artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

MAM PROJECT 018 山城知佳子

会期:2012/11/17~2013/03/31

森美術館 ギャラリ─1[東京都]

沖縄出身の山城知佳子の映像や写真の作品は、以前からずっと気になっていた。沖縄独特の亀甲墓を舞台にした一連のパフォーマンスや、あの海の中を海藻とともに漂う「アーサ女」(2008)など、南島の母系社会の神話的想像力に根ざした注目すべき作品だと思う。今回は森美術館の新進アーティスト紹介企画の一環として、新作の三面スクリーンの映像作品「肉屋の女」が展示されていた。
「肉屋の女」はこれまでの山城の作品とは違って、物語性がかなり強く打ち出され、シナリオのある「映画」として見ても充分なほどの完成度に達している。海の中を漂う肉片を拾い集めて、米軍基地のフェンス近くのバラック小屋で売る女たちの世界と、その肉を争いながら奪い取って食べる男たちの世界とが交錯しつつ、鍾乳洞を舞台に沖縄の精神的な古層との交流を暗示するようなパフォーマンスが展開する映像作品の構造は、そう単純なものではない。それでも、山城自身をはじめとする沖縄在住の若者たちの開かれた身体のあり様が、気持ちよく目に飛び込んできて見応えがあった。それとともに「肉屋」という特異な空間設定が、とてもうまく効いていると思った。映像を見ているうちに、もしかするとこの肉は人肉なのではないかという、奥深いカニバリズム的な恐怖が引き出されてくるのだ。このテーマを深めていけば、さらにめざましい映像世界の展開が期待できそうだ。

2012/12/12(水)(飯沢耕太郎)

門田訓和 before that

会期:2012/12/08~2012/12/24

ARTZONE[京都府]

32色の折り紙を、決まった折り方、並べ方で多重露光した写真作品《coloe paper》を中心に、同様の手法で制作したモノクロの作品や映像作品を出品。透過性のある色面が幾重にも折り重なった画面は純粋に美しく、同時に行為と時間の積層が目に見える形で刻印されている。この軽やかさ、透明感を他の方法で表現するのは難しいだろう。昨年春に大学院を修了したばかりの若手とは思えない、完成度の高い個展だった。

2012/12/08(土)(小吹隆文)

北井一夫「いつか見た風景」

会期:2012/11/24~2013/01/27

東京都写真美術館 3階展示室[東京都]

北井一夫の写真家としての位置づけはむずかしい。1976年に「村へ」で第一回木村伊兵衛写真賞を受賞しているのだから、若くしてその業績は高く評価されていたといえるだろう。だが『アサヒカメラ』に1974~77年の足掛け4年にわたって連載された、その「村へ」のシリーズにしても、いま見直してみるとなんとも落着きの悪い写真群だ。高度経済成長の波に洗われて、崩壊しつつあった日本各地の村落共同体のありようを、丹念に写し込んでいった作品といえるだろうが、北井が何を探し求めて辺境の地域を渡り歩いているのか、そのあたりが判然としないのだ。とはいえ、これらの写真を見続けていると、たしかにこのような風景をその時代に見ていたという、動かしようのない既視感に強くとらわれてしまう。それは怒りとも哀しみともつかない、身動きができないような痛切な感情に包み込まれるということでもある。
北井の写真には、いつでもこのような、見る者をうまく制御できない記憶の陥穽に導くような力が備わっていると思う。僕にとって、今回の展覧会でそれを一番強く感じたのは、「過激派・バリケード」(1965~68)のパートに展示されていたバリケード封鎖された日本大学芸術学部内で撮影された一連の「静物写真」だった。闘争が長引くに連れて、「封鎖の校舎内は、ストライキ学生の衣食住の場所になり、非日常空間から日常生活の場へと変化した」という。北井はそこで目にした「靴」「ハンガー」「トイレットペーパー」「傘」「謄写版」「洗面台」などを、135ミリの望遠レンズで接写している。僕自身は彼より一世代若いので、これらの事物をバリケード内で直接目にしたわけではないが、その空気感をぎりぎり実感することはできる。日常を、その厚みごと剥がしとるような北井の眼差しのあり方が、これらの写真には見事に表われている。それぞれの時代の日常性を身体化して体現できる仕掛けを組み込んでいることこそ、北井の写真の動かしようがないリアリティの秘密なのではないだろうか。

