artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
赤鹿麻耶『風を食べる』
発行日:2012/11/01(木)
赤鹿麻耶は2011年にキヤノン写真新世紀でグランプリを受賞し、その出品作「風を食べる」を、今度は写真集出版を副賞にするビジュアルアーツアワード2012に応募して最優秀賞に選ばれた。本書はその受賞を期に編集・刊行された写真集(発売:赤々舎)である。
僕は森山大道、瀬戸正人、上田義彦、百々俊二とともにビジュアルアーツアワード2012の審査をしたのだが、他の出品者からは力が頭ひとつ抜けていて、ほぼ満場一致の選考結果だった。その審査評に以下のように書いた。
「『赤鹿麻耶』という名前には強烈なインパクトがある。血の色の夕陽を浴びて立ち尽くす鹿のイメージは、彼女がシャーマン的な体質であることを暗示しているように思えてならない。実際に彼女の写真を見ていると、そこで繰り広げられている、異様にテンションの高いパフォーマンスが、何か超越的な存在に捧げられた儀式のように見えてくる。写真家も、それを演じるモデルたちも、夢うつつのトランス状態のなかを漂っているのだ。危険な写真だ。そのうちに、写真を見ているわれわれも、そのシャーマニズム的な時空のなかに取り込まれてしまいそうになる」。
できあがった写真集を手に取って、この印象が基本的に間違っていなかったことを確認できた。というより、鈴木一誌・大河原哲によるゆったりとした造本によって、個々の写真に秘められていたパワーが、よりのびやかに開放されているように感じた。
大いに期待できる才能の持ち主と思っていたのだが、ちょうど東京都写真美術館で開催されていた「写真新世紀2012 東京展」(2012年10月27日~11月18日)に展示されていた赤鹿の新作「電!光!石!火!」を見て、いささかがっかりさせられた。大阪っぽい乗りの日常スナップの集積という方向性は、まったく間違っていると思う。いまは『風を食べる』の個々の写真に孕まれていた可能性を、より集中し、緊張感を保って追求していくべき時期だろう。テンションの高さを維持できないようでは困ったものだ。
2012/11/22(木)(飯沢耕太郎)
絵はがきの別府展
会期:2012/11/13~2012/11/27
P3/BEP.lab(旧草本商店2階)[大分県]
大分県の別府市で行なわれている国際展「混浴温泉世界」は、じつは「別府アートマンス」というより大きな枠組みのなかに位置づけられている。これは市民による総合芸術祭で、現代アートのみならず、工芸、陶芸、書、ダンス、音楽など、さまざまな芸術ジャンルのイベントが、「混浴温泉世界」の会期に合わせて連続的かつ同時多発的に催されるのだ。
「混浴温泉世界」の作品を探して街をうろうろ歩いていると、いたるところで不意に小さな展覧会に出くわすほど、おびただしい。小規模な文化事業とはいえ、これだけ充実させている点は、横浜や妻有、愛知、神戸、瀬戸内などの国際展都市には見られない、別府ならではの大きな特徴である。
この展覧会もそのひとつ。観光都市・別府の絵はがきを、街中の共同浴場の上にある旧公民館で一挙に展示した。絵はがきに用いられた写真には、巨大な旅客船や砂風呂、外国人など、いずれも往時を偲ばせる図像が小さなフレームの中に収められている。なかでも港に停泊した巨大な旅客船の真下で砂風呂を楽しむ観光客を写した写真は、一瞬合成かと疑ってしまったほど、別府のセールスポイントを凝縮して構成されていて、その気迫と工夫がおもしろい。
別府の栄華を物語る絵はがきの数々を、その勢いを失ってしまった空間で見るという経験。その時間と空間の圧倒的なギャップに目眩がするが、「混浴温泉世界」とは異なるさまざまな水準が設けられ、いろいろな角度から別府に想像力を働かせることができるようになっているところに、アートの大きな意味を見た。
2012/11/20(火)(福住廉)
ジョミ・キム アウト・オブ・フォーカス
