artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

野村次郎『峠』

発行所:Place M

発行日:2012年12月1日

2011年2月~3月に新宿御苑前のギャラリー、Place Mで開催された野村次郎の個展「峠」について、本欄に以下のように描いた。
「怖い写真だ。会場にいるうちに、背筋が寒くなって逃げ出したくなった。(中略)落石除けのコンクリートや枯れ草に覆われ、時には岩が剥き出しになった崖、その向こうに道がカーブしていく。時折ガードレールに切れ目があり、その先は何もない空間だ。それらを眺めているうちに、なぜかバイクごと崖に身を躍らせるような不吉な想像を巡らせてしまう。そこはやはり『立ち入り禁止の林道』であり、写真家はすでに結界を踏み越えてしまったのではないか」
こんなふうに感じたのには理由があって、野村が一時期精神的に不安定な状態に陥り、「引きこもり」の状態にあったことを知っていたからだ。自宅の近くにある林道を撮影したこの連作に、そのときの鬱屈した心情が写り込んでいるのではないかと想像したのだ。
ところが、今回写真集として刊行された『峠』を見て、やや違った思いを抱いた。たしかに「怖い写真」もある。だが「峠」には時折日が差しこみ、風も吹き渡っている。そこから伝わってくる感情は、閉塞感だけではないようだ。作者の野村自身は、「あとがき」にこう書いている。
「峠。そこは、ある意味閉ざされた場所で、お互い符号を持たない同士ゆえ、僕には開放感をあたえてくれる」
「符号を持たない同士」という言い方はややわかりにくいが、写真学校を中退して引きこもってしまった野村と、人もあまり通わずほとんど見捨てられてしまった林道のあり方が重ね合わされているということだろう。彼がそこにある種の「開放感」を見出していたということが、今回写真集のページを繰っていてよくわかった。撮影期間は2002~2011年。野村がPlace Mの存在を知り、再び写真に取り組み始めた時期だ。そこには恢復への希望が託されているようでもある。

2012/12/24(月)(飯沢耕太郎)

吉野英理香「Digitalis」

会期:2012/12/08~2013/01/19

タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]

ひとりの写真家の世界が、何かのきっかけで大きく開花していくことがある。吉野英理香にとっては、それは写真集『ラジオのように』(オシリス、2011)の刊行だったのではないだろうか。吉野はこの写真集におさめた写真を、それまでのモノクロームからカラーに変えて撮影した。そのことで、北関東の街のなんとも殺風景な日々の情景が、傷口をそっと指の腹で撫でるような切実さで定着されるようになった。
今回発表されたのは、その続編というべきシリーズだが、その作品世界はさらなる深まりを見せている。路上で撮影されたスナップ的な写真が減ってきて、身近なモノをじっと見つめているような写真が目につく「火がついて半ば燃えかけた紙片」「闇の中に半ば消えかけている猫」「植え込みに半ば隠れている自動車」「羽根を半ば閉じた(開いた)白鳥」──こうして見ると、何かが途中で中断したり、曖昧な形のままに留まったりしている、宙吊りの印象を与える写真が多いことがわかる。その「半ば」という感覚こそが、吉野の視線のあり方を強く支配しているように思えるのだ。
個人的にとても強く惹かれる写真が一枚あった。窓辺に置かれた洗面器のような金属製の容器に水が張られ、紙(写真のプリント)が浮いている写真だ。静謐だが、凛と張りつめた緊張感を漂わせている。彼女の師である鈴木清が写真集『流れの歌』(私家版、1972)の表紙に使った、あのつけ睫毛が洗面器の底に貼り付いた写真を思い出した。鈴木から吉野へ、イメージが眼から眼へと手渡されているということだろう。

2012/12/21(金)(飯沢耕太郎)

石塚元太良「氷河日記 グレイシャーベイ」

会期:2012/12/06~2013/12/28

SLOPE GALLERY[東京都]

