artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

吉永マサユキ「I’m sorry」

会期:2013/07/16~2013/07/28

Roonee 247 photography[東京都]

写真家の吉永マサユキによる「夫婦喧嘩」を主題にした写真展。実在する夫婦を被写体にして、家庭を顧みないダメな旦那を屈強な嫁が懲らしめるという設定で演出したようだ。タイトルの「I’m sorry」とは、だから旦那による心の叫びだろう。
モノクロ写真で展示された26点の作品は、いずれも面白い。ジャージ姿の嫁がパンチパーマの旦那に馬乗りになって首を絞めたり、掃除機で頭を叩いたり、文字にするとひどく暴力的だが、じっさいの写真は、思わず松本人志のコント「ミックス」を連想してしまったほど、可笑しみがあるのだ。
このユーモアが、畳とタンス、磨硝子などで構成される庶民の生活空間に由来するのか、あるいは彼らのそれぞれが際立ったキャラに起因しているのか、わからない。けれども、それが彼らの諍いの根底にあるはずの愛情がなせる業なのだろうと想像させることは間違いない。
これらの写真は、およそ20年前に撮影されており、吉永にとってのルーツとされているらしい。暴走族であろうとゴスロリであろうと何であろうと、吉永の写真には被写体と正面から向き合う誠実さが感じられるが、そこでは写真を撮る当人にとっても撮られる被写体にとっても見る私たちにとっても「肯定」になりうる写真が目指されているように思えてならない。これは単純なようでいて、じつはもっとも難しい、写真の大きな力ではないか。

2013/07/26(金)(福住廉)

東松照明『Make』

発行所:SUPER LABO

発行日:2013年5月

写真の本質は「Take」(撮ること)なのか、それとも「Make」(作ること)なのか。そんな議論が話題を集めたのは1980年代、「コンストラクテッド・フォト」とか「ステージド・フォト」とか称される、あらかじめセットを組んだり、場面を演出したりして撮影するスタイルがいっせいに登場してきた時期だった。「Take か、Makeか?」という二者選択として論じられることが多いが、必ずしもそうとは言えないことが、この写真集を見ているとよくわかる。というより東松照明は、そのスタートの時期から「Take」と「Make」を混在させたり、行き来したりする操作をごく自然体でおこなうことができる写真家だった。何しろ、彼のデビュー作である愛知大学写真部の展覧会に出品された「皮肉な誕生」(1950)や「残酷な花嫁」(同)が、すでに「Make」の要素をたっぷりと含んだ作品だったのだ。
それから2000年代に至るまで、東松は倦むことなく「Make」作品を制作し続けた。「ニュー・ワールド・マップ」(1992~93)、「ゴールデン・マッシュルーム」(1988~89)、「キャラクターP」(1994~)など、見るからに「Make」的な作品もあるが、「プラスチックス」(1988~89)などは、見た目は「Take」の写真に思える。ただこうしてみると、彼の写真家としての体質の根源的な部分に「Make」への衝動があり、それが何か大きな転機をもたらすきっかけになっていたことは間違いないと思う。
本書は東松が生前から企画し、作品の選択や構成も自分で決めていたのだという。用意周到というしかない。むしろ若い世代の写真家たちにとって、東松照明を新たな角度から見直す、いい機会になるのではないだろうか。

2013/07/24(水)(飯沢耕太郎)

あの頃の軍艦島 皆川隆

会期:2013/07/05~2013/08/31

フォトギャラリーアルティザン京都[京都府]

長崎の軍艦島といえば、その特異な外観と歴史で知られる場所であり、最近はグーグルのストリートビューでも人気を博しているという。皆川は若き日に実際に同島に在住していた者であり、彼が撮影した島での生活や出来事は、プロの写真家ではなかったがゆえの無欲さというか、素直な眼差しが新鮮だった。例えば、炭鉱労働者のなかに幾人も女性が混じっていることに驚かされるが、彼はそれを強調するのではなく、日常の一コマとして捉えているのである。また、高層団地が密集する情景を路面から見上げた作品は、ピラネージが描いた幻想の建築が現実化したかのようだった。

2013/07/23(火)(小吹隆文)

薄井一議 写真展「Showa88/昭和88年」

会期:2013/06/15~2013/08/08

写大ギャラリー[東京都]

