artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

畠山直哉『気仙川』

発行所:河出書房新社

発行日:2012年9月30日

本書の刊行前に見本を送っていただいた。それをざっと眺めて、とてもよく練り上げられたいい写真集だと思ったのだが、そのままページを閉じてしまった。写真をじっくりと見て、そこに添えられたテキストを読むことに、ある種の畏れとためらいを感じてしまったからだ。
なぜ、そんなふうに感じたのかといえば、言うまでもなく本書の成り立ちについて、あらかじめ知る立場にいたからだ。畠山直哉の実家がある岩手県陸前高田市気仙町は、東日本大震災が引き起こした大津波で大きな被害を受けた。実家は津波で流失し、母親は遺体で見つかった。その一連の出来事を受けとめ、咀嚼し、あらためて具現化した成果は、昨年、東京都写真美術館で開催された個展「ナチュラル・ストーリーズ」で発表された。それが本書を構成する二つのシリーズ、「気仙川」と「陸前高田」である。震災から1年半が過ぎたこの時点で刊行された写真集『気仙川』は、それゆえ畠山があの極限状況のなかで、何を考え、どのように行動したのかを報告する生々しいドキュメントとなる。その息苦しさが、写真集のページを繰ることにためらいを生じさせたのだ。
約1カ月後に、ようやく最後まで読み(見)通すことができた。この写真集はやはり畠山の仕事としてはかなり異例な造りになっていた。特に前半部の「気仙川」のパートに添えられたテキストの緊張度はただならぬものがある。地震の第一報を聞いて3日後にオートバイで陸前高田に向かう、その道程の出来事が、瘡蓋を引き剥がすような痛切な文体で綴られているのだ。それが2000年頃から折りに触れて撮影していた、安らぎに満ちた故郷の風景と交互にあらわれてくる。「気仙川」をこのような造りにしなければならなかった所に、彼が味わった「今までの人生で経験したことがないほどの痛烈な刺激」の凄まじさが、端的にあらわれているのではないだろうか。
だが、震災が来るまでは「un petit coin du monde(地球=世界の小さな一角)」と記された箱におさめられて、ひっそりと眠っていたというこれらの写真群は、このような緊急避難的な構成のなかではなく、もっと別な形で見たかった気もする。「気仙川」は写真家・畠山直哉にとって、とても大事なシリーズとして育っていく可能性を秘めていると思うからだ。彼がこれまで撮影・発表してきた「大きな眺め」にはなかった、柔らかに被写体を包み込み、震えながら行きつ戻りつして進んでいくような視線のあり方を、このシリーズでは見ることができる。「un petit coin du monde」の箱におさめられるべき写真を、これから先も撮り続け、これらの写真と繋いでいってほしいものだ。

2012/10/15(月)(飯沢耕太郎)

現代郷土作家展 吉本直子・久保健史・浅田暢夫

会期:2012/09/13~2012/10/21

姫路市立美術館[兵庫県]

姫路を中心とした播磨エリア出身の作家に出品を依頼し、美術館と作家が相互協力してつくり上げるのが特徴の本展。近年は隔年で開催されており、今年は、シャツを用いた立体やインスタレーションを制作する吉本直子、大理石の彫刻によるインスタレーションで知られる久保健史、水面ぎりぎりから撮影した海の写真などで知られる浅田暢夫の3名が選ばれた。展示はそれぞれ対照的で、浅田は同一サイズのプリントを一直線に並べ、吉本は立体とインスタレーションと原発事故の作業員が着用する防護服(同一の物かは不明)に刺繍をほどこした作品を出品、久保は展示室内にアトリエを移設し、彫刻と私物が混在するインスタレーションで自分自身の美意識を造形化した。三者三様の美学が見て取れる質の高い展示に満足するのと同時に、関西の他の美術館でも地元作家が活躍できる場を増やすべきだと痛感した。

2012/10/14(日)(小吹隆文)

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日本の70年代 1968-1982

会期:2012/09/15~2012/11/11

埼玉県立近代美術館[埼玉県]

埼玉県立近代美術館の「日本の70年代 1968-1982」展を見る。大阪万博や寺山修司の熱気から、ビックリハウスやこの美術館の誕生まで、横断的に文化を展示したものだ。それゆえ、黒川紀章の向かいが、サディスティック・ミカ・バンド!という部屋もある。なお、美術館の公園に移築された《中銀カプセルタワー》のユニットも同時代の産物だ。

