artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
野村佐紀子「NUDE / A ROOM / FLOWERS」
会期:2013/02/08~2013/03/24
BLD GALLERY[東京都]
野村佐紀子の個展デビューは1993年。ということは、もう20年近くコンスタントに写真展を開催し、写真集を刊行し続けているわけで、そのことにちょっと驚いてしまう。というのは、彼女の最初の頃の作品はほとんどが室内で撮影されたモノクロームの男性ヌードで、被写体や作風の広がりをあまり予想できなかったからだ。ところが、野村の小柄な細身の身体に秘められたエネルギーの埋蔵量は、当初の予想をはるかに超えたものだったようだ。しぶとく、淡々と写真を撮り続け、しっかりと自分のポジションを確立していった。今回の展示と、同名の写真集の刊行(Match & Company)は、その意味でひとつの区切りをつけるものと言えるのではないだろうか。
かなり大きめのサイズに引き伸ばされて会場に並んでいる56点の作品を見ていると、いつのまにか野村の被写体の幅が広がっていることに気がつく。トレードマークと言える男性ヌードだけでなく、女性や子どもの写真もあるし、室内の情景や風景の比率も増してきている。モノクロームの作品のなかに、カラープリントもそれほど違和感なく溶け込んでいる。かなりバラバラな作品群が、すーっとつながるように目に飛び込んでくるのは、それらを見つめ、撮影していく野村の視点が安定しているからだろう。闇の中に沈み込んでいこうとする被写体を凝視し、ふっと息を吐くようにシャッターを切る。緊張と弛緩とを行き来するその呼吸が、なかなか真似のできない達人の域に届きつつあるように思う。そこに写り込んでくるのは、生の世界がいつのまにか死の領域へと滑り込んでいくような、曖昧な、だがどこか懐かしく既視感のある時空の気配だ。
2013/02/12(火)(飯沢耕太郎)
鈴木理策「アトリエのセザンヌ」
会期:2013/02/09~2013/03/27
GALLERY KOYANAGI[東京都]
鈴木理策にはすでにセザンヌが生涯のテーマとして追求し続けたサント・ヴィクトワール山を撮影したシリーズがあり、2004年には写真集『MONT SAINTE VICTOIRE』(Nazraeli Press)として刊行されている。このシリーズも絵画と写真との表現のあり方を問い直す意欲作だったが、今回GALLERY KOYANAGIで発表された新作「アトリエのセザンヌ」では、彼のセザンヌ解釈のさらなる展開を見ることができた。
サント・ヴィクトワール山の写真もあるが、中心になっているのはセザンヌが絵を描き続けたアトリエの内部で、むしろそこに射し込む光が主役と言ってよい。鈴木はもともと、光の質感やたたずまいを鋭敏で繊細なセンサーでとらえ、定着することが得意な写真家だが、今回の連作でもその能力が見事に発揮されている。窓から射し込む光は、アトリエの中のオブジェ(印象的な3個の髑髏を含む)、壁に掛けられた画家の上着や杖などの輪郭をくっきりと浮かび上がらせるだけでなく、むしろその重力を奪い去り、ふわふわと宙を漂うような不安定で曖昧な存在に変質させてしまう。それは空間の明確な構造や対象物の物質性にこだわるセザンヌとは、まさに正反対のアプローチと言うべきだろう。会場には新作の動画(ヴィデオ)作品「知覚の感光板」(2012年)も展示されていたが、こちらの方が静止画像よりもさらに浮遊感が強まっており、鈴木の志向性がはっきりと表われているように感じた。
展覧会に寄せた小文で、作家の堀江敏幸が面白い解釈を打ち出している。鈴木が撮影するサント・ヴィクトワール山の岩肌は「セザンヌの脳内風景どころか脳そのもの」だというのだ。たしかに写真を眺めていると、そんなふうに見えてくる。卓見と言うべきではないだろうか。
2013/02/12(火)(飯沢耕太郎)
梅佳代『のと』
発行所:新潮社
