artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
今道子「RECENT WORKS」
会期:2014/01/08~2014/03/01
フォト・ギャラリー・インターナショナル[東京都]
10年あまりの沈黙の時期を経て、2011年に銀座・巷房での個展で復活を遂げてからの今道子の作品世界は、以前とはやや違った雰囲気を醸し出している。彼女のトレードマークというべき魚、鶏、野菜、果物等の「食べ物」を素材に、奇妙にリアルな手触りを備えたオブジェをつくり上げて撮影するスタイルに変化はない。だが、以前の作品に見られた、自らの特異な生理感覚を前面に押し出し、やや神経質に思えるほどにマニエリスム的な画面構成に執着する傾向は、少しずつ薄れてきているのではないだろうか。
今回のフォト・ギャラリー・インターナショナル(P.G.I)での個展に出品された「RECENT WORKS」(主に2013年に撮影)を見ると、どこかゆったりとした、のびやかな空気感が漂っているのを感じる。彼女の精神的な余裕、あるいは写真作家として長年培ってきた自信が、作品にほのぼのとしたユーモアをもたらしているのかもしれない。「白うさぎと目」のような作品は、不気味であるとともに実に愛らしくて、思わず笑ってしまうほどだ。といっても、決して手を抜いているわけではなく「骨のワンピース」のような大作では、エアブラシで絵の具を吹き付けて背景の布にタケノコの形を浮かび上がらせるといった工夫も凝らしている。
これらの新作も、そろそろ展覧会や写真集にまとめる時期に来ているのではないだろうか。1980年代以来の作品を、まとめて見ることができるような機会をぜひ実現してほしい。どこかの美術館に、ぜひ手を挙げていただきたいものだ。
2014/01/21(火)(飯沢耕太郎)
岸幸太「ガラクタと写真」
会期:2014/01/20~2014/02/02
photographers' gallery/ KULA PHOTO GALLERY[東京都]
岸幸太の作品には、このところずっと注目している。新聞紙に写真を印刷した「The books with smells」(2011)から始まって、解体工事現場で拾った廃材やプラスチックボードに写真を貼り付けた「Barracks」(2012)、東日本大再震災の被災地で出会ったモノたちを撮影した「Things in there」(2013)と、実物と写真画像とを強引に接続するような作品をコンスタントに発表してきている。今回は会場にプリンターを持ち込み、新作を含む「Barracks」の作品を複写して藁半紙にプリントし、それを綴じあわせて写真集の形にするという作業の現場を公開した。でき上がった写真集はその場で販売している。
普通、写真作品は、きれいにプリントされた状態で、最終的にフレームなどに入れて展示される場合が多い。岸はどうやら、写真を撮影し、プリントするという写真家の現場を、より直接的に観客に開示したいと考えているようだ。その結果として、彼の作品には過剰なノイズがまつわりつき、暴力的とも言える触感、物質感を感じさせるものとなった。そこには、こぎれいに整えられ、フレームアップして商品化された作品とは一線を画する、観客を挑発する荒々しいパワーが召還されている。それはまた、東日本大震災の傷口を糊塗し、ふたたび何ごともなかったように経済効率のみを追い求める体制に復帰しようとしている社会状況に対する、モノの側からの強烈な異議申し立てでもある。見かけの奇妙さに目を奪われるだけではなく、彼の作品の批評的なスタンスを評価していくべきだろう。
2014/01/20(月)(飯沢耕太郎)
プレビュー:アンドレアス・グルスキー展
会期:2014/02/01~2014/05/11
国立国際美術館[大阪府]
アンドレアス・グルスキーといえば、ドイツ現代写真を代表する存在であり、トーマス・ルフやトーマス・シュトゥルートらと共にベッヒャー派の一翼を担う作家である。筆者は過去に何度か彼の作品を見た経験があるが、人間の視覚を超えたビジュアル体験(巨大な画面に広大かつ奥行きのある空間が写っているにもかかわらず、細部までびっしりとピントが合っている)に驚きと戸惑いを覚えた。本展では、そんなグルスキーの世界が初期作から最新作まで思う存分味わえるとのこと。非常に楽しみだが、生涯初の“写真酔い”を経験するのではないかと、一抹の懸念も抱いている。
2014/01/20(月)(小吹隆文)
フジフィルム・オンリー・ワン・フォトコレクション展
会期:2014/01/17~2014/02/05
フジフィルム スクエア[東京都]
富士フィルム株式会社の創立80周年を記念して、日本を代表する写真家たち101人の作品を収集するというのが「フジフィルム・オンリー・ワン・フォトコレクション」。そのプロジェクトが完了したのを記念して、収集作品展が東京・六本木のフジフィルム スクエアで開催された。
幕末に来日して横浜を拠点に日本各地を撮影したフェリーチェ・ベアトの「長崎、中島川」(1865年頃)から、鬼海弘雄の「浅草ポートレート」のシリーズより選ばれた「歳の祝いの日」(2001)まで、101点の作品が並ぶとなかなか見応えがある。この種のコレクションは、誰がどのようにやっても偏りが出てくるものだ。今回も明治~昭和初期の写真家たちと、1990年代以降に登場してきた写真家たちの層が、どうしても薄くなっているように感じた。逆に言えば、「日本写真」がしっかりと確立した1960~70年代の作品はとても充実している。現存の写真家たちは、ほとんどが自分自身で作品を選んだそうだが、彼らがそれぞれのスタイルを確立した時期の作品を残しているのが興味深い。写真作家の自意識が、選出作品に滲み出ているということだろう。いずれにしても短期間に収集作業を行なった山崎信氏(フォトクラシック)をはじめとするスタッフの方たちには、ご苦労様と申し上げたい。
むしろ、このコレクションをこれからどう活かしていくのかが問題になるのではないだろうか。教育的な価値の高いこれらの写真を、なるべくいろいろな場所で展示していってほしいものだ。
2014/01/19(日)(飯沢耕太郎)
沼田学「界面をなぞる2」
会期:2014/01/10~2014/01/22
新宿眼科画廊スペースM[東京都]
沼田学は、2012年12月に同じ新宿眼科画廊で「界面をなぞる」と題する、白目を剥いた男女のポートレート作品による写真展を開催した。今回の展示はその続編というべきものだが、前回が20点ほどだったのとくらべて107点に数が増えている。このテーマが彼のなかでさらに醗酵し、深められてきているということだろう。
白目を剥くという状態は、普通は日常から非日常への移行の過程で起る現象である。ということは、沼田の言う「界面」とはその境界線と言える。彼はまさに、こちら側とあちら側の間に宙吊りになった状態を、モデルたちに演じさせているのだ。だがそれだけでなく、このシリーズではモデルたちを取り巻く環境──とりわけ彼らの部屋のあり方が大きな要素となっているように感じる。部屋をその住人の存在を表象する空間として捉えるアプローチは、都築響一の『TOKYO STYLE』(1993)、瀬戸正人の『部屋』(1996)など、多くの写真家たちによって試みられてきた。それらはいま見直すと、それぞれの時代の状況を鏡のように映し出しているように見える。沼田のこのシリーズもまた、2010年代の東京を中心とした都市の住人たちの居住空間のあり方を、的確にさし示しているのではないだろうか。
それはひと言で言えば、過剰なほどの情報空間ということだ。モデルにアーティスト、ミュージシャン、アクターなどの表現者が多いことも影響しているのかもしれないが、われわれの日常空間にさまざまな記号が溢れ、ひしめき合っている様が、写真に生々しく写り込んでいる。
2014/01/18(土)(飯沢耕太郎)