artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
中里和人「光ノ気圏」
会期:2014/02/17~2014/03/01
巷房[東京都]
闇の向こうから光が射し込んでくるトンネルのような場所は、写真の被写体として魅力があるだけではなく、どこかわれわれの根源的な記憶や感情を呼び覚ますところがある。太古の人類が洞窟で暮らしていた頃の感情や、母親の胎内からこの世にあらわれ出てきたときの記憶が、そこに浮上してくるというのは考え過ぎだろうか。中里和人は、これまでも都市や自然の景観に潜む集合記憶を、写真を通じて探り出そうとしてきたが、今回、その格好の素材を見つけだすことができたのではないかと思う。
中里が撮影したのは、千葉県の房総半島中央部と新潟県十日町市に点在する素掘りのトンネルである。泥岩や凝灰岩などの柔らかい地層を掘り抜いて、川と川とを結ぶ水路を確保し、田んぼに水を引くことを目的としてつくられたトンネルが、この地方にたくさん残っていることを偶然知り、2001年頃から撮影を続けてきた。水が今でも流れているトンネルと、乾いてしまったトンネルとがあるのだが、いずれも岩を削り取った鑿の痕が生々しく残っており、どこか有機的で生々しい生命力を感じさせる眺めだ。そこに射し込む光もまたきわめて物質性が強く、闇とのせめぎあいによって、たしかに「太古の風景、未来の時空と自在に往還できる」と感じさせるような力を発している。
中里のカメラワークは的確に被写体の魅力を捉え切っているが、欲を言えば写真のプリントにもより強い手触り感がほしかった。
2014/02/18(火)(飯沢耕太郎)
カタログ&ブックス│2014年2月
展覧会カタログ、アートにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
torii
シリーズ[torii]は、「日本の国境の外側に残された鳥居」を撮影した下道基行の代表作のひとつ。前作写真集「戦争のかたち」(リトルモア)から8年、韓国光州ビエンナーレ2012での新人賞受賞や東京都現代美術館での企画展「MOTアニュアル2012/風が吹けば桶屋が儲かる」などで話題になった本シリーズが写真集になります。未発表も含む30点の写真、他にも台湾日記や取材メモなどフィールドワークの記録も掲載。シリーズの集大成。装丁は新進気鋭のデザイナー橋詰宗氏、プリンティングディレクターは熊倉桂三氏。[Michi Laboratoryサイトより]
うさぎスマッシュ 世界に触れるアートとデザイン
社会がより複雑化した21世紀に入り、デザインも大きな変化を遂げています。絶え間なく消費される「新しさ」を生むデザインとは異なり、社会に対する人々の意識に変化を与えるデザインが、今より重要性を増しているといえます。東京都現代美術館での展覧会「うさぎスマッシュ─世界に触れるアートとデザイン」では、そのようなデザインの実践に焦点を当て、高度に情報化された現代社会の様々な出来事を取り上げ、私たちの手にとれる形にデザインして届ける国内外のデザイナー、アーティスト、建築家、21組の表現を紹介します。[フィルムアート社サイトより]
福永敦展「ハリーバリーコーラス─まちなかの交響、墨田と浅草」ドキュメント
今回福永が注目するのは、東京下町の代名詞、墨田と浅草エリア。そこで集めた音を素材に、アサヒ・アートスクエアの空間を、合唱のような「音声」で満たされた体験型インスタレーション作品に変換します。この土地の様々な地域性や、ときに時代性が混じり合う、多様な文化の音風景があなたの前に立ち上がります。[Asahi Art Squareサイトより]
犬のための建築
犬のための建築は、今や人間にとって最も身近なパートナーとなった犬の尺度で建築(環境)を捉えなおすことで新たな建築の可能性を模索するとともに、人と犬との新しいコミュニケーションのかたちを提案するプロジェクトです。...本書では作家による作品解説の他、制作過程のアイディア、そして実際につくることができる図面やつくり方も掲載。また、原研哉氏と、本プロジェクトを共同企画した米投資会社のImprint Venture Lab代表取締役のジュリア・ファング氏、そして参加作家のひとりである藤本壮介氏の3人による鼎談も収録。藤本氏の作品「NO DOG, NO LIFE!」の制作秘話も明かされます。[TOTO出版サイトより]
福島第一原発観光地化計画
本書は、標題のとおり、二〇一一年の三月に深刻な事故を起こした福島第一原子力発電所の跡地と周辺地域を、後世のため「観光地化」するべきだ、という提言書です。「観光地化」とは、ここでは、事故跡地を観光客へ開放し、だれもが見ることができる、見たいと思う場所にするという意味で用いています。遊園地を作る、温泉を掘るという短絡的な意味ではありません。[本書「福島第一原発観光地化計画とは」より]
2014/02/17(月)(artscape編集部)
藤岡亜弥「Life Studies」
会期:2014/02/12~2014/02/25
銀座ニコンサロン[東京都]
藤岡亜弥は2008年に文化庁の奨学金を得て、1年間の予定でニューヨークに住み始めた。ところが、彼女は滞在予定が過ぎてもそのままニューヨークに留まり、結局4年間を過ごすことになる。藤岡を強く引きつける魅力が、この街にあったということだが、今回の展示を見てなんとなくその正体がつかめたような気がした。
