artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
森山大道「写真よさようなら」
会期:2013/02/16~2013/03/16
Taka Ishii Gallery[東京都]
ロンドン、テート・モダンでのウィリアム・クラインとの二人展も無事終わり、森山大道の仕事はさらに大きな広がりを持ち始めている。今回のTaka Ishii Galleryでの個展では、もはや伝説といってよい1972年の写真集『写真よさようなら』(写真評論社)の収録作から10点を展示していた。
『写真よさようなら』は、ある意味で森山の転機となった写真集で、全編「アレ・ブレ・ボケ」の極致と言うべき写真群で構成され、ラディカルな実験意識に貫かれていた(巻末に中平卓馬との対談「8月2日 山の上ホテル」をおさめる)。ところが、この写真集へのネガティブな反応が引き金となって、森山は長期にわたる「大スランプ」に陥ってしまう。1981年に『写真時代』に連載した「光と影」のシリーズで再起するまで、10年近くの苦闘が必要だった。今回あらためて見ても、苛立たしげな身振りで事物の表層を「擦過」していく森山の視線のあり方が、緊張感を孕んで極限近くまで達しつつあったことがよくわかる。唇、ジーンズ、自動車、印刷物の網目など、森山がそれ以後もずっと執着し続ける被写体が、確信犯的に選びとられているのも興味深い。
今回、もうひとつ注目すべきなのは、展示されているプリントが印画紙に引き伸ばされているのではなく、シルクスクリーンで刷られていることだ。森山は1970年代からシルクスクリーンの質感と表現力に着目し、実際に作品も発表してきた。印刷の網点でも印画紙の諧調でもない、シルクスクリーンに特有のぬめりを帯びた灰色~黒のトーンは、とても面白い効果をもたらしている。あの『写真よさようなら』が、新たな生命を得て甦ったと言えそうだ。
2013/03/01(金)(飯沢耕太郎)
三田村光土里「夜明けまえ」
会期:2013/02/16~2013/03/16
GALLERY TERRA TOKYO[東京都]
三田村光土里は内外のギャラリーや美術館で、記憶を喚起し、攪乱する写真の力を巧みに利用したインスタレーション作品を発表してきた。この「夜明けまえ」のシリーズは、2011年に制作され、水戸芸術館現代美術センターで開催された「クワイエット・アテンションズ 彼女からの出発」展で発表された。ところが、東日本大震災のため、展示が数週間で中止になってしまった。その再編集版が今回の展覧会である。
イタリアの小都市、プラートの広場にあるバッキーノ(バッカスの子ども)の噴水彫刻。その愛らしくも哀しげな顔のあたりを、「夜明けまえ」の薄闇の中でクローズアップで撮影し続けた映像作品を中心に、本、鏡、靴、バッグ、砂時計などが、床に散乱している。壁には、やはり闇に半ば沈み込んだホテルの部屋などで撮影された、モノクロームの写真作品が並ぶ。全体は黒で統一され、サティのピアノ曲をアレンジした音楽が流れている。
ギャラリーの空間そのものが、三田村が自らの記憶を甦らせるための儀式的な祭壇のような場所に変質させられているといってもよい。そのもくろみは、かなりうまくいっているのではないだろうか。観客もこのインスタレーションに、自分たちの記憶を重ね合わせることができそうだ。それは時に息苦しく、痛みをともなうものだが、どこか甘美でエロティックな感情を呼び覚まされるような体験でもある。
2013/03/01(金)(飯沢耕太郎)
記憶写真展
会期:2013/02/16~2013/03/24
目黒区美術館[東京都]
東日本大震災以後、無名のカメラマンが街や村の日常の眺めを記録した写真が気になり出した。津波によって集落そのものが完全に消失してしまうような状況を目の当たりにすると、記憶をつなぎ止める最後の(唯一の)手段がそれらの写真であることがよくわかったからだ。
目黒美術館で開催された「記憶写真展」に出品されているのは、目黒区めぐろ歴史資料館に保存されている膨大な量の「普通の人々の写真」の一部である。今回はそのなかから主に宮崎敏子、高橋専、高松一夫という3人のアマチュアカメラマンが目黒区内で撮影した1950~70年代のネガを、デジタル出力によってプリントして展示した。「街の表情」「人々と駅」「働く人々」「工事中」「学校の子供たち」などに分類されて並んでいる写真群を目で辿っていると、体の奥に眠っていた身体感覚が引き出され、当時の街の空気感がいきいきとよみがえってくるように感じる。彼らはむろんプロフェッショナルな写真家ではないから、何か強い美意識や社会的な使命感に動かされてシャッターを切っていたわけではない。だが逆に目の前の情景を取捨選択せずに写しとることによって、細部の情報が思いがけないかたちで心を揺さぶることがある。「雪と雨」や「夕方の光景」のパートに展示されていた、日常と非日常が交錯する都市の情景など、単なるノスタルジアを超えた魅力を放っていた。
