artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
田中雄一郎「ATLAS BLACK」
会期:2013/08/24~2013/09/22
田中雄一郎は1978年、埼玉県生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科在学中から写真作品を発表しはじめ、現在は九州産業大学大学院に在籍しながら精力的に個展などを開催している。今回、東京・新宿のphotographers' galleryのメンバーになることになり、年2回ほどのペースで展示することが決まった。写真家としての潜在能力の高さは、以前から注目していたのだが、コンスタントに作品を発表することで、さらなる飛躍が期待できそうだ。
今回展示された「ATLAS BLACK」は、2006~09年頃に東京とその周辺で撮影されたモノクロームのスナップショットのシリーズ。大伸ばし3点を含む24点の作品にどこか既視感を覚えるのは、それらが1960年代後半の森山大道、中平卓馬らの作品から脈々と流れる都市のストリート・スナップの流れに、ぴったりとおさまってしまうからだろう。ややカメラを傾けたアングルや、人工光への鋭敏な反応なども、どちらかと言えば目に馴染んできたものだ。そのことを特に否定的に捉える必要はないが、やはり「そこから先」を見てみたい気がする。路上に記された矢印や「国道15号」とい行った表記、廃車のボンネットの埃を指でなぞった落書きなど、グラフィックな要素をより強調するのも面白いかもしれない。
これから先は、2010年から撮影を開始したブラジルの写真や、カラー写真のスナップなども順次展示していく予定だという。photographers' galleryという絶好の環境を活かして、新作にも意欲的に取り組んでいってほしいものだ。
2013/08/27(火)(飯沢耕太郎)
井上孝治「『音のない記憶』写真展」
会期:2013/08/20~2013/09/01
アートガレー[東京都]
井上孝治(1919~93)は1955年から福岡市でカメラ店を経営しながら撮影を続けた写真家。3歳のときに事故で聴覚を失うが、その聾唖のハンディゆえに逆に視覚世界に対して鋭敏な感覚を発揮するようになったのかもしれない。そのスナップショットの切れ味にはただならぬものがあり、被写体に対する素早く柔らかな眼差しの向け方は、多くの人たちを引きつけてやまない魅力を備えている。
1989年、福岡のデパート岩田屋の広告キャンペーンに写真が使われたのをきっかけにして、彼の写真の仕事が注目されるようになり、写真集『想い出の街』(河出書房新社、1989)が刊行されて大きな反響を呼んだ。また、井上の写真と人柄に魅せられたフリーライターの黒岩比佐子は、長期間にわたって取材を重ね、1999年に評伝『音のない記憶』(文藝春秋)を上梓する。これが、その後多くの力作評論を刊行し、2010年に惜しまれつつ亡くなった黒岩のデビュー作となった。今回の東京・神楽坂のアートガレーでの展覧会は、井上の代表作70点を黒岩の『音のない記憶』の記述と重ね合わせる構成になっていた。
あらためて井上の作品を見直すと、彼が写真を撮影することに注ぎ込んだ情熱とエネルギーの大きさに圧倒される思いを味わう。アマチュア写真家という範疇にはおさまりきれない写真家としての意欲が、ぴんと張りつめた画面にみなぎっているのだ。今回は福岡の自宅の周辺で撮影された路上スナップだけでなく、1959年の沖縄滞在時の写真や、1975年のヨーロッパ旅行のときの写真も併せて展示されていた。これらも含めて、テーマ別に井上の写真の世界を再構築してみるのも面白いかもしれない。
2013/08/25(日)(飯沢耕太郎)
畠山直哉「BLAST」
会期:2013/08/20~2013/09/07
Taka Ishii Gallery[東京都]
石灰岩採掘のための爆破現場をリモート・コントロールのカメラで撮影した「BLAST」シリーズは、畠山直哉にとって重要な意味を持つ作品である。同じく石灰岩の鉱山を撮影した「Lime Hills」をはじめとする彼の初期作品は、細部まで厳密に構築された画面構成に特徴があった。被写体を、その周辺の環境を含めてあたう限り精確に写しとっていくその手つきには揺るぎないものがあったと思う。ところが、1995年から開始されたこの「BLAST」のシリーズでは、写真家としてのコントロールが不可能な状況を相手にしなければならなかった。2,000トンを超えるという大岩が吹き飛ばされて宙を舞う爆破現場はあまりにも危険すぎて、自分の手でシャッターを切ることができないのだ。それゆえ、このシリーズでは、爆破の様子がどう写っているのかはフィルムを現像・プリントしてみなければわからない。このような不確定な状況に身を委ねざるを得ない撮影を経験したことで、揺らぎ、偶然性、無意識などを積極的に取り込んだ新たな撮影のシステムが模索されていくことになる。そのことが、畠山の作品世界を一回り大きなものにしていったのではないだろうか。
