artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
森岡誠「『1981-1996 KIOTO』RE展」
会期:2022/12/13~2022/12/25
ギャラリーメイン[京都府]
森岡誠は1976〜1980年にパリに滞在し、1991年に、その時に撮影したスナップ写真を自費出版写真集『1976-1980 PRIS』として刊行した。その後、同じ体裁で『1981-1996 KIOTO』を出す予定だったが、諸事情で断念する。京都の写真群は1997年に開催された「1981-1996 KIOTO」展(ギャラリーマロニエ)で発表されているが、本展では、その時の48点の出品作をさらに31点に絞り込んで展示していた。
森岡は11歳の頃から「京都を出たり入ったり」して暮らしてきた。生粋の京都人ではないので、その街に対しては愛憎を含み込んだ微妙な距離感がある。それに加えて、4年半に及んだパリ滞在によって、京都への違和感が増幅していた。写真に写り込んでいる街並み、人物たちは、どこか宙吊りになったような曖昧なポジションから撮影されているように見える。そのとりとめのなさ、不分明さはプリントにも及んでいて、やや軟調気味のアグファの2号の印画紙にプリントされた画面には、行き場のない浮遊感が漂っている。ありそうであまり見たことがない、独特の質感、触感をもつ「京都写真」といえるのではないだろうか。
森岡は2000年代以降、主にデジタルカメラで京都を撮り続けている。「1981-1996 KIOTO」のシリーズは、ようやく写真集として刊行する目処が立ったようだが、それ以後の写真も含めて、彼の「京都写真」の全貌を見てみたい。飄々と、風まかせで撮影しているように見えて、実は細やかに、皮膚感覚を鋭敏に働かせて、京都の街の「断片」を採集し続けてきた森岡の仕事は、もう一度見直すべき価値があると思う。
2022/12/18(日)(飯沢耕太郎)
石垣克子・タイラジュン「たずさえる視座(まなざし)」
会期:2022/12/01~2023/01/22
POETIC SCAPE[東京都]
本展は東京オペラシティアートギャラリーのキュレーター、天野太郎の企画で実現した。石垣克子は石垣市出身の画家、タイラジュンはうるま市出身の写真家で、ともに沖縄の日常的な風景をテーマに作品を制作している。ちょうど、ニコンサロンで上田沙也加の展覧会が開催されていたこともあり、比嘉豊光や石川真生などの先行世代とはかなり肌合いが異なる、沖縄写真の新世代といえるタイラの表現のあり方に注目した。
タイラが撮影しているのは、あたかも古墳を思わせる、土が盛られた「塚」とその周囲の光景である。この「塚」は、不発弾の処理のために一時的に築かれるもので、安全を期すためその中で作業が行なわれるのだという。あたかも祭儀の場のような「塚」の形状も興味深いが、ごく日常的なたたずまいの街の一角に、70年以上前の沖縄戦の遺物がいまなお生々しい臨場感をともなって存在しているという事実に、背筋が凍るような思いを味わう。タイラは、だがその眺めを淡々と、感情移入することなく描写し、上原沙也加と同じく、人の姿は画面から注意深く排除している。そのあたりに、より若い世代の、沖縄の社会的現実との距離の取り方を見ることができそうだ。
石垣克子の風景画も、タイラと同様に平静な筆致で、沖縄の街の一角を切り取って描いている。写真と油彩画の手法、方向性の違いが、展示にはむしろうまく働いていたのではないだろうか。なお、展覧会に合わせてタイラの写真集『Shell Mound』(PPP)が刊行されている。
2022/12/16(金)(飯沢耕太郎)
上原沙也加「眠る木」
会期:2022/12/13~2022/12/26
ニコンサロン[東京都]
2020年に「The Others」で第36回東川賞新人作家賞を受賞するなど、沖縄出身の写真家、上原沙也加の作品は各所で注目を集めつつある。その彼女の新作18点を展示した個展が、東京・新宿のニコンサロンで開催された。
上原の写真に人間は登場してこない。そこに写っているのは、マネキン人形、ティッシュの箱、灰皿、バッジの群れ、作り物の人魚の像といった事物である。とりたててこれを撮ろうと決めているのではなく、沖縄の路上で目についたものに、衒いなくカメラを向けている。「THINK TWICE ABOUT THE WORLD」「DON’T WALK」など、看板や信号として文字化されたメッセージが目につく。それらがウィンドーの中のアンネ・フランクの顔写真などとともに、会場に並んでいる写真にある種の方向性を与えている。
上原がもくろんでいるのは、2020年代の沖縄の路上風景を切り取ることで、「さまざまな記号やイメージがいく層にも重なっている」様態を提示することだと思う。その試みはとてもうまくいっていて、沖縄の路上の事物が、否応なしに身に纏わざるを得ない政治性、歴史性が、写真の画面から、また複数の写真の組み合わせからも浮かび上がってきていた。それはまた、上原に強い影響を与えた、写真群をアトランダムに構成していく東松照明の「群写真」の方法論を、換骨奪胎して再構築する試みともいえる。点数は少ないが、しっかりまとまっていて、見応えのある展示になっていた。