2012/12/07(金)(飯沢耕太郎)

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原芳一「常世の虫II」

会期:2012/11/30~2013/12/09

サードディストリクトギャラリー[東京都]

昨年刊行した写真集『光あるうちに』(蒼穹舍)で「写真の会賞」を受賞するなど、このところ充実した活動を展開している原芳一の新作展。「常世の虫」というタイトルの展示は、2009年の同ギャラリーでの個展に続くものである。
被写体なっているのは、相変わらず彼自身の日々の消息だが、たしかにそのなかにさまざまな虫たちが姿を現わしている。ちっぽけで目につきにくい蛾や毛虫や蜉蝣の類を捉える原の眼差しには、いささかの揺るぎもない。彼にとって、虫たちの世界と人間たちの世界はまったく同格であり、むしろ生(性)と死のはざまで密やかに営まれる虫たちの生の姿にこそ、強い関心と共感を抱いているのではないかと思えるほどだ。
DMに寄せた文章で原自身も書いているのだが、日本の古代から中世にかけて「虫」が大きく浮上してくる時期があった。「常世の虫」と呼ばれる宗教集団への弾圧事件、あの哀切な「虫愛づる姫君」の話。そんな争乱の時代へとなだれ込んでいく「末法の世」の空気感は、原にとって他人事ではなく、どこか現代の気分と重なりあうのだろう。このシリーズがどんなふうに展開していくのかはわからないが、原がもともと備えている文学的な想像力が、さらに奇妙な回路を辿りつつ花開いていきそうな予感がする。

2012/12/04(火)(飯沢耕太郎)

須田一政「風姿花伝」

BLD GALLERY[東京都]

会期:[第一期]2012年11月15日~12月2日/[第二期]2012年12月4日~28日
須田一政が1975~77年に『カメラ毎日』に断続的に掲載した「風姿花伝」は、僕にとって忘れがたいシリーズだ。この時期の『カメラ毎日』の誌面は名作ぞろいなのだが、須田の写真はとりわけ薄紙に水が染みとおっていくような浸透力を備えていた。そのただならぬ異界の気配に、震撼とさせられることも多かった。須田のこの時期の仕事については、近年ヨーロッパでも再評価の気運が高まっている。ベルリンのonly photographyから500部限定の写真集『ISSEI SUDA』も刊行された。その須田の代表作が、BLD GALLERYで展示され『風姿花伝[完全版]』(Akio Nagasawa Publishing)が刊行されるというのも、彼の再評価の大きな流れのなかに位置づけられるだろう。
今回の展示の目玉は、なんといっても1,080×1,080mmサイズの大判モノクロームプリント10点である。その迫力は比類ないものがあり、須田の写真の世界がしっかりとした構築的な骨組みを備えていることが、明確に浮かび上がってくる。ほかに名作中の名作、あの大蛇が壁をつたって這う「神奈川県三浦三崎」(1975)のヴァリエーション4枚(とぐろを巻く蛇のイメージも含む)が、初めてプリントとして展示されているのも興味深かった。この連作も写真集として刊行する予定だという。
なお、新宿のPlace Mでは、須田が1990年代に制作した「RUBBER」シリーズ(ポラロイド写真)が展示された(12月3日~9日)。こちらも彼の「なんかヘン」な対象に対するフェティッシュなこだわりが全面展開した怪作だ。Place Mから同名の写真集も刊行されている。

2012/12/04(火)(飯沢耕太郎)