artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

森山大道「Mesh」展

会期:2012/10/20~2012/11/11

GUCCI新宿 3階イベントスペース[東京都]

森山大道がGUCCIで新たな作品を見せた。会場の壁や柱には、網タイツをはいた女性の脚をクローズアップでとらえたモノクロのシルクスクリーンが隙間なく貼りめぐらされ、その合間に森山の写真作品が展示された。シルクの粘着性と森山写真のザラついた表面。それらが奇妙に調和することによって、濃厚なエロチシズムと殺伐とした荒涼感が同時に迫ってくる。いつも以上に、退廃的な空気感を醸し出していた点が、これまでの森山写真からすると新しい。従来の形式を踏まえながらも、その先を切り開こうとする貪欲な精神には、見習うべきところが多い。

2012/10/24(水)(福住廉)

大竹昭子「Gaze+Wonder NY1980」

会期:2012/10/19~2012/10/27

ギャラリーときの忘れもの[東京都]

実は今回展示された大竹昭子のニューヨークの写真には、個人的な思い出がある。1981年に彼女が帰国した直後に、共通の知り合いの家でプリントをまとめて見せてもらったことがあるのだ。今となっては記憶もかなり薄れてしまったが、冬のニューヨークの寒々とした、ざらついた空気感が、モノクロームのプリントに刻みつけられていたことを覚えている。その後の大竹のエッセイ、紀行文、小説、評論などさまざまな領域にわたる活躍ぶりはよく知られている通りだ。写真評論の分野でも『彼らが写真を手にした切実さ──《日本写真》の50年』(平凡社、2011)など、いい仕事がたくさんある。そんな大竹が、満を持して1980~81年のニューヨーク滞在時の写真を出してきたということには、やはり表現者としての自分自身の原点を確認したいという思いがあったのではないだろうか。
今回展示されたのは、41×50.8cmのサイズの大判プリントが15点と、すでにポートフォリオとして刊行されている20.3×25.4cmサイズのプリントが12点である。両者に共通しているのは、人影がほとんどない路上の光景が多いことで、被写体との距離のとり方に、当時の大竹のあえて孤独を身に纏うような姿勢が投影されているように感じる。被写体に媚びることなく、カメラを正対させて風景の「面」を正確に写しとろうとする、そのやり方はその後の大竹の文章の仕事にも踏襲されていくものだ。どこか禍々しい気配が漂う犬の姿が目立つのも特徴のひとつで、路上で犬を見かけると本能的にシャッターを切っている様子がうかがえる。人よりも犬に親しみを覚えるような風情も、ニューヨークのダウンタウンのソリッドな光景によく似あっている。いい展示だった。なお、展覧会にあわせて、写真とエッセイをおさめた『NY1980』(赤々舎、2012)も刊行されている。

2012/10/19(金)(飯沢耕太郎)

巖谷國士/桑原弘明「窓からの眺め」

会期:2012/10/06~2012/10/28

LIBRAIRIE6[東京都]

フランス文学者でシュルレアリスムの研究家としても知られる巖谷國士にとって、写真は余技に思える。だが個展も5回目ということで、もはやその域は超えていると言うべきだろう。というより、巌谷のような多彩な領域に関心のある作家にとっては、写真もシリアスな仕事として取り組んでいることが、作品から充分に伝わってきた。今回のスコープ・オブジェ作家の桑原弘明との二人展を見ると、何をどのように撮るのかという写真家としての「眼」が、揺るぎなくでき上がっているのがわかる。
展示では、1990年代以降に撮影された旧作と、今年になって集中して撮影したという新作が両方並んでいた。どちらかと言えばパリ、ヴェネツィア、パレルモ、ジェノバ、プザンソンなど、ヨーロッパ各地を旅しながら撮影した新作の方に、彼ののびやかな心の動きがそのまま写り込んでいるような楽しさを感じた。写っているのはタイトル通り「窓からの眺め」が多い。丸、あるいは四角で区切られた眺めが、繊細な手つきで、あたかも箱の中に封じ込められた小宇宙のように捉えられている。特に桑原がセレクトしたという、ポストカードほどの大きさの小さな写真がまとめて並んでいる一角は、互いの作品が響きあって心地よいハーモニーを奏でていた。
風景やインテリアの写真が多いのだが、2点だけ街頭のスナップショットがあって、それがまたよかった。旧作ではあるが、特にバイヨンヌで1990年代に撮影された「縄跳びの少女」の写真が素晴らしい。二人の少女たちがつくる縄跳びの輪の中に、ふっと誘い込まれそうな気がしてくる。巖谷にはぜひ写真の仕事を続けていってほしいものだ。

