artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
アーティスト・ファイル2013──現代の作家たち
会期:2013/01/23~2013/04/01
国立新美術館 企画展示室2E[東京都]
国立新美術館の学芸員たちが、それぞれ気になるアーティストたちを選出して、個展の集合のかたちで展示する企画。多ジャンルの、あまりきちんと紹介されていない作家の作品を見ることができる貴重な機会となっている。5回目となる今回は、ダレン・アーモンド(イギリス)、ヂョン・ヨンドゥ(韓国)、ナリニ・マラニ(インド)、東亭順(以下日本)、利部志穂、國安孝昌、中澤英明、志賀理江子の8人が選ばれている。
ダレン・アーモンドの瞑想的な月光の下での風景写真、ナリニ・マラニの内蔵感覚の発現と言うべきドローイングと映像など、興味深い仕事が多かったが、やはり圧巻は志賀理江子の「螺旋海岸」のインスタレーションだろう。2012年11月~13年1月にせんだいメディアテークで開催された展覧会の縮小版と言うべきもので、点数が半分以下に減った作品は、螺旋状ではなく折り重なるように不定形に並べられ、照明もフラットなものになっている。だが、観客を否応なしに巻き込んでいく彼女の作品世界の圧倒的なパワーは、ここでも充分に伝わってきた。
この展示について、三沢典丈が『東京新聞』夕刊(2013年2月15日付)に掲載した美術展評で疑義を呈している。志賀は等身大以上に引き伸ばした写真を木製の支持体に貼り付け、斜めに立てかけるインスタレーションのかたちで作品を展示した。三沢はこのやり方だと「見る者に被災地への思いを獲得させるのと引き換えに、作品と向き合う静寂な時空は犠牲になる」と書く。さらに「被災地から近い会場なら、この形式は共感として了解され、視線の妨げにはならないだろう。だが遠い東京で見る者が、被災地の様子を漠と想起するだけなら、雑念となりかねない」と書き継いでいる。
このような一見もっともらしい、安全地帯に身を置いた見方こそ、志賀が激しく忌避し、身をもって挑発しようとしているものだろう。志賀の写真は、まさに三沢が避けるべきだと提言する「物質性」を露にして見る者に襲いかかる。被災地から遠い東京での展示だからこそ、逆にその荒ぶるノイズ(雑念)を全身で受け止める態度が求められているのではないだろうか。
2013/02/16(土)(飯沢耕太郎)
尾仲浩二「MY FAVORITE 21」
会期:2013/02/12~2013/03/02
ZEN FOTO GALLERY[東京都]
尾仲浩二からの思いがけないヴァレンタインのプレゼントといった趣の、小粋な展覧会だった。このシリーズをつくり始めたきっかけは、ずっと愛用していたコダックのカラープリント用の印画紙が2年前に製造中止になってしまったことだったという。そのとき、パリの友人が小半切サイズのその印画紙を100枚送ってくれた。そこに何をプリントしようかと考えたときに、カラープリントを始めたばかりでまだあまり上手に焼けなかった2000年頃に撮った写真群が気になり始めた。エディションを3に決め、そこから21枚の「MY FAVORITE 」を選んでプリントしたのが今回のシリーズである。
旅の途上、街はずれの人気のない片隅の光景という尾仲のスタイルは一貫している。だがそのなかでも、不機嫌そうな猫、愛嬌がありすぎてちょっと哀しげな犬、煙を吐いて航行する旅客船など、普段なら外しそうな写真をさりげなく入れてサービス精神を発揮している。気になったのは展覧会のDMや、ZEN FOTO GALLERYから刊行された同名の写真集の表紙に使われている、古臭い造花を飾ったショーウィンドウの写真。ここには「モノ」に対する尾仲の独特の嗅覚がはっきりと表われている。彼は風景を包み込んでいる空気感だけでなく、このようなどこか懐かしく、愛らしい「モノ」たちのたたずまいにも鋭敏に反応してシャッターを切っているのではないだろうか。この方向をさらに進めていけば、「MY FAVORITE THINGS」をコレクションした展示や写真集も充分に考えられるのではないかと思った。
2013/02/15(金)(飯沢耕太郎)
カタログ&ブックス│2013年2月
