開催された同名の展覧会(「秩父湾」を展示)に続くもので、小冊子『SHORELINE』(KULA)もすでに18冊刊行されている。
今回の展示は「香取海」と題され、茨城県の霞ヶ浦の周辺で撮影されたものだ。このあたりは1000年前には関東平野のかなり奥まで海が入り込んでおり、現在とは「海岸線」もかなり違っていた。前回展示した「秩父湾」もそうなのだが、笹岡が試みようとしているのは数千年、数万年の単位で変動していく地勢の変化を、写真撮影を通じて探りあて、「時制を超えた地続きの海」の在処を浮かび上がらせていくことにある。一方、『Remembrance』の完結後も撮り続けられている三陸、福島の被災地域の「海外線」もシリーズの中には組み込まれ、今回、隣室のKULA PHOTO GALLERYで展示されていた「若狭湾」のように、原子力発電所のある風景も視野に入ってきている。つまり、現在と過去の時制が、「海岸線」でせめぎ合うような状況を見つめ直すことが、笹岡のもくろみなのであり、このシリーズはより多様な広がりを持って展開していくのではないだろうか。
とはいえ、笹岡の作品によく登場して来る釣り人たちの姿を画面に取り入れた今回の「香取海」は、主に雨の日に撮影されていることもあって、縹渺とした寄る辺のなさがさらに強まり、魅力的なたたずまいの作品に仕上がっている。つげ義春の一連の「旅もの」の漫画(「枯れ野の宿」1974年など)の描写を思い出してしまった。

2015/11/10(火)(飯沢耕太郎)

仲田絵美「よすが」

会期:2015/11/03~2015/11/09

新宿ニコンサロン[東京都]

仲田絵美は1988年、茨城県出身。本作は2013年に第7回写真「1_WALL」展でグランプリを受賞し、2015年に赤々舎から写真集として刊行された。
仲田は10歳の時に母親を亡くしたのだが、その遺品はずっとそのままになっていた。ところが父が定年を迎え、それらを処分することになったのをきっかけにして、2011年頃から撮影を開始する。時計、手帳、人形などの遺品だけでなく、母が遺した衣服は自分自身が着用して、セルフポートレートとして撮影していった。また、母の服を着た仲田が、子供時代の自分の服と一緒に写っている写真もある。今回は、写真集におさめた作品をさらにセレクトして、42点が展示されていた。
石内都の「mother's」を例に引くまでもなく、娘が母親の記憶をその遺品を手がかりにして辿るという行為は、ごく自然な気持ちの発露であるように思われる。母親の服を身につけて撮影するというアイディアも、その延長上に出てきたものだろう。ことさらに感情移入しているわけではないが、やや緊張感をともなった、丁寧な撮影ぶりに接していると、観客も「母と娘」のストーリーに無理なく引き込まれていくように感じる。
写真展と写真集の刊行で、このシリーズも一区切りがついたので、次に何をやりたいのかが気になった。仲田に訊くと、自分だけではなく、他者たちを含めた共通の経験を重ねあわせていく方向に進みたいという答えが返ってきた。とてもいいと思う。写真だけでなく、映像(動画)や聞き書きのテキストなども組み合わせていくといいのではないだろうか。

2015/11/08(日)(飯沢耕太郎)