発行日:2013年4月25日
東京オペラシティアートギャラリーで開催された「梅佳代展」(2013年4月13日~6月23日)に合わせるかたちで、写真集『のと』が刊行された。以前この欄で、「そこに住む家族と故郷の人々を愛おしさと批評的な距離感を絶妙にブレンドして撮り続けているこの連作は、梅佳代にとってライフワークとなるべきものだろう」と書いたのだが、その直感がまさに的中しつつあることが、この写真集で証明されたのではないかと思う。
日付入りコンパクトカメラで撮影されている写真が多いので、撮影年月日を特定しやすいのだが、それを見ると2002年頃から13年まで、10年以上のスパンに達している。生まれ故郷の石川県能都町との関係は、100歳近い「じいちゃんさま」の存在もあって、梅佳代にとって特別濃いものなのだろう。これから先も長く撮り続けていくことになるだろうし、さらにシリーズとしての厚みを増すにつれて「撮れそうで撮れない」彼女の写真の希少価値が際立ってくるのではないだろうか。
とはいえ、梅佳代の『のと』では、多くの写真家たちが取り組んでいるような地域の特殊性が強調されることはほとんどない。冬の雪の光景や「能登のお祭り館 キリコ会館」のような珍しい場所が、たまたま背景として写り込んでいることがあっても、多くの写真にあらわれているのはピースマークを出してカメラに笑いかける中高生のような、日本のどの地域でもありそうな情景ばかりだ。誰が見ても既視感に誘われる写真ばかりなのだが、全体を通してみると「これが『のと』」としかいいようのないゆるゆるとした空気感が、しっかり写り込んでいることに気がつく。
植田正治の山陰の光景のように、梅佳代の『のと』も、ローカルでありながら普遍的な写真のあり方を指し示しているともいえる。こうなると日本以外のアジアやヨーロッパの観客が、これらの写真にどんなふうに反応するかも知りたくなってくる。
2013/02/11(月)(飯沢耕太郎)
渡部雄吉 写真展 張り込み日記
会期:2013/02/02~2013/03/03
Gallery TANTO TEMPO[兵庫県]
1958年に実際に起こった殺人事件の取材を許された渡部雄吉(故人)は、2人の刑事に同行して、捜査状況を捉えた写真シリーズを撮影した。それらは、ドキュメントでありながらどこかフィクショナルでもあり、フィルムノワールのスチール写真だと言われたら信じてしまいそうな雰囲気に満ちている。また、作品に写り込んだ昭和30年代の街並みや風俗も貴重である。そもそも、殺人事件の捜査に一写真家が同行するなど今日ではありえず、それだけでも本作の価値は揺るぎないだろう。長らく誰も存在を知らなかった彼の作品が注目を集めたのは、2011年秋のこと。フランスの出版社が写真集を出版し、各地で受賞したことがきっかけだ。本展では、渡部の子息の了承を得て、残されたネガからニュープリントした作品を展覧。また、フランスの出版社とは異なる構成で新たに写真集を出版することも計画されている。さまざまな意味で目が離せない展覧会である。
2013/02/09(土)(小吹隆文)
砥上淳 写真展「弁当の味」
会期:2013/02/05~2013/02/17
Kobe 819 Gallery[兵庫県]
高齢者専門の弁当屋で配達の仕事をしている砥上は、毎日老人宅に通ううち、懇意になった数名のポートレートを撮影するようになった。作品に写っているのは、深く年輪を刻んだ彼ら彼女らの姿であり、じめっとした室内の風景である。なかには寝たきりや痴呆と思しき人もおり、室内の薄暗さや散らかり具合も相まって、つい暗い気持ちになってしまう。社会の暗部を訴えるジャーナリスティックな作品だと思う人も多いだろう。しかし、作家本人にそんな意識はないらしく、あくまでも客観的に対象と向き合っているのだと言う。だとしたら、筆者が作品から感じた問題意識は、自分自身に潜む偏見なのだろうか。写真を通して自分の未知の一面を垣間見た。
2013/02/09(土)(小吹隆文)