artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

濱田祐史「入射と反射 Incidence and Reflection」

会期:2022/12/01~2023/01/28

PGI[東京都]

1979年、大阪生まれの濱田祐史は、2003年に日本大学芸術学部写真学科を卒業後、東京を拠点に写真家として活動している。PGIでは、2013年の「Pulsar + Primal Mountain」を皮切りにコンスタントに個展を開催し、そのたびに思いがけない方向性をもつ作品を発表して驚きを与えてきた。視覚的に捉え難い「光」を可視化しようとした「Pulser」、プリントの色相を三原色(YMC)に分解して、それぞれの層を自由に組み合わせて再構築した「C/M/Y」、黒白とカラーで同じ光景を撮影し、それらを暗室で一枚の印画紙にプリントした「K」など、彼の仕事は写真という媒体の基本原理にもう一度立ち返ろうという志向性と、さらにその表現の可能性を拡張していこうとする意欲とを、両方とも含み込んだものといえる。

今回の、オフセット印刷やリトグラフの原板に使用するPS版を用いたシリーズにも、彼のしなやかで豊かな発想力、構想力が充分に発揮されていた。PS版は紫外線に感光するという特質を備えている。濱田はその機能を利用して、「目には見えないけれど、太陽から確かに届いている紫外光」を定着しようとした。しかも、PS版をカメラにセットしての撮影と、事物に押し当てて感光させるやり方とを、両方とも試みることにした。PS版をくしゃくしゃに折り曲げて、光を直接写しとった作品もある。このようなさまざまな実験の繰り返しの結果として、本作はあたかも科学者やアーティストたちが、写真術の草創期に試行錯誤を重ねつつ未知の像を見出そうとしていた頃を思わせる、活気あふれる作品群として成立していた。濱田のここ10年余りの活動は、かなりの厚みと広がりを持つものになりつつある。そろそろ、より規模の大きな写真展の開催や写真集の刊行を考えてもいいのではないだろうか。


公式サイト:https://www.pgi.ac/exhibitions/8337

関連レビュー

濱田祐史「Pulsar + Primal Mountain」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2013年06月15日号)

2022/12/07(水)(飯沢耕太郎)

鶴巻育子「芝生のイルカ」

会期:2022/12/01~2022/12/25

コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]

鶴巻育子は、ふとした機会から「視覚障害者の外出をサポートする同行援護従業者」として活動するようになった。目を使って仕事をする写真家である自分とは対照的な存在である彼らが、どんなふうに世界と接しているのかを知りたくなったためだという。鶴巻は視覚障害者たちと一緒にいて、彼らが発する言葉に強く惹かれるようになる。「ガラスは透明ではない」「月は穴ぼこ」「体温で感情を感じる」「境界線が変わる感じ」──今回のコミュニケーションギャラリーふげん社での個展の出品作では、それらの言葉を手がかりにしてインスピレーションの幅を広げ、「イメージを拾う」ことを試みていた。

ややトリッキーな動機の作品だが、結果的にはとてもうまくいっていた。視覚障害者という、まったく異なる状況を生きる者たちと自分の感覚とのズレを、むしろ積極的に活用することで、思いがけないイメージを収集することが可能になったからだ。それは鶴巻自身の予想をはるかに超えた世界の断片だったのではないだろうか。それらを注意深く選別し、大小のフレームにおさめて、撒き散らすように壁に掲げたインスタレーションも、とてもうまくいっていた。

鶴巻は普段は自らが主宰する東京 目黒のJam Photo Galleryで、日常のスナップ写真を中心とした作品を発表している。今回の展示は、それとはまったく違った水脈によるもので、自らの作品世界をより広げていこうという意欲を強く感じた。ただ、写真の間に言葉をバラバラに挟み込む展示構成だと、特定の言葉と写真との関係のあり方がうまく伝わってこない。その対応関係を、もう少ししっかりと明示すべきだったのではないだろうか。


