artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

プレイ 渡邊聖子によるメキシコ死児写真

会期:2013/11/28~2014/12/08

AG+GALLERY[神奈川県]

会期が過ぎていたのだが、撤去までそのままにしてあるということで、東横線・日吉駅前のAG+GALLERYに出かけて、「プレイ 渡邊聖子によるメキシコ死児写真」の展覧会を見てきた。
展示を企画したのは、メキシコで撮影された死児の記念写真のフィールドワークを進めている写真研究者の小林杏である。小林は、19世紀から20世紀半ば以降まで、主にメキシコ中央高原のグアナファト州やサカテカス州で撮影されていた死者の記念写真を蒐集・調査している。今回の展示は、そのなかから200枚ほどの写真を、渡邊聖子が自由にインスタレーションして、会場を構成していくというかたちをとっていた。渡邊は彼女のいつもの流儀で、写真の上にガラスを載せたり、テキストやこまごまとしたオブジェと組み合わせたり、写真の横に鏡や造花を置いたりしている。しかも会場の入口近くでは、小林と渡邊の2~3歳の娘たちが、床に自分たちの持ち物を撒き散らしながら遊んでいて、とても展覧会の会場とは思えないような奇妙な状況が生み出されていた。
もともとメキシコでは、子どもや独身者は穢れがないため、亡くなると天使になるという伝承がある。そのため、通夜の席では彼らの遺骸に白い服や、聖人や天使の衣装を着せ、花で飾り、一晩中音楽を奏でて過ごすのだという。今回はこのメキシコの習慣を、渡邊が換骨奪胎して再現するというもくろみだったのだが、それは見事に成功したのではないだろうか。タイトルが示すように、日本語では「遊び(play)」と「祈り(prey)」とは、同じように「プレイ」と表記される。そこでは、死者と遊び戯れながら、祈りつつ悼むという高度なバランス感覚を必要とするパフォーマンスが、きちんと成立していた。これで終わりというのではなく、さらに「死児写真」をテーマにした展覧会や出版の企画を進めてほしい。

2013/12/09(月)(飯沢耕太郎)

野村佐紀子「hotel pegasus」

会期:2013/12/07~2013/12/27

Bギャラリー[東京都]

この欄でも何度か指摘したように、ここ数年の野村佐紀子の写真のスタイルは大きく変わりつつある。モノクロームにカラー写真が加わり、男性ヌード一辺倒だった被写体の幅も広がってきた。それは取りも直さず、長く荒木経惟のアシスタントを勤めてきた彼女が、その引力圏から完全に脱しつつあるということでもある。
今回の個展「hotel pegasus」でも、その傾向はさらに強まってきている。ギャラリーのひとつの壁だけを使って、モザイク状にインスタレーションされた29点の写真は、すべてカラー写真である。個々の写真の場面に物語性を持ち込むのも、野村がこのところよく使う手法だが、このシリーズではそれがさらに徹底されている。ホテルの部屋の灰皿には、男女それぞれが吸ったとおぼしきシガレットが二本ずつ並び、背中を丸めて眠る裸の男を見下ろして撮影した写真には、爪に赤いマニキュアを施した女の脚(野村本人の?)が写っている。シリーズの全体が、架空のホテルを舞台にした劇映画のスチール写真のようなのだ。
こうなると、もう少し緻密なシナリオに基づいた物語=写真を期待したくなってくる。あるいは、脚本家や小説家との共作も考えられるのではないだろうか。「本展を皮切りに、野村佐紀子、写真集の発行人である一花義広(リブロアルテ)、写真集デザインを手掛ける町口景、Bギャラリーの4者で、野村佐紀子の継続的な写真展の開催と、併せて写真集の刊行を予定しています」ということなので、そのあたりをぜひ期待したい。

2013/12/08(日)(飯沢耕太郎)

笹岡啓子「Difference 3.11」

会期:2013/12/01~2014/12/20

photographers’ gallery/ KULA PHOTO GALLERY[東京都]

笹岡啓子は東日本大震災のひと月後から東北各地を撮影し始め、1年後の2012年3月から「Difference 3.11」と題する展覧会と『Remembrance』というタイトルの小冊子として発表し続けてきた。その『Remembrance』が、全41冊で完結するのを受けて、photographers’ galleryとKULA PHOTO GALLERYで開催されたのが,今回の展覧会である。
『Remembrance1 大槌』から今回の『Remembrance41 楢葉』まで、1セットで販売されていた小冊子の束の厚さを測ったら6センチほどになっていた。B2判の用紙の裏表に印刷して折り畳んだ小冊子でも、40冊以上になるとそれだけの厚みになる。まずは、三陸や福島県の各地を丹念に歩き回って撮影し続けた写真家としての一途さに感動を覚える。もうひとつ、特筆すべきなのは、笹岡の風景に対峙するポジションの取り方の揺るぎのなさである。どうしても特定の意味がまつわりついてしまう被災地の風景を、笹岡は平静に、やや遠目の距離感を保ちながら、精確なポジショニングで押えていく。そこには明らかに彼女の画面構成の美意識が働いている。
たとえば、今回展示された福島県双葉郡浪江町の除染作業の写真では、白い防護服を着用した作業員たちが、ほぼ一定の、絶妙な間隔で並んでいる様子が撮影されていた。彼らの姿を小さく取り込むことで(それは笹岡の別のシリーズ、釣り人の姿を画面に配した「FISHING」でも同じなのだが)、彼女の風景写真は緊張感を保ちつつ、高度に完成されていくのだ。このような美意識を持ち込むことは、ドキュメンタリーとしての力を弱めているのだろうか。僕はそう思わない。写真の美学と記録者としての節度を、微妙なバランスを保ちながら共存させる道を、笹岡は「Difference 3.11」の展示を通じて模索し続けてきたのだ。