展覧会カタログ、アートにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
会田誠作品集 天才でごめんなさい
2012年11月17日(土)〜2013年3月31日(日)まで、森美術館で開催中の「会田誠 天才でごめんなさい」展カタログ。「デビュー以来一貫して自らが生きる社会を凝視し続け、批評、風刺あふれるセンセーショナルな作品を発表し続ける会田誠。そのタブーに挑む表現から真の評価が遅れてきた会田の全貌を検証する」[青幻舎サイトより]
SUPER RAT
芸術実行犯Chim↑Pomの全貌! 2005年結成からパルコミュージアムでの個展「Chim↑Pom」までの代表作をすべて網羅。さらに国内外の評論家やキュレーターによるさまざまな論考を併載し、話題沸騰のアーティスト集団に迫る。[パルコ出版サイトより]
アシュラブック
興福寺 阿修羅像から東大寺 不空羂索観音像へ
興福寺の阿修羅像が美少年になった理由とは? 興福寺の阿修羅像は、日本の仏像の中でナンバーワンの「美少年」です。ですが、阿修羅のルーツをたどっていくと、ある疑問にぶつかります。阿修羅はそもそも鬼の神。インドや中国など各地でつくられた像の多くは、すさまじい形相をしているものが多々あり、美少年のイメージから遠くかけはなれています。では、なぜ興福寺の阿修羅像が生まれたのでしょうか? 本書では、美少年が生まれるヒストリーの裏に隠された、人間のさまざまなドラマに迫ります。また、最近の研究により新事実の発覚した、東大寺不空羂索観音像との関係もクローズアップ。さらに、奈良の美仏も多数収録。奈良の仏像の「美しさ」を徹底的に解説。仏像好き必見の一冊です。[美術出版社サイトより]
写真画報
荒木経惟「淫夢」×佐内正史「撮っている」
ふたりの写真家を選出し、それぞれの作品をほぼ同じページ数で掲載する新しい表現スタイルの写真雑誌です。写真表現を拡張する可能性を探りつつ、写真家の本質を対比によって表出させます。特集ではインポッシブルのインスタントフィルムで撮影した新作を発表する荒木経惟と、ストレートで純粋な表現で挑む佐内正史のふたりを取り上げます。それぞれ60 ページに渡るボリューム満点の撮り下ろしの作品ページとインタビューは、見応え十分です。他に最新写真ニュースやブックレビューなどのコラムを掲載しています。
[玄光社サイトより]
地域を変えるソフトパワー
アートプロジェクトがつなぐ人の知恵、まちの経験
東日本大震災が起きる以前から、地域社会の疲弊に対して多くの振興策が実施されてきた。しかし、それらはじゅうぶんな成果を上げられなかった。公共事業による箱モノ行政や、大規模商業施設の誘致がいっときのカンフル剤として機能したとしても、高度成長期より徐々に進んできた地方の過疎化と大都市への一極集中は食い止められず、地域社会は疲弊したままである。そうしたなか、新たな地域再生の試みが少しずつ成果を上げ始めている。多様な地域資源を再活用し、人々のコミュニケーションを応援し、2000年以降地域コミュニティ再生に不可欠な存在として浮かび上がってきたのが、アートプロジェクトである。このアートを社会に開く活動は、地域における小さな拠点開発に長けており、大規模の施設を必要とせず、最小の投資を最大限に活かすことができる。私たちは、全国の様々なアートプロジェクトが備えているそんな機能を、「ソフトパワー」と名付けてみたいと思う。地域に暮らす、あるいは関わる人々の「もやもやとした思い」を受け止め、様々な実践へと展開していくこと。着実に成果を生んでいる各地の取り組みを取材し、一つひとつ紐解いてみたい。柔軟な社会変革、だからソフトパワーなのである。[地域を変えるソフトパワー特設サイトより]
建築映画 マテリアル・サスペンス