ただ、画面から人間を除いたことについては、さらに検討の余地がありそうだ。本作には、沖縄の現実に見合ったより広がりのあるシリーズへと展開していく可能性を感じる。そこでは、人もまた重要な要素として浮上してくるのではないだろうか。
公式サイト:https://www.nikon-image.com/activity/exhibition/thegallery/events/2022/20221213_ns.html
2022/12/14(水)(飯沢耕太郎)
合田佐和子展 帰る途(みち)もつもりもない
会期:2022/11/03~2023/01/15
高知県立美術館[高知県]
初期のオブジェ作品から晩年の色鉛筆画に至るまで、「300点を超える資料を体系的に検証し、美術家・合田佐和子の全貌」に迫った回顧展が、その生地である高知市の高知県立美術館で開催された。その展示を見ながら、合田を「写真家」として捉え直す可能性について考えていた。
合田が実際に写真を表現の媒体として用いた例は、1981年に日本ポラロイド社から提供されたSX70フィルムで制作された一連のポートレートのシリーズ(閉じられた瞼に偽の瞳が描かれている)、1985〜1986年のエジプト滞在時に撮影された大量のスナップ写真など、それほど多くはない。だが、合田の代名詞というべき1970年代以降の陰鬱な色調の油彩画のほとんどは、古写真、ピンナップ写真、雑誌や写真集の掲載図版などを元にしており、ある意味で「描かれた写真」にほかならない。また、1980年代後半から90年代にかけては、クローズアップレンズを通して見た世界の眺め(「レンズ効果」)に魅せられ、貝、花、石、雑誌の誌面などを撮影するとともに、その膨大な量の画像を元に、色彩とフレアの効果を強調した眩惑的な雰囲気の油彩画を残している。
こうしてみると、合田は明らかに写真的な視覚体験を自らの制作活動の起点に据えていた。彼女はむろん、プロフェッショナルな職能、技術を持つ「写真家」ではなかったかもしれない。だがむしろ、写真のヴィジュアル的な可能性を、絵画という迂回路を挟み込むことで、より純粋に追求しようとしていたのではないだろうか。
もう一ついえるのは、合田の写真の使用が、常に膨大な量のアーカイブを形成するという方向に動いていたということである。そのアーカイブは決して閉じられたものではない。むしろ、アーティスト個人の視覚的な体験を、時代、地域、あるいは性差などを超えて、とめどなく拡張していこうとする意図を孕む。特に、これまであまり取りあげられてこなかった「レンズ効果」の時期の作品群は、20世紀後半から21世紀にかけての写真的視覚の変遷を辿る上で、重要な意味を持つ仕事だと思う。なお、本展は2023年1月28日~3月26日に三鷹市美術ギャラリーに巡回する。
公式サイト:https://moak.jp/event/exhibitions/goda_sawako.html
2022/12/10(土)(飯沢耕太郎)
角田和夫「土佐深夜日記─うつせみ」
会期:2022/10/29~2023/01/09
高知県立美術館[高知県]
1952年、高知市生まれの角田和夫は、第11回林忠彦賞を受賞した『ニューヨーク地下鉄ストーリー』(クレオ、2002)をはじめとして、『シベリアへの旅路―わが父への想い』(同、2002)、『マニラ深夜日記』(同、2016)など、ドキュメンタリー写真の力作を発表し続けてきた。だがそのなかでも、今回、高知県立美術館での個展に出品された「土佐深夜日記」のシリーズは、最もプライヴェートな要素の強い異色作といえる。
中心になっているのは、角田の母方の叔父を撮影した写真群である。叔父はゲイの世界に生きており、角田はふとしたきっかけから、彼がスタッフとして働く店とそこにうごめく人間模様にカメラを向けるようになる。当時、1984年の父親の死をきっかけとして精神的に不安定な状況にあった角田は、深夜に高知の街を徘徊し、赤外線カメラで目にした光景を撮影する「満月の夜」と題するシリーズを開始していた。その手法を「夜の怪しいエネルギーが渦巻く世界」の撮影にも向け、1990年に叔父が他界するまで撮影を続ける。それらの写真群は、2014年に写真集『土佐深夜日記』(クレオ)として刊行された。
「満月の夜」、「土佐深夜日記」、そしてその後日譚といえる「続土佐深夜日記」(2020-2022)の3部構成をとる今回の展示は、ドキュメンタリー写真と「私写真」の両方の領域にまたがるものといえる。ジャーナリスティックな報道性、客観性はむしろ後ろに退き、叔父の生死に対峙した角田自身の哀切な感情が強く滲み出てきている。
子供の頃は、むしろ恐れや嫌悪感をともなって見ていたという夜の世界(性の世界)が目の前に開けてきたとき、それを拒否するのではなく、まずは写真家として受け入れようとする姿勢が一貫しており、ほかのシリーズにはない奥行きと深みを感じる。赤外線写真というややトリッキーな手法が、必然的なものであると納得させるだけの力が備わった写真群といえるだろう。
なお、今回の展示は、地元出身のアーティストたちの仕事にスポットを当てる「ARTIST FOCUS」の枠で企画・開催された。角田以外にも、高知にはいい写真家がたくさんいるので、ぜひ紹介を続けていってほしい。
公式サイト:https://moak.jp/event/exhibitions/artistfocus_03.html
2022/12/10(土)(飯沢耕太郎)