石塚元太良は2010年にシーカヤックでアラスカの湾岸を移動しながら、氷河を撮影するというプロジェクトを行なった。2011年には文化庁在外芸術家派遣員としてアメリカに滞在して、前に写真集(『PIPELINE ALASKA』2007)にまとめたアラスカの石油パイプラインのシリーズを撮影し直した。さらに2012年にはアイスランドにアーティスト・イン・レジデンスで滞在して、当地の地熱エネルギーを利用したお湯のパイプラインを撮影している。それ以前から世界中を飛び回る行動力には定評があったのだが、近年は移動の範囲がより広がるとともに、プロジェクトを着実に形にしていくことができるようになってきた。
本展では2010年7〜8月に、キャンプしながらアラスカ・グレイシャー湾をカヤックで回ったときの写真を展示している。35ミリカラーフィルムで撮影した、縦位置のスナップショット写真16点が中心だが、大判カメラで撮影した氷河の写真3点も、大きく引き伸ばして展示している。移動しつつ、軽やかに被写体を捉えていくスナップショットも悪くないが、光を透かして青く輝く氷河の表層をなぞるように写しとった写真に、石塚の写真家としての姿勢がしっかりと定まってきていることがうかがえた。いま制作中というアラスカとアイスランドの石油パイプラインのシリーズが、どんな形でまとまってくるのかが楽しみだ。1977年生まれの彼にとっては、写真を通じて歴史観、世界観が問われる正念場の時期を迎えつつあるのではないかと思う。
なお、展覧会にあわせて小ぶりなサイズの写真集『氷河日記 グレイシャーベイ』も刊行されている。自費出版の、手作り感が漂う写真集だが、逆に写真にもテキストにも自分の思い通りの形にしていこうという爽やかな意欲がみなぎっている。これまで彼が刊行してきた写真集のなかでも、一番いい出来栄えかもしれない。

2012/12/20(木)(飯沢耕太郎)

プレビュー:MIO PHOTO OSAKA 2013

会期:2013/01/30~2013/02/03

天王寺ミオ 12階ミオホール、11階ライトガーデン[大阪府]


1998年から始まった写真の公募展。昨年から形式が大幅に変更され、次年度の個展開催をかけた公開ポートフォリオレビューと、前年に選ばれた作家たちによる個展の2本立てイベントとなった。審査員は昨年同様、島敦彦(国立国際美術館学芸課長)、今森光彦(写真家)、森村泰昌(美術家)の3名。また、前年のポートフォリオレビューで選ばれた井上尚美、角木正樹、山下望の3名が個展を開催する。さらに、森村泰昌の制作現場を撮影した写真家・福永一夫の作品展と、森村×菅谷富夫(大阪市立近代美術館建設準備室)の対談もセットされており、内容の濃い5日間となる。

2012/12/20(木)(小吹隆文)

溶ける魚 つづきの現実

京都精華大学ギャラリーフロール、Gallery PARC[京都府]

会期:2013/01/10~2013/01/26(Gallery PARCは01/20まで)
アンドレ・ブルトンが1920年代に発表した小説『溶ける魚』をタイトルに冠した本展。しかし、10人+1組の出品作家にシュルレアリストはいない。シュルレアリスムが誕生した時代背景──第一次大戦や経済恐慌で疲弊した20世紀初頭のヨーロッパ──と、東日本大震災、原発事故、長引く経済不況、不毛な政治などの状況を抱える現代の日本に奇妙な一致を感じた作家たちが、今自分たちがなすべきことを真摯に考え、『溶ける魚』以後(=つづきの現実)を提示する場として、自らの仕事を世に問うのだ。いささかものものしい説明になってしまったが、本展は近年京都で活発化しつつある若手美術家たちの自主企画のひとつとして注目に値する。衣川泰典、高木智広、荒木由香里、花岡伸宏、林勇気など、作家のラインアップにも期待が持てる。

2012/12/20(木)(小吹隆文)