建築家・鈴木了二は、建築・都市があたかも主役であるかのようにスクリーンに現れる映画を「建築映画」と定義します。「アクション映画」、「SF映画」や「恋愛映画」といった映画ジャンルとしての「建築映画」。この「建築映画」の出現により、映画は物語から解き放たれ生き生きと語りだし、一方建築は、眠っていた建築性を目覚めさせます。鈴木は近年の作品のなかに「建築映画」の気配を強く感じると語ります。現在という時間・空間における可能性のありかを考察するために欠かすことができないもの、それが「建築映画」なのです。ヴァルター・ベンヤミン、ロラン・バルト、アーウィン・パノフスキーやマーク・ロスコの言葉にも導かれながら発見される、建築と映画のまったく新しい語り方。本書で語られる7人の映画作家たち:ジョン・カサヴェテス、黒沢清、青山真治、ペドロ・コスタ、ブライアン・デ・パルマ、二人のジャック(ジャック・ターナー、ジャック・ロジエ)。黒沢清、ペドロ・コスタとの対話も収録。[LIXIL出版サイトより]
2013/02/15(金)(artscape編集部)
鈴木諒一「観光」
会期:2013/02/01~2013/02/26
EMON PHOTO GALLERY[東京都]
1988年生まれで、東京藝術大学大学院在学中の鈴木諒一の実力は折り紙付きだ。第一回EMON PORTFOLIO REVIEWでグランプリを受賞し、2012年に開催した個展「郵便機」でも、その可能性の片鱗を見せてくれた。サン=テグジュペリの小説に触発された前回の個展に続いて、今回も「書物」が主題となっている。本のページをめくっていると、時々その裏側の文字や図像が透けて見えてくることがある。そんな体験を作品化したのが今回の「観光」のシリーズで、図鑑に掲載された風景や動物たちが、逆光に照らし出されてぼんやりと浮かび上がってくる様を、多重露光のような効果で定着したものだ。
アイディアも手際も悪くない。「世界で一番遠くにあるページは、そのページ自身の裏側かもしれない」というコメントを見てもわかるように、思考を言語化する能力にも長けているようだ。だが、まだ「これこそが自分の作品だ」というフィット感に乏しい気がする。一皮むければ、いい作家になるのは目に見えているので、あと一歩の食いつき、追い込みを期待したい。別室に展示されていたもうひとつの新作「Books」にも可能性を感じた。本のページとページの間の隙間を、覗き込むように撮影したシリーズだが、むしろその素直なアプローチに面白味がある。
2013/02/14(木)(飯沢耕太郎)
エドワード・スタイケン写真展 モダン・エイジの光と影1923-1937
会期:2013/01/26~2013/04/07
世田谷美術館[東京都]
エドワード・スタイケン(1879~1973)の90年以上にわたる生涯は、いくつかの節目で区切られている。ルクセンブルク移民の息子としてアメリカ・ミルウォーキーに育ち、1902年にアルフレッド・スティーグリッツらとフォト・セセッションを結成して、アメリカにおける「芸術写真」の展開に一時代を画したのが第一期、第二次世界大戦後にニューヨーク近代美術館写真部門のディレクターとなり、「人間家族」展(1955年)などを企画・構成するのを第三期とすると、今回の世田谷美術館での展示は、その間の第二期にスポットを当てたものだ。
この時期、スタイケンは「芸術写真」からコマーシャル・フォトの領域に転じ、『ヴォーグ』『ヴァニティ・フェア』などを発行するコンデ・ナスト社の専属写真家として、主にポートレートやモード写真を撮影、発表していた。写真家としては円熟期にあたるこの時期に、あえて商業的な写真を選択したことについては批判がないわけではない。だが今回の展示を見ると、写真印刷の技術的な発達によって、雑誌メディアにおける写真の可能性が大きく花開いていくなかで、彼が自分の能力すべてをこの分野に注ぎ込んでいたことがよくわかった。
1920年代のアール・デコから、30年代のよりモダンで機能的なファッションへと、モードの世界の美意識が変化していくのに合わせるように、スタイケンの写真術も、より精緻で洗練されたものになっていく。特に1930年代のシンプルな構図で光と影のコントラストを活かした作品群は、うっとりと見入ってしまうほどの美しさだ。女優のグロリア・スワンソン、グレタ・ガルボ、ジョーン・クロフォード、そしてモデルのマリオン・モアハウスなど、スタイケンの写真を彩る優美なミューズたちの輝きは、今なおまったく色褪せていない。上流社会の支えによる「ハイ・ファッション」が、きちんと成立していた時代だからこその輝きと言えるだろう。
2013/02/13(水)(飯沢耕太郎)