artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

牧口英樹/エレナ・トゥタッチコワ「はじまりのしじま」

会期:2015/10/10~2015/11/14

Takuro Someya Contemporary Art[東京都]

東京・南麻布に新しくオープンしたギャラリーで、日本人とロシア人の写真家というやや異色の組み合わせによる二人展が開催された。牧口英樹は1985年、札幌生まれ。エレナ・トゥタッチコワは1984年、モスクワ生まれ。年齢が近いこと以外に、東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修士課程に在学していた(エレナは現在博士課程に在学中)という共通点がある。どちらの作品も、中判カメラで細やかに描写された風景ということに違いはないが、被写体のあり方はかなりかけ離れている。彼らが執筆した、とてもよく練り上げられたコメントによれば、牧口は「都市や環境における人の不在を通じたその『存在』を強く感じ」を、エレナは「自然の中にある人々が、その『存在』を普遍にして」いるというのだ。
ここで彼らが「存在」という言葉で言いあらわそうとしているものこそ、本展の主題である「静寂」(しじま)である。いうまでもなく、写真からは音は聞こえてこない。写真にとって「静寂」は本質的な属性である。だが、だからこそ、逆に「静寂」という状態が「聞こえる」(感じとられる)ものとして立ち上がってくる。牧口とエレナは、それぞれ「都市や環境」、「自然の中にある人々」(モスクワ郊外の夏の情景)を撮影することで、「静寂」に耳を傾け、その「はじまり」を見つめ直そうとしている。そのことが、緊張感を保ちながら、どことなく懐かしさに胸を突かれるような場面として定着されていた。二人とも、写真家としての自分の作品世界が明確に形をとりつつある、とても大事な時期にさしかかっているように感じる。次の展示が楽しみだ。

2015/11/06(金)(飯沢耕太郎)

三好耕三「RINGO 林檎」

会期:2015/10/27~2015/12/26

PGI[東京都]

PGI(フォト・ギャラリー・インターナショナル)は、1979年に東京・虎ノ門にオープンした。日本では1978年開業のツァイト・フォト・サロンに次ぐ、老舗のオリジナル・プリント販売ギャラリーである。1996年には別館のP.G.I.芝浦(田町)をオープン。虎ノ門のギャラリーは2000年にクローズした。その後はずっと芝浦で営業を続けてきたのだが、このたび東麻布に移転し、これまでギャラリーの略称として使われてきたPGIを正式な名称とすることになった。そのリニューアル・オープニング展として開催されたのが、これまでもPGIの看板作家の一人として数々の個展を開催してきた三好耕三の「RINGO 林檎」展である。
16×20インチという超大判カメラを使って、2012年から青森の林檎の樹を撮影したシリーズだが、いかにも三好らしい、風通しのよい作品に仕上がっていた。三好自身の説明を聞いて初めて知ったのだが、林檎の樹のごつごつと歪み、捩じれ、横に広がった樹形は、雪や風のような厳しい自然条件によってでき上がったのではなく、いかにひとつの枝に果実をたくさん実らせるかを追求した結果、人為的な剪定を繰り返してできたものなのだという。そういわれれば、林檎の樹はライフサイズの盆栽を思わせる形状をしている。その武骨な幹や枝ぶりと、つやつやとみずみずしい果実とのコントラストが、モノクロームの豊かな諧調で見事に表現されている。三好の風景写真に特有の、画面全体がゆったりと呼吸しているような感触を、充分に味わい尽くすことができた。
以前に比べてギャラリーのスペースもやや大きくなり、これから先も、若手とベテランとが噛み合った、充実した展示が期待できそうだ。

2015/11/04(水)(飯沢耕太郎)

進藤環「漂泊の地」

会期:2015/10/31~2015/11/28

ギャラリー・アートアンリミテッド[東京都]

昨年(2014年)にはギャラリー・アートアンリミテッドでの個展と東京綜合写真専門学校での公開制作、今年は「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」への参加と、充実した活動を展開している進藤環。本展でも、新たな領域に挑戦しようという意欲が充分に伝わってきた。
今回の新作を見て感じるのは、彼女が用いている、自分で撮影した風景をプリントし、切り貼りしていくコラージュという手法があまり目立たなくなってきていることだ。以前の作品では、パースペクティブの歪みやイメージ相互のズレを意図的に残すことで、「ありえない風景」を作り上げていたのだが、新作では、一見普通に撮影されたように見えるものも多い。画面の細部へ細部へと視線が分裂していくよりも、どちらかといえば風景全体の統合性が強まっており、観客を包み込み、一体化するような雰囲気が強まっている。この変化は、むしろポジティブに捉えるべきだろう。
もうひとつは、特定の地域性へのこだわりである。今回展示された作品は、広島県大久野島、長崎壱岐島、愛媛県別子銅山、東京都八丈島などで撮影されている。以前はそれぞれの撮影場所の固有性は、作品の中にほとんどあらわれてこなかったのだが、今回は明らかにそのことが意識されている。それをもう少し強めていけば、それらの土地に根ざした「サーガ」としても成立していくのではないだろうか。進藤は今年から九州産業大学芸術学部写真・映像・メディア学科の専任講師となり、福岡に居を移した。そのことが、作品制作にもいい影響を及ぼしているのではないかと思う。