なお、目黒区に在住していた工業デザイナー、秋岡芳夫と彼のデザイン事務所KAK(カック)のメンバーたちが撮影した写真を集成した「秋岡芳夫全集1──秋岡芳夫とKAKの写真」展も同時に開催されていた。こちらは洗練されたデザイン感覚を画面構成に発揮した作品群だが、家族や日常に向けたのびやかな視線には「記憶写真展」との共通性も感じる。
2013/02/26(火)(飯沢耕太郎)
小林紀晴「kemonomichi」
会期:2013/02/13~2013/02/26
銀座ニコンサロン[東京都]
小林紀晴の『メモワール 写真家・古屋誠一との二〇年』(集英社)は、人物ドキュメントの力作だった。投身自殺した妻の記憶を、写真集や写真展を通じて執拗に再構築し続ける古屋誠一を、長期間にわたって取材し続けてまとめたものだが、その過程で小林自身も得るところが大きかったのではないか。写真家に否応なしにつきまとう、すべてを見尽くしたいという「呪われた眼」を自覚したこともそうだが、写真を撮影し、選択し、構成する方法論においても、古屋の影響を大きく受けたのではないかと思う。古屋が「メモワール」のシリーズのなかで試みた、インパクトの強い隠喩的、象徴的なイメージを日常的な場面の写真に差し挟むことで「物語」に深みや奥行きを与えるやり方を、小林もしっかりと学びとったことが、今回の「kemonomichi」展からもしっかりと伝わってきた。
本展は昨年9~11月にキヤノンギャラリーSで開催された「遠くから来た舟」の延長上にあるものだろう。前回の個展では北海道から沖縄まで全国各地の聖地を訪ね歩き、祭礼や宗教儀式を中心に撮影したが、今回は彼の故郷である長野県諏訪地方に焦点を絞っている。諏訪には七年に一度の御柱祭のほかに春の御頭祭があり、「七十五頭の鹿の首が生け贄として捧げられる」のだという。小林は諏訪を撮り歩くうちに、この地に出雲から来た新しい神、ミシャグチと称されるそれ以前の土着の神、さらに最古層の縄文時代の信仰という三層構造があることに気がつく。御柱祭や御頭祭では、その構造が生々しく露呈してくるのだ。特に強調されているのは、熊、鹿、蛇、雉などの動物や鳥などの形象の持つ象徴的な喚起力だ。カラーとモノクロームを混在させ、出征兵士や御柱祭の古写真の複写なども効果的に使って、スケールの大きな時空の表現を実現していた。
なお、冬青社から同名の写真集も刊行されている。また、東京・茅場町の森岡書店では、古屋誠一を2000~2010年にかけて撮影したポートレートを集成した「背中を追って 写真家・古屋誠一への旅」(2月18日~23日)が開催された。
2013/02/19(火)(飯沢耕太郎)
宮崎学 自然の鉛筆
会期:2013/01/13~2013/04/14
IZU PHOTO MUSEUM[静岡県]
これはおもしろい。野生動物の生態を記録した写真だが、写し出されているのはクマやサル、カモシカ、フクロウなど、いずれも私たちの自然環境に生息する動物ばかり。彼らの知られざる生態を、野外に設置した赤外線カメラによって隠し撮りした170点あまりの写真が一挙に展示された。
暗闇の中に浮かび上がる動物たちの姿は、まるで劇場でスポットライトを浴びる役者のようで、じつに様になっている。カメラに悪戯するクマの姿は、どこかの大柄なカメラマンのようだ。じつは動物と人間の境界はそれほど明確なものではないのかもしれない。思わず、そんな気にさせられるほど、宮崎の写真は魅力的である。
ただ、だからといって宮崎の動物写真は動物を擬人化する視線に終始しているわけではない。むしろ生物としての動物を徹底的に即物的に見る視線もある。もっとも代表的なのが、動物の屍を定点観測した写真のシリーズだろう。ニホンカモシカの亡骸は、まずウジ虫がわき、他の動物によって毛がむしり取られ、肉を喰われ、やがて雨が骨を崩すと、ゆっくりと土に沈んでゆく。スライドショーで淡々と見せられるので、生物の死の先が自然に直結していることがよくわかる。「土に帰る」というクリシェより、むしろ「自然になる」という言い方のほうがふさわしい。頭蓋骨が最後まで原形をとどめているからだろうか、肉体が土に溶け合い、一体化しているように感じられるのだ。
死を象徴化ないしは抽象化する現代社会の内部ではなかなか見ることができない、むき出しの死を目撃することができる貴重な写真展である。
2013/02/18(月)(福住廉)