ニューヨークにいた4年の間に、彼女の前には一癖も二癖もある人物たちが次々に登場してきた。虚言癖のある男、マリファナ中毒者、自称「女優」、自己中心的なルームメイト──彼らに振り回され、辟易としながらも、藤岡は同時に強く引き寄せられていく。ニューヨークの住人たちは「みんなが病的で、まじめに滑稽」なのだ。その渦中に巻き込まれ、翻弄されながらも、藤岡はスナップショットの技術を鍛え上げ、カラー暗室に通ってプリントの作業を続けていった。そうやって形をとっていったのが、今回銀座ニコンサロンで展示された「Life Studies」のシリーズである。
タイトルは、藤岡が公園のベンチでページが開いているのを偶然に見つけたという、スーザン・ヴリーランドの小説のタイトルに由来するが、ニューヨーク滞在がまさに彼女にとって「生の研究」であったことが、とてもうまく表明されていると思う。自らの家族を撮影した『私は眠らない』(赤々舎、2009)で高い評価を受けた藤岡の、新たな作品世界の展開をさし示すシリーズであるとともに、日本に帰国した彼女が次に何をやっていくのかという期待を持たせる充実した内容だった。できれば、ぜひ写真集としてもまとめてほしい。
なお、この展覧会は、3月27日~4月2日に大阪ニコンサロンに巡回する。
2014/02/12(水)(飯沢耕太郎)
安齊重男「MONO-HA BY ANZAI」
会期:2014/01/17~2014/01/22
ツァイト・フォト・サロン[東京都]
安齊重男は1969年頃から日本の現代美術家たちの展覧会を撮影し始めた。当初は純粋に展示の記録として撮影を続けていたのだが、20年、30年と時が経つにつれて、写真の持つ意味が少しずつ変質していったのではないかと思う。当時の現代美術シーンの貴重な記録という意味合いは、もちろん失われているわけではない。だが、それだけでなく、写真家と美術家たちの交流の様子、展示会場を取りまく社会的環境、さらに当事者である美術家たちの個性的な風貌などが写り込んだ、写真家・安齊重男の「作品」として評価されるようになっていったのだ。
今回のツァイト・フォト・サロンでの安齊の個展のテーマは、1970年代前半の「もの派」の作家たちの展覧会場である。取り上げられているのは菅木志雄、小清水漸、榎倉康二、高山登、本田眞吾、関根伸夫、李禹煥、成田克彦、高松次郎、原口典之。吉田克朗の11人。いずれも「もの派」の代表作家として、国内外で高く評価されているアーティストたちだが、当時はほとんどが20歳代の若手であり、世間的にはほぼ無名であった。安齊はむろん展示会場の正確なドキュメントをめざしているのだが、同時に彼らの自然発生的なパフォーマンスがいきいきと写り込んできている。菅、榎倉、関根、高松など、すでに故人となってしまったアーティストも多く、彼らの存在感が作品と共振して、異様なエネルギーの場を形成していることが伝わってきた。48点の展示作品の大部分は、70年代にプリントされたヴィンテージ作品であり、モノクロームの印画紙の生々しい物質感が、やはり彼らの作品と共鳴しているようにも感じた。
2014/02/12(水)(飯沢耕太郎)
新宿・昭和40年代 熱き時代の新宿風景
会期:2014/02/08~2014/04/13
新宿歴史博物館[東京都]
新宿副都心の歴史を写真によって振り返る展覧会。同館が所蔵する資料から、主に昭和40年代の新宿を撮影した写真およそ130点を展示した。
よく知られているように、東京オリンピックの前後から東京は大規模な都市改造を行なった。景観論争の的となっている首都高速が整備されたのも、新宿西口の淀橋浄水場の跡地に高層ビル群が建設されたのも、この頃である。昭和40年代に現在の「東京」の輪郭が定まったと言ってよいだろう。
車道を走る都電や東口の植え込み「グリーンハウス」にたむろするフーテン、歩行者天国を歩く家族連れ、ジャズ喫茶や新宿風月堂に集まる若者たちなどの写真を見ると、都市と人間の生態が手に取るようにわかる。そこには都市に生きる人びとの暮らしや身ぶり、思想が表現されていたのだ。言い換えれば、そのような生態があらわになる都市構造だったのかもしれない。
だが現在、そうした都市の表現主義は急速に後景化しつつある。ストリートは監視カメラによって隈なく管理されているため、わずかでも逸脱した表現はたちまち排除されてしまうし、都市を構成する建造物も、ショッピングモールのような内向性やネットカフェのような個室化に依拠しているため、そもそも表現としての強度が著しく弱い。端的に言えば、街としての面白さが一気に損なわれつつあるのだ。これは新宿に限らず、例えば駅前の猥雑なエリアを再開発によって一掃しつつある府中のように、国内の都市圏に通底する今日的な傾向だと言ってよい。
そのような都市構造の変容を如実に物語っているのが、本展に展示されている「新宿西口広場」が「西口地下通路」に変更された瞬間をとらえた写真である。当時、新宿駅西口はヴェトナム戦争に反対するフォークゲリラの現場で、多くの人びとが集まって賑わっていたが、その管理に手を焼いた行政当局は、この「広場」を「通路」として呼称を変更することによって彼らの排除を法的に正当化した。いわく、ここは人が集まる「広場」ではなく、人が通過する「通路」である。よって、人が滞留してはならず、すみやかに解散せよ。本展では、行政が公共空間の質を強制的に歪める決定的瞬間を目撃することができるのだ。
2020年の東京オリンピックに向けて、都市の再編成が進行することは間違いない。しかし、そのときいままで以上に表現を抑圧するとすれば、都市はますます求心力を失ってしまうのではないだろうか。
2014/02/11(火)(福住廉)