2015/11/04(水)(飯沢耕太郎)

有元伸也「ariphoto2015 vol.2」

会期:2015/10/27~2015/11/08

TOTEM POLE PHOTO GALLERY[東京都]

有元伸也が主宰する東京・四谷のTOTEM POLE PHOTO GALLERYが、開廊10年目を迎えた。写真家たちが自主的に運営するギャラリーを続けるには、経済的な問題だけでなく、モチベーションを維持すること自体が大変だと思う。しかもTOTEM POLE PHOTO GALLERYは、ここ10年レベルを落とすことなく展示活動を続けているわけで、それだけでも特筆すべきことではないだろうか。
その有元が、同ギャラリーで年2~4回のペースで発表し続けている「ariphoto」のシリーズも息の長い仕事だ、年1冊ずつ、作品をまとめて刊行している写真集の『ariphoto』も、今回で6冊目になった。新宿を主な舞台とする6×6判、モノクロームのスナップ写真という基本的な枠組みは変わらないものの、初期の写真とくらべると、微妙に変化してきているのがわかる。わかりやすいのは、2011年からレンズを38ミリ(35ミリのカメラに換算すれば21ミリ)の広角レンズに変えたことだろう。スクエアな画面の正面に、被写体を大きく据えて撮影していた以前の作品よりも、周辺や奥の写り込みのスペースが大きくなり、背景にダイナミックな動きが取り入れられるようになった。とはいえ、被写体となる異形の人物やモノを、獲物に飛びかかるように捕獲していく強度はそのまま維持されている。有元は東京ビジュアルアーツの講師をしていて、時々、彼の教え子で同じような6×6判のスナップを試みる者がいるのだが、まったく似ても似つかぬ弱々しいものになってしまう。街歩きの緊張感を保ち続けることのむずかしさがよくわかる。まさに「ariphoto」としかいいようのない、誰もが追随できない領域に達しつつあるのではないだろうか。

2015/11/03(火)(飯沢耕太郎)

西村陽一郎「見る影がある」

会期:2015/11/03~2015/11/15

Gallery Photo/synthesis / Roonee 247photography[東京都]

西村陽一郎は1967年、東京生まれ。美学校で写真を学んだ後、1990年代から数々の作品を発表してきた。1995年、東京・銀座の画廊春秋での初個展以来25年になるというから、キャリア的には相当の厚みを加えてきたといえるだろう。ただ、フォトグラム作品を中心とする作家活動は、多産な割にはうまく焦点が結べないところがあった。だが、今回東京・四谷のGallery Photo/synthesis と Roonee 247photographyで同時開催された展示を見て、彼の本領がようやく発揮されてきているように感じた。
Gallery Photo/synthesisの展示は2部構成で11月3日~8日が「Y氏の光学装置」、11月10日~15日が「青いイカロス」である。両方ともフォトグラム作品だが、特に故柳沢信の所蔵物だったというハッセルブラッドのカメラ、レンズ、4×5インチ判のカメラのレンズボードなどをモチーフにした「Y氏の光学装置」が面白い(「青いイカロス」は鳥の羽根を使ったカラー・フォトグラム作品)。シンプルに抽象化されたカメラやレンズのフォルムが、細部まで注意深く構成されていて、写真表現の旨味を追求し続けた柳沢に対する見事なオマージュになっている。
Roonee 247photographyでは「啞子」、「ヌード」、「脚」の3作品。こちらはフォトグラムではなく、ブルー系にプリントされた「普通の」写真作品だが、これまでの西村の作品にはあまり感じられなかったフェティシズム、エロティシズムの要素が、かなり強く打ちだされていることに嬉しい驚きを覚えた。別に隠していたわけではないだろうが、一人の写真家の中に潜んでいた多面的な貌つきが、このような形で顕われてくるのはとてもいいことだと思う。この展示を踏み台にして、さらにスケールアップした作品を発表していってほしいものだ。

2015/11/03(火)(飯沢耕太郎)