artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

北島敬三「UNTITLED RECORDS」

会期:2022/08/26~2022/09/25

BankART Station[神奈川県]

北島敬三は2011年の東日本大震災をひとつの契機として、北海道から沖縄まで、日本各地の風景を一貫した視点で撮影するシリーズの制作を開始した。「UNTITLED RECORDS」と名付けられたそれらの写真群は、『日本カメラ』(2012-2013)での連載を経て、2014年から2021年にかけて、東京・新宿のphotographers’ galleryの個展で20回にわたって発表された。同作品で第41回土門拳賞を受賞。今回のBankART Stationでの展覧会では、そのなかから選んだ48点を、大判プリントで展示している。ほかに北島が1970年代以降に撮影してきたストリートスナップ写真の大型スライドショーも併催されており、圧巻というべき充実した内容の展示だった。

展覧会に合わせてBankART 1929から刊行された172点を収録した同名の写真集を含めて、北島のこのシリーズをあらためて概観して感じるのは、彼が日本の風景のあり方を主に建造物を通じて見つめ直そうとしていることである。当然ながら、風景は自然と人間の営みとが融合して形をとってくる。時間というファクターで見れば、自然の方が厚みと永続性を備えており、人間の営為は仮設的で移ろいやすい。特にそれが露呈してくるのは、東日本大震災のような災害後の風景で、2011年に集中して撮影された東北地方の太平洋沿岸部の写真に、そのことがくっきりとあらわれていた。だがそれだけではなく、北海道から沖縄までの「見過ごされがちな場所」「意味がくじけてしまうような場所」を丁寧かつ執拗に追い続けた本作には、まさに大規模な変動に直面している日本の風景のあり方を、「いま」というスパンで切り出しておくべきだという北島の強い意志が刻みつけられていると感じた。

なお本展は、今年3月に急逝したBankART 1929の元代表、池田修が最後に企画した3つの展覧会のうちのひとつだという。池田の遺志をしっかりと受け継いでいこうとするスタッフの意欲が、展示の隅々にまでみなぎっていた。

2022/09/04(日)(飯沢耕太郎)

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公文健太郎『NEMURUSHIMA』

発行所:Kerler

発行日:2022年

公文健太郎はここ数年、精力的に写真集を刊行し、写真展を開催している。『耕す人』(平凡社、2016)、『地が紡ぐ』(冬青社、2019)、『暦川』(平凡社、2019)、『光の地形』(平凡社、2020)と続くなかで、彼が何を求め、何を伝えたいかも少しずつ見えてくるようになった。一言でいえば、日本の風土とそこに住む人々との関係を、写真を通して探求することといえるだろうか。かつて濱谷浩が『雪国』(1956)や『裏日本』(1957)などで試みたテーマの再構築ともいえそうだ。

今回、ドイツの出版社Kehrerから刊行された『NEMURUSHIMA(眠る島)』もその延長上にあるシリーズで、瀬戸内海の離島、手島(香川県)を撮影している。日本列島を巨視的な視点で見直そうとした濱谷浩とは対照的に、島というそれほど大きくないテリトリーを対象とすることで、多彩な地形、植生がモザイク状に絡み合う「小宇宙」の様相が、より細やかに浮かび上がってきた。特に今回は、人の暮らしのあり方を多めに組み込んでいることで、「土地と人の営みのつながり」を捉えようとする公文の意図が、よりくっきりとあらわれてきているように感じた。ややセピアがかった調子に傾きがちな彼のプリントワークが、このところずっと気になっていたのだが、それも写真一枚ごとに丁寧にコントロールされてきている。

こうなると、『耕す人』以来のシリーズをまとめて見る機会がほしくなってくる。美術館のような、大きめなスペースでの展示が実現できるといいのだが。

2022/09/02(金)(飯沢耕太郎)

没後40年 山中信夫☆回顧展

会期:2022/07/16~2022/09/04

栃木県立美術館[栃木県]

これは展覧会のプレスリリースの枕詞だ。きっと、これから山中信夫を紹介するこの言葉は何度も形容を微細に変えながら繰り返されるだろう。


山中信夫(1948年大阪生まれ、東京出身)は、1971年に《川を写したフィルムを川に映す》という衝撃的な35mmフィルム映像作品で鮮烈なデビューを飾りながらも、1982年に滞在先のニューヨークで34歳の若さで急逝した伝説のアーティストです。


山中が「伝説」たるのは、彼の作品が場所に根ざした映像インスタレーション作品であったために、作品の残存数が約150点と少ないなかで、他者による批評文や口承によって作品の一部が洩れ伝わっているからだと言える。ただし、本展はその「伝説」をフレコミ上で強調しておきながら、さまざまな記述や口承に記録物といったアーカイブズを参照することで、「山中の作品の射程」を禁欲的に浮かび上がらせることに注力したものであった。会場は時系列に展示物が並んでおり、鑑賞者は画廊のダイレクトメールや資料から、ピンホールの魔術師がどこまでを考えていて作品をつくり、何は意図していなかったのか、山中における同時代性、作家の範疇を考えることができる。あるいは、山中の作品についてどこまで明らかになっているのかや、わかっていないことには「わかっていない」という貼り紙がされているのかなど、研究成果の全貌を知ることになる。これらは、作品不在のなかでの山中の神格化を押しとどめながら、山中につづく光と映像をめぐる後発の表現の背中を支えるような、情報開示のごとき展覧会の構成だ。