2013/12/08(日)(飯沢耕太郎)

荒木経惟「人妻ノ写真」

会期:2013/11/08~2014/01/19

RAT HALL GALLERY[東京都]

荒木経惟が1998年から『週刊大衆』誌に連載している「アラーキー不倫写 人妻エロス」は、実にとんでもないシリーズへと化けつつあるのではないか。そのことを、まざまざと思い知らせてくれる展示だった。
会場には、下腹、太股をたぷたぷと波打たせ、陰毛をこれ見よがしに誇示し、染み、皺、妊娠線何でもありの、妙齢の女性たちのヌード写真がずらりと並んでいる。やや太めのモデルが多い、大伸ばしのプリント展示(20点)もよかったが、なんと言っても圧巻なのはキャビネサイズのプリントを縦24列、横21列、全部で504枚並べた「女体壁」だった。各プリントの一部には、赤、ピンク、青、緑、黄色などのペンで何やら危ない形状の物体を描いたドローイングが施されている。すべて日付入りのカメラで撮影しているということは、荒木はわざわざ「人妻エロス」の撮影現場に、日付を写し込む機能がついたコンパクトカメラを持ち込んでいるということになる。以前、モデルの首から上を全部カットした写真だけで構成された『裏切り』(2004)という写真集を発表したことがあるが、「人妻エロス」は彼にとって、さまざまな過激な実験を試みるラボラトリーとしての役目も果たしつつあるようだ。これからもその派生形が次々に登場してくるのではないだろうか。
それにしても、今さらではあるが、なぜこれらの人妻たちは荒木のカメラの前に裸身を曝したいと思ったのだろうか。そこには単純な欲望や好奇心を超えた、不気味なほどに理解不能な衝動が渦巻いているような気がする。怖いもの見たさではあるが、その正体を確かめてみたい。なお、展示された写真から140点あまりを選んで収録した同名の写真集が、RAT HALL GALLERYから刊行されている。

2013/12/07(土)(飯沢耕太郎)

かたちとシミュレーション 北代省三の写真と実験

会期:2013/10/19~2014/01/13

川崎市岡本太郎美術館[神奈川県]

川崎市岡本太郎美術館で2003年に開催された「風の模型 北代省三と実験工房展」は、大きな驚きを与えてくれた。もちろん、北代が1950年代の実験工房の主要メンバーのひとりであり、後に商業写真家としても活動したことは知っていたのだが、彼の写真の仕事の広がりとクオリティの高さは予想をはるかに超えていたのだ。今回の「かたちとシミュレーション 北代省三の写真と実験」展は、前回の展覧会後に川崎市岡本太郎美術館に寄贈された「北代省三アーカイブ」の作品と資料を整理して再構築したもので、さらに細やかに写真家としての業績をふり返っている。そのことによって、これまでほとんど取り上げられてこなかった写真群が出現してくることになり、あらためて驚きを誘う展示となった。
そのひとつは、1971年頃に15ミリという超広角レンズ、ホロゴンで撮影し、自ら「ホロゴン・コンポラ風」と名づけて保存していたというシリーズである。北代はこのレンズで街頭の情景を撮影しているのだが、それらは被写体のフォルムや質感にこだわってきたそれまでの彼の写真とは、かなり異質なものになっている。「コンポラ風」というのは言うまでもなく、当時若い写真家たちの間で流行の兆しを見せていた、「カメラの機能を最も単純素朴な形で」使って、「日常ありふれた何気ない事象」を捉えたスナップショットを示している。この「コンポラ写真」の定義は、北代の実験工房の頃からの盟友である大辻清司によるものだが、大辻とともに北代もまた、この新たな現実把握の方法論に新鮮な興味を覚えていたことがよくわかる。「ホロゴン・コンポラ風」の写真制作を実践することで、彼はむしろそれまでこだわり続けてきた「かたちとシミュレーション」への志向からの脱却を図ろうとしていたのではないだろうか。
残念なことに、これ以後北代の興味は模型飛行機や手づくりカメラの製作に移る。写真家としての仕事をもっと続けていれば、何か大きな展開があったのではないかと思うが、それは結局果たされなかった。それでも「北代省三アーカイブ」にはフィルムの密着プリントを整理した100冊近いコンタクト・アルバムをはじめとして、フィルムやヴィンテージ・プリントなど多数の資料、作品が保存されているという。これらを丁寧に見直していけば、写真家・北代省三のさらなる可能性が見えてくるはずだ。

2013/12/06(金)(飯沢耕太郎)

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