「マカロニキリシタン」で知られる薄井一議の写真展。タイトルは、元号としての昭和が継続していたら今年が「昭和88年」になるということ。その架空の時間軸を設定したうえで、大阪の飛田新地や京都の五条楽園、千葉の栄町などで撮影した写真作品18点を展示した。
「昭和」という語感にすでに哀愁が漂っているように、その写真といえば陰りや汚れ、そして湿度が付き物だった。私たちが想像する「昭和」のイメージも、おおむねそのようなものになりつつある。ところが薄井の写真には、そうした暗鬱とした空気感は一切見られない。むしろ明るく、色彩豊かで、きれいに乾いている。大半の写真に出現している鮮やかな桜色は、薄井にとっての「昭和」が決してノスタルジーの対象ではないことを如実に物語っている。
もちろん、「昭和」を象徴する記号がないわけではない。キャバレー、時代劇のポスター、大衆演劇の役者、そして雪駄を履いたスキンヘッドのチンピラたち。とはいえ、刀を握りしめた彼らが身にまとうシャツは、いずれもピンクや赤でけばけばしい。「昭和」が続いていたら、つまり「平成」が訪れていなかったら、造形は変わらずとも、このように色彩が激変していたに違いないということなのだろう。
とはいえ、それだけではなかった。最後に展示されていた一枚は、被災地の写真。画面の中央には、破壊された街並みを貫く一本の車道が写されている。周囲の痛ましい傷跡とは対照的に、きれいに片付けられたその車道がやけに眩しい。チリひとつ落ちていない清潔な路面は、復興の必要であると同時に、おそらく現代都市生活の象徴でもあるのだろう。そう考えると、薄井の写真に表われている明るい色彩も、現在の都市社会に欠かすことのできない構成要素であることに気づく。
そう、「昭和88年」というプロジェクトは、たんなるフィクションではなく、かといってノスタルジーでもなく、あくまでも現在を逆照するために仮設された装置なのだ。だからこそ薄井は、このようにいかにも今日的な明るい写真で撮ったのだ。だとすれば、その装置からは明度の高い色彩や除菌的潔癖性のほかにも、さまざまな要素が導き出されるのではないだろうか。「昭和」をとおした現在の表現には、あらゆる可能性が潜在しているに違いない。

2013/07/19(金)(福住廉)

元田敬三「Sunday Harajuku」

会期:2013/07/12~2013/07/25

エプソンイメージングギャラリーエプサイト[東京都]

元田敬三は、2005年頃から毎日曜日に、パノラマサイズのワイドラックスカメラを手に、東京・原宿の代々木公園前の路上に出かけるようになった。そこには20~40歳代の、リーゼント・スタイルの「ローラー」たちが集まり、大音響のロックンロールに合わせて日がくれるまで踊り狂っていた。それから6年あまり、顔なじみも増えて、コンサートに連れて行ってもらったり、沖縄に一緒に旅行したりするようにもなった。撮影された写真を見ていると、被写体との長期にわたる細やかな交流が、この種のドキュメントには必須のものであることがよくわかる。
だが写真集(SUPER LABO刊)をまとめ、展覧会を開催するために写真を選び、プリントしているうちに、元田のなかには実際に撮影していた時期とはまた違った感情が湧いてきたようだ。「大きなプリントとして立ち現れた場面の中で、写された光景のすべてはモノクロームの粒子として等価になる」。そこに写り込んでいる「ローラー」たちとその家族や恋人とおぼしき女性たち、彼らを取り巻く観客やカメラを向ける外人観光客、そして路肩に駐車しているアメ車やオートバイなども、すべて画面の構成要素として「等価」に見えてくるということだ。このような醒めた認識を持ち得るかどうかが、ドキュメントとしての写真の成否を判断する基準となるのではないかと思う。
この写真展を見てあらためて感じたことがもうひとつ。デジタルプリンターによるモノクロームプリントのクオリティは、もはや手焼きの銀塩プリントをはるかに凌いでいるのではないか。大容量のスキャナー、顔料10色インクジェットプリンター、プロフェッショナル仕様のフォトペーパーの組み合わせの精度は、唖然としてしまうような高さに達しつつある。

2013/07/18(木)(飯沢耕太郎)