会期:2012/11/15~2012/12/01
Port Gallery T[大阪府]
壁に立てかけられた靴、カーテン、照明器具、窓越しの風景など、日常の一部を切り取ったピンボケ写真を、インスタレーション的に展示していた。画廊に置かれていた説明文によると、撮影の際、フォーカスを徐々にずらしていくと、ファインダーの向こう側にマジカルな情景が出現するという。それは、本人曰く「日常に最も近い非日常」。このコンセプトと作品配置にすっかり魅了されてしまった。彼女は今年度の「shiseido art egg」に入選しており、来年2月には資生堂ギャラリーで個展が予定されている。このチャンスを生かして、彼女が大きな飛躍を遂げることを期待している。
2012/11/19(月)(小吹隆文)
Indiana University At School: group exhibition, Ku─空─Sky Project 2012
会期:2012/11/17~2012/12/29
theory of clouds[兵庫県]
写真作品の展示販売や、「うたかた堂」名義で写真集出版などを行なう神戸のギャラリーTANTOTEMPOが、新たなギャラリーを立ち上げた。theory of clouds(雲の生育理論)という風変わりな名称は、雲から発する雨が大地を潤すように、社会に美と知を届けるギャラリーでありたいとの願いが込められたものだ。活動の特徴は、海外の写真家、写真フェス、学校との連携に注力することで、交換展などプロジェクト主体の運営になる。その第1弾として行なわれているのが本展で、アメリカ・インディアナ大学のアートスクールで写真とアート・マネジメントを教えているオサム・ジェームス・ナカガワを迎えて、5名の若手作家を紹介している。商業的なハードルは高そうだが、これまで関西にはなかったタイプの画廊活動なのは間違いない。今後の活躍を期待する。
2012/11/17(土)(小吹隆文)
志賀理江子 螺旋海岸
会期:2012/11/07~2013/01/14
せんだいメディアテーク[宮城県]
「北釜」を歩いた。
仙台駅から仙台空港駅まで鉄道で30分弱。駅のロータリーから延びる道に沿って海に向かう。ひしゃげた欄干の橋を渡ると、目前に現われたのはだだっ広い平原。神社と一軒の民家以外、何もなかった。乾いた雑草と、せわしなく往来するダンプカーの光景からすると、まるで荒涼とした埋立地のような印象だが、いたるところに残された剥き出しの基礎が、この街を壊滅させたすさまじい破壊力を物語っている。平原のなかにポツンと立つ一軒の民家は、奇跡的に破壊から免れたのだろうかと思って近寄ってみると、健在なのは2階だけで、1階は大半の壁が打ち破られ、数本の大黒柱が辛うじて2階を支えていた。
軽い丘を超えた松林のなかに志賀理江子のアトリエ跡があった。海風にあおられて陸のほうを向いた松林や硬い砂浜の上に転がった松ぼっくり。薄い雲の隙間から夕陽が差し込んでくる。護岸工事のために奮闘しているショベルカーの駆動音が聞こえなければ、とても現実とは思えないほど、荒涼とした光景である。まるで志賀理江子の写真そのものではないか。
そのとき、ふと気がついた。そうか、志賀理江子の写真は幻想的で非現実的な構成写真だと思っていたが、その構成と演出は、虚構の世界を構築するというより、むしろ現実社会のなかの幻想性を極端に強調したものだったのだ。此方と彼方を明瞭に区別しているわけではなく、此方が内蔵する彼方を引き出していたのだ。彼女の写真に描かれる死の世界が恐ろしいのは、それがいずれ訪れる死の光景を予見させるからというより、それが私たちの内側にすでに広がっていることを目の当たりにさせるからだ。そして何よりも恐ろしいのは、そのような写真をつくり出す志賀理江子の眼差しである。いったい、どんな世界を見ているというのだろう。そこに戦慄を覚えながらも、その視線が生み出す新たなイメージに、よりいっそうの期待を抱かずには入られない。
2012/11/16(金)(福住廉)