2012/10/12(金)(五十嵐太郎)

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篠山紀信「写真力」

会期:2012/10/03~2012/12/24

東京オペラシティ アートギャラリー[東京都]

篠山紀信の写真展に「写真力」という言葉はぴったりしている。まさに彼こそ1960年代から半世紀にわたって、写真の荒ぶるパワーを十全に統御しつつ、打ち出し続けてきた写真家だからだ。
篠山の「写真力」は、主に固有名詞化された被写体に対して発揮される。しかも、その彼あるいは彼女の名前や顔やキャラクターが社会全体に広く行き渡り、輝きを発していればいるほど、その存在を全身で受け止め、投げ返す力業は神がかったものになる。今回の東京オペラシティアートギャラリーでの展示は「GOD」「STAR」「SPECTACLE」「BODY」「ACCIDENTS」の5つのパートに分かれており、東日本大震災の被災者たちを撮影した「ACCIDENTS」以外の部屋は、著名なキャラクターのオンパレードだ。その絢爛豪華ぶりは、美空ひばり、三島由紀夫、バルテュス、武満徹、ジョン・レノン、夏目雅子、大原麗子、勝新太郎、きんさん・ぎんさん、渥美清の巨大な「遺影」がずらりと並んだ「GOD」の部屋を見るだけでもよくわかる。
篠山はそれらのスターたちを、視覚的な記号として社会に流通させていく術に長けている。彼は大衆があらかじめ抱いているイコンとしての像におおむね沿う形で、だがそれらを少しだけずらしたり、増幅させたりして写真化していく。時代の気分をすくい取りつつ、その半歩先のテイストを的確に打ち出していく勘所のよさを、篠山は1960年代のデビュー時から現在までずっと保ち続けてきた。それだけでも特筆すべきものと言えるだろう。
だが、その記号化のプロセスは、主に雑誌や写真集などの印刷媒体で威力を発揮するものであり、美術館のような会場での展示には馴染まないのではないか。観客はジョン・レノンや山口百恵や宮沢りえやミッキーマウスが「そこにいる(いた)」ことを確認すれば、それだけで満足してしまう。ゆえにギャラリーや美術館のスペースで味わうべき視覚的体験としては、やや物足りないものになる。気づいたら、広い会場をあっという間に巡り終えてしまっていた。

2012/10/11(木)(飯沢耕太郎)

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森山大道「LABYRINTH」

会期:2012/09/28~2012/11/11

BLD GALLERY[東京都]

「これは反則ではないのか」と言いたくなるような、面白い展示だった。フィルムのコマをそのまま焼き付けたコンタクト・プリント(密着印画)を見せることは、写真家にとっては勇気がいることだと思う。彼がどんな対象に向けて、どんなふうにシャッターを切っているのかが、一目瞭然になるからだ。それでも森山大道ぐらいになると、コンタクト・プリントを人目にさらすことになんの躊躇もなく、むしろそのことを愉しんでいるようでもある。
今回展示されたのは104×144.4�Bのサイズに大きく引き伸ばされたコンタクト・プリント(写真弘社によるバライタアートプリント)で、そこにぎっしりと森山の旧作が詰まっている。しかも、そこでは1960年代から2000年代までの写真が、年代を飛び越えて、アトランダムにコラージュされて並んでいるのだ。『にっぽん劇場写真帖』(1968)、『狩人』(1972)、『写真よさようなら』(同)から『光と影』(1982)、『サン・ルゥへの旅』(1990)を経て『新宿』(2002)、『Buenos Aires』(2005)まで、つい写真集で見慣れたイメージを探してしまうのだが、それが目に入ってきたとき、軽いショックに襲われてしまう。前後の画像とのかかわりによって、そのたたずまいが相当に違っているのだ。さらにトリミングや焼き込みのような暗室技術を駆使することによって、森山がいかに魔術的な画像操作を行なっているのかが、まざまざと見えてくる。コンタクト・プリントをあらためて確認することで、森山の写真を形づくっている地層のような構造が浮かび上がってくるのだ。まさにスリリングな展示と言えるだろう。
なお、展覧会にあわせて写真集『LABYRINTH』(AKIO NAGASAWA PUBLISHING)も刊行された。300ページを超えるイメージの迷宮。これまた、ページをめくる手が止まらなくなるほどの異様な面白さだ。

2012/10/08(月)(飯沢耕太郎)