公式サイト:https://fugensha.jp/events/221201tsurumaki/

2022/12/04(日)(飯沢耕太郎)

人間写真機・須田一政 作品展「日本の風景・余白の街で」

会期:2022/09/29~2022/12/28

フジフイルムスクエア写真歴史博物館[東京都]

須田一政は1986年に、フジフイルムスクエアの前身である東京銀座の富士フォトサロンで、「日本の風景・余白の街で」と題する展覧会を開催している。今回の展示は、その時の出品作43点から32点を選び「当時の作品の階調、色調を忠実に再現」したプリントによるものだった。

須田は写真集『風姿花伝』(朝日ソノラマ、1978)に代表されるように、6×6判の黒白写真をメインに作品を制作していた。だが1980年代になると、本作のようにカラー作品を積極的に発表し始めた。カラーフィルム(富士フイルム製のフジクローム)を使用することで、色という表現要素を手にした須田は、日常の光景に潜む悪夢のような場面を、より生々しくヴィヴィッドに描き出すことができるようになる。

本作は東京だけでなく、京都、三重・伊勢、長野・小諸、大阪など、日本各地の「観光地」で撮影した写真群を集成したものだが、そこで彼が目を向けているのは「平面上に在る日常という『かげ』の存在」であり、「自らの周辺におこり得る刹那的な特殊空間」である、そのような魔に憑かれたような特異な気配を嗅ぎ分け、素早くキャッチする能力の高さこそが須田の真骨頂であり、それはまさに本展のタイトルである「人間写真機」そのものの機能といえるだろう。

「人間写真機」というのは、どうやら本展のために考えられた造語のようだが、須田の写真家としての「習性」を見事に言いあらわしている。須田は本作以後も、2010年代に至るまで、眼差しとカメラとが一体化した「人間写真機」としての仕事を全うすることになる(2019年に逝去)。そろそろどこかで、その全体像を見ることができる展覧会を企画してほしいものだ。


公式サイト:https://fujifilmsquare.jp/exhibition/220929_05.html

2022/12/04(日)(飯沢耕太郎)

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サトウアヤコ「日常記憶地図『“家族”の風景を“共有”する』」

会期:2022/11/23~2022/11/27

トーキョーアーツアンドスペース本郷[東京都]

会場には、たくさんの椅子があって、観賞者が机の上にある地図、言葉が書かれた単語帳のようなものや、ファイルに挟まっている文献のコピーを静かに読んでいる。机は大きく三つ点在しており、それぞれ、ある人物が家族について知りたい、知りたかったが叶わなかったという思いから「日常記憶地図」に取り組んだ様子が並べられたものであった。それぞれの尋ね手から見て、叔母/父の1940〜50年代の佐渡(新潟)、父の1950年代の鯖江(福井)、母/叔母の1960年代のジアデーマ(ブラジル)についての「日常記憶地図」が会場では示されている。

「日常記憶地図」は、サトウが2013年に開発したメソッドで、任意の人物へ「場所の記憶」について聞くことを通して、普段の関係性ではわからないその人を知ることができるというものだ。手順がパネルとハンドアウトに書かれていた。ハンドアウトには「日常記憶地図」の使い方から心づもりまで丁寧かつ簡潔に掲載されている。


〈手順〉
・思い出したい時期の地図を用意する。
・地図に、当時の家の場所、よく行く場所/道をなぞる。
・場所/道それぞれ、よく行った理由や習慣、思い出した記憶を書く(聞く)。
・最後に「愛着のある場所」について聞き、当時の生活圏を囲む。


サトウによるハンドアウトでも示唆されているが、「日常記憶地図」が可能にするのは、固定化された昔語りの解体である。写真をよすがに語るのとも、語り伝えてきた記憶を再び手繰り寄せようとするのとも違う。目の前に地図があり、その場所、ある風景について話そうとするとき、特異的な事象よりも、反復していた移動や行為、すなわち日常がベースとなる。これは、オーラルヒストリーの収集にあたって、尋ね手が年表を携えて編年的に問うことと、似て非なる行為だ。同じ地図を見て、同じ風景をお互いが初めて見ようとすることになるメソッド。このとき、語り手と尋ね手の記憶の量の不均衡は、いったん留保される。このことが本展における“共有”なのかもしれない。