2012/10/19(金)(飯沢耕太郎)

初沢亜利「Modernism 2011-2021 東北・東京・北朝鮮」

会期:2012/10/04~2012/10/30

東京画廊+BTAP[東京都]

初沢亜利のような写真家について論じるのはむずかしい。彼の撮影のポジションは、「東北・東京・北朝鮮」という今回の展示の撮影場所を見てもわかるようにフォト・ジャーナリストのそれと重なりあう。実質的なデビュー作の「Baghdad2003」は、イラク戦争下のバグダッドで撮影されたものだった。
だが、今回の展示場所が現代美術を主に扱うギャラリーであることを見てもわかるように、作品の発表の仕方は従来のフォト・ジャーナリズムの枠にはおさまらず、そこからはみ出してしまう。初沢のようなタイプの写真家は彼ひとりではなく、かなり増えてきている。アート、報道、コマーシャルといった慣れ親しんだ写真のジャンル分けが、完全に解体しはじめていることのあらわれとも言えそうだ。
今回の「Modernism 2011-2021 東北・東京・北朝鮮」は、彼が覚悟を決めて撮影した意欲作である。震災直後の2011年3月12日から東北各地の被災現場を撮影しながら、初沢は前後4回にわたって北朝鮮に渡った。その合間に、彼のベースキャンプとでも言うべき東京も撮影し続けていた。展示された写真には、母親の葬儀の光景のようなプライヴェートな場面も登場する。そこに添えられた「Modernism」という言葉に、初沢の批評意識を見ることができるだろう。つまり19世紀以来営々と気づき上げられてきた「モダン」の枠組が、今や至るところで破綻しつつあり、彼が選んだ三カ所はまさにその最前線と言うべき場所なのだ。
写真を見ているうちに、それらの場所がどこか似通っているように感じてくる。東京はもちろん、東北の被災地や北朝鮮ですらも、消費文化の影に覆い尽くされている。90枚の大四つ切サイズの写真を2段に、アトランダムに並べた写真構成がうまく効いているのだが、このような展示は諸刃の刃のように思えてならない。観客の意識が、それぞれの写真がどこで撮られたのかを確認することに集中してしまい、それ以上深みへと広がっていかないからだ。キャプションをすべて排除したことも含めて、この連作の見せ方にはさらなる工夫が必要なのではないだろうか。
なお、今回の展示のうち「東北」のパートはすでに写真集『True Feelings 爪痕の真情。』(三栄書房)として刊行されている。「北朝鮮」のパートも11月中に写真集『隣人』(徳間書店)として刊行予定だ。これらの写真集をあわせて見ることで、彼の作品世界の広がりを確かめることができるはずだ。

2012/10/16(火)(飯沢耕太郎)

磯部昭子「U r so beautiful」

会期:2012/10/15~2012/11/01

ガーディアン・ガーデン[東京都]

リクルート主催の「1_WALL」展(前身は「写真ひとつぼ展」)やキヤノン主催の「写真新世紀」のような、主に若い写真家たちを対象にしたコンペで、広告写真やファッション写真のジャンルに属する仕事をする写真家が賞をとることはめったにない。日本は比較的アートとコマーシャルの間の境界線が緩やかな国のひとつだが、それでも表現領域の違いというのは厳然としてあるようだ。その意味で、「写真ひとつぼ展」の入選者(グランプリ受賞者を除く)から選出されて、あらためて作品を展示する「The Second Stage」という枠で個展を開催した磯部昭子は、やや特異な例と言えそうだ。
むろん、今回の「U r so beautiful」の展示を見ても、一概に磯部の作品をコマーシャル的と決めつけることはできないのではないかと思う。ただ、やや奇妙な風貌の人物たち、スタイリッシュなオブジェを、自動車のヘッドライトのような人工光で照らし出すという手法そのものが、どう見てもファッション写真ぽいと言えるし、彼女の経歴や活動の基盤がコマーシャル・フォトであることはまぎれもない事実だ。むしろそのことが、ガチガチに凝り固まったシリアス・フォトにはない遊び心、発想の飛躍を生んでいるのではないだろうか。特に面白かったのは、脚や手など身体の一部をクローズアップして、他のオブジェとコラージュするように構成した一連の作品。そこには、日常のなかに非日常が紛れこむ、「等身大の虚構の構築」とでも言うべきユニークな作風が芽生えはじめているように感じた。

2012/10/16(火)(飯沢耕太郎)

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