アーカイブズというものは不思議なもので、取り組むとなると、人ひとりの人生ぐらいは簡単に飲み込まれてしまう。場所も時間も人もお金も不可欠で、その必要性を訴えるうえでは、そのアーカイブズがほかと比べても重要な理由を随所で訴えねばならない。「伝説」、それはアーカイブズにふさわしい対象であると。しかし「アーカイブズ」は、伝説を解体する可能性としても存在する。アーカイブズがつくられるということ自体もまた権威を得ることであると同時に、その権威がどの程度のものであって然るべきかが検討可能になるという状況なのだ。本展は作品も資料も所せましと並べられ、展覧会名のスペクタクルとは裏腹に、彼の作品がいかに唯一無二であり、「アーカイブズとして保持されつづけるべきか」という得難い検証の場になったのではないか。今後、隔回で『美術史評』に掲載された山中自身によるテキストを読みながら、本展について考えたい。

なお、展覧会は800円で観覧可能でした。


展覧会会場写真(栃木県立美術館より借用)


展覧会会場写真(栃木県立美術館より借用)



公式サイト:http://www.art.pref.tochigi.lg.jp/exhibition/t220716/index.html

2022/09/01(木)(きりとりめでる)

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没後40年 山中信夫☆回顧展(リマスター)

会期:2022/07/16~2022/09/04

栃木県立美術館[栃木県]

山中信夫(1948-1982)が滞在先のニューヨークで急逝してから、もう40年経つのだという。驚きとともに感慨を禁じえない。山中の作品を多数所蔵している栃木県立美術館で開催された今回の回顧展には、現存する150点余りの作品のほか、貴重なアーカイブ資料も出品されており、充実した内容となっていた。

多摩美術大学絵画科在学中の1971年に、多摩川の堤防で開催した「川を写したフィルムを川に映す」展以来、山中は、現実世界を正確に写しとるだけでなく、そのフェーズを変換することで新たな認識に誘う映像や写真の可能性を追求していった。1973年には、黒白とカラーのピンホール写真を制作し始め、75年の個展「9階上のピンホール」(楡の木画廊)からは、天井、壁、床などにリスフィルムを貼り巡らし、部屋全体をピンホールカメラにして撮影する「ピンホール・ルーム」の連作を発表するようになる。以後、サンパウロ・ビエンナーレ(1979)やパリ・ビエンナーレ(1982)などに参加し、その仕事が国際的に注目され始めた矢先に、34歳の若さで客死した。

あらためて、山中の仕事を見直すと、その先駆性はいうまでもないことだが、写真というメディアの原点に立ち返り、ベーシックだが本質的な表現をめざす志向性が、初期からずっと一貫していることに気がつく。同時に、黄ばんだり、やや褪色したりしている当時のプリントが、その時代の空気感を見事にとらえきっていることが印象深かった。そのコンセプチュアルな側面が強調されがちだが、被写体の選択、画面構成などへの神経の働かせ方に、山中の「写真家」としての能力の高さがよくあらわれているのではないだろうか。

2022/08/30(火)(飯沢耕太郎)

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上田義彦「Māter」

会期:2022/08/27~2022/09/24

小山登美夫ギャラリー六本木[東京都]

上田義彦が前回小山登美夫ギャラリー六本木で開催した個展「林檎の木」(2017-2018)で印象的だったのは、写真のサイズの小ささだった。8×10インチ判の大判カメラで撮影した写真を、わざわざフィルムサイズよりも小さめにプリントしていた。そのことによって、観客はよく見ようと写真に顔を近づけるので、より個人的な視覚的体験に集中できるようになっていた。

今回の個展「Māter」でも、やはり写真は小さめのプリントだった。といっても、前回よりはやや大きめのポストカード大で、木製のフレームの中にゆったりとおさめられていた。作品は月の光で撮影されたという風景と女性の裸体の2枚セットで、その組み合わせによって「根源的な生命としての存在」のあり方が浮かび上がるように構成されている。風景は屋久島で撮影されたということだが、どこか懐かしく、記憶を呼び覚ますような海や滝の眺めが、そのまま女性の体のイメージとシンクロして、眼に快く浸透してくる。写真のコンセプトと会場のインスタレーションとが、とてもうまく釣り合っていて、完成度の高い作品になっていた。写真展に合わせて赤々舎から刊行された同名の写真集も、作品に呼応した瀟洒な造本である(デザイン・葛西薫、中本陽子)。

作品から伝わってくるのは、上田が以前のように精力的に作品を発表するのではなく、一作ごとに時間をかけ、制作のペースをキープしていこうとしているということだ。写真家として、充実した実りの時を迎えつつあるのではないだろうか。

2022/08/27(土)(飯沢耕太郎)