正直、わたし自身はそれぞれが地図を辿ろうとするときの、その思慕がぽろっとこぼれる欠片で、居ても立ってもいられなくなってしまったのだが、パネルには、各人が体験を振り返って、落ち着いたコメントを寄せている。そのなかのひとりは、自身に子どもがいないこともあり、何かを残しておきたいという気持ちがあったかもしれないと綴っている。

「家族」のことを知っているようで、それぞれの役割を離れたときの家族のことはまるで知らないという、他者としての家族にサトウは目を向け、「日常記憶地図」を育んできた。このとき、サトウがハンドアウトで記す「そしてその記憶は、10年、20年後にまた別の“家族”に“共有”される可能性を持つ」の引用符は何を意味しうるのか。それは場所が誰かにその記憶を再度発生せしむる可能性のことなのかもしれない。その場所がたとえ消えたとしても。家族がいないとしても。

会場にある展示台には、「あなたの風景は失われることはない」「並んで風景を眺める」「人はそれぞれの世界を持つ」「日常の中で日常の話はできない」と書かれた紙片がそれぞれ置かれている。ハンドアウトにも同様の言葉が掲載されていた。何らかの切実さを抱え、尋ね手となる誰かへ向けた言葉だろう。「あなたの風景は失われることはない」。その場所がたとえ消えたとしても。家族がいないとしても。


展覧会は無料で観覧可能でした。


公式サイト:https://www.tokyoartsandspace.jp/archive/exhibition/2022/20221123-7125.html
日常記憶地図:https://my-lifemap.net/

2022/11/27(日)(きりとりめでる)

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祈り・藤原新也

会期:2022/11/26~2023/01/29

世田谷美術館[東京都]

藤原新也の50年以上にわたる表現者としての歩み、そこに産み落とされてきた写真、書、絵画、そして言葉を一堂に会した大展覧会である。初期作から最新作まで、200点以上の作品が並ぶ会場を行きつ戻りつしながら考えていたのは、この人は果たして写真家なのだろうかということだった。

むろん、木村伊兵衛写真賞や毎日芸術賞など数々の賞を受賞してきた彼の写真家としての実績は、誰にも否定できないだろう。だが一方で、ごく初期から、藤原は言葉を綴って自らの思考や認識を表明し続けてきた。『全東洋街道』(集英社、1981)、『メメント・モリ』(情報センター出版局、1983)など、写真と言葉が一体化し、驚くべき強度で迫ってくる著作は、比類のない高みに達している。だが、『アメリカ』『アメリカン・ルーレット』(どちらも情報センター出版局、1990)あたりからだろうか。どちらかといえば、言葉を綴る人=思想家としての藤原新也のイメージが、増幅していったのではないかと思う。写真家としても精力的に仕事を続けていたが、どこか観念が先行しているように見えていた。

ところが、今回の展示を見て、そうでもないのではないかと思い始めた。会場の最後の部屋に「藤原新也の私的世界」と題されたパートがあり、そこに彼の99歳の父親の臨終の場面を、連続的に撮影した5枚の写真が展示されていた。藤原が、「はい! チーズ!」と声をかけると、死に際の父親は口を開けて微笑みを返したのだという。それらの写真を見ると、藤原はあらかじめ何らかの予断をもって撮影の現場に臨んでいるのではなく、まずはその光景を「見る」ということに徹してシャッターを切っているのがよくわかる。藤原は「カメラを持つ思想家」ではなく、「撮り、そして考える写真家」であることが、厚みのある展示作品から伝わってきた。


公式サイト:hhttps://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/special/detail.php?id=sp00211

2022/11/26(日)(飯沢耕太郎)

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