このシリーズを集大成した写真集『BLAST』(小学館)の刊行に合わせて開催された今回の個展では、これまでの展示とは違うタイプの作品が選ばれている。画面全体がブレていたり(地面を転がってきた岩が三脚に当たったのだという)、地平線や空の部分がなく、画面全体が「オールオーバー」に岩石のかけらに覆われたりしているような作品だ。全体として、さらに不確定性が増大しているように感じる。畠山自身が写真集の「ながいあとがき」で述べているように、故郷の陸前高田市の実家が「3.11」の大津波で流失したという出来事が、「BLAST」の全体を見直す契機になっているのは間違いないだろう。シリーズそのものにはとりあえずの区切りがついたようだが、写真を通じて自然と人間との関係を探求していく彼の営みは、今後も粘り強く続けられていくのだろう。
畠山直哉
「Blast #14117」2007年
ラムダプリント、100 x 150 cm
Courtesy of Taka Ishii Gallery
2013/08/24(土)(飯沢耕太郎)
茂木綾子「ノマド村」
MISAKO & ROSEN[東京都]
会期:2013/07/28~08/25(8/12~16休)
茂木綾子の名前は懐かしい。1990年代初め、「写真新世紀」の公募がスタートしたばかりの頃、若い女性モデルをふわっとした調子の画像で撮影したポートレートのシリーズが出品された。それがデビュー当時の茂木の作品で、たしか荒木経惟が優秀賞に選んだはずだ。Hiromixや蜷川実花が登場する少し前の、「ガーリー・フォト」の走りというべき作品だったのをよく覚えている。
その後、彼女はヨーロッパに渡り、ドイツ出身のアーティストのヴェルナー・ペンツェルというパートナーを得て、写真以外に映画作品なども制作するようになる。スイスの古城をアーティスト・イン・レジデンスとして開放するプロジェクトに参加した後、4年前に帰国して兵庫県淡路島に居を定めた。今回のMISAKO & ROSENの個展は、「アート、音楽、写真、映画、食、農、暮らしなどにまつわるさまざまな活動の紹介、交流授業」を展開するため、ヴェルナーとともに淡路市長澤に設立した「ノマド村」のたたずまいを撮影した写真を中心に構成されていた。
基本的には廃校になった小学校を改装した施設のディテールを、丹念に、静かに写しとったドキュメントなのだが、壁や床の有機的な素材の質感をそっと撫でるようにカメラにおさめていく眼差しに、優しさと落ち着きがある。かつての彼女の写真の、軽やかに宙を舞うような躍動感はないのだが、複数の写真を繋ぎ合わせていく手際に、細やかな気配りと表現としての成熟を感じた。今回は人の姿をあえて外したようだが、「ノマド村」の住人たちの暮らしぶりももっと見てみたいと思った。
2013/08/22(木)(飯沢耕太郎)
原芳市「天使見た街」
会期:2013/08/19~2013/08/25
Place M / M2 gallery[東京都]
銀座ニコンサロンで「常世の虫」展を開催したばかりの原芳市が、矢継ぎ早に新宿のPlace M とM2 galleryで別の作品を展示した。このところの原のコンスタントな仕事ぶりには、驚くべきものがある。今回の「天使見た街」も、見せられるものはいま全部見せておこうという気迫が伝わってくる、充実した内容の展覧会だった。
原は2000年~01年にかけて『ザ・ストリッパー・舞姫伝説』(双葉社)におさめる写真を撮影するため、日本全国の劇場を回っていた。その怒濤のような日々の後に訪れた虚脱状態のなかで、偶然「リオのカーニバル」のTV番組を目にする。あたかも啓示のように「次はこれを撮影しなければ」と思ったのだという。最初にブラジル・リオデジャネイロを訪れたのは2004年、それから06年までの3年間に計4回滞在した。最初は時差ボケの影響もあって、ほとんど朦朧とした状態で撮影していたのだが、そのうちサンバ・チーム「マンゲーラ」の関係者や貧民街ファベーラの住人たちともコンタクトがとれるようになり、彼らの生により密着した写真に結びついていった。それらをまとめたのが今回の展覧会と、同時に刊行された同名の写真集『天使見た街』(Place M)である。
会場に並んでいるのは、スナップショット的な都市風景もあるが、大部分はカメラを被写体の正面に据え、ポートレートとしての意識で撮影されたものだ。その意味では、1980年代の写真集『ストリッパー図鑑』(でる舎、1982)や『淑女録』(晩聲社、1984)の延長上にある仕事と言えるだろう。だが、カラーポジフィルムで撮影された今回のシリーズは、「図鑑」としての統一性を保っていた前作と比較すると、より自在に被写体との距離感を伸び縮みさせているように見える。それとともに、リオの住人たちの圧倒的な生のエネルギーをひたすら受けとめ、抱きとろうという原の覚悟がしっかりと伝わってきた。
原は撮り続けていくうちに、「写真機に封じ込めた彼ら彼女らが、天使以外のなにものでもないと実感した」のだという。その経過を細やかに綴った写真集の「あとがき」の文章が素晴らしい。前作の「常世の虫」と併せて見てみると、原芳市の写真世界が完全に花開いてきたという強い思いが湧き上がってくる。60歳を過ぎてからという遅咲きの開花であり、これもまた稀有な事例と言えるだろう。
2013/08/22(木